まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 二十六】 涅槃經の譬を引て善惡禍福得失の一なるを諭す

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 閏 9月 25日 先負  四緑木星

         壬辰 日/丙子 月/甲午 年 月相 24.2 暁月 小潮

         立冬 末候 金盞香(きんせんかさく)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 7.6℃ 湿度 67%(大阪 6:00時点)

 

 

 

翁曰く、
 
善惡の論甚(はなは)だむづかし、本來を論ずれば、善も無し惡もなし。
 
善と云って分つ故に、惡と云う物出來る物なり。元人身の私より成れる物にて、人道上の物なり。故に人なければ善惡なし。人ありて後に善惡はある也。故に人は荒蕪(くわうぶ)を開くを善とし、田畑を荒らすを惡となせども、猪鹿の方にては、開拓を惡とし荒すを善とするなるべし。世法盗を惡とすれども、盗中間にては、盗を善とし是を制する物を惡とするらん。
 
然れば如何なる物是善ぞ。如何なる物是惡ぞ。此の理明辯し難し。此の理の尤も見安きは遠近なり。遠近と云うも善惡と云うも理は同じ。譬へば杭二本を作り一本には遠と記し一本には近と記し、此の二本を渡して此の杭を汝が身より、遠き所と近き所と、二所に立つべしと云ひ付くる時は、速やかに分る也。
 
予が歌に「見渡せば 遠き近きは なかりけり おのれおのれが 住處にぞある」と此の歌善きもあしきもなかりけりといふ時は、人身に切なる故に分らず、遠近は人身に切ならざるが故によく分る也。工事に曲直を望むも餘り目に近過ぎる時は見えぬ物也。さりとて遠過ぎても又、眼力及ばぬ物なり。古語に遠山木なし、遠海波なし、といへるが如し。故に我が身に疎き遠近に移して諭す也。
 
夫れ遠近は己の居處先づ定りて後の遠近ある也、居處定らざれば遠近必ずなし。大阪遠しといはば、關東の人なるべし、關東遠しといはば上方の人なるべし。禍福吉凶是非得失皆是れに同じ。禍福も一つなり、善惡も一つなり得失も一つなり。
 
元一つなる物の半を善とすれば其の半ば必ず惡也。然るに其の半に惡なからむ事を願ふ、是成難き事を願ふなり。夫れ人生れたるを喜べば、死の悲しみは随つて離れず、咲きたる花の必ずちるに同じ、生じたる草の必ず枯るるにおなじ。
 
涅槃經に此の譬へあり。或人の家に容貌美麗端正なる婦人入り來る。主人如何なる御人ぞと問ふ。婦人答へて曰く、我は功德天なり。我が至る所、吉祥福德無量なり。主人悦んで請じ入る。婦人曰く、我に随從の婦一人あり、必ず跡より來る是をも請ずべしと。主人諾す、時に一女来る、容貌醜陋(しうろう)にして至りて見惡し。如何なる人ぞと問ふ。此の女答へて曰く、我は黑闇天(こくあんてん)なり我が至る處、不祥災害ある無限なりと。主人是を聞き大いに怒り、速かに歸り去れといへば此の女曰く、前に來れる功德天は我が姉なり。暫くも離るる事あたはず。姉を止めば我をも止めよ、我をいださば姉をも出せと云ふ。主人暫く考へて二人とも出しやりければ二人連れ立ちて出で行きけり、と云う事ありと聞けり。
 
是れ生者必滅會者定離(せいじやひつめつゑしやぢやうり)の譬へなり。死生は勿論禍福吉凶、損益得失皆同じ。元禍と福と同體にして一圓なり、吉と凶と兄弟にして一圓也。百事皆同じ。
 
只今も其の通り。通勤する時は、近くてよいといひ、火事だと云ふと遠くてよかりしと云ふ也。是を以てしるべし。

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁は仰られた。

 

善と悪についてを論じることは非常に難しい。言ってしまえば善や悪に実態は無い。

 

これは善だと言って区別をするから悪というものもボワっと生じるのだ。人間の価値観によって生じるものであるから、人道上のものと言える。人間がこの世に存在しなければ世の中に善というものや悪というものは存在しない。人がこの世に生まれ出たから善や悪も一緒に生まれ出たのである。人間は雑草が生い茂って荒れ果てている土地を開拓することを善とし、荒れるにまかせていることを悪とする。一方イノシシやシカにとっては開拓されることは悪であり、荒れるにまかせていることが善となる。世の中の法は盗みを悪とするが、盗人達の間では盗みが善で盗みを妨害するものを悪とするであろう。

 

だったら、どういうものが善なのか。どういうものが悪なのか。この区別の基準をはっきりと設けることは難しい。区別というものの基準で分かり易いのは遠いか近いかである。遠いか近いかを区別をすることと善か悪かを区別することの道理は同じだ。例えば杭を2本作り、1本には「遠」と書きもう1本に「近」と書く。この2本を人に渡して、この2本を自分の身よりも遠いところと近いところにそれぞれ立てよと言いつければすぐに言っていることを理解出来よう。

 

私の詠んだ和歌に「世の中のものに遠いや近いという区別はない。私たち一人ひとりはただこの世界に存在しているだけなのだ」というのがあるが、私が存在しない世の中に善や悪の区別はないと言うと、人間には価値観というものがあるが故に腑に落ちることはない。一方で、私が存在しない世の中に遠いか近いかの区別はないと言うと、人間に価値観があったとしても腑に落ちるであろう。土木や建築の作業をするにあたり曲線や直線を引きたい時に余りにも近づきすぎると見ることが出来ないし、遠すぎても目を届かせることが出来ない。いにしえの言葉に「遠くに見える山に木は無く、遠くに見える海に波はない」と言っている。だから物事を人間の価値観に関係しない遠いか近いかにあてはめて言い聞かせることとする。

