まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【山岡鉄舟 修養論】 某人傑と問答始末

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 26日 赤口

         壬辰 日/戊寅 月/乙未 年 月相 25.1 有明月 長潮

         小寒 末候 雉始[句隹](きじはじめてなく)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 6.4℃ 湿度 48%(大阪 6:00時点)

 

 

 

此頃、世に人傑とて其名の聞こえたる人あり。學和漢洋に通じ、武士道も亦心得たる人なりとかや。

 

其人、餘に問ふて曰く、貴殿は元來潔白にて、加ふるに日夜修心の術を講ぜらるる由、至極には存ずれど、失敬ながら吾れは貴殿の心事、果して君の爲國の爲或は人の爲に身命を棄てんと慾するの志あるや否や甚だ疑はざるを得ず。故に餘は、先づ貴殿の從來修心し來りし志操を確めたし、とて言々餘に迫れり。

 

餘、馬鹿の如くにして容易には答へざりし。然るに其人、猶前言を繰返し、滔々として餘を責むるの色あり。

 

此時、餘は大口を開きてハハハハと笑ひたり。然る處、其人は年齡餘よりも長者にして、加ふるに身の位置もなかなか容易ならざる人なり。是に於いてか、氏は滿面怒を含みて忽ち大喝一聲、汝木石、人倫の何物たるを知らず、不屆野郞めとて大に餘を叱り飛ばしたり。

 

依って餘、靜に答へをなして曰く、拙者は淺學無識、加ふるに身賎劣にして左樣な六ケ敷事(むつかしきこと)は始めて御尋に接する事にて容易に答ふべきもあらねど、强ひてとの御尋に候得ば無遠慮に御答へ仕らん。

 

扠(さ)て貴殿の仰せによれば、吾人濟世(ごじんせいせい)の要は君の爲め國の爲め、或は人の爲めに盡くすを以て無上の極道と思召さるるが如し。其言果して然るか。

 

氏曰く、固より然り。餘は及ばずながら日夜苦慮し、聊(いささ)かにても貢獻(献)せんとて片時たりとも忘れざるのみならず、現在實行し居れるなりと。

 

拙者の曰く、世閒往々左樣の人多きが如きも、拙者は左樣には存ぜざるなり。今貴殿の仰せらるるが如きは皆之れ自負心にして自惚と申すの外ある閒敷きなり。かりに其自負自慢の自惚心を去つて正味の處を拜聽仕りたしと云ふや、先生大いに怒り、汝その自負自慢自惚とは何事ぞと。

 

拙者の曰く、左樣に候なり。乞ふ、御一考せられよ。先生は御宅に召使ひの僕婢もあるべし。若し夫等の僕婢が朝夕貴殿に事(つか)ふるの外、猶ほ君國の爲めに奉公する所ありとせば、先生はそれらに比して其優劣如何と思召さるるや。

 

抑々人閒一生の事業は其多寡申すも氣の毒なる事にて、こは別に言葉する限りにあらず。是は別問として、先づ人の此世に於て務べき職責を、君の爲め國の爲め人の爲めなどと飛んでもない所に勿體を附くるは、單に口實と申すの外はあるまじきなり。篤(とく)と算盤を採つて差引勘定を試みなば、恐らくは眞實正味の殘る所はあるまじきなり。

 

一步を進めて虛心坦懷其理の存する所を自覺するに至らば、君の爲め國の爲め人の爲めなどとのシヤレ言はいはぬ筈なりと無遠慮に拙意を述べたれば、先生唯々(いい)として後言なかりし。

 

流石は名士と聞こえたれば何かを悟る所やありけん、爾後餘を待つ事頗る親切なりし。惜いかな其人、不幸にして抱負遠大に過ぐると精神の勝氣なるとにより世俗の疑ふ所となり、終に刺客の手に亡びぬ。嗚呼(ああ)、哀夫(かなしきやそれ)。

 

元治元年冬十二月

山岡鐵太郞 誌

 

 

 

【私的解釈】

 

世間で人物だと名声が高まっている人と会ったことがある。和・漢・洋の学問に通じ、武士道も心得ているという評判の人であった。

 

その人が私に問うには、

 

「あなたは生まれつき潔白な性格な上、さらに日夜精神修行も勤めておられるそうで、真に結構なことと思います。しかしながら、失礼ですが、私はあなたのおもゐが、本当に天子様の為、日本の為、あるいは人の為に肉体と生命を惜しまずに捨て去るのだという志が行動に溢れて出てきているのかどうかという点で、疑念を抱いているのです。だからあなたの今までの修業によって練られて来た決意というものを真っ先にお聞かせ願いたい」

 

と言って、私に迫って来た。

 

私は、間抜けな振りをしてすぐには答えないでいたのだが、間を置かずにその御人は同じことを繰り返し言って、私に返答を求めて来た。

 

この時、私は大口を開けてハハハハと笑ってしまった。さすれば、その御人は年齢は私よりも上で、更にたいそうな身分の御人であったのだが、この笑いにすっかり怒ってしまって、大声で「この鈍感野郎め。お前は人の道というモノが分かっていない。無礼な奴め!」と一喝し、私を大声で叱り飛ばして来たのである。

 

これに対して、私は静かに答えて言った。

 

「私は、学問も浅く知識もない上に身分の低い者でありますから、このような難しいことを問われたことがないのでどのように返答すれば良いのかを迷っておりますが、是非とのことなので遠慮無くお答え致します。

 

さて、あなたの仰ることを聞いていると、人が世の中に貢献する生き方というのは、天子様の為、日本の為、人の為に誠を尽くすということが唯一最上の道であると思われているようですが、本当にその通りなのでしょうか?」

 

その御人が言う、

 

「もちろんだ。私はまだまだ及ばない身ではあるが日夜心を砕いて、ちょっとでも世の中に貢献したいというおもゐを胸に、これを実践しているのだ」

 

と。

 

これに対して、

 

「世の中の人々はそのような考えの人が多いようです。が、私はこのようには考えておりません。今、あなたが仰ったようなことは、どれも皆先ず自分の身を第一に考えるおもゐから発露するもので、自惚れとでもいうほか言い様がありません。他人の評価を気にすることから生じる自負するおもゐや自慢するおもゐそして自惚れるおもゐを取り払った後に残る、あなたの根本にあるおもゐについてお聞きしたいのですが」

 

と、私が言うと、先生は大いに怒って、

 

「お前が言う、自負するおもゐやら自慢するおもゐとか自惚れるおもゐとか、それはどういう意味だ」

 

と言う。

 

「そのことを今一度お考え下さい。先生のお宅にも召使の男女が居るでしょう。もし彼ら召使が毎日あなたの用事を務めることを片手間にして、自分たちは天子様や国家の為にも奉公しているのだと言い出したならば、先生はどのようにお思いになりますでしょうか?

 

そもそも人ひとりひとりの一生に出来る事業など知れたものであるということは、今更言うまでもないことです。この事実を踏まえた上で、人ひとりひとりがこの世に生まれてきたからには、固有の使命というものが私たち各々に割り当てられていると私は考えております。これに対して、天子様の為やら日本の為などと大きなことを言って保身から己の威厳を保とうとすることは、我が身かわいさからただ出まかせを言っているに過ぎないという他はないのです。しっかりと己の足元に根付いた、己に割り当てられた使命というものを見据えて、その上で算盤をはじいて、己に与えられた寿命を差し引き勘定して行けば、天子様の為、日本の為などと言っている人の生涯の事業に真実味は出て来ないでしょう。

 

自分の使命に一歩踏み込んで、平静にその理を自覚しているのならば、天子様の為、日本の為、人の為などという戯れ言を言う気持ちにはなれないはずです」

 

と、このように私が遠慮なく私見を述べると、先生はただ頷くばかりで言葉も出なかった。

 

さすがに名士と言われるだけのことはあり、何か悟ったことがあったのであろうか、このことがあって以来、私に対してずいぶんと親しい態度をとるようになった。だが、残念なことにこの御人、己の領分を超えた志と勝気な精神との為に世の中からはじかれて、ついには刺客の手により殺されてしまったのである。なんとも悲しい出来事であった。

 

元治元年(西暦1864年)冬十二月

山岡鉄太郞 したたむ

 

 

 


1864年(元治元年) / 幕末年表

 

 

 

 

【雑感】

 

 

現代は言葉が軽くなって来ているようだ。

 

己の真心の中で言葉を紡ぎ上げ、それを吐き出した時の周りの反応を予想して、やっとのおもゐで言葉として外に吐き出すというよりは、社会の中で如何にして他人を蹴落とそうかとする欲望から言葉が吐かれる場合が多いようである。言葉によって対立を煽って自分の自負心を愛撫するという、どこまでも自分勝手な欲望により言葉が吐かれる。だから言葉が軽いのだ。

 

 

サザン桑田、ライブ演出で謝罪文発表「深く反省すると共に、謹んでお詫び申し上げます」

スポーツ報知 1月15日(木)18時24分配信

 

昨年末に行われたサザンオールスターズの年越ライブでの一部演出が問題視されている件で、桑田佳祐は15日、謝罪文を発表した。全文は以下の通り。

 

 

サザンオールスターズ年越ライブ2014に関するお詫び


いつもサザンオールスターズを応援いただき、誠にありがとうございます。

この度、2014年12月に横浜アリーナにて行われた、サザンオールスターズ年越ライブ2014「ひつじだよ!全員集合!」の一部内容について、お詫びとご説明を申し上げます。

このライブに関しましては、メンバー、スタッフ一同一丸となって、お客様に満足していただける最高のエンタテインメントを作り上げるべく、全力を尽くしてまいりました。そして、その中に、世の中に起きている様々な問題を憂慮し、平和を願う純粋な気持ちを込めました。また昨年秋、桑田佳祐が、紫綬褒章を賜るという栄誉に浴することができましたことから、ファンの方々に多数お集まりいただけるライブの場をお借りして、紫綬褒章をお披露目させていただき、いつも応援して下さっている皆様への感謝の気持ちをお伝えする場面も作らせていただきました。その際、感謝の表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があった為、不快な思いをされた方もいらっしゃいました。深く反省すると共に、ここに謹んでお詫び申し上げます。

また、紅白歌合戦に出演させて頂いた折のつけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません。

また、一昨年のライブで演出の為に使用されたデモなどのニュース映像の内容は、緊張が高まる世界の現状を憂い、平和を希望する意図で使用したものです。

以上、ライブの内容に関しまして、特定の団体や思想等に賛同、反対、あるいは貶めるなどといった意図は全くございません。

毎回、最高のライブを作るよう全力を尽くしておりますが、時として内容や運営に不備もあるかと思います。すべてのお客様にご満足いただき、楽しんでいただけるエンタテインメントを目指して、今後もメンバー、スタッフ一同、たゆまぬ努力をして参る所存です。

今後ともサザンオールスターズを何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社アミューズ

桑田佳祐サザンオールスターズ

 

 

自分が吐いた言葉に対する相手の反応が己の自負心を傷つけるものであったらアタフタしてしまい、保身の為に軽い言葉を重ねて行く。。。。どこまでも自分勝手な欲望を満たす為に言葉が吐かれる。何千万人という人間に己が吐く言葉を即座に届けることの出来る有名人からしてこうなのだ。このような人間に勲章が授与されるという今の世の価値観は、嘆かわしい限りである。

 

言葉によって対立を煽り立てるのではなく、言葉によって和合を仲立ちする世の中にして行きたいものである。日本人には「和をもって貴しとなす」という価値観が古から伝えられて来ている。この価値観を今一度見なおして行きたい。

 

 

2014.3.7 03:06

和を以て貴しとなす憲法作ろう

比較文化史家 東京大学名誉教授・平川祐弘

 

新しい憲法について国民的な議論を高めたい。比較文化史家として私も提案させていただく。

 

聖徳太子の「十七条憲法」》

 

「和を以って貴しとなす」。この聖徳太子の言葉を私は日本憲法の前文に掲げたい。和とは平和の和である。平和を尊ぶ日本の国家基本法の冒頭には、わが国古来の言葉で理想を謳いたい。大和の国の伝統に根ざす和を尊ぶことで国内をまとめたい。和を尊ぶべきことを広く世界に訴え、かつ私たちの行動の指針としたい。和は和諧の和であり、英語のharmonyであり、諸国民の和合である。

 

現在の日本にはむろん不平も不和もあるだろう。しかし東洋の他国と比べれば、和諧社会の理想にまだしも近いことは明らかだ。西洋諸国と比べても、貧富の格差が少ない平安な長寿社会といえるのではないか。大和島根に住む人々が心中で和を以って貴しとしている以上、この理想こそ日本国民が胸をはって主張できる世界に誇り得る理念ではあるまいか。米国の大新聞は、日本事情がよく分かりもせぬくせに偉そうな説教を垂れたがるが、このような憲法改正には文句のつけようがないだろう。

 

憲法はそのように日本の歴史と文化に根ざす前文であり本文でありたい。『日本書紀』にある「以和為貴」は、聖徳太子が制定した日本最初の成文法の最初の言葉である。14世紀前の推古天皇12年、西暦604年に十七条憲法は制定された。外から仏教が伝来したとき内なる神道との対立が破壊的な抗争に及ぶことを危惧した聖徳太子は、十七条の第一条で「和を以って貴しとなす」と宣言した。

 

信仰や政治の原理を説くよりも先に、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化を導入しようとした蘇我氏とそれに敵対した物部氏の抗争を目撃した太子は、仏教を尊びつつも宗教的熱狂の危険を察知したのだろう。支配原理でなく「寛容」の精神をまず説いたのである。こうした国家基本法の第一条は世界史的に珍しい。

 

一神教八百万の神道の違い》

 

というのも世界の大宗教は唯一神への信仰を求める。モーセの十戒は「わたしのほかに、なにものも神としてはならない」を第一条とする。しかし各宗教の神がその基本原理を唱え、原理主義者(ファンダメンタリスト)に忠実に従うよう求めるならどうなるか。宗教的熱狂者が他者を激しく排除し、争いが絶えるまい。

 

地中海地域ではキリスト教ユダヤ教イスラム教という一神教同士が今も猛烈な争いを続ける。イスラム教も、スンニ派とシーア派に分かれて殺し合いを演じている。西洋で和の思想が生まれたのは、キリスト教同士が旧教のカトリックと新教のプロテスタントに分かれ、宗教戦争で殺し合った結果である。あまりに悲惨な流血への反省から、17世紀に平和共存の思想が宗教の外側から生まれた。寛容の思想の歴史は新しい。

 