 

遠いか近いかは先ず自分の立ち位置が決まって初めて決まる。立ち位置が決まらなければ遠いか近いかが決まることは決してない。大阪が遠いと言えば関東に住む人が言っている。関東が遠いと言えば上方に住む人が言っている。禍福・吉凶・是非・得失といった区別はみなこれと同じこと。禍福も一体であり、善悪も一体で得失も一体なのだ。

 

元々一体であるものの半分を善としたら残りの半分は必ず悪となる。にもかかわらずその残りの半分も悪でないことを願望する。これは叶えられることのない願いである。人間が生まれたことを喜べば、必ずやって来る死の悲しみも付いてまわる。これは、咲いた花が必ず散るのと同じであり、生えた草が必ず枯れるのと同じである。

 

涅槃経にこのような例えがある。ある人の家に容姿端麗な若い女性が訪れた。家の主人がどちらの方ですかと聞けば、その女性は答えて言った。「私は功徳天と申す者です。私が訪れた家には無限の吉祥福徳が溢れます」と。家の主人はこれを聞いて悦んで招き入れた。その女性は続けて言った。「私には連れの女性がいます。後から来るこの女性も必ず招き入れて下さい」と。主人はこれを承諾し、しばらくすると1人の女性がやって来た。容姿が醜くく外見が悪い。どちら様ですかと尋ねると、この女性は「私は黒闇天と申す者です。私が訪れるところには際限なく不祥事や災害が起こります」と答えた。主人はこれを聞いて大いに怒り、即座にこの女性に「お帰りなさい」と言えば、この女は言った。「先ほど訪れた功徳天は私の姉です。一時も離れることは出来ません。姉を招き入れるならば私も招き入れなさい。私を追い出すならば姉も追い出しなさい」と。主人はしばらく考えて2人にお引き取りを願うと、2人は連れ立って出て行った、という。

 
これが生者必滅の理、会者定離の理の例えである。死や生はもちろんのこと、禍福、吉凶、損益、得失みな同じ理である。元々禍福は一体で円満である。吉と凶も兄弟で円満である。あらゆる物事、皆同じ理である。
 
日常でもその通りである。通勤する時は近いのが良いと言い、火事があると遠くて良かったと言うであろう。この理に熟知しておきなさい。
 
 
 
 
【雑感】
 
老子道徳経第2章の論理であり、陰陽論のことである。この論理を哲学すると世の中の真髄に触れられる。古事記にも次のような物語がある。
 
邇邇芸命(ににぎのみこと)は、ある日、同じみさきできれいな若い女の人にお出会いになりました。

「おまえはだれの娘(むすめ)か」とおたずねになりますと、その女の人は、「私は大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘の木色咲耶媛(このはなさくやひめ)と申す者でございます」とお答え申しました。「そちにはきょうだいがあるか」とかさねてお聞きになりますと、「私には石長媛(いわながひめ)と申します一人の姉がございます」と申しました。
 
命(みこと)は、「わたしはおまえをお嫁(よめ)にもらいたいと思うが、来るか」とお聞きになりました。すると咲耶媛(さくやひめ)は、「それは私からはなんとも申しあげかねます。どうぞ父の大山津見神(おおやまつみのかみ)におたずねくださいまし」と申しあげました。

命(みこと)はさっそくお使いをお出しになって、大山津見神(おおやまつみのかみ)に咲耶媛(さくやひめ)をお嫁にもらいたいとお申しこみになりました。
 
大山津見神(おおやまつみのかみ)はたいそう喜んで、すぐにその咲耶媛(さくやひめ)に、姉の石長媛(いわながひめ)をつき添(そ)いにつけて、いろいろのお祝いの品をどっさり持たせてさしあげました。

命(みこと)は非常にお喜びになって、すぐ咲耶媛とご婚礼をなさいました。しかし姉の石長媛は、それはそれはひどい顔をした、みにくい女でしたので、同じ御殿(ごてん)でいっしょにおくらしになるのがおいやだものですから、そのまますぐに、父の神の方へお送りかえしになりました。
 
大山津見(おおやまつみ)は恥(は)じ入って、使いをもってこう申しあげました。
「私が木色咲耶媛(このはなさくやひめ)に、わざわざ石長媛(いわながひめ)をつき添いにつけましたわけは、あなたが咲耶媛(さくやひめ)をお嫁になすって、その名のとおり、花が咲(さ)き誇(ほこ)るように、いつまでもお栄えになりますばかりでなく、石長媛(いわながひめ)を同じ御殿にお使いになりませば、あの子の名まえについておりますとおり、岩が雨に打たれ風にさらされても、ちっとも変わらずにがっしりしているのと同じように、あなたのおからだもいつまでもお変わりなくいらっしゃいますようにと、それをお祈り申してつけ添えたのでございます。
 
それだのに、咲耶媛(さくやひめ)だけをおとめになって、石長媛(いわながひめ)をおかえしになったうえは、あなたも、あなたのご子孫のつぎつぎのご寿命(じゅみょう)も、ちょうど咲いた花がいくほどもなく散りはてるのと同じで、けっして永(なが)くは続きませんよ」と、こんなことを申し送りました。
 
 
世の中が善なる者で一色となることは絶対に無いし、悪なる者で一色となることも絶対に無い。この理を無視して己の欲望を満たすために円満を乱そうとすれば必ず破錠が訪れる。ということを神代の時代から長きに渡り日本人に知らしめしている。
 
そもそも善や悪という区別は、私がこの世界に生きているから存在しているだけで、私が死ねば世の中の善なるものや悪なるものも一緒に滅びるのである。己の価値観から善や悪が区別されることからも明らかだろう。だとしたら周りの現象に善や悪と色付けをして、これらに無闇に振り回されることは、自分が創りだした幻に翻弄されていることとなる。
 
あなたが今、この世界に存在しているということだけが絶対であり、それ以外の全てのものや現象はことごとく相対なのだ。言い換えればあなたがこの世界に存在するからこそ存在している。
 
今日も私の存在に感謝する。すると、この感謝の気持ちが遍く世界中に波及する。この現象の意味するところをトコトン考えてみたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【山岡鉄舟 修養論】 修心

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 閏 9月 23日 先勝  四緑木星

         庚寅 日/丙子 月/甲午 年 月相 22.2 下弦 小潮

         立冬 次候 地始凍(ちはじめてこおる)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 6.9℃ 湿度 45%(大阪 6:00時点)

 

 

 

夙夜(しゅくや)武士道を學ぶの要は、君父に事(つか)へ兄弟親戚に睦じくし、諸人に信ならん事を乞願ふが爲なり。

 

然れども我が誠の厚からざるが故に、唯だ名聞あるのみ。さればにや、我れ現在なす所の業、未だその極地に達せず。耻(はずか)しき次第なり。謹愼勉勵(きんしんべんれい)すべきことにこそ。

 

右の如く聊(いささ)か志なきにあらずと雖も、未だ嘗て其實を盡さず、口唯之を言ふのみ、豈耻しき事ならずや。然れども俗事繁にして屡々(しばしば)我志を碍害せらるる事鮮(すく)なからず、是れ我が誠の足らざるが故なり。

 

吾れ師に就きて道を聽くこと甚だ薄くして、而かも其功の厚からん事を慾し、時に或は師の不親切を訾(そし)ることあり。又、吾れ淺く修行して而かも大成を期さんとす。嗚呼、事のならざるも亦故あるかな、宜しく自から省みざる可からず。

 

吾れ人を待つ事、常に君子を以てす。是れ我が身を利するに專らにして知を致さざるが爲なり。竊(ひそ)かに思ひらく、吾れ知德の化なくして彼を責めるに君子を以てすと雖も、世人誰か其忠を盡すものあらんや。若し强ひて忠實ならん事を慾せば、忽ち災害我身に至るべし、豈謹虔(きんけい)せざるべけんや。

 

人多くは名利の心甚だ盛なり。故に、苟も人の追從を聞けば忽ち(たちまち)喜び、財貨を受くれば菩薩を演ず、嗚呼、耻しき事にこそ。

 

誰か云ふ、人の心は日月の如くなるべしと。ここは不變色不變形(目に盈虧(えいき)の變を現すは、これ本來目の作用にあらず)、年々歲々其規を過まらざるが故に此く云ふならん。

 

我れの思はくは、人の心は宇宙と同じからざるべからず。心既に宇宙と等しからば、天地萬物山川河海も亦我身と等しかるべし。されば四季の變遷も幽明晝夜も、風雨雷霆(らいてい)霜雪(そうせつ)霧露(むろ)も、皆我が起臥進退(きがしんたい)の行あるが如きなり。世事の顚倒(てんとう)、人事の順逆は恰も人生の陰陽あるが如し。

 

人の生死は晝夜の道なりと心得る可し。然らば則ち何をか好惡し、何をか憂慮せんや。唯だ道に從つて自在なるのみ。深く鑑みざる可からず。

 

人或は事物の道理に契(かな)はざる事を能々合點すと雖も、世人多く之を贊して譽めそやすに至れば、非も是と擬するに至る。又、堂々たる正道も、人若し追從せざれば是も亦非となす事、恰(あたか)も掌(てのひら)を轉顚(てんとう)せしむるが如し。是れ、小人名利を求むるに切にして目前の慾に迷ふて人閒天受の道理を辨(わきま)へざるものなり。

 

さればにや、世或は自から許して天下第一の英傑を氣取るものあり。彼等は唯だ己が現在に於て俗物輩に神輿視せられ譽めそやさるるを以て無上の人閒と思ふなるべし。斯る相場英傑はたとへ天下を統御し萬衆に長たる事あるも、其身死すれば遺蹟共に地を拂ふに至る。

 

仁人君子は然らず。心は天地の眞理に合し、行は普く人心に艦銘せられ、其身亡ぶと雖も心は猶生るが如く、芳名は日月と共に光を存せん。嗚呼、深く辨へざる可からず。

 

吾れ今日劍法を修業すと雖も、思ひ他人と異なる所あり。然れども未だ徒らに人に語らず。

 

吾れ竊に思ひらく、世人劍法を修むるの要は、恐らくは敵を切らんが爲めの思ひなるべし。餘の劍法を修むるや、然らず。餘は此法の呼吸に於て神妙の理に悟入せんと慾するにあり。

 

若し一度其境に到達せば、心は湛然水の如く、瑩然(えいぜん)明鏡の如くならんか。然らば則ち物來りて順應し、たとへ萬變に酬酢すと雖も、天機靈活、入るとして自得せざるはなきに至らん。眞に此の境に到達せば、所謂天道に契合したるものなるべし。

 