一神教の世界では、ダンテ『神曲』が描くように、神の敵は容赦なく地獄に落とす。その点、日本人の考え方は例外的だ。八百万(やおよろず)の神の神道は死者は区別せず等しく祀(まつ)る。善人も悪人も神になる。「善(よ)き神にこひねぎ、悪しき神をもなごめ祭る」(本居宣長『直毘霊(なおびのみたま)』)。政治の次元では敵味方を区別する日本人だが、慰霊の次元では死者は区別しない。政治が慰霊をも支配する中国や朝鮮では今もなお政敵の墓を爆破したり(例、汪兆銘)あばかせたり(李完用)する。日本人はそれはしない。宗教心に和の気持ちがしみこんでおり、祟(たた)りをおそれる。死者の差別や分祀(ぶんし)はあり得ない。 

 

《和唱える平和主義へ転換も》

 

憲法の前文は外国語の翻訳調であってはならない。現行憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と歯の浮くようなことが書いてある。だが急速に軍備を拡大し海洋進出を図る隣の大国が日本の安全と生存を保持してくれるとは私たちは思わない。私たちは実際は自衛隊日米安保体制に依存して国の平和を維持してきた。近隣諸国の「公正と信義に信頼して」きたわけではない。だが日米同盟に依存するあまり、自助努力を怠り、いつまでも他力頼みのおめでたい国であっていいはずはない。

 

現行憲法は、平和主義の美名の下、米国が敗戦国日本に武装解除を宣言させたものである。もっとも、敗戦後の日本人は軍部支配の軍国主義よりも1946年憲法の平和主義を良しとした。私もその平和主義で育った一人だ。だが新しい憲法の制定に際しては、そんな敗北主義的平和主義と訣別(けつべつ)し、和を唱える平和主義に改めたい。

 

そのように平和主義を日本の伝統に即したものとすることで、新しい憲法を真に私たち自身の憲法に改めたい。そうすれば、初めて国民各層の深い支持を得る憲法となるのではあるまいか。日本が国家間の紛争、文明間の宗教的対立、階級間の貧富の抗争よりも和を尊ぶ国であり、和諧社会こそがわが国の古代からの理想であることを、この際、はっきりと世界に宣言したいものである。(ひらかわ すけひろ)

【正論】和を以て貴しとなす憲法作ろう(1/4ページ) - 産経ニュース

 

 

「和をもって貴しとなす」という、今からはるか1400年前の聖徳太子のおもゐがこの現代にまで受け継がられており、1400年という時空を隔てた現代でもこの聖徳太子のおもゐに共感することが出来るという奇跡。ここに神の意志を感じざるを得ない。

 

フランスで起きたイスラム教徒のテロによりキリスト教イスラム教の対立は更に激化して行くこととなろう。対立に一石を投じることとなるであろうこの日本独自の価値観を日本人自身が思い出す時期に来ているのだと思う。

 

 


Charlie Hebdo shooting: France arrests 54 as al-Qaeda in Yemen claims responsibility - World - CBC News

 

 

【マヤ暦占い】 ツォルキンと天上界の相性 【相性編】

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 23日 先負 

         己丑 日/戊寅 月/乙未 年 月相 22.1 下弦 中潮

         小寒 次候 水泉動(しみずあたたかをふくむ)  

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 4.8℃ 湿度 50%(大阪 6:00時点) 

 

 

 

先日、たまたまテレビをつけて流し見をしていたらその内容に魅入られてしまいました。

 

この番組です。


BSジャパン 杏が歩く!恋する東海道 其ノ参

 


東海道五十三次を歩く(完全踏破が夢)(磯田道史と黒船の古文書)杏のanytime andante #66 - YouTube

 

杏さんの立ち振る舞いが素晴らしいんです。出会った人達とは必ず帽子を取って挨拶を交わしているんですね。その他の心が現れ出る振る舞いに見入ってしまいました。

 

ちょうど先日、東出昌大さんと入籍されたばかりなので、お二人の相性をマヤ暦で覗かせていただきました。

 

お二人のマヤのピラミッドは以下の通りです。

 

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上の図から杏さんの持つエレメントは以下のエレメントとなります。

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次に東出さんです。

 

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上の図から東出さんの持つエレメントは以下のエレメントとなります。

 

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次にお二人の天上界の型ですが、銀河の数1と銀河の数6とで次の通り。

 

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この2つの天上界が下図のように纏(まと)い合います。

 

 

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上の図を読み解くと、杏さんの天上界ピラミッド(④-⑤-⑥-⑦-⑧)と東出さんの螺旋状(⑥-⑦-⑧-⑨)⑥⑦⑧でガッチリと結合しています。同じように東出さんの天上界ピラミッド(⑫-⑬-①-②-③)と杏さんの螺旋状(⑪-⑫-⑬-①)⑫⑬①でガッチリと結合しています。

 

お二人の天上界の結合の対称性が素晴らしいことから分かるように、お二人は宿命的なカップルです。

 

ただ、杏さんの天上界の方が高次元にあること(⑥>①)と、銀河の数の合計が杏さんの80と東出さん64との大きな格差から、あらゆる主導権を杏さんが持つこととなります。このことに対して東出さんが杏さんに対してライバル視や不満を持ち出すと絶妙な対称性が崩れ初め、お二人の関係にも暗雲が立ち込めるでしょう。東出さんと杏さんが俳優という同じ職業であることからお互いの色々を比べ始めると関係が必ず悪化します。杏さん、東出さんそれぞれが独自の俳優像を極めて行くことに専念すれば、お互いの存在が刺激となり関係性もプラスに働くことでしょう。

 

しかしながら、家族というモノに対してお二人は同じ価値観をお持ちのようなので、お子さんが生まれると家族の絆は一層強固なものとなり、幸せな家庭を永くに渡って享受出来ることとなるでしょう。

 

末永くお幸せに!

 

 

 

【マヤ暦を使った本場グアテマラの占いの方法】

①マヤ暦占いの方法

【改訂版】マヤ暦を使った本場グアテマラの占いを紹介する【KINの算定】 - まどゐ。

【マヤ暦占い】超簡単なマヤ暦占いの方法をお教えします - まどゐ。

 

②20種類のキャラクター(ツォルキン)について

【マヤ暦占い】 260日に息吹く20の精霊たち 【改訂版】 - まどゐ。

 

③銀河の数(天上界のピラミッド)について

【マヤ暦占い】 銀河の数が意味するもの - まどゐ。

 

③マヤ太陽暦を使った相性占いについて

【マヤ暦占い】 マヤ太陽暦を使った相性占い 【日本初紹介】 - まどゐ。

 

【二宮翁夜話 巻之一 二十九】 天命伸縮すべき論

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 22日 友引 

         戊子 日/戊寅 月/乙未 年 月相 21.1 中潮

         小寒 次候 水泉動(しみずあたたかをふくむ)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 2.7℃ 湿度 62%(大阪 6:00時点)

 

 

 

翁曰く。今日は則ち冬至なり。夜の長き則ち天命なり。夜の長きを憂ひて、短くせんと欲すとも、如何ともすべなし。是を天と云ふ。
 
而して此の行燈の皿に、油の一杯ある。是も又天命なり。此の一皿の油、此の夜の長きを照すにたらず。是又如何ともすべからず。共に天命なれども、人事を以て、燈心を細くする時は、夜半にして消ゆべき燈も、暁に達すべし。是れ人事の尽さざるべからざる所以なり。
 
譬えば伊勢詣する者東京より伊勢まで、まづ百里として路用拾圓なれば、上下廿(二十)日として、一日五十錢に當る。是れ則ち天命なり。然るを一日に六十錢づつ遣う時は、弐圓の不足を生ず。之を四十錢づつ遣う時は弐圓の有餘を生ず。是れ人事を以て天命を伸縮すべき道理の譬へ也。
 
夫れ此の世界は自轉(転)運動の世界なれば、決して一所に止らず、人事の勤惰に仍(よ)つて、天命も伸縮すべし。たとえば今朝焚くべき薪なきは、是れ天命なれども、明朝取り來れば則ちあり。今水桶に水の無きも、則ち差當りて天命なり。されども汲み來れば則ちあり。百事此の道理なり。
 
 
 
【私的解釈】
 
尊徳翁が言われた。今日は冬至である。夜が長いのはこれ天命である。夜が長いのを憂えて短くしたいと騒いでもどうすることも出来やしない。これを天という。
 
しかしながら、今、この行燈の皿に油が一杯ある。これも天命である。この一杯の油では冬至の長い夜を照らし切るには足らない。これも又どうすることも出来やしない。夜が長いことと共に天命ではあるのだが、行燈の方を人の力で灯芯を細く調整したならば、本来ならば夜半に消え去る灯も暁の時刻まで燃やすことが出来てしまう。このように人の行為が天命に及ぶこともあるので人事は尽くさないといけないのだ。
 
例えば、東京から伊勢までお伊勢参りに出掛けるとする。その道のり百里、費用10円とすれば、往復20日として1日に使えるお金は50銭となる。これは天命である。天命に逆らい1日に60銭づつ使えば2円の不足となる。一方で40銭づつ使えば2円が余る。これこそ、人の行為によって天命は伸縮されることとなるという道理の例えである。
 
この世界は自転運動の世界であるので、あらゆる現象は留まることがなく、人の行為の勤怠によって天命も伸縮するのである。例えれば、今朝焚く薪がないということは天命であるが、明朝までに薪を取って来ればこの天命は変わる。今、水桶に水がないのも現時点での天命である。しかしながら、水を汲んで来れば水桶に水は満ちる。あらゆることがこの道理に当てはまる。
 
 
 
 
【雑感】
 
 
このストップウォッチの針の動きを見れば分かるように時はスゴイ速さで流れている。そして、今はあっという間に書き換え不能な過去となって行くことに今更ながら驚かされる。
 
未来を夢見て色々と夢想しても今にきちんと向き合って対処しないと私の目の前の現象は何ら変わることがない。逆に言えば、一瞬一瞬の今に対してきちんと向き合って対処しさえすれば、私の目の前の現象は必ず変わるのだ。
 
繰り返す。この世では、今、自分の目の前で繰り広げられている現象の質を変えたければ、自分自身が今と向き合って行動を起こさなければ何らの変化も起こることはないのだ。
 
時の流れであるストップウオッチの針こそが己自身なのだ。この針が止まる時に自分が生きてきた道のりを振り返って「よく生きた」と言い切れた時にカチカチに固まった過去が動を帯びて走馬燈となる。死ぬ前に見る走馬燈を「人生を生き切った」という恍惚感に満たされて見ることこそ、この世に生まれてきた冥利なのであろう。
 
この冥利を味あう為に大事なのは、過去でもなく未来でもなく他人の行動や評価でもなく、今この刹那の己自身の行動の積み重ねのみなのだ。
 
このことを今一度心に刻んでおきたい。
 

 

【二宮翁夜話 巻之一 二十八】 農事開拓法を引て變(変)通を論す

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 17日 先負 人日の節句

         癸未 日/戊寅 月/乙未 年 月相 16.1 立待月 大潮

         小寒 初候 芹乃栄(せりすなわちさかう)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 4.8℃ 湿度 44%(大阪 6:00時点)

 

 

 

今日は、人日の節句

 

君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ 光孝天皇

 

七草粥を食べる日ですね。昔から萌え出る若菜は生命力のシンボルであり、これを食することは一年の健勝を祈るまじないであったのです。このまじないが千年に渡り受け継がれて来ているところが日本のスゴイところです。このおもゐに振れると千年という時の流れをあっという間に遡って光孝天皇のおもゐに振れることが出来てしまうんですね。人間ってスゴイです。

 

 


万葉集 - YouTube

 

 

 

翁曰く、何事にも變(変)通といふ事あり。しらずんばあるべからず、則ち權(権)道なり。夫れ難きを先にするは、聖人の敎へなれどども、是は先づ仕事を先にして、而して後に賃金を取れと云ふが如き敎へなり。

 

爰(ここ)に農家病人等ありて、耕し耘(くさぎ)り手後れなどの時、艸(くさ)多き處を先にするは世上の常なれど、右樣の時に限りて、草少なく至つて手易き畑より手入して、至つて草多き處は、最後にすべし。是尤も大切の事なり。至つて草多く手重の處を、先にする時は、大いに手閒(間)取れ、其の閒に草少き畑も、皆一面草になりて、何れも手後れになる物なれば、草多く手重き畑は、五畝や八畝は荒すとも儘よと覺悟して暫く捨て置き、草少く手輕なる處より片付くべし。

 

しかせずして手重き處に掛り、時日を費す時は、僅かの畝步の爲に、總體(総体)の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり。

 

國家を興復するも、又此の理なり。しらずんばあるべからず。

 

又山林を開拓するに、大なる木の根は、其の儘差し置きて、廻りを切り開くべし。而して三四年を經れば、木の根自ら朽ちて力を入れずして取るるなり。是を開拓の時一時に堀取らんとする時は勞して功少し、百事その如し。

 

村里を興復せんとすれば、必ず反抗する者あり。是を處する又此の理なり。決して拘はるべからず。度外に置きてわが勤めを勵(励)むべし。

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が言われた。何事も臨機応変が大切である。これは心に刻んでおかないといけない。今から話すことは邪道ではあるのだが、目的を果たす為の必要悪ともいえる手段である。難儀なことから着手せよということが聖人の説く教えである。これは、先ず仕事をやり終えてその後にお金を取りなさいという教えを伝えている。

 

今、ある農家に病人等が居て田畑を耕し手入れをするのがままならない時、草が多いところから手入れをしていくことが本来の常識ではあるが、このような時に限っては、草が少ない畑から手入れをしていき、草が多い畑は最後に回すべきである。これは大事なことである。草が多く手間どることが分かりきっているところから着手すると、その間に草が少ない畑にも一面に草が生い茂り、どの畑も手後れとなってしまうものである。だから、草が生い茂り手間取る畑は、五畝や八畝は荒れたままでも構わないと覚悟を決め、しばらくの間放っておいて草が少ない手軽な畑から片付けていくべきである。

 

このようにしないで、常識に固執して手間取る畑から着手し、時間を費やすということは、一部分の畝の為に田畑全体の手入れが遅れることとなり、大なる損害を発生させることとなる。

 

国家を復興させるのにもこの理は通じる。このことを心に刻んで置きなさい。

 

又、山林を切り拓いて田畑とする時に、大きな木の根はそのまま放っておいて、その周りから開拓して行きなさい。三、四年も放っておけば木の根が勝手に腐って力を入れないで取り除くことが出来るのだ。これを開拓の時に一遍に取り除こうとすれば労だけ大きくて功が少ないものである。このことはあらゆることに当てはまる。

 

村里を復興させようとすればいちいちこれに反対する者が必ず現れる。これが自然の流れなのだ。こういうヤカラには関わってはいけない。こういうヤカラとは距離を保ち、己の勤めを集中すべきである。

 

 

 

【雑感】

 