果して然らば、自他を設けて外部に敵ある事を說くは是れ眞の天道なるや否や、吾れ甚だ疑はざるを得ざる所なり。神儒佛、何れか夫れ敵の存在を以て眞理となし、果して是れ正なりせば、吾れも亦之を學ばん。恐らくは夫れ、答辨するものなからん。

 

故に、餘の劍法を學ぶは、偏に心膽練磨(しんたんれんま)の術を積み、心を明めて以て己れ亦天地と同根一體の理、果して釋然たるの境に到達せんとするにあるのみ。

 

世人或は餘を見る事、猛虎の如しと。然れども餘、未だ嘗つて殺生を試みたる事なきのみならず、一點他人に加害したる事も亦あらざるなり。否、猶修身斯道に違はざるを誓ふ。是れ、餘が劍法修業の自覺となす。

 

安政五年戊午秋 七月十六日認

山岡鐵太郞

 

 

 

【私的解釈】

 

私が日夜武士道を極めようとしている理由は、君父に孝を尽くして仕え、兄弟親戚とは睦まじく付き合いをし、周りの人達から信頼される人物となることを請い願う為である。

 

しかしながら、私の誠が篤くないが為に、ただ周囲から私の修業は好ましいものと思われているだけである。 まったくその通りで、私の武士道は未だその極地に達していない。恥ずかしい限りである。これから更に志を謹慎させて励まなければならないのだ。

 

このように私は志を抱いて実践しているつもりであるが、まだその境地を体験することが出来ずに、ただ口で実践していますと言うのみなのだ。本当に恥ずかしい限りである。日常のどうでも良い事に振り回されて、私の志が削られてしまうことが少なくないのが現状で、こういう事態に陥るのも私の誠が足らないが故なのだ。

 

私は師匠に就いて道を聴くことに熱心で無いばかりでなく、効果を効率よく得たいが為に師匠の不親切さに不平を言うこともある。また、私には、修業を適当に打ち込んで大きな成功を得ることを期待する気持ちもある。ああ、こんな態度では事が成るわけがない。よく自省しなければならぬ。

 

私は、人と遇する時相手をいつも君子としてもてなす事としている。このように遇すれば己が君子に忠を尽くしているのだという自己満足に浸ることが出来るからであり、私の心の中の真心が発露するまま相手を君子としてもてなすことを実行しているわけではないのである。これは薄々感じてはいることではあるが、知徳を以って相手を感化させる力が己に無いくせに、相手を君子とみなして君子たるべき基準を押し付けてみても誰が君子として忠を尽くしていることとなろうか。こういう状況で強引に忠を尽くしても、その忠が災いとなって私の身に跳ね返ってくるだけに違いない。このことは充分に心しておかなければなるまい。

 

世の中の多くの人は、名声や利益を求める欲望がひどく盛んなものだ。だから、他人にちょっとおだてられればたちまち喜んでしまうし、贈り物を受ければ菩薩のようにニコニコしてしまう。ああ、なんとみっともない事であろうか。心しなければなるまい。

 

人間の心は、太陽や月のようなものだと言われる。太陽も月も色や形が不変で(月の満ち欠けが見えるのは単なる現象に過ぎない)、年々歳々その運行の道筋も変化しないことからの言葉である。

 

私が思うには、人の心と宇宙は同一なのだ。心が宇宙と同じだということとなれば、天地万物、山川も河も海もわれわれの身体の一部であり、この世の四季の変化や幽明や昼夜、風雨や雷霆、霜雪霧露の現象は、われわれに起き臥しや進退の行為があるのと同じことだといえる。世の中である思想が渦巻く雰囲気が起こるのも、人間関係に恭順と反逆があるのも、己の心中に逆境や順境の境遇があるのと同じことなのだ。

 

人の生死はこの世の昼夜の道であると心得るべし。こう心得たならば、何を好きだの嫌いだのと、気に病むことがあろうか。ただ、道に沿ってあるがままに歩むだけで良いのだ。このことを一度深く掘り下げて考えてみるべきである。

 

人は、よく理不尽な現象に遭遇するが、理不尽なことであっても、世の中の人がこれを良い事だと誉めるようになれば、非も是と思われることとなる。これと反対に、堂々たる筋が通ったことであっても、世の中の人がこれに従わなければ、是も非となってしまうのであり、このことは掌のように表裏一体なのだ。世の中でこのような現象が生じるのも、くだらない人間が名声や利益を求めることにばかり気を取られ、目の前の欲望に己の意識が振り回されて、欲望の炎をかき分けたその奥に鎮座する人間が天から授かった真心に気付くことがないがためである。

 

こういう世の中であるから、己を天下第一の英傑と気取るものが後を絶たないのである。こういう輩は、己が俗物共に神輿のようにかつぎあげられて、誉めそやされているのは、己の古今稀な才能の為だと思っている。こういう輩は世に咲く徒花というべき者であって、たとえ天下を統御し、万人の長となるようなこととなっても、死んでしまえばその業績と共にあっという間に忘れ去られてしまうものだ。

 

一方で、仁の人とか君子とかの場合はこうではない。仁人君子の心は天地の真理に合しており、その行いは万人の心の手本として強く心に刻まれるものであり、肉体が死して滅んでもその心はいつまでもその輝きを失うことがなく、その芳名も太陽や月と同じように光を保ち続ける。このこともよく考えなければならないところだ。

 

私は今剣法を修業しているのであるが、この修業にたいする思いは他の人達と異なっている。今までこのことを語ったことはなかった。

 