無私なるあなたのおもゐは時空を超えて人々に受け継がれる。私欲にまみれたヤカラ共が己の権利を死守しようとあの手この手で妨害して来るだろうが静観を保ちなさい。絶対にあなたが同じ次元に降りて行って関わってはいけない。あなたの無私なるおもゐはあなたの肉体が腐(く)ちても、残った人々に受け継がれて永遠に生き続ける。一方であなたを妨害するヤカラ共の私欲にまみれたおもゐは奴等の肉体の死とともに朽ち果てるだろう。無私なるおもゐが私欲にまみれたおもゐに打ち克つことは絶対にないのだ。

 

 

2015.1.3 13:00

【言葉ってすごいねIII(中)】「あなたの存在そのものが赦されている」 末期がん患者の最期に寄り添う 藤井理恵さん(55)の物語 (1/3ページ) - 産経WEST

 

末期のがん患者らが最期の時を過ごす淀川キリスト教病院ホスピスこどもホスピス病院(大阪市東淀川区)。藤井理恵(55)は病院のチャプレン(牧師)として、死を前に葛藤する患者の言葉を聞き、多くの人々をみとってきた。

 

忘れられない患者の一人は約5年前、子宮肉腫を患い「余命1カ月」と診断された44歳の女性だった。

 

「私だけがいなくなってしまうんです。私だけがいなくなるんです」

「まるで死刑囚のようです。死んでしまった後、子供たちに会えるんでしょうか」

 

夫や小中学生の娘3人と別れなければならないことに激しく動揺し、死の恐怖を繰り返し訴えた。あごの震えが止まらず、食事とトイレ以外、起き上がることもできなくなっていた。

 

残された時間がわずかしかないことを知った患者はあらゆる負の感情に襲われる。人生で培ってきた経済的、社会的な成功は意味を失い、孤独、罪悪感、死への恐れにさいなまれる。

 

女性は元気なころ、「人とのつながりが一番大事」と話していた。病室は人間関係の豊かさを表すように知人のメッセージがつづられた色紙や花束でいっぱいだったが、落ち込みはひどく、夫が「色紙は君の勲章だね」と言っても、暗い表情のままだった。

 

何もできない存在になってしまったと、多くの患者は自らを否定し、悩み苦しむ。女性が希望を失い、いらだちと絶望感を深めるのは当然だった。

藤井はそんな女性に、いたわるような言葉を投げかけた。

 

「あなたの存在はなくならない。そのままでいい、存在そのものが赦されているんです」

 

「許し」とは違う「赦し」。どのような状態でも人としての存在を認め、受け入れ、肯定する。絶望にある人に希望を与える言葉が「赦し」だという。

 

自分のために祈ってくれる藤井の励ましによって、投薬で治まらなかったあごの震えが不思議と止まった。女性は半月後、「今は穏やかに過ごせています」と言い残して逝った。

 

人は人を支え、人に支えられている

 

同病院は昭和59年に開設され、末期がん患者らの終末期医療を行うホスピスの草分けとされる。昨年の患者の平均在院日数は22日。年間で237人が世を去った。

 

藤井は病院で日々の礼拝や催しを通じて患者と交流する。ホスピスの入院患者だけでなく、一般病棟を含めた患者や家族の話に耳を傾け、彼らに安心感を与える。

 

24年前、チャプレンとして働き始めたこの病院で、初めての患者は乳がんの60代女性。骨まで転移が進み、入院時にはすでに歩けなくなっていた。

 

最初は「その人のために何かしなくては」との思いで一生懸命接した。

 

「先生は私の支えです」「私にはあなたが必要です」。何度もこんな言葉を掛けてくれた女性が亡くなり、心にぽっかりと穴が開いたような喪失感に襲われたとき、気付かされたことがあった。「実は私の方が女性を必要としていた。私の方が支えられていたのです」。人は人を支え、人に支えられている。自分もまた、そういう支え合いの中で何とかして生きていることを女性の言葉が教えてくれた。

 

「私、幸せでした」

 

「今はどうしても治りたいと思わない。気持ちが安らかであることが何よりも幸いです」。闘病生活の苦しみの意味を問うことをやめ、やすらぎを得た69歳の男性患者は、死の2日前にこう話した。

 

子供と別れなければならない不運をのろい、「神様を恨みます」と訴えた38歳の女性患者は、聖書の一節から「命をゆだねる」ことを悟り、死の直前「私、幸せでした」と語った。

 

死に一歩一歩近づきながら、人生を徐々に手放していく人が最期に残す言葉。「病気になったことも感謝している」「自分の命に意味があった」。苦しみの中にあっても感謝を口にする患者は数え切れない。藤井の胸には、忘れることのできない言葉の数々が生き続けている。

 

(藤原由梨)

 

ふじい・りえ  昭和34年、クリスチャンの家庭に生まれる。神戸市出身。薬科大を卒業し、製薬会社に勤務。退職後、関西学院大大学院(神学研究科)を修了、平成3年から現職。双子の姉で、関学死生学・スピリチュアリティ研究センター長を務めた藤井美和さんとの共著「たましいのケア 病む人のかたわらに」もある。

  

母親の胎内で生命は、40億年間にも渡る人類の生命の進化の過程を受精からたった280日間という光の速さで駆け上って生まれ出てくる。生は科学の力が及ぶことのないまさに神秘あふれるモノ。

 

だとしたら、人間の死も死んだら全てが無になるという単純なモノであるはずがない。死も神秘あふれたモノであるにちがいない。いたずらに死を恐れることはないのである。

 


the miracle of life - YouTube

 

 

 

スティーブ・ジョブズと岡潔の想いに馳せる

  

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 13日 大安 

         己卯 日/戊寅 月/乙未 年 月相 12.1 Gibbous moon 中潮

         冬至 末候 雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)  

 

 【今日の気象】 天気 晴れ 気温 0.8℃ 湿度 55%(大阪 6:00時点)

 

 

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

年齢を重ねるに連れて時の流れを早く感じます。このお正月に時について考えてみた。

 

私たちは時は未来が今となってそして過去になる直線的なモノだと信じています。何故、時の流れを直線的なモノだと言い切れるのでしょうか?そもそも、時って本当に流れているのでしょうか?

 

2005年6月12日のスタンフォード大学での卒業式において、今は亡きスティーブ・ジョブズが演説を行った。時について考えていると、この演説の内容が頭に浮かんだのでここに全文引用する。

 

今日、皆が世界最高の大学の1つを卒業する場に同席できて光栄に思う。私は大学を卒業したことがない。本当のところ、これは私にとって最も大学卒業に近い体験だ。今日は皆に私の人生から3つの話をしたい。それだけだ。大したことじゃない。3つだけだ。

 

最初の話は点をつなぐことについて。

 

私はリード大学を6ヶ月で中退したが、更に1年半ほど後に完全に辞めるまで、もぐりの学生として大学に顔を出していた。ではなぜ中退したのか。

 

話は私が生まれる前に遡る。私の産みの母は若い未婚の大学院生で私を養子に出すと決めていた。生みの母は養父母は大学卒でなければととても強く思っていたので、私は生まれると同時に弁護士夫妻の養子になるよう万事整っていた。ところが、私が生まれるとその夫妻は女の子が欲しかったと言い出した。そこで待機者リストに載っていた私の両親は夜中に電話を受け、「望んでいなかった男の子が生まれました。この子を養子に欲しいですか?」と聞かれた。両親は「もちろんです」と答えた。産みの母はその後、私の母は大学を卒業していないし、私の父は高校を卒業していないことを知り、最終的な養子縁組の書類に署名することを拒んだ。何ヶ月かして私の両親が私を大学にやると約束した時点で産みの母はやっと態度を緩めた。

 

そして17年後私は実際に大学に通った。しかし、私は無邪気にもスタンフォードとほとんど同じくらいお金のかかる大学を選び、労働者階級の両親の蓄えはすべて大学の授業料に使われていた。6ヵ月後私はそれに価値が見出せなかった。私は人生で何をしたいか見当も付かなかったし、大学がそれを見つけるのにどう役に立つかも分からなかった。そして、その時点で私は両親がそれまでに貯めたすべてのお金を食いつくしつつあった。そこで中退を決意し、万事問題ないと信じることにした。その時はとても不安だったが、振り返って見ればそれはこれまでにした最良の決断の1つだった。中退した瞬間から興味を持てない必須科目の授業に出るのを止め、面白そうなものに出席し始めることができた。

 

夢のようなことばかりではなかった。寮に自分の部屋はないので友達の部屋の床で寝て、コークの瓶を何本も店に返して1本当たり5セントを受け取って食べ物を買い、クリシュナ教の寺院で1週間に1回のまともな食事をとるために毎週日曜日の夜、街を横断して7マイル歩くことも厭わなかった。そんな日々がたまらなく好きだった。そして、自分の興味と直感に従った結果出くわしたものの多くは、その後、お金に換えがたいものとなった。たとえばこうだ。

 

当時のリード大学はたぶん、この国で最高の文字芸術(calligraphy)の授業を行っていた。キャンパス中のすべてのポスター、すべての引き出しのラベルが美しく手書きされていた。私は中退していて普通の授業を受ける必要はなかったので、文字芸術の授業を取ってその手法を学んだ。セリフとサンセリフの書体について、文字の組み合わせによって文字間のスペースを変えることについて、素晴らしい印刷物は何が素晴らしいのか、を学んだ。それは美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的繊細さで、私には魅力的だった。

 

これらのどれも私の人生で実際に活用する見込みはなかった。しかし10年後最初のマッキントッシュを設計しているときにそれが私に蘇ってきた。そしてそれをすべてマッキントッシュの設計に取り入れた。マッキントッシュは文字を美しく表示し印刷できる最初のコンピューターとなった。私が大学を中退してその授業を受けていなければ、マックが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかっただろう。そしてウィンドウズはマックをコピーしただけなので、どのパソコンも持たなかっただろう。私が大学を中退しなかったら、その文字芸術の授業を受けなかっただろうし、パソコンは現在のように素晴らしい文字表示・印刷機能を備えることはなかったかも知れない。もちろん私が大学に居たときに先を見越して点をつなぐことは不可能だった。しかし10年後に振り返ると、とてもとても明白だった。

 

繰り返す。先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。何かを信じなければならない。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。この手法が私を裏切ったことは一度もなく、私の人生に大きな違いをもたらした。

 

2番目の話は大切なものとそれを失うことについて。

 

私は幸運だった。人生の早い時点でたまらなく好きなことを見つけた。20歳のとき私は実家の車庫でウォズといっしょにアップルを始めた。私たちは懸命に働いて、10年でアップルは車庫のたった2人から4000人以上が働く20億ドル企業になった。1年前に私たちの最高の創造物であるマッキントッシュを出したばかりで、私は30歳になったばかりだった。そして私は首になった。どうしたら自分が作った会社を首になれるかって?そう、会社が成長する過程で一緒に会社を経営するのにとても才能のあると思えた人を雇い、最初の1年ほどはうまくいった。しかしその後、将来のビジョンが分かれ始め最終的に仲たがいとなった。そうなったとき取締役会は彼の側に付いた。それで私は30歳にして失職した。しかも、とてもおおっぴらに。私は大人としての人生全体の中心だったものを失い、それは衝撃的だった。

 

何ヶ月か何をすべきか全く分からなかった。一世代前の起業家達を失望させたのではないかと感じた。私に渡されつつあったバトンを落としてしまったと。デービッド・パッカードとボブ・ノイスと会った。そして、失敗してしまったことを謝ろうとした。私はよく知られた落伍者となり、シリコンバレーから逃げることも考えた。しかし、何かが徐々に私の中で湧き上がってきた。自分がしてきたことが、まだたまらなく好きだった。アップルでの出来事はほんの少しの影響も与えなかった。私は拒絶されたが、まだたまらなく好きだった。そして私はやり直すことを決意した。

 

そのときには分からなかったが、アップルを首になることは私に起こり得る最善のことだった。成功していることによる重圧は、再び新参者となったことによる軽快さで置き換えられ、何事にも確信の度合いが減った。私は人生で最も創造性豊かな時期へと解き放たれた。

 

それから5年間、私はNeXTという会社を起こし、もう1つPixarという会社も起こし、素晴らしい女性と恋に落ち結婚した。Pixarは世界初のコンピューターアニメーションの長編映画、トイストーリーを製作するまでになり、現在最も成功しているアニメーション制作会社だ。驚くべき事態の展開により、アップルはNeXTを買収し、私はアップルに戻り、NeXTで開発された技術は現在進行中のアップルのルネッサンスの中核をなしている。そして、ローレンスと私は素晴らしい家庭を築いている。

 

私がアップルを首にならかったら、これらのことは1つも起こらなかったと私は確信している。ひどい味の薬だったが、この患者には必要だったのだと思う。人生は時にレンガで頭を殴る。信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きだ。それが私を動かし続けている唯一のものだと堅く信じている。たまらなく好きなことを見つけなければならない。そしてそれは仕事についても愛する人についても真実だ。仕事は人生の大きな部分を占めることになり、真に満足を得る唯一の方法は偉大な仕事だと信じることだ。そして偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることだ。まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協は禁物だ。核心に触れることはすべてそうであるように、それを見つければ分かる。そして素晴らしい関係は常にそうであるように、それは年を経るにつけてどんどん良くなっていく。だから見つかるまで探し続けなさい。妥協は禁物だ。

 

3番目の話は死について。

 

17歳のとき次のような一節を読んだ。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずその通りになる」。それは印象に残り、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。

 

自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具だ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸だ。自分の心のままに行動しない理由はない。

 

約1年前私はガンと診断された。朝7:30にスキャンを受け、膵臓にはっきりと腫瘍が映っていた。私は膵臓とは何かも知らなかった。医者達はこれはほぼ間違いなく治癒しない種類のガンだと告げ、3ヶ月から6ヶ月より長くは生きられないと覚悟するように言った。医者は家に帰って身辺整理をするように勧めた。これは医者の言葉で死の準備をせよということだ。子供にこれから10年間に教えようと思っていたことすべてをたったの数ヶ月で教えろということだ。可能な限り家族が困らないように万事準備が整っていることを確かめておけということだ。別れの言葉を言っておくようにということだ。

 

私は一日中その診断と共に過ごした。夜になって生体検査を受けた。つまり、内視鏡を喉、胃、腸を通して膵臓に針を刺し腫瘍から何個か細胞を採取したのだ。私は鎮静剤で眠っていたが妻もそこに居たのでその時の様子を教えてくれた。医者達は細胞を顕微鏡で見ると叫び出したそうだ。なぜなら非常に稀な形体の膵臓ガンで手術で治癒可能なものと判明したからだ。私は手術を受け今は全快している。

 

これはこれまでで最も死に接近した体験だ。そして何十年かに渡ってこれが最接近であり続けて欲しいと願っている。この体験を経て、死が有用ではあるが純粋に概念上のものであった時よりはより自信を持って次のように言える。

 

死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ。

 

皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。

 

私が若い頃、全地球カタログという驚くべき出版物があった。私の世代の必読書の一つだった。スチュアート・ブランドという人物が、ここからそう遠くないメンロ・パークで制作し、詩を思わせる作風を施して世に送り出した。1960年代後半でパソコンもそれによる印刷もなく、タイプライターとはさみとポラロイドカメラだけで作られていた。グーグル誕生の35年前のペーパーバック版グーグルのようなものだ。理想に満ちていて、巧妙な道具や偉大な概念が溢れている。

 

スチュアート達は全地球カタログの版を幾つか重ね、自然な成り行きとして最終版を迎えた。それは70年代半ばで私は皆の年齢だった。最終版の裏表紙は朝の田舎道の写真で、冒険好きがヒッチハイクをしていそうな場面だ。その下にこんな言葉がある。「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」。これはスチュアート達が活動を終えるに当たっての別れの言葉だ。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。そして私は常にそうありたいと願ってきた。そして今、皆が卒業して新たに歩みを始めるに当たり、皆もそうあって欲しいと思う。

 

ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。

 

ご静聴どうもありがとう。

 

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ - himazu archive 2.0

 

 


スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・2005年・卒業式スピーチ - YouTube

 

 

 

繰り返す。先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。何かを信じなければならない。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。この手法が私を裏切ったことは一度もなく、私の人生に大きな違いをもたらした。 

 

期待と不安があざなう未来が今という刹那となり、あっという間にカチカチに固まって書き換えられることの出来ない過去となる。明るい夢と少しの不安で彩られた未来予想図が今の私の体験にスキャンされて、実績という凍結された過去となる。これが時の流れだ。時は、私がこの世の中に存在するから流れているのだ。私が抱く想いと私の経験の絶え間ない循環により私の思い出が積み重ねられて行く。

 

スティーブ・ジョブズがカルマという言葉を使っていることは特筆すべきところだ。原文はこうだ。

You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever.

上の訳ではgutを「直感」と訳しているが、ここは「情緒」とした方が良い。karmaは「輪廻転生」と訳する。

あなた方は信念を持たなければならない。情緒や宿命や運命、輪廻転生といった、あなた方が目に見ることの出来ない力の存在を信じなければならないのだ。

 

 

情緒について数学者の岡潔はこのように言っている。

人には心が二つある。大脳生理学とか、それから心理学とかが対象としている心を第1の心と呼ぶことにします。この心は大脳前頭葉に宿っている。この心は私と云うものを入れなければ動かない。その有様は、私は愛する、私は憎む、私はうれしい、私は悲しい、私は意欲する、それともう一つ私は理性する。この理性と云う知力は自から輝いている知力ではなくて、私は理性する、つまり人がボタンを押さなければその人に向って輝かない知力です。だから私は理性するとなる。これ非常に大事なことです。それからこの心のわかり方は必ず意識を通す。

 

ギリシャ人や欧米人、主としてギリシャ人や欧米人を指して西洋人と云うことにしますが、西洋人は、ギリシャや欧米の文献をどんなに調べてみても、第1の心以外を知ったと云う痕跡は見当らない。だから西洋人は第1の心のあることしか知らないのだと思う。

 

ところが人には第2の心があります。この心は大脳頭頂葉に宿っている。さっきも宿っていると云いましたが、宿っていると云うと中心がそこにあると云う意味です。この心は無私です。無私とはどう云う意味かと云いますと、私と云うものを入れなくても働く。又私と云うものを押し込もうと思っても入らない。それが無私。それからこの心のわかり方は意識を通さない。直下にわかる。東洋人はほのかにではあるが、この第2の心のあることを知っています。

 

で、本当は第2の心のあることを知らないのを西洋人と云い、ほのかにでも知っているのを東洋人と云っているのです。それが定義になる訳ですね。特に日本人は第2の心のあることが非常によくわかる。もし、西洋かぶれさえしてなかったら、心が第1の心だけしかない等と、そう云うはずがないと云うことが直ぐにわかる。

 

と云うのは日本人は、大体第2の心の中に住んでて、時々第1の心が現れるだけです。例えばですね、人は本当の友情と云うものを、日本人ならば知ってるでしょ。本当の友情と云うのを感じるのは意識を通して感じるんじゃないでしょう。これは第2の心が感じるんですね。私と云うものも入らない。又私の叔父の友人に中学校の先生がありました。だから戦前の中学校の先生。この先生が歌を詠んだ。こう云う歌です。

 

むかわずば淋しむかえば笑まりけり

桜よ春のわが思い妻

 

こう云う意味の夫婦仲とか、或いは人と桜の間とかこれは意識を通さないでわかるでしょう。第2の心がわかるんですね。それから人の真心に感銘した経験を持つ日本人は多いでしょう。その時、人の真心に感銘する心は無私だったでしょう。それから人の真心に感銘する感銘の仕方は、意識と云うものを通さなかったでしょう。

 

その他芭蕉は、秋風はもの云わぬ児も涙にて、と云ってますが、秋風が吹くともの悲しいですね。このもの悲しいと云うのは私がもの悲しいんじゃないでしょう。つまり喜怒哀楽じゃないでしょう。自からもの悲しいんでしょう。又、もの悲しいと意識しないでしょう。直下にもの悲しいんでしょう。だからもの悲しさも第2の心がわかるんですね。時雨が降れば懐しい。この懐しいも又第2の心が直下にわかるんですね。

 

こんな風に、私、それを情緒と呼んでいますが、日本人は自然や人の世の情緒の中に住んでいる。そしてそこで時々喜怒哀楽し、意欲するし、理性するだけですね。住んでいるのはむしろ、自然や人の世と云いますが、自然や人の世の情緒の中に住んでるでしょう。

 

情緒とは私の入れられないもの、感情ではありません。感覚でもありません。例えば秋風がもの悲しい。それから時雨が懐しい、例えば、友と二人いると自ずから心が満たされる。こう云うの皆情緒ですね。“むかわずば淋しむかえば笑まりけり桜よ春のわが思い妻”と云うのも情緒です。

 

こんな風に、第2の心のあることがよくわかります。一番よくわかるでしょう。日本人は情緒の中に住んでいるから。情緒は第2の心の中のものだから。

 

さて、ここで東洋の先覚者の云う所を聞きますと、例えばこう云っているのです。 

 

自然は一口に云えば映像である、それから人の体も映像である。第1の心も映像である。この映像と云うのは、テレビの映像の様なあわただしく全体が変ってしまう映像ではない。しかし徐々にしか変らん部分とそれからその大切な部分は急速に変わる部分と二つ持っている。しかしながらこれはやはり映像ですね、存在ではない映像です。

 

で、自然は映像である。五尺の体も映像である。第1の心も映像である。第2の心だけが常に存在する。そう云ってるのです。普通これを五蘊皆空ごうんかいくう唯有識心ゆいうしきしんと云う風に云います。五蘊皆空と云うのは、五尺の体も物質の五原素の仮に集まったものだ、欲心と云われてる第1の心も五原素の仮に集まったものだ。唯有識心と云うのは第2の心だけが、これ識と云ったり識心と云ったり、心の原素です。これだけが常に存在するのだ。この五蘊皆空、唯有識心、と云う云い方は禅で云います。同じ様な云い方を般若心経でもしています。こういったものは少なくとも2千年前から云ってると思う。

 

それから万法唯心と云う云い方もあります。これはすべてのことの原因は心にあると云う意味です。この云い方なら釈尊の昔からあったでしょう。それから山崎弁栄上人は、一口に云えば、物質は第2の心の世界から生れて来てまたそこへ帰って行くのだ、こう云う意味になることを云ってられます。だから体は第2の心の映像だ、とそう云うことになりますね。第1の心も第2の心の映像だ。第2の心だけが常に存在する。だから本当の自分とは、第2の心だと云うことになる。そして常に存在するんだから、不死だと云うことになります。

 

第2の心を自分と自覚した人を目覚めた人と云い、そうでない人をねむっている人と云うとよいと思います。目覚めた人のことを仏教では仏、大菩薩と云い、日本では天つ神と云います。中国で聖人と云われている人には目覚めている人が多い様です。又仙人とか神仙とか云われてる人達の中にも、目覚めてる人はいると思います。

 

ギリシャには目覚めてる人は見当たらない。欧米には、キリスト教の中で目覚めた人はいただろうと思いますが、外には目覚めている人は見当らない。

 

この、第2の心の世界ですが、二つの第2の心は二つとも云える、一つとも云える。

 

不一不二と云うんです。不一不二と云ったら二つとは云えない一つとも云えないのですが、この自然と自分とは不一不二、他人と自分とも不一不二、こう云う風。

 

この第2の心の世界はその要素である第2の心は二つの第2の心が不一不二だと云うのだから数学の使えない世界です。又この世界には自分もなければ、この小さな自分ですよ、五尺の体と云う自分もなければ、空間もなければ時間もない。時はあります。現在、過去、未来、皆あります。それで時の性質、過去の性質、時は過ぎ行くと云う性質はあります。しかし時間と云う量はありません。そんな風ですね。自分もなければ空間もなければ時間もない。その上数学が使えない。物質はここから生まれて来て、又ここへ帰って行っているのだと云う意味になることを、山崎弁栄上人が云って居られる。

 

そんな風に不一不二だから目覚めた人はこんな風になる。

 

花を見れば花が笑みかけているかと思い、鳥を聞けば鳥が話しかけているかと思い、人が喜んで居れば嬉しく、人が悲しんで居れば悲しく、人の為に働くことに無上の幸福を感じ疑いなんか起こらない。こんな風です。

岡潔講演録(3):【 1】 人には心が2つある

 

 

明らかにスティーブ・ジョブズは、岡潔が言う「第二の心」の存在を自覚していた。

 

そして、

時は自分の思い通りには流れることは決してない。しかし、私に執着する科学的な論理から離れて、無私の非論理的な情緒の広がる世界の存在を勇気を持って信じてみて下さい。その瞬間にあなたは不死身となり、あなたは、時の流れを縦横無尽に行き来することが出来るのです。この手法によって、私は過去の点と点を線で繋げることが出来、結果として私の人生に違いが生じたのです。

と訴えかけている。

 

自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具だ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸だ。自分の心のままに行動しない理由はない。

 

私を今悩ましている第一の心から止めどなく湧き出る感情の多くは、死とともに消え去ってしまい、第二の心が抱く想いのみが死の後に残される。この思想はこの世を生き切る知恵となる。この残された第二の心が抱く想いは不死身なので後に生きる人たちに永遠に受け継がれて行くだろう。だとしたら、死と共に消え去ってしまう感情に振り回されるという落とし穴にはまらずに、第二の心が抱く想いのままに行動しない理由はない。

 

 

死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ。

 

死を望む者はいない。「死とは、あの世に帰ることなのだ」と考える者でさえ現世を離れる時は辛い感情が湧き出るだろう。死は肉体と私欲にまみれた第一の心と無私の第二の心を切り離す、欠くことの出来ない通過儀式なのだ。この死という生命による最高の発明により、第二の心が抱く人類にとって真に大切な無私なる想いのみが後世の人たちに受け継がれて人類の発展に寄与することとなるのだ。これこそが死の恩恵なのだ。

 

 

皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。

 

肉体と第一の心そして第二の心の三者が備わり、私の意思を存分にこの世の中に反映出来るのは生きている間だけなのです。この貴重な時間を無駄にしてはいけない。他人の教えに従うという罠にはまってはいけない。他人の意見という雑音に自分の内なる心の声をかき消されないようにしよう。そして、最も重要なことは、自分の第二の心が抱く想いに従う勇気を持つことだ。あなたの第二の心は、人類がこの世に誕生してから生き続けている。つまり、輪廻転生を何回も経験しているのだ。だから第二の心は、本当になりたい自分というモノを漏れ無く知っている。この事実の前にその他すべてのことは二の次となるであろう。

 

 

岡潔の思想でスティーブ・ジョブズの言葉を言い換えると上のようになるだろう。

 

そして、このスティーブ・ジョブズのスピーチが日本人の多くに共感される理由も日本人ならば腑に落ちるであろう。

 

時は、直線的に流れているのではなく、螺旋状に循環しているのだ。そして、岡潔は言う。

この第2の心の世界はその要素である第2の心は二つの第2の心が不一不二だと云うのだから数学の使えない世界です。又この世界には自分もなければ、この小さな自分ですよ、五尺の体と云う自分もなければ、空間もなければ時間もない。時はあります。現在、過去、未来、皆あります。それで時の性質、過去の性質、時は過ぎ行くと云う性質はあります。しかし時間と云う量はありません。そんな風ですね。自分もなければ空間もなければ時間もない。その上数学が使えない。物質はここから生まれて来て、又ここへ帰って行っているのだと云う意味になることを、山崎弁栄上人が云って居られる。

 

そんな風に不一不二だから目覚めた人はこんな風になる。

 

花を見れば花が笑みかけているかと思い、鳥を聞けば鳥が話しかけているかと思い、人が喜んで居れば嬉しく、人が悲しんで居れば悲しく、人の為に働くことに無上の幸福を感じ疑いなんか起こらない。こんな風です。

 

上の言葉の全てを飲み込むことは、私にまだなかなか出来ないが、ここに、今の世界と対極の情緒あふれる世界が広がることとなる。

 

岡潔が最近テレビにも取り上げられた。これは、日本人の中で岡潔の思想に共感する人たちが増えていることの証左だろう。

 

日本人は戦後、スティーブ・ジョブズが言うドグマ(教条主義)に振り回されて来た。今年は戦後70年の節目である。この機会に、今一度日本人ではないスティーブ・ジョブズが遺した言葉を噛み締めてみたいと思う。

 

 


世界が驚愕した謎多き日本の天才数学者 岡潔 【林修】 - YouTube

 

 

【山岡鉄舟 修養論】 生死何れが重きか

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 9日 先勝  四緑木星

         乙亥 日/丁丑 月/甲午 年 月相 8.1 小潮

         冬至 次候 麋角解(さわしかつのおる)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 4.5℃ 湿度 62%(大阪 6:00時点)

 

 

 

死の軽きこと鴻毛(こうもう)の如く、義の重きこと山岳の如し、との語意を解するに、何でも角(か)でも死を軽く見る事武士道なるが様に早合点する人往々流行すれど、吾(われ)は左様に思はぬなり。

 

去りながら、一体に死を恐れるは卑怯千万の事にて云ふに足らぬ事なれど、又死を急ぐと云ふに至つては合点のゆかぬ次第なり。此輩等の考へは夜の九ツ時にて寝語(ねごと)の文句なれば、志士たるものは断じて斯の如き夢裡の床に寝込むべからず。