私が思うに、世の中の人々が剣法を修行している目的は、敵を切ろうとする為のものに違いない。私の剣法修業の目的は違うのだ。私は、剣法の呼吸といわれているものを身に付け、神妙の境地に浸りたいと思っているのだ。

 

いったんその境地に達すれば、私の心は止水のように静かで安らかとなり、明鏡のように明るくはっきりと物事を写すこととなろう。どんな問題でも即座に対処することができ、それがどんどん形を変えて行っても、私の精神がひとりでに作動して、どんなことでも自ずから悟ることができるようになるであろう。そのような境地に本当に達すれば、それがいわゆる天道に合うということになるのである。

 

そのような境地が存在するとすれば、自己と他とを区別して、外部にこそ敵が居るとすることが真の天道であるかどうかを、私は疑わざるを得ないのである。神・儒・仏の三道が敵の存在を真理としているが、それが正しいということとなれば、私はその真理を学び取ろうと思う。しかし、それに解答を与える者は存在しないであろう。

 

だから私が剣法を学ぶのは、ただ心胆練磨の術を積み、真心を発露させることによって、己もまた天地と同根一体なのだという理を釈然と体感する境地に到達したいという目的があるだけである。

 

私のことを猛虎のようだと感じる人がいるかもしれない。しかし私は今までの生涯で殺生をやろうとしたことが無いばかりか、人間に危害を加えたこともないのである。そのことを振り返っても、私の修心の思いは道から外れていないことを誓う。それが私の剣法修業における自覚なのである。

 

安政五年(1858年) 戊午秋 七月十六日に認める

山岡鉄太郎 23歳

 

 

 

 

【雑感】

 

衆院解散「大義」巡り応酬 野党連携も

11月15日 7時20分

安倍総理大臣が消費税率の10%への引き上げを先送りし、国民に信を問うため、来週、衆議院を解散する意向を固めたことを受けて、与野党の解散の大義を巡る応酬が始まりました。


こうしたなか、野党内では若手議員らから比例代表の統一名簿を作るため新党を結成する構想も浮上し、野党間の連携を探る動きが活発化してきました。

 

安倍総理大臣は、景気回復に足踏みがみられることから、来年10月の消費税率の10%への引き上げを1年半先送りし、その先送りについて国民に信を問うため、来週、衆議院を解散する意向を固め、18日にも解散を表明することにしています。

 

与党側は「回復基調の日本経済を再生させ、財政再建を果たすためにはアベノミクスの継続が不可欠だ」として、自民党の高村副総裁は「再びアベノミクスでデフレを脱却する道でいいかどうか確認する『念のため選挙』となる」と述べました。


そして、自民党は今月25日にも衆議院選挙政権公約をまとめる方針で、アベノミクスの継続とともに安倍政権が掲げる「地方創生」の実現に向け、企業に地元出身者の雇用目標を設けることを義務づけ、達成度合いに応じて政府が資金援助することや、祖父母を含めた三世代同居の世帯を税制面で優遇することなどを検討する見通しです。


また、公明党は円安物価高への対策の実施や、社会保障制度の充実などをマニフェストの柱とする方針で、週明けの17日に党の政務調査会の幹部会を開くなどして作業を加速させることにしています。


これに対し、野党側は「アベノミクスの失敗を隠すための解散だ」などと反発し、与党側と解散の大義を巡る応酬が始まりました。


民主党は消費税率の10%への引き上げは見送るべきだとしたうえで、「引き上げの見送りはアベノミクスの失敗で国民生活が悪化したためだ」として、中間所得層に手厚い経済政策をマニフェストの柱に据え、選挙戦に臨む考えです。

 

野田前総理大臣は「消費税率を引き上げられる環境整備をせず、国会議員の定数削減や社会保障を充実させないのは重大な約束違反だ」と述べました。

 

また、維新の党の松野代表代行は「安倍総理大臣が解散に踏み切るならば、まさに大義のない解散だ。ばく大な国費を使って今、解散する意味が全く分からない」と批判しました。

 

こうしたなか、民主党維新の党、次世代の党、みんなの党、生活の党の野党5党の若手議員ら、およそ50人が14日集まり、会合を呼びかけた民主党玉木雄一郎衆議院議員は「野党の大同団結に向けて、全力で知恵と力を合わせていきたい」と述べました。

 

そして、会合では「野党側が最大限、議席を確保するためには小選挙区だけでなく、比例代表での競合も避けるべきだ」として、比例代表の統一名簿を作るため新党を結成するよう各党の執行部に働きかけていくことになりました。

 

民主党執行部は選挙目当ての動きに有権者の理解は得られないなどとして、新党の結成には否定的なものの、今後、維新の党やみんなの党などとの候補者調整を進めることにしており、野党間の連携を探る動きが活発化してきました。

衆院解散「大義」巡り応酬 野党連携も NHKニュース

 

 

野党の劣化が著しい。

 

民主党など議員によって言っていることが支離滅裂で、前日に言ったことを翌日に覆したりとその言動に信頼を置くことが出来ない。

 

解散の大義がどうのこうのと言っているがこの言葉を掘り下げて行くと面白いことが見えてくる。

 

今回、総理大臣が解散権を行使するにあたっての国民に対する大義は、「現在の経済状況下では、消費税増税を法定通りに実施することが出来ないため延期する決定をします。そして、衆議院を解散してその信を国民に問いたい」ということで、明白である。

 

では、上の記事で述べている『大義を巡る応酬』とは一体何か?どうも野党に対する大義のことを言っているらいしい。衆議院議員は、解散されたら唯の一般人に戻る。つまり、強大な権力を一夜にして失ってしまうこととなるのだ。そして選挙で落選すれば無職となる。だからこそ、既得権益を失うこととなる野党の議員が己が既得権を失う為の大義を求めているのだ。簡単に言ってしまえばただゴネているだけなのだ。

 

そこに国民は不在だ。いい加減にして欲しい。

 

今の政治を変えるためには、国民ひとりひとりが変わらなければならない。そして、投票率を上げなければならない。日本という国を愛する者を国会議員としなければならない。今までは日本という国を嫌っている者が当たり前のように国会議員となって、国益を害することを大きな顔で行ってきた。国民が舐められていたのだ。

 

今の状況を劇的に変えることは難しいが、少しずつ少しずつ自分の周りから変えて行く。

 

 

 


A Flight Through the Universe, by the Sloan Digital Sky Survey - YouTube

この動画は、最も遠いもので地球から120億光年先にある、100万に近い数の銀河の位置を特定したものである。ホコリのようなものが銀河である。この動画の中で地球の存在を表すとすると至極小さな点となる。

 

宇宙における地球の位置 - Wikipedia

国立科学博物館-宇宙の質問箱-銀河編

 

 


the miracle of life - YouTube

 

他方、人間の体内で生命は、40億年間にも渡る生命の進化の過程を受精からたった280日間で駆け上って生まれ出てくる。まさしく体内では光速の時間が流れている。

 

上のような科学的な事実からも、宇宙と人間の心を山岡鉄舟が同一だと言ったことは的を射ている。人間一人ひとりの体内には宇宙が広がっているのだ。

 

この事実を悟ると、人間は自分の中に広がる広大無限の宇宙のことで汲々とし、他人のことなどに構ってはいられなくなるのだ。

 

自分の周りで起こる現象の源を他人に求めるのではなく、自分の中に広がる宇宙に求めようとする。となれば、他人と争うことの無意味さを痛感するだろう。

 

そして、自然と他人と争うことが無くなり世の中は平和に落ち着くのだ。他人と対立することを嬉々とする人間は、自分の中に広がる神秘的で無限の可能性を秘めた宇宙のことに気づいていないかわいそうな人なのである。

 

【山岡鉄舟 修養論】 武士道

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 閏 9月 11日 先勝  四緑木星

         戊寅 日/丙子 月/甲午 年 月相 10.2 十日夜(とおかんや) 長潮

         霜降 末候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 13.9℃ 湿度 41%(大阪 6:00時点)

 

 

我が邦人に一種微妙の道念あり。

 

神道にあらず儒道にあらず佛道にあらず、神儒佛三道融和の道念にして、中古以降專ら武門に於て其著しきを見る。鐵太郎之を名付けて武士道と云う。

 

然れども未だ會て文書に認め經に綴りて伝ふるものあるを見ず。蓋(けだし)、人事の變遷と倶に種々の經驗により吾人の感念に寄與せられたる一種の道德なるが如し。

 

今日、斯(かか)る道念を形作るに至りしもの、是れ決して一朝一夕の業にはあらざるべし。樣々生死の閒(間)に出入し鎔鑄陶冶(ようちゅうとうや)して始めて今日に至りしなるべし。

 

我れ今斯道(しどう)の活動發展に就き、未だ會(かつ)て人に語らずと雖も、内心竊(窃)かに憂慮なき能はざるものあり。

 

抑々(そもそも)眞の武士道なるものは其形を重ずべきか將(は)たまた其心を重ずべきか、是れ斯道の最も肝要の所なるべし。古より、近くは安政以來殺伐の行ひ甚だしく、現に櫻田の變あるを見る。餘の弱冠不省の身を以て直に其是非を判ずべからずとも雖も、心竊かに思ふ所なき能はず。

 

斯道は元來座上の講談或は口先の理屈によって、此の理は彼の理に優れりなどとて其是非を認識するのみを以て足れるものにあらず。所謂、知るこ事は易く行ふ事は難き、にては駄目なり。無言にても、その實行に於て克く人倫に違はざるに務むるにあり。

 

故に武士道は、彼學者にて本讀に長け詩文に熟達したる技術師等の如く、善惡の理屈を知りたるのみにては武士道にはあらず。善なると知りたる上は直に實行し顯はしるを以って武士道と申すなり。扠(さ)て、この點に就ては異論なき筈なり。

 

以上の如く考え來れば、武士道は實行を重んずると云うからは形を主とするかの如き觀あれども、茲(ここ)が早合點しては困る所なり。篤と踏み止め考ふる時は、其形は元如何なる根原より發現しりしかが大切なる所なり。熟考せば、必ずや其心の動たる事を悟るべし。

 

されば、若し形と心衝突を来たすの時ありとせば、形の閻魔も兜を脱して心の菩薩に順ぜざるべからず。諺に、己に勝つ事のみを知って負る事を知らざるは武士道にあらず、とは此邊の事なり。

 

古今往々行はるる處の復讐暗殺の如きは、世人多くは公然の祕密と唱ふるが如し。然れども餘の抱負する處の武士道とは大に其撰を異にするものあり。餘は斯の如き惨事を見て何の道とも云ふべからず。こは唯だ有情の人たるを以て、時に喜怒哀樂の極度より其規道を失して遂に道の外に逸したる過誤の行爲と云ふの外なきが如し、斷じて賞むべきの行にはあらざるなり。

 

小松内府曰く、讐を報ずるに恩を以てすべし、と。

 

後世或人、此意を解せず、問ふて曰く、讐を報ずるに恩を以てせば、恩を報ずるには如何なる方法を以てすべきか、と。

 