 

全体、俗人は智慧過ぐるが故に、死を急ぐか、死を懼(おそ)れるか、妙に困りものなり。生死に執着する人は迚(とて)も人世の大事を共にする訳にはまいらぬなり。

 

斯の如きは本来我邦の武士道にはなき筈なり。

 

然るを、戦国時代の頃、無暗に殺戮の流行したる為め、一長一短は自然の数(すじみち)にして免ぬかれ難きものと見え、一方には見事武士道の発達を来たし、他方に於いては見苦しき習俗も生じ来りしなるべし。されど、死を急ぎ死を懼(おそ)るるなどは、人生の道理に照して能事とは我れは思はぬなり。

 

生死などに執着しては到底大事は出来ざるものなり。

 

無遠慮に論ずれば、如何なる万変に酬酢するも微(こと)りとも動かず、其難に堪へ忍び、綽々(しやくしやく)として其境遇に坐を占め込んで其大事を処理すると云ふに至つては、其苦心惨澹(さんたん)の状は迚も死ぬる位な手軽では出来ざる筈なり。

 

然るを、そが苦しさに、死して其難を免るるなどは先づ先づ錬胆の実薄く、忠義仁義の誠に乏しき、畢竟、愚鈍の沙汰なりと心得可し。

 

国史を繙(ひもとき)て楠公が湊川に戦死したるの状を質すに、公は決して生死に執着して其生命を墓(はか)なく為せしとは訾られぬ事なり。公は、死を急ぎ死を懼(おそ)るる輩等と同日の論にはあらざるなり。

 

又、小松内府が、其父清盛の不忠は見るに忍びずとて熊野の社に詣で、死を祈りし事ありとて大に之を罵る人あり。最も、死を祈りし事も或はありしなるべし。去りながら、こはあまり史家として早斷議の評論にはあらざる可きか。

 

公が形に死を祈るが如くに装ひしは、果して無差別に死を急ぎしものなるか。鉄太郎は、内府の行磧前後に徴して左様には思はぬなり。吾れは内府に同情を奇するの一人なり。去りながら、以上二公の正否は必らずしも管々(くだくだ)しく案じ廻すの要なきなり。

 

以上愚感謹識

 

安政六年己未(きび)三月三日

 

山岡鐵太郎 誌

  

 

 

【私的解釈】

 

死ぬことを羽毛のように軽く考え、義を貫くことを山岳のように昇竜させて貫くべきであると言われるように、とにかく死を軽く見ることが武士道であると早合点している人が蔓延っているようであるが、私はこのようには考えない。

 

そうと言っても、死をいたずらに恐れる者は卑怯千万の事であり言うまでもないが、「死を急ぐべきである」と言われることには合点がいかないのである。このような輩達の思想は、夢中の寝言の文句であるので、志士たるものは決してこのような戯言(たわごと)の思想に浸るべきではない。

 

おおよそ、凡人は智慧が回るが故に死に急ぐか、逆に死を恐れるかと極端に振れるので困る。己の生死に執着してしまっては、自分以外のモノを大事にしようとする思いは決して湧き出ない。

 

こういう思想は、本来の我が国の武士道とは違うものである。 

 

国史を振り返ると、戦国時代の頃は、無暗(むやみ)な殺戮が当たり前のこととなっていたため、物事が陰陽という自然の道理から外れることはやはり難しいと見えて、一方では見事な武士道が発達したが、他方では見苦しい習慣も定着してしまったようである。そうと言っても、死を急ぎ死を恐れるということは、人生の法則に照らしても誉められたことだとは私は思わないのである。

 

生死なんぞに執着していては、到底大事など出来るわけがないのだ。憚らずに言えばどのような出来事に遭遇しても表情をコトリとも変えずに、そのやって来た難事を耐え忍び、泰然としてその巡り合わせを向かい入れ、この一連の出来事に遭遇して生ずる心の内で湧き出づる苦々しい思いの丈は、死んでしまえば逃れられると言った生易しいモノではないのである。例え肉体が死んでもその難事は来世まで己にまとわり付いてくるのである。

 

これを勘違いして、死ねばその難事から開放されると考える浅はかさは、全くもって肝が座っておらず、忠義仁義の誠からも程遠い。言ってしまえば馬鹿の行為だと心得ておくべきである。

 

国史を遡り、楠木正成公が神戸湊川で自刃(*1)した時の状態を鑑みれば、正成公は生死に執着してその命の灯火を自らの手で消したのだとはとても非難出来ない。正成公のこの行為と死を急ぎ死を恐れるヤカラ共の行為とは同じ次元にはないのである。 

 

また、小松内府(平重盛公)が父親清盛公の不忠な振る舞いを見るに忍びずに熊野の社に詣でて自らの死を祈り、死んで来世に逃げ込もうとしていた(*2)ではないかと言って声を大きくして罵る人がいる。確かに自らの死を祈ったこともあったかもしれない。しかしながら、この言い草は史家としては結論を先走ってはいないだろうか。

 

重盛公は表面上は死を望んで祈っていたが、果たして無暗に死に逃げ込もうとしていたのであろうか。鉄太郎は、重盛公の生き様を鑑みれば、そのようには到底思わない。私は、重盛公に思いを寄せる一人である。そうは言っても、上記の二公の生き様に対する評価の私論をここでくどくどと言葉にしようとも思わない。

 

以上、私の思うところをここに記す。

 

 

安政六年(1859年)己未(きび)3月3日

 

山岡鉄太郎 したたむ

 

 

1859年(安政6年) / 幕末年表

 

 

楠木正成公が神戸湊川で自刃(*1)

楠木正成を祀る神戸の名社|湊川神社(楠公さん)-神戸市中央区

 

 

小松内府(平重盛公)が父親清盛公の不忠な振る舞いを見るに忍びずに熊野の社に詣でて自らの死を祈り、死んで来世に逃げ込もうとしていた(*2)

平重盛(たいらのしげもり。1137~79)


清盛の嫡男。保元の乱平治の乱では父 清盛とともに奮戦。功をあげ、平家全盛の時代には正二位内大臣になりました。また熊野三山造営奉行も務めました。

 

平家物語』では、清盛のみごとな悪役振りに対して、重盛は好人物に描かれています。

 

たとえば1170年10月16日、重盛の次男 資盛(すけもり1161~1185当時、越前守五位、13歳)の一行が摂政従一位藤原基房(1144~1230)の一行と路上で行き会ったとき、当然、身分の低い資盛側が馬から降りて、行列が過ぎるのを待たなければならないのですが、資盛は下馬の礼儀を取りませんでした。基房側はその無礼に資盛らを馬から引きずり落として、辱めを与えました(史実では7月3日)。

 

これを知った清盛は報復に出ようとしますが、重盛は資盛の非礼を戒め、清盛の暴走を抑えようとします。しかし、清盛は、参内途中の基房を60余人の武士に襲撃させるという報復を実行。重盛は怒り、それに関わった武士を勘当し、資盛をしばらくの間、伊勢国に流します(史実では重盛が襲撃させたらしい。慈円の日記『愚管抄』にはそう書かれています)。

 

また、平家打倒を謀議していた後白河上皇とその近臣たちに対して、清盛は容赦ない処罰をくだそうとしますが、重盛はその制止に奔走。首謀者の藤原成親は当然、処刑にするはずでしたが、重盛の説得にあって、流罪に減刑しました。後白河上皇に対しては、鳥羽の離宮に移して軟禁しようとまで清盛は考えていましたが、やはり重盛の説得にあって、上皇についてはお咎めなしということになりました。

重盛は、清盛に対してものをいうことができる、清盛の横暴を抑えることができる唯一の人物でした。

 

さて、俊寛僧都が、鬼界ヶ島で他界した年(1179年)の5月12 日の正午頃、都をつむじ風が襲いました。凄まじい突風に、数多くの人家が吹き飛ばされ、多くの人や牛馬の命も失われました(史実としては1180年4月29日)。

 

ただごととは思われないので、神祇官陰陽寮が占ったところ、「今から100日のうちに、大臣の身に凶事が起こり、更に天下に一大事が起こる。そして仏法・王法ともに 衰微して、戦乱が相次いで起こる」その前兆だ、とのこと。


これを聞いた内大臣左大将、平重盛は、熊野に詣でます。巻第三「医師問答」。

 

小松の大臣(平重盛のこと。小松谷に屋敷があり、小松を号した)は、このような事どもをお聞きになって、何事につけ心細く思われたのだろう、その頃、熊野参詣をすることがあった。本宮証誠殿(しょうじょうでん)の御前で、夜もすがら願いごとを申し上げなさるには、

 

「父入道相国の様子を見るに、悪逆無道にして、なにかにつけて帝を悩まし奉っております。重盛は長子としてしきりに諌めをいたしておりますが、我が身不肖のため、父は私の忠告に心をとめてくれません。その振舞いを見るに、父一代の栄華もやはり危ういものです。一族が、親の名を天下に上げ、その功績を後世にとどめることは難しいでしょう。

 

このときにあたって、重盛が身分不相応にも思うことがあります。なまじっか重臣の席に列して栄枯盛衰に身をさらすことは、まったく良臣、孝子の法ではありません。名を逃れ身を退いて、今生の名望を投げ捨て、来世の菩提(死後、浄土に往生して仏果を得ること)を求める以外にはありますまい。

 

ただし煩悩に束縛され果報の劣った我が身の悲しさ、善悪の判断に迷うためにやはり出家の志を貫くことができません。南無権現金剛童子(熊野権現護法神である金剛童子)、願わくは子孫繁栄絶えることなく、仕えて朝廷にまじわることができるために、入道の悪心を和らげて、天下の安全を得させてください。もし栄華が父一代限りで終わって子孫が恥を受けるのならば、重盛の寿命を縮めて、来世での苦しみを助けてください。二つの願い、ひたすら神仏の助けを仰ぎます」

 

と、心を砕いて祈念されたところ、灯籠の火のようなものが重盛の御身から出て、ばっと消えるかのように失せてしまった。たくさんの人が見申し上げていたけれども、恐れてこのことを申し上げなかった。

 

また、下向(神仏に参詣して帰ること)のとき、岩田川をお渡りになったところ、嫡子権亮(ごんのすけ)少将維盛(これもり)以下の公達が浄衣の下に薄紫色の衣を着ていて、夏のことなので、なにということもなく川の水で戯れてなさっていたところ、浄衣が濡れて下に着た衣の薄紫色が透けているのが、まったく薄炭色の喪服のように見えたので、筑後守貞能(さだよし)がこれを見とがめて、

 

「なんということでしょう。あの御浄衣がひどく不吉な様子にお見え申し上げます。お着替えなさるのがよいのではないでしょうか」

 

と申し上げたところ、重盛は、


「私の願いはすでに成就した。その浄衣はまったく改める必要はない」

 

といって、とくに岩田川から熊野へ謝意を示す御礼の幣を奉る使者を遣わされた。人々は変だとは思ったけれども、重盛の真意を理解することはできなかった。けれども、この公達は、ほどなく本当の喪服を着なさることになった。不思議なことである。

 

下向ののち、幾許の日数を経ずして、重盛は病にかかりなさった。熊野権現がすでに願いをご納受してくださったのだからといって、治療もなさらず、祈祷もされない。病の治療に清盛が宋の名医を差し向けようとすると、重盛は「異国の医師を都に入れることは国の恥だ」と断ります。

 

そして、7月28日に出家。そのわずか3日後の8月1日に亡くなります。

 

誠実・温厚な人柄で人望の厚かった重盛の死に京中の人々が嘆きあいました。清盛の横暴を抑えることができた唯一の人物が失われてしまったのです。
 

清盛も、長男の重盛に先立たれてよほど辛かったのでしょう、京都を離れて福原に下り、門を閉ざして家の中に引き篭ってしまいました。

 

同じ年の11月7日の夜、地震が起き、陰陽頭 安倍泰親(あべのたいしん。安倍晴明の五代の子孫)は大きな災難が起こる前兆だと占いました。その占いに不安になった京の人々の間で、「清盛が数千騎の軍兵を率いて都に入った」「清盛が朝廷に対し、恨みを晴らす行為に出るのだ」との噂が駆け巡りました。

 

そして、11月16日、清盛は、強権発動。関白藤原基房以下、43人の公卿・殿上人の官職を停止し、流罪に処し、新関白には、内大臣も兼任で、清盛の娘婿の藤原基通(もとみち)を就かせました。二位中将から中納言、大納言を経ずして大臣・関白にさせるという、無茶苦茶な人事でした。11月20日、とうとう、重盛という抑えを失った清盛は、後白河法皇を鳥羽の離宮に遷し、軟禁するという暴挙に出てしまったのです。 

平家物語4 平重盛の熊野詣:熊野の説話

 

 

 

【雑感】

 

ある程度の年数を生きてくると嫌でも自分のことが良く分かって来るものである。そして、思うことは難事から逃げ出しても必ずその難事は私の後を追いかけて来て今度は一段階大きくなって私の前に必ず立ちはだかる。経験上逃げても逃げても逃げられないことを知っている。恐らく死に逃げ込んでも逃げ切れないだろう。生まれ変わっても同じ難事が私の前に立ちはだかることとなるにちがいない。

 

私たちの多くは死ねば全てが終わると無邪気に信じている。死んだ後どうなるかは誰にも分からないのにだ。科学の論理をああだこうだと振りかざすヤカラもいる。科学なんてこの宇宙上のあらゆる事象のほんのほんの一塵を詳らかにしたに過ぎないのに、死の先を語ると非科学的だと言い捨てるヤカラども。

 

死ねば全てが終わると教えられてきた結果、年間の自殺者が3万人も越えるに至った。いじめに立ち向かわないで死に逃げ込む子供たち。借金や人間関係から逃れる為に死に逃げ込む大人たち。何故、周りに助けを求めないで死に逃げ込むのか。死のその先がどうなっているのかを今生きている私たちに伝えて来た人は誰一人も居ない事実があるのにもかかわらず、死んだら今ある苦から逃げられると何故思うのであろうか。残された周りの人たちの思いをズタズタに切り裂き死に逃げ込む身勝手さ。今の日本は平和を装いながらも実態は地獄そのものだ。

 

山岡鉄舟が言う死に執着しないとは、肉体が死んでも心は死なないという思想を前提としている。だからこそ、楠木正成は神戸湊川で、幕末の多くの志士は日本のそこかしこで、日清・日露戦争、先の戦争では太平洋や大陸のそこかしこで多くの戦士が死んで行ったにもかかわらず、彼等の肉体が潰えた後もその生き様が私たち日本人の心の中に鮮やかに生きている。

 