神君の曰く、恩を報ずる恩は重く、讐に報ずる恩は輕きと云ふが如きのみと仰せらる。聊か奇觀を呈すれども、靜かに御意の存する所を伺はば餘の愚考する所の武士道と天地符合して釋然たるものあり。

 

而して武士道は、本來心を元にして形に發動するものなれば、形は時に從ひ事に應じて變化遷轉極りなきものなり。餘、今日斯の如きを講究する所以のものは、目下我邦の形勢日一日に急なるを見聞し、飜つて古今の史上に鑑み、諸行無常の理に照すに至つては、現今の國勢那邊に其變化を來たすべきや豫想すべからざるものあり。

 

是れ、或は遠き未來にあらざる可きかの觀なくんばあらず。我輩皇國の臣たるもの、那邊の大道に進行すべきか、是れ現下頭上の急務なるべし。是れ、鐵太郞が憂慮苦心する所以なり。

 

萬延元年庚申三月廿日

山岡鐵太郞

行年 廿五歲

 

 

 

【私的解釈】

 

我が日本人には独特の信仰がある。

 

神道でもなく儒教でもなく仏教でもない、神道儒教仏教を全て融和させた信仰で、中世以降武士階級の中でこの信仰は広がりを見せた。私はこの信仰のことを武士道と呼んでいる。

 

しかしながら、この信仰についての記録は無く、経典となり伝わっている物を見たことがない。言ってみるならば、これは世の中の移り変わりと共に教訓として伝えられて来たものが我々の心に触れて行動に影響を与えることとなる、言わば一種の道徳のようなものと言える。

 

今の時代にこのような信仰が世の中に姿を現して来たことは、決して突然の現象ではないはずである。生き死にの場面で湧き出(いづ)る人間ひとりひとりの思ひが積み重なり積み重なって一つの形となり、長く世の中にて涵養されてようよう姿を現して来て、今日に至ったのである。

 

私は、今この世の中でこの武士道がもてはやされていることを見るにつけ、まだ人には語ったことは無いのではあるが、内心では密かに憂慮している。

 

そもそも真の武士道というものは、その形を重んずべきものであるのか、それともその心を重んずべきかものであるのか、ここの見極めが最も肝要な所であるはずである。古(いにしえ)より、最近では安政の大獄以来人心を刺々(とげとげ)しくさせる現象が盛んで、つい先日も桜田門外の変が起こった。私みたいな若輩者が直ちにその是非を論じることは恐れ多いが、心の内に密かに思うことはある。

 

この武士道は、元々高座での講談や口先からの理屈により、この理はあの理よりも優れているなどと、その是非を判断することだけで足りるものではない。俗に言われる「知る事は簡単で行う事は難しい」では駄目なのだ。言葉が無くても行動しながら己の欲望に打ち克ち、人としての道を外さないように努めることにあるのだ。

 

だから、武士道は、学者共のように書物をたくさん読み、詩文を創ることに熟達した技術師共のように、善悪の理屈を知るのみでは武士道の発露とはとても呼べない。善と心で判断した上はすぐにその善を実行に移し、現れ出る現象を以って武士道の発露となるのである。この点については異論が無いはずだと思う。

 

このように考えれば、武士道はその実行を重んじることから形を主とするかのような印象を受けるが、ここは早合点してはいけない所である。今一度立ち止まり考えてみると、その現れ出た形は一体どこから生じた物であるのかが肝心となる。思いを巡らせば、必ずや心が振れたからこその造化であることを理解されよう。

 

上の道理に従うならば、もし形と心がぶつかり合う時があれば、形の閻魔大王も兜を脱いで心の地蔵菩薩(【注】閻魔大王地蔵菩薩は同一人物といわれている)に変わらざるを得ないのである。ことわざに「己に克つ事のみを知って負ける事を知らないようでは武士道とは言えない」とあるのは、この事を言っているのである。

 

古今あちこちで行われて来ている仇討ちや暗殺といったものは、世の中の多くの人々の間では公然の秘密の出来事とされている。しかしながら、これは私が思うところの武士道とは大いにその趣を異にするのである。私はこのような惨事を見聞きして思うことは、これらはどのような道とも思わないということなのだ。これらは単に感情を持つ人間が、時に喜怒哀楽を爆発させて常軌を脱し、己の進むべき道を外れ邪道に逸した過ちの行為であると言うしかない。断じて誉め称えられるべき行為ではないのだ。

 

小松内府(平重盛)が言った。「讐を報ずるに恩を以てすべし」と。

 

後の世のある人がこの意味を理解出来ずに疑問を唱えた。「讐を報ずるに恩を以てするならば、恩を報ずるにはどうしたら良いのか」と。

 

神君(徳川家康公)はこう言われている。「恩に報じる恩は重く、讐に報じる恩は軽いというだけのこと」と。一聞しただけでは突拍子もない事を言われているように感じるが、静かにこの言葉の奥を流れる思ひを吟味すると、私が思うところの武士道とぴたりと合致して腑に落ちるのである。

 

つまり、武士道とは、本来心を源として形作られるものであるので、形は時代に沿い現象に応じて自由に変化遷転するものである。私が、今日このように持論を述べる理由は、目下我が国の形勢が日に日に火急である現象を見聞きし、この現象を古今の歴史上の出来事と諸行無常の理に照らして考えてみると、今の時勢がどのように変化するのか予想もつかないと思うからである。

 