「肉体死すとも思いは死なず」

神代から日本人はこの思想を真理だと思ってきたからこそ、国や自分の周りの人たちを思い遣り、必要とあれば自分の命に執着しない生き様を当たり前とするよう日々鍛錬して来たのである。

 

 

その精神が衰えるとどのような様相を世の中が見せるのかが以下のニュースに現れている。

 


子どもを車上生活や路上生活に陥らせ白骨化し遺棄する日本社会-貧困なくす公的支出が欧州の半分もない日本(井上伸) - 個人 - Yahoo!ニュース

 


自販機の裏で暖を取り眠る子ども、車上生活のすえ座席でミイラ化し消えた子どもたちの声が届かない日本社会(井上伸) - 個人 - Yahoo!ニュース

 


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【山岡鉄舟 修養論】 心胆練磨之事

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 10月 12日 先負  四緑木星

         戊申 日/丁丑 月/甲午 年 月相 10.6 長潮

         小雪 末候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 4.4℃ 湿度 42%(大阪 6:00時点)

 

 

 

一度思(おもひ)を決して事に臨む時は、猛火熱(もうかのねつ)をも嚴氷冷(げんぴようのれい)をも、彈雨をも白刄をも知らざるなり。

 

是れ何事なるぞと云ふに、心既に水火彈刄なきが故なり。期するところは四者の外にあり。四者既に忘る、故に生死をも亦忘るるに至るなり。此に於てか、天下を畏るるに足るものなし。唯だ手の指す所、足之に從ひ、風往雨來、一に坦途(たんと)廣路を行くが如し。

 

世俗或は斯の如きを斥(さ)して氣魂の豪なるものと思惟(しゆい)し、嘖々(さくさく)之を稱(称)して措(お)かず。成程、是れは頗(すこぶ)る豪なり。然れども餘(余)は未だ之を眞の豪なるものとは思はぬなり。

 

其理如何となれば、眞に豪なるものは未だ始ぬより決して、然る後大いに振ふにはあらざるなり。決するに先ち既に決する所あるが如し。卽ち、決すると決せざると、其心頭にあらざるなり。唯だ浩々として盈ち、活々として動く。譬へば夫の大海の忽ちにして波瀾奔騰、天を排するが如くにあるかと思へば、亦忽ちにして風凪ぎ、汪洋(おうよう)氈(もうせん)を布(し)くが樣になるなり。

 

大海、豈必らずしも風雨の至るに及びて、故に意あつて動くものならんや 。其動くの時と動かざるの時とて固より異なる所なきなり。故に、風雨至つて動き、去つて而して休む。是を以つて、眞に膽(胆)の豪なるものは時に應じ事に接して變(変)化縱(縦)橫、人其消息を知るべからざるものなり。

 

夫の決して而る後膽氣初めて豪なるものは、其決せざるの時、果して如何と思案を廻らし、假(仮)りに酒に醉ひたる者共を見るに、手足全身を無茶に動かし、水火彈刄亦敢て畏れざるの狀なり。然して、醺醉一醒(くんすいいつせい)すれば卽ち我が影に驚き狗吠(くぼう)に慄(おそ)れ、能く婦兒(児)の制する所となるものさへあるを見る。卑怯も亦甚しと云ふ可し。

 

是れ何事ぞと尋ぬるに、夫(そ)の變に會(会)し、勢逼(せま)つて決するものに髣髴(ほうふつ)たり。

 

我れ聞く、昔者、田單(単)齊に將たり。能く孤城に據(拠)つて燕の十萬の敵を斥(しりぞ)く。然れども其後十萬の兵を以て翟(てき)の孤城を拔(抜)く能はず。吳王夫差(ふさ)、嘗て越王勾踐(こうせん)を會稽(かいけい)に苦む。而して終に勾踐の爲に古蘇臺(こそだい)に燒死すと云ふを聞き及べり。

 

抑々(そもそも)二者は實に其決するの時に勝つて決せざるの時に勝たず。亦是れ酒に醉ふて狂するの類のみ。

 

然らば卽ち如何にして膽をして豪ならしむるかと尋ぬるに、先づ思を生死の閒(間)に潛め、生死は其歸(帰)一なる事を知覺する事肝要なるべし。之を知覺すれば則ち强ゐて生を求めず、甚だ死を忌まず、盈虛(えいきよ)消息總(総)て自然に任ずる事になるなり。然すれば則ち何の畏怖する事もなきなり。何の執着も亦なきなり。百萬の大敵も眼中に滅卻(却)し、十尺の猛虎も猫兒(児)の如し。

 

次は則ち經驗と鍛鍊とより入るなり。卽ち、其平生最も畏怖する所のものに近づきて之に狎(な)るるなり。其始めや、必らず肉戰(おのの)き神(しん)慄(ふる)ひて常心を失ふ事あるべし。然れども漸(ようや)くにして自克(じこく)の效(効)積み、夷然(いぜん)たるを得るに至るなり。

 

畏れ多くも、我朝、後光明天皇と申し奉る御方は甚しく雷鳴を怖れ賜ひしが、後大(おおひ)に悟る所ありて、雷鳴每に必らず露臺に出御(しゆつぎよ)遊ばし、此處(ここ)に端座し玉ひ烈響悽閃(せいせん)に接しられしかば、遂に其頑習(がんしゆう)は痕を留めずなりぬ。

 

依つて思ふに、戰國の世は少婦穉童(ちどう)も劍戰の光、吶喊(とつかん)の聲に怖れずと云ふ事あり。蓋(けだ)し、怖れざるにあらず、習慣性をなすなり。

 

故に、如何に恐怖すべきものと雖も漸次(ぜんじ)に之を矯(た)め、深く强ゆる所あらば、遂に自然に出でしが如く、之に接するも膚(はだ)撓(たわ)まず目瞬かざるに至る事を得べきなり。

 

以上二ツの道は、入る所同じからずと雖も、其得る所の結果に至つては多く同一の效を奉する事あるなり。

 

之を夫の一朝變に會し勢に逼つて遽(にわか)に決するものに較せば、其差啻(ただ)に天壤のみならずと謂ふ可し。此に在つては常に決する所あるが如し。故に曾て驚く所なく、從容(しようよう)功を成すを得るなり。

 

彼にあつては則ち然らず、突然起つて突然決せんと慾(欲)するが爲め、必らず周章(しゆうしよう)狼狽を免るる能はざるなり。周章狼狽するもの、多くは事を破らざるものはなきなり。

 

嗚呼、源なきの水は涸れ易く、根なきの樹は直立し難し。夫の根源なき一旦の幻影、豈恆(恒)に維持するを得んや。

 

抑々五味八珍の佳饌、人其美を說く者甚だ多きが如きも、然れども其味を說くものは未だ之あらざるなり。鍊膽の微妙、固より言之を審(つまびらか)にする能ず、筆之を狀すべきなし。唯潛心工夫、其心に會するあるのみ。

 

抑々古今の聖人傑士が如何にして其道を修得し、如何にして發揮せし乎、之を其事蹟に照せば思ひ半に過るものあり。我れ、豈勤めざる可けん哉。

 

『我れ幼年の時より心膽練磨の術を講ずる事今日に及ぶと雖も、未だ其蘊奧(うんのう)を極むる事能はざる所以のものは、一ツに我が誠の足らざるが故なり。』

 

右は只だ其感ずる所を樂書(らくしよ)し、習練の餘暇、時々之を披(ひ)らきて以て自から勵(励)まし、爾後(じご)益々勤勉して其源に到達せん事を期す。

 

安政五年戊午(ぼうご)春三月三日認(したたむ)

山岡鐵太郎

 

 

 

【私的解釈】

 

ひとたび思いを決めて物事に臨めば、猛火の熱さも厳氷の冷たさも、乱れ飛ぶ弾の雨も向けられた抜身の刃(やいば)も気にかからなくなる。

 

どういう状態なのかと問われれば、心が水や火も弾や刃も既に意識していないということである。思いがこの四者を貫き、人の心の奥に鎮座する真心と共振しており、この四者の存在すら意識から消え去っている。だから、生きるか死ぬかといった欲望までをも忘却させる。この極地に至れば世の中を怖れることがない。ただ、意識するところに足が自然に出向き、風が吹こうが雨が降ろうが、ただ平坦な広い道を歩いているようなものとなる。

 

世間ではこのような極地に達した人物を豪の者とみなして、あれやこれやともてはやしている。なるほど、豪の者であることに異存はない。しかしながら、私はこういう者を誠の豪なる者であるとは思ってはいない。

 

その理由を述べると、誠の豪なる者は、始める前に「さぁ、やるぞ!」と心に決め、物事に取り掛かるということをしないのだ。普通の人間が「さぁ、やるぞ!」と心に決める段階で既に心が定まっているのである。言うならば、「さぁ、やるぞ!」と心に決める、決めないという意志が芽生えることがない。ただ、心に浩々として満ちるから浩々として動くのだ。例えるならば、大海にたちまちの内に大きな波が激しい勢いで立ち上がって、天を引き裂く様相を見せるかと思えば、また、たちまちの内に風が凪いで、見渡す限りに毛氈(もうせん)を敷いた様相を見せるようなものである。

 

大海は風雨にさらされた時に、心に決めて大波をおこすわけではないだろう。動く時と動かない時で違いがあるわけではない。だからこそ、風雨が起こったから大波がおこり、風雨が止んだから大波が静まるのだ。だから、誠に胆力が豪なる者は、時節に応じ現象に遭遇して臨機応変に反応し、他人にその動静の間(ま)を悟られることがないのである。

 

「さぁ、やるぞ!」と心に決めないと胆力を豪なるものと出来ない者は、心に決める以前は、「どうしようか、どうしようか」と心を迷わせており、例えるならば酔っぱらいが見せるように、手足含めて全身を闇雲に動かして水火彈刄に対して酒の力を借りて身構えている状態である。だから、酔いから覚めるとたちまち馬脚をあらわし、己の影にも驚き、犬が吠える声にも怖がり、しまいには女子供の言いなりとなってしまうのだ。卑怯もここに極まったという状態と言える。

 

これは、事が起こり、切羽詰まってやっと、「さぁ、やるぞ!」と心に決める者の姿によく似ている。

 

むかし、斉の将軍であった田単という人は、孤立した城に立てこもって燕の十万の敵を防いだけれども、その後に十万の兵を用いて翟(てき)の孤立した城を攻め落とすことが出来なかった。呉の王である夫差(ふさ)は、越の王である勾踐(こうせん)と会稽(かいけい)で対戦し、苦しめたことがあったが、結局は勾踐によって古蘇台(こそだい)で焼き殺されたという。

 

つまり、追い詰められて意を決した後ではうまく行くが、意を決しないと敗れてしまうのがこの二人のことなのであり、酒に酔っぱらって狂う人間と同類でしか無いのである。

 

では、どうしたら胆力を豪なるものとすることが出来るのであろうか。まず、思いを生や死という執着から離れたところに潜めて置き、生と死とはただ一つことに帰着する現象であるということを感じることが肝心であろう。このことを感じれば、強いて生を望むことも死を忌み嫌うこともなくなり、満ちたり欠けたりすることや生じることや消えることのことごとく、つまり、世の中の一切の成り行きを自然のままに任せるようになっていくのだ。そうすれば、世の中に怖れることは何もなく、執着するということも全くなくなってしまう。こうなれば、百万もの大敵も無視することができるし、十尺もの猛虎も子猫に変化させることができるのである。

 

次には、経験と鍛錬によるのである。日頃一番恐ろしいと思っているものに接近し、これに慣れてしまうのだ。初めは肉体が震え、神経が高ぶり、きっと普通の精神状態は吹っ飛んでしまうであろう。しかしながら、しばらくすると、恐怖に打ち勝とうとする気力が積み重なって、遂には平常心で居られることとなる。

 

ここで例とするのもおそれ多いことではあるが、後光明天皇と申す御方は、ひどく雷鳴を恐ろしがられていたのであるが、決意されるところがあり、雷鳴の起こる度に露台にお出になられて、正座して激しい響きと閃光に対峙されていると、いつの間にかその恐怖心が消えてしまったということである。

 

それにつけて思うのであるが、戦国の時代には、娘や子供でさえも刀を交わした時の閃光やときの声をも恐ろしがらなかったという。それが恐ろしくなかったということではなく、刀のきらめきや戦いの声が日常の光景となっていたのだ。

 

だから、どんなに恐るべきものであっても次第に恐ろしさは弱まってくるものであるし、更に思い切ってこれに立ち向かって行けば、身体が自然に反応し、恐ろしいものに接しても身体が縮んだり目を瞬いたりすることはないようになって行くのだ。

 

これらの二つの方法は、やり方は異なっていても得られる結果は同じである。

 

何か問題が起こってから、それに追われてあわてて決意させられるのに比べれば、その違いは天と地の隔たりよりももっと大きいと言わねばならない。わたしが主張するような状態にあっては、常に決意しているということができ、驚き急かされることもなく、ゆっくりと事を運ぶことができる。

  

だが、これに反して、事が起こってから決意をさせられるようなやり方ではそうはいかない。事が突然起こり、それに急かされて決意をさせられるというのであると、どうしても慌てふためいてしまわざるを得ないのである。慌てふためいては大抵のことはうまく運ばない。

 

悲しいかな、水源のない流れはすぐに涸れてしまうものだし、根のない樹木は、真っ直ぐに立っていられない。慌てふためいて決意をして、その結果得られた現象は、その時だけ映し出される幻影に過ぎず、それらが永く続くわけなどあり得ないのだ。

 

世の中には、複雑な味を持つ貴重な食べ物のうまさについて色々と言う人は多い。しかし、その味のことを巧みに言葉にできる者は一人もいない。胆力を練ることの微妙についても同じで、これを巧みに言葉にすることは出来ず、ここに書き連ねることなど出来やしないのだ。ただただ心を巡らせて工夫を凝らし、胆力を練るということの核心を探り当てようとする道があるだけなのだ。

 

古今の聖人や傑士と言われる人物が、どのようにしておのおのがこの道を修得し、どのようにこれを発揮させたかを調べてみると、その困難なことは想像を越えるものであることがわかる。

 

わたしはただ励む。それだけだ。

 

『私は、小さい時から心胆練磨の方法を色々と工夫してきたのではあるが、いまだその真理をつかむことが出来ない。それは一つには、自分の誠が足りないが故なのだ。』

 

右に書いたのは、自分の決意を書き留め、習練の間にこれを読み返し、自分の誠を奮い立たせ、いっそう励み心胆練磨の極意に到達しようと願うが為である。

 

安政五年(1858年)戊午(ぼうご)春三月三日認(したたむ)

山岡鉄太郎

 

 

1858年(安政5年) / 幕末年表

 

 

 

 

 

【雑感】

 

世の中が地獄の様相を当たり前とする時代がある。日本の戦国時代もこういった時代であった。下記の「おあむ物語」など戦国の時代の女性の生き方を詳らかにしている。

  

おあむ物語


子どもあつまりて「おあん様、むかし物がたりなされませ」といへば、

 

『おれが親父は、山田去暦というて、石田治部少輔殿に奉公し、あふみの国ひこ根に居られたが、そのゝち、治部どの御謀反の時、美濃の国おほ垣の城へこもりて、我々みなみな一所に御城にゐておじやつたが、不思議な事が、おじやつた。よなよな、九つ時分にたれともなく男女三十人ほどのこゑにて「田中兵部どののぉう、田中兵部殿のうと」おめきて、そのあとにて。わつというてなく声がよなよなしておじやつた。おどましやおどましや、おそろしう、おじやつた。

 

その後、家康様より、せめ衆大勢城へむかはれて、いくさが夜ひるおじやつたの。そのよせ手の大将は、田中兵部殿と申すでおじやつた。いし火矢をうつ時は、しろの近所を触廻りておじやつた。それはなぜなりや、石火矢をうてば、櫓もゆるゆるうごき、地もさけるやうにすさまじいさかいに、気のよわき婦人なぞは、即時に目をまはして難義した。そのゆゑに、まへかたにふれておいた。其ふれが有ば、ひかりものがして、かみなりの鳴をまつやうな心しておじやつた。

 

はじめのほどはいきたここちもなく、たゞものおそろしや、こはやと計、われ人おもふたが、後にはなんともおじやる物じやない。我々母人もそのほか家中の内儀むすめたちも、みなみな天守に居て鉄鉋玉を鋳ました。また味かたへとつた首を、天守へあつめらてそれぞれに札をつけて覚えおき、さいさいくびにおはぐろを付ておじやる。それはなぜなりや、むかしはおはぐろ首はよき人とて賞翫した。それ故しら歯の首は、おはぐろ付て給はれとたのまれておじやつたが、くびもこはいものではあらない。その首どもの血くさき中に寝たことでおじやつた。

 

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ある日よせ手より鉄鉋うちかけ、最早けふは城もおち候はんと申す。殊のほかしろのうちさわいだことでおじやつた。そのところへ、おとな来て、「敵かげなきしさりました、もはやおさわぎなされな、しづまり給へしづまり給へ」といふ所へ、鉄鉋玉来りて、われらおとと十四歳になりしものにあたりて、そのままひりひりとして死んでおじやつた。扨々(さてさて)むごい事を見ておじやつたのう。

 

其日わが親父のもち口へ矢ぶみ来りて、去暦事は、家康様御手ならひの御師匠申されたわけのあるものじやほどに、城をのがれたくは御たすけ有べし。何方へなりともおち候へ。路次のわづらひも候まじ。諸手へおほせ置たとの御事でおじやつた。

 

しろは翌の日中せめおとさるゝとて、みなみなちからを落して、我等も、明日はうしなはれ候はむと、心ぼそくなつておじやつた。親父ひそかに天守へまゐられて、此方へ来いとて、母人我等をもつれて、北の塀わきよりはしごをかけて、つり縄にて下へ釣さげ、さてたらひに乗て堀をむかうへ渉りておじやつた。

 

その人数はおやたちふたり、わらはと、おとな四人ばかり、其ほか家来はそのまゝにておじやつた。城をはなれ五六町ほど北へ行し時、母人にはかに腹いたみて娘をうみ給ひた。おとな其まゝ田の水にてうぶ湯つかひ引あげてつまにつゝみ、はゝ人をば親父かたへかけてあを野が原のかたへ落ておじやつた。こはい事で。おしやつたのう。むかしまつかふ。南無阿弥陀南無阿弥陀

 

又子ども、「彦根のはなし被成(なされ)よ」といへば、

 

『おれが親父は知行三百石とりて居られたが、その時分は軍か多くて、何事も不自由な事でおじやつた。勿論用意はめんめんたくはへもあれども、多分あさ夕雑水をたべておじやつた。おれが兄様は折々山へ鉄鉋うちにまゐられた。其ときは朝、菜飯をかしぎてひるめしに持れた。その時にわれ等も、菜めしをもらうてたべておじやつたゆゑ、兄様をさいさいすゝめて、鉄鉋うちにいくとあればうれしうてならなんだ。さて衣類もなく、おれが十三の時手作のはなぞめの帷子(かたびら)一ツあるよりほかにはなかりし。そのひとつのかたびらを、十七の年まで着たるによりて、すねが出て難義であつた。せめてすねのかくれるほどの帷子ひとつほしやとおもふた。

 

此様にむかしは物事不自由な事でおじやつた。またひる飯などくふといふ事は夢にもないこと。夜にいり夜食といふ事もなかつた。今時の若衆は、衣類のものずきこゝろをつくし、金をつひやし、食物にいろいろのこのみ事めされる、沙汰の限なこと』とて。又しても彦根の事をいうてしかり給ふゆゑ、後々には子どもしこ名をひこ根ばゝといひし。今も老人のむかしの事を引て当世に示すをば、彦根をいふと俗説にいふは、この人よりはじまりし事なり。それ故他国のものには通ぜず、御国郷談なり。

 

右去暦、土州親類方へ下り浪人土佐山田喜助、後に蛹也と号す。おあんは雨森儀右衛門へ嫁す。儀右衛門死して後、山田喜助養育せり。喜助の為には叔母なり。寛文年中よはひ八十余にして卒す。予その頃八九歳にして、右の物がたりを折々きゝ覚えたり。誠に光陰は矢の如しとかや。正徳の比は予すでに孫どもをあつめて此もの語して、むかしの事どもとり集め、世中の費をしめせば、小ざかしき孫ども、むかしのおあんは彦根ばゝ、いまのぢゝ様はひこねぢいよ、何をおじやるぞ世は時々じやものをとて鼻であしらふゆゑ、腹もたてども後世おそるべし。又後世いかならむ。

 

まごどもゝ、またおのが孫どもにさみせられんと。是をせめての勝手にいうて後はたゞなまいだまいだより外にいふべき事なかりし。


右一通。事実殊勝の筆取なり。誰人の録せるや。未詳。疑らくは。山田氏の覚書なるへし。田中文左衛門直の所持をかり出しといふ事しかり。


享保十五年庚戌三月廿七日 谷垣守

  

少女「おあむ」が、お歯黒を塗る為に集められた生首に囲まれて、血生臭い中を寝起きしていたり、鉄砲に撃たれた弟がのたうち回って死んでいく様を目の当たりにしたり、城を逃げ落ちる時に母親が産気づき田んぼの水を産湯にして子供を産み落とし、そのまま落ち延びて行く様子などは、今の平和の世の中からは想像もつかない出来事であろう。

 

しかし、こういう時代は、死がすぐ隣り合わせに存在するため胆力が自然と練られる。また、無責任な言動が周りの者の死に直結するので責任感が強くなる。そして、自己防衛の為に個人で生きるよりは家族や親族の集団生活を営むこととなり、家族の絆が強くなるであろう。

 

翻って、死が不自然に目の見えないところに追いやらている平和な現代について考えてみたい。死は戦国時代ほど隣にはなく、無責任な言動が死を招くことは滅多にない。だから言った者勝ちとなり、無責任な言動をとる者が世の中にあふれ返る。平和な世の中が集団生活よりも個人で生きることを促すこととなろう。

 

しかし、世界の歴史を振り返っても平和は絶対に永続しない。満ちれば必ず欠けるのがこの世の法則である。となると、平和な時代が去った時にその落差が大きく広がるのが戦国時代よりは、今の現代となろう。

 

天というのは残酷である。天国のような平和な時代から阿鼻叫喚の地獄へと一瞬で様変わりさせることに躊躇がない。まるで、天がわれわれ人間を試すかのように、人間をふるいに掛けるようなことが歴史を振り返れば何度も行われてきた。

 

平和な時代の極地に達すれば一瞬で地獄のような時代に反転することを心に刻んでおきたい。

 

 

 

【追記】

私たちが求める幸せは、遠い彼方の幻影に求めるのではなく、足元に見つけるものであると。こちらのお写真を拝見して改めて思いました。

 

日本人の家族の理想がここにあります。

 

平成26年文仁親王殿下お誕生日に際してのご近影(お写真) - 宮内庁

文仁親王殿下お誕生日に際し(平成26年) - 宮内庁

 

 

【マヤ暦占い】 羽生結弦くんのこれからをマヤ暦で追いかける

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 10月 8日 大安  四緑木星

         甲辰 日/丙子 月/甲午 年 月相 6.6 上弦 中潮

         小雪 次候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)

 

【今日の気象】 天気 雨 気温 13.9℃ 湿度 66%(大阪 6:00時点)

 

 

 

以前に羽生結弦君をマヤ暦占いで占ってみたところ、的を射た占い結果となったみたいでお陰様で検索サイトの上位に表示されるまでとなりました。

 

誠のマヤ暦占いの具体的な方法が広まることで、マヤカシ物にお金まで支払う人達が居なくなることを私は望んでいます。

 

 

今回、羽生結弦君が先日の大怪我を押して昨日からのNHK杯に出場されているのに感激したので、マヤ暦占いで色々と占ってみました。

 

占い結果を羅列していきますので、マヤ暦占いの奥の深さを是非、感じてみて下さい。

 

 

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羽生結弦君の誕生日のツォルキンは、Kin071。

この日のナワールは、青い猿(Chuen/チェウエン・B'atz'/バッツ)です。

 

このナワールの意味は、

エレメント・・・より糸・初めなる者・織物

供物をしたり、ある活動、仕事を始めたり結婚をするのに良い日。世界の起源である最初のナワールを紡ぎ出した人々のパワーが溢れ出す日。このパワーによって人間を形作った最初のサセルドーテ・マヤ(マヤ暦を使いこなす聖職者)が導き出された。

 

 

羽生結弦君固有のマヤ暦はこの誕生日を起点に260日周期で螺旋することとなる。

 

 

 

では、ここで昨日【2014年11月28日】の羽生君のマヤ暦ツォルキンとナワールを導き出したい。

 

 

西暦による誕生日【1994年12月07日】から昨日【2014年11月28日】までの日数を計算する。

【計算ツール

日数計算(日付−日付) - 高精度計算サイト

(注意:初日を含むを選択)

 

上の計算ツールにより7,297日と計算される。

 

 

①の日数から西暦に由来する閏日を控除する。

【計算ツール

みんなの知識【ちょっと便利帳】 - 閏年一覧 - 16世紀から26世紀までの閏年一覧 - 閏年と近代オリンピック

 

上の計算ツールの表により、1994年12月07日から2014年11月28日までに閏年は5回(1996年、2000年、2004年、2008年、2012年)あるので、7,297日-5日=7,292日と計算される。

 

 

②の日数をマヤ暦年に変換する。

マヤ暦1年が260日なので260で割る。

 

7,292日÷260日=28.04615→28年と計算される。

 

 

最終計算

この表により該当日のマヤ暦を導き出す。

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7,292日-(28年×260日)=12日。

Kin071を含む日から12日進める。

よって、昨日のツォルキンはKin082、ナワールは白い風(Ik/イク・Ik’/イック)となる。

 

このナワールの意味は下記の通りである。

エレメント・・・世界・自然・祭壇・空気

世界が終焉しようとしていた時に生命の継続に必要な祈りがなされ、天が完成された日である。天の心と地の心の日、祭壇の日である。この日に生まれる者は世界と自然の偉大なる祝祭者となるだろう。山々や広野をはるかに旅し、創造者と形成者のメッセンジャーとなろう。この日を無視してサセルドーテ・マヤ(マヤ暦の司祭者)に相談しなければ、悪い者からの攻撃を受けることとなろう。

 

 

羽生結弦君のNHK杯への参加と昨日の結果は、なかなか興味深い示唆がなされています。『世界が終焉しようとしていた時に生命の継続に必要な祈りがなされ、天が完成された日である。天の心と地の心の日、祭壇の日である』とあるように、復活のキッカケと更なる飛躍に結びついて行くこととなります。

 

また、『この日を無視してサセルドーテ・マヤ(マヤ暦の司祭者)に相談しなければ、悪い者からの攻撃を受けることとなろう』とあるように、このNHK杯に不参加だった場合の前途は多難だったことと思います。

 

 

羽生結弦を支える独特なメンタリティー
尽きない勝利への欲求、FSへの気づき
2014年11月29日 10:53
 

別の意味で注目を集めたNHK杯

ここ数週間、羽生結弦(ANA)がグランプリ(GP)シリーズNHK杯(11月28日〜30日、大阪・なみはやドーム)に出場するか否かは、国民の関心事になっていた。あの“ショッキングな出来事”からはまだ日が浅い。今年2月のソチ五輪で金メダルを獲得し、19歳と前途も明るいのだから無理をすべきではない。そんな意見が多勢を占めていた。“ショッキングな出来事”とは11月8日に行われた中国杯フリースケーティング(FS)前の6分間練習で起こった衝突事故のことである。

前日のショートプログラム(SP)で2位と不本意な結果に終わった羽生は、逆転を狙い意気込んでいた。もしかするとうまくいっていない焦りもあったのかもしれない。一心不乱に自分の練習に集中していた羽生は、中国の閻涵(ハンヤン)と激突。頭部や左大腿など計5箇所を負傷した。脳震とうを疑われながら演技を行い、2位という結果を残したものの、その決断は生命に関わる危険性も指摘されるなど、議論を巻き起こした。

中国杯で負ったけがは全治2〜3週間と診断されたが、順調に回復。26日にはNHK杯の出場が正式に発表された。こうした状況で迎えた今大会は、別の意味でも注目を集めることになったのだ。

SPの最終滑走で登場した羽生は、やはりと言うべきか演技に精彩を欠いた。「構成を変えて」前半に4回転トウループを持ってきたが転倒。トリプルアクセルはきれいに着氷したものの、トリプルルッツトリプルトウループのコンビネーションでも手をつくというミスを犯した。結果は78.01点と自己ベストを23点も下回る5位。スピンはレベル4を獲得し、演技構成点は全体1位とさすがの実力は見せたが、負傷の影響はいかんともしがたかった。
 

メディア対応をしながら生まれた気づき

「やってしまったなと。悔しい気持ちのみです。けがはほとんど回復してきていますし、違和感がないと言えばそれは違うのですが、良い感じにはなってきています。4回転だけではなく、3回転+3回転もミスしてしまいましたが、曲をかけているときに、ルッツとトウループが練習からうまく入っていなかったので、そこは自分の実力の問題だと思います。自己採点は30点ですね」

演技後、羽生は自身に対して厳しい言葉を並べた。しかし、それとは裏腹に取材対応が進んでいくと徐々に表情は和らいでいく。その理由を尋ねられると19歳の五輪王者は微笑みながらこう返した。

「(メディアの)皆さんとお話ししていたら、自分の課題が分かってきて、それがうれしくなったんです。ただ単に失敗して悔しいというのではなく、こうすれば良かったんだというのが見つかってきたので、すごく良い時間だったなと思っています」

多くの選手にとって、自身の望まない結果に終わったあとのメディア対応は苦痛以外の何ものでもないはずだ。しかし羽生はそれを嫌がらない。なぜなら「考えていることを言語化することで、頭の中がより整理されていくから」だ。もちろん何度も同じことを聞かれるのはきついときもあるだろうが、思いもよらぬ質問から、新たな視点が生まれることもある。

羽生がこの日、気づいたのはこんなことだった。

「僕、今回はずっと『(GP)ファイナルに行きたい、ファイナルに行きたい』って言っているんですよ。『ファイナルじゃねえよ。ここNHK杯だよ』と話していてすごく思ったんですね。ファイナルに行くためにこの試合をやる。そうじゃないんです。今は今だし、この大会はこの大会だから、この試合にもっと集中しなければいけないなと」

 

「悔しい感情はプラスになる」

羽生には昨季のスケートカナダで、当時の世界王者パトリック・チャン(カナダ)を過剰にライバル視し、思うような結果を残せなかったという苦い経験がある。しかし、コーチであるブライアン・オーサーの「何週間も前から相手のことを考えてはいけない。試合直前に集中することが大事なんだ」というアドバイスにより、意識改革に成功。その後は飛躍的にスコアを伸ばし、GPファイナル、ソチ五輪、世界選手権をすべて勝ち取った。あくまで自分の演技にのみ集中した結果だった。

しかし、今回のNHK杯では雑念が生じてしまった。けがの影響もあったのだろう。

「結局、自分の中で言い訳を作りやすかったんだと思います。練習もできていないからというね。だからこそ最終的にこういう結果(SPで5位)になってしまったんだと反省しています。6分間練習ではアナウンサーの声が聞こえたんです。その時点で集中が切れていましたね。曲がかかったときは集中していたと思うんですけど、そういうところが自分の甘さだと思います」

課題が明確になったのであれば、それを修正するのは難しいことではない。羽生は翌日のFSに向けて、決意を述べた。

「悔しい感情はFSに向けてプラスになると思っています。練習してきたことを信じてやっていきたいです。FSはFSでまた違う演技ですし、昨季ともまったく違います。1試合1試合違うプログラムだという気持ちでやっていかないといけないと思っています」

 

FSでもう1つ奇跡を起こせるか

かつてオーサーコーチは羽生についてこう語ったことがる。

「ユヅルは本当に独特なメンタリティーの持ち主だ。私は彼がまだどう考えているのかを発見するプロセスの中にいると思っている」

どんなにふがいない結果に終わったとしても、羽生はその原因をあいまいにはごまかさない。あくまで強気な物言いで、自身を奮い立たせる。メディアの前でもしっかりと自分の考えを口にし、メディアを使って自身の考えを整理することさえある。根底にあるのは勝利への欲求だろう。五輪王者や、世界王者という肩書きは羽生にとって「重要なものではない」。ただ目の前の試合に勝ちたい。その強い気持ちが羽生を突き動かす原動力となっている。

SPではメンタル面に問題があった。羽生も話しているように負傷を言い訳にしていた部分もある。しかし、SPの結果で再び勝利への渇望がよみがえってきた。現在首位の無良崇人(HIROTA)も「彼の強い心はFSでこそ生きるもの」と警戒する。

「この試合に勝ちたいとすごく思っています。優勝とか、3位以内とか、ファイナルとかここまで突き落とされているので、何とも言えないですが、とにかく今からはSPの内容や課題を見直し、しっかり寝て体力を回復し、練習とFSをきちんとやる。そうやって1つ1つ区切ってやっていきたいと思います」

無良との差は8.27点。3月の世界選手権ではSPトップだった町田樹(関西大)に6.97点差をつけられながらも、FSで見事に逆転してみせた。自身の演技に集中したときの羽生の強さは昨季すでに証明されている。中国杯での負傷から「ここにいるのは奇跡的」と語った羽生だが、もう1つ奇跡を起こすことはできるだろうか。
(取材・文 大橋護良/スポーツナビ

羽生結弦を支える独特なメンタリティー|コラム|フィギュアスケート|スポーツナビ

 

 

それでは、本日のフリーの予想もしておきます。

 

 

羽生結弦君の本日【2014年11月29日】のツォルキンとナワール。

ツォルキン:Kin083

ナワール:青い夜(Akbal/アクバル・Ak'ab'al/アカバル)

 

ナワールの意味

エレメント・・・曙光(しょこう)・暗さ・泣くこと

暗さ、祖先たちを取り巻く薄明かりはアカバルの出現によってすぐに歓びに変わった。それは新しい時代、地球上に現れるであろう新しい生命の夜明けを意味した。この日に誕生する人々はこの歓びに満ちた夜明けに由来する。だがアッハキッヒ(シャーマン)のアドバイスに耳を傾けるべきである。中傷、嘘、誹謗などの苦しみに泣かされる日でもあるからだ。

 

今回のNHK杯は、例え結果が伴わなくとも今後の羽生選手の更なる飛躍の曙光となることは間違いないようです。色々な雑音に心を惑わされながらもNHK杯を乗り切ったという自信により、『暗さ、祖先たちを取り巻く薄明かりはアカバルの出現によってすぐに歓びに変わった。それは新しい時代、地球上に現れるであろう新しい生命の夜明けを意味した。この日に誕生する人々はこの歓びに満ちた夜明けに由来する』とあるように、今後のフィギュアスケートの世界に新境地を拓いて行くことは確実です。

 

 

 

参考までに怪我をした日【2014年11月8日】ソチ・オリンピックで金メダルを獲得した日【2014年2月14日】のマヤ暦も記載しておきます。

 

 

怪我をした日【2014年11月8日】のツォルキンとナワール

ツォルキン:Kin042

ナワール:白い風(Ik/イク・Ik’/イック)

 

ナワールの意味

エレメント・・・世界・自然・祭壇・空気

世界が終焉しようとしていた時に生命の継続に必要な祈りがなされ、天が完成された日である。天の心と地の心の日、祭壇の日である。この日に生まれる者は世界と自然の偉大なる祝祭者となるだろう。山々や広野をはるかに旅し、創造者と形成者のメッセンジャーとなろう。この日を無視してサセルドーテ・マヤ(マヤ暦の司祭者)に相談しなければ、悪い者からの攻撃を受けることとなろう。

 

【雑感】

怪我をした日と昨日は同じナワール。昨日の結果も頷くところです。『悪い者からの攻撃を受けることとなろう』という記述が意味深いです。しかし、羽生選手の心と天の心と地の心が共振する日でもあったのです。肉体は傷を負いましたが、『山々や広野をはるかに旅し、創造者と形成者のメッセンジャーとなろう』という記述からも、この怪我で羽生選手の心に芽生えた思いが今後のフィギュアスケートの世界に新しい風を吹き込んで行くこととなるのは確実です。

 

 

 

ソチ・オリンピックで金メダルを獲得した日【2014年2月14日】のツォルキンとナワール

ツォルキン:Kin055

ナワール:青い鷲(Men/メン・Tz'ikein/ツィキン)

 

ナワールの意味

エレメント・・・鷲・最良・生産

鳥が聖なるトウモロコシの見つかる場所を教えた日である。したがって幸運の鳥の日である。われわれに生命を与える自然の空間、空気、光、雲、寒さ、暑さへの祈りを通して、天の心、地の心とコミュニケーションをする日である。この日に生まれる人間は精神的にも物質的にも全て自分が望む物を獲得するだろう。

 

【雑感】

この日に生まれる人間は精神的にも物質的にも全て自分が望む物を獲得するだろう』という記述には驚きます。とるべきしてとった金メダルなのですね。

 

 

 

今回のマヤ暦占いの方法の詳細をそのうち掲載したいと思っています。しばらくお待ち下さい。

 

 

 

参考図書 

マヤ文明 聖なる時間の書―現代マヤ・シャーマンとの対話

マヤ文明 聖なる時間の書―現代マヤ・シャーマンとの対話

 

 上の書籍はマヤ暦のエッセンスが凝縮された類まれな書籍です。

 

 

【マヤ暦占い】 西島秀俊さんを本場のマヤ暦占いで占ってみた

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 10月 5日 友引  四緑木星

         辛丑 日/丙子 月/甲午 年 月相 3.6 中潮

         小雪 初候 虹蔵不見(にじかくいれてみえず)  

 

【今日の気象】 天気 雨 気温 11.9℃ 湿度 73%(大阪 6:00時点)

 

 

リクエストがあったので西島秀俊さんをマヤ暦占いで占ってみました。

 

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銀河の数が76と大きく運が強い方ですね。世の中の脚光を浴びている人はこの数値が70代後半であることが常ですね。

 

で、潜在意識を表す性格は、以下の通りです。

 

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『不穏』『狂気』『争い』のエレメントを持つので攻撃的で破壊的な方のようです。

 

しかしながら、顕在意識を表す性格が以下の通りなので、顕在意識が潜在意識の攻撃的で破壊的なトゲを美しく見事に調和させています。

 

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西島秀俊の厳し過ぎる結婚条件 耐えた妻に“プロ彼女”の声

女性自身 11月25日(火)0時0分配信

「熱愛報道からしばらくすると、彼女の姿を職場で見なくなりました。だから『もしかしたら寿退社!?』なんて噂にもなっていたのですが……」(交際女性を知る関係者)


アラフォー女性たちに悲鳴の嵐が巻き起こった。11月19日、西島秀俊(43)が結婚することを発表したのだ。お相手は16歳年下の元会社員女性のAさん(27)。今年4月、自動車会社のギャラリーでコンパニオンを務める“小雪似”女性との半同棲が報じられていたが、その女性こそが彼に結婚を決意させたAさんだったのだ。

西島の結婚観について、本誌では4月に「厳し過ぎる結婚の7条件」を報じている。いずれもかつて彼自身が語っていたことだが、総合すると次のとおりだ。
1、仕事のワガママは許すこと
2、映画鑑賞についてこない
3、目標を持ち一生懸命な女性
4、“いつも一緒”を求めない
5、女の心理の理解を求めない
6、メール返信がなくてもOK
7、1カ月半会話なしでも我慢すること
一度は西島の交際報道でドン底へと叩き落されたファンたちだったが、厳し過ぎる条件を見てからは「これなら大丈夫ね。こんな難題に耐えられる女性なんて、いないはず」という安堵の声も上がっていた。だがAさんはそれらに耐え条件をクリアしてきたのだ。

「Aさんは仕事熱心で職場での評価も高く、その上、私生活ではストイックな西島さんの徹底した食事管理をこなしていました。あまりの女子力の高さに、ネット上では“プロ彼女”の声も上がっています」(前出・芸能関係者)

プロ彼女とは、“非の打ち所がない彼女”のこと。容姿端麗で性格も完璧。芸能人と交際してもブログで明かさず、陰ながら支えてカレの株を上げてくれる一般人女性だ。実際、2人の交際は2年以上もバレることがなかった。

「婚姻届は近々提出する予定ですが、挙式は仕事のスケジュールをみながら親族のみで行うようです。“あくまで仕事が第一”の西島さんなので簡素な挙式披露宴になりそうですが、Aさんはイヤな顔ひとつ見せず快諾したそうです」(前出・芸能関係者)

悔しいけど……彼が選んだのも納得かも!?

Yahoo!ニュース - 西島秀俊の厳し過ぎる結婚条件 耐えた妻に“プロ彼女”の声 (女性自身)

 

プライドが高い女優さんとは必ずぶつかってしまいますので、結婚のお相手が女優さんではなく、一般の女性であるということも納得です。

 

私生活では、ご自身料理が上手で、ペットを飼っており、部屋には観葉植物があり、こだわりの空間にお住まいのことと思います。

 

一度、どん底を経験されているので、これからも周りに振り回されることもなく我が道を切り拓いて行かれることでしょう。

 

 

 

 

【二宮翁夜話 巻之一 二十七】 善惡禍福を諭して其源に及ぶ

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 10月 2日 大安  四緑木星

         戊戌 日/丙子 月/甲午 年 月相 0.6 大潮

         小雪 初候 虹蔵不見(にじかくいれてみえず)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 10.6℃ 湿度 71%(大阪 6:00時点)

 

 

 

禍福二つあるにあえず、元來一つなり。近く譬ふれば、包丁を以て茄子を切り、大根を切る時は、福なり。只柄を持つて物を切ると、誤つて指を切るとの違ひのみ。

 

夫れ柄のみありて刃無ければ、包丁にあらず。刃ありて柄無ければ、又用をなさず。柄ありて刃ありて包丁なり。柄あり刃あるは包丁の常なり。然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす。されば禍福と云ふも、私物にあらずや。

 

水また然り、畔を立てて田地を肥して福なり。畔なくして引くときは、肥土流れて田地やせ、其の禍たるや云ふべからず。只畔有ると畔なきとの違ひのみ。元同一水にして、畔あれば福となり畔なければ禍となる。

 

富は人の欲する處なり。然りといへども、己が爲にするときは禍是に随ひ、世の爲にする時は福是に随ふ。財寶も又然り、積んで散ずれば福となり、積んで散ぜざれば禍となる。

 

是人々知らずんばあるべからざる道理なり。

 

 

 

【私的解釈】

 

禍福はそれぞれ別個にあるのではなく、元々は一体となっている。身近に例えるならば、包丁で茄子や大根を切るときは福である。禍との違いは柄を持って物を切るときに物を切るか指を切るかの違いだけである。

 

包丁は柄だけがあって刃が無ければ包丁とはいわない。刃のみがあって柄が無ければ役に立たない。柄があって刃があって初めて包丁となる。柄があり刃があるのが包丁の姿である。そして、指を切ることを禍とし、野菜を切ることを福とする。喜んで包丁で指を切りたがる者がいないように、禍福というものは己の好き勝手に出来るものではないのだ。

 

水もまた同じだ。畦を造って田んぼを肥やすことが福である。畦を造らないで水を田んぼに引くと、肥えた土が流れ出して田んぼがやせ、その禍は述べるまでもない。この違いは畦があるかないかの違いだけである。元々同じ水が畦があれば福を呼び、畦がなければ禍を呼ぶ。

 

富は全ての人が望むものである。しかし、この富を己の為に蓄えれば禍を招き入れることとなり、世の中の為に蓄えれば福を招き入れることとなる。財宝もこれに同じである。貯めて世の中の為に使えば福となり、貯めて世の中の為に使うことをしなければ禍となる。

 

これらは、世の中の人が知っておかなければならない道理である。

 

 

 

【雑感】

 

日本を取り戻す。

 


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