この変化に直面することになるのが、ことによると遠い未来のことではないかもしれないという思いを否定することが出来ないのだ。皇国の民である私は、どの方角を目指して大道を進めば良いのか、これが今頭上にかかる急務であり、私が憂慮苦心している訳もここにあるのだ。

 

萬延元年(1860年)庚申三月二十日

山岡鉄太郞

行年 二十五歲

 

 

 

1860年(万延元年) / 幕末年表

 

  

 

 

【雑感】

 

武士道は今の日本でも遍く脈々と受け継がれて来ている。

当然、幕末や戦時中に発露した武士道とは全く別の形となって、一旦緩急となれば今の世の中に発露されることとなろう。

現代に生きる日本人が武士道とは何かを考え、己の中で折り合いつけることは必須である。

 

 

しきしまの 大和ごころを 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花  本居宣長

 

 

青海原(あをうなばら) 潮の八百重(やほへ)の 八十国(やそくに)に

つぎてひろめよ この正道(まさみち)を   平田篤胤

 

 

身はたとひ 武蔵の野辺(のべ)に 朽ちぬとも 

留め置かまし 日本魂(やまとたましい)    吉田松陰

 

 

みちのくの そとなる蝦夷の そとを漕ぐ 

舟より遠く ものをこそ思へ   佐久間象山

 

 

曇りなき 月を見るにも 思ふかな 

明日はかばねの 上に照るやと   吉村寅太郎

 

 

大山の 峰の岩根に 埋めにけり 

わが年月の 日本(やまと)だましひ   真木和泉

 

 

後れても 後れてもまた 君たちに 

誓ひしことを われ忘れめや   高杉晋作

 

 

武士(もののふ)の やまと心を より合はせ

ただひとすぢの 大綱(おほつな)にせよ   野村望東尼

 

 

 

特に今の子供達が以下のアニメを見て武士道についてを考えることは有意義なことだと思う。


samurai-x ova 1 - AniTube! Animes Online

Samurai-X OVA 2 - AniTube! Animes Online

Samurai-X ova 3 - AniTube! Animes Online

Samurai-X ova 4 - AniTube! Animes Online

 

  

【二宮翁夜話 巻之一 二十五】 決定と注意

【今日のこよみ】 旧暦2014年 閏 9月 5日 先勝  四緑木星

         壬申 日/乙亥 月/甲午 年 月相 4.2 中潮

         霜降 次候 霎時施(こさめときどきふる)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 10.9℃ 湿度 51%(大阪 6:00時点) 

 

 

旧暦では今年の9月は閏月です。

月みれば 秋くははれる 年はまた あかぬ心も そふにぞありける

西行「後九月、月をもてあそぶといふ事を」

【月を見ていると九月がひと月加わった今年は、(存分に月見を楽しんだので)一層名残惜しい気持ちが増して来るわい】

 

織女(おりひめ)の 年に一夜と 契らずは 後の文月も あはましものを

実富朝臣母「百首の中に、閏月七夕といふことを」

【(七夕の夜の天候が悪く)織姫の年に一夜だけの約束が守れなかったけれどもね、幸いにも今年はもうひと月七月があるからその時には会えるといいわね】

 

花悔帰根無益悔 花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるになし

鳥期入谷定延期 鳥は谷にらむことをすれども定めてを延ぶらむ

藤滋藤

【桜の花は散ってしまったが、閏三月と知って、ひと月多い春を楽しもうとして根に戻ろうと悔いても、もはやどうしようもできないね。一方で鶯は谷に帰ろうと思ったが、閏三月と知って、きっと戻る日時を延ばしてひと月多い春を楽しんでいることだろうよ。】

 

新暦が幅をきかす現代に旧暦を取り入れると胸が騒ぐのは日本人の特権でしょう。

 

 

 

翁曰く、
 
百事決定と注意とを肝要とす。如何(いかん)となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり。小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉く破る。
 
夫れ一年は十二月也、然して月々に米實法(みの)るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米實法りて、十二月米を喰ふは、人々しか決定して、しか注意するによる。是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度實法るとも、人々其の通り決定して注意せば、決して差支あるべからず。
 
凡そ物の不足は皆覚悟せざる處に、出づるなり。されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)此の位の事にすれば、年末に至って餘(余)るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし。是に心付かずうかうかと暮して、大晦日に至り始めて驚くは、愚の至り不注意の極りなり。
 
ある飯焚女が曰く、一日に一度づつ米櫃(こめびつ)の米をかき平均して見る時は、米の俄に不足すると云ふ事、決してなしといへり、是れ飯焚女のよき注意なり。
 
この米櫃をならして見るは、則ち一家の店卸しにおなじ、能々決定して注意すべし。

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が仰った。

「万事、決定と心配りが肝要である。突き詰めれば、どんなことでも決定と心配りを采配することで事は成るのだ。どんな些細なことでも決定と心配りが行き届かなければ、万事ことごとく破れてしまうものである。

 

1年は12ヶ月である。この1年の毎月にお米が実るわけではない。ただ、初冬の1ヶ月のみにお米が実り、以後12ヶ月に渡りお米を食することが出来るのは、人々の決定の積み重ねと、心配りの積み重ねの恩恵なのだ。この道理に従えば、例えお米が2年に一度、3年に一度しか実ることが無くても、人々が決定と心配りを積み重ねれば、何ら差し障りも無く毎月毎月お米を食べることが出来るのである。

 

だいたい物の不足は人々が心構えをしないこととにより生じる。毎月だいたいこのぐらい消費をすれば、年末にこれほど余るだろうとか、不足するだろうとかを推し量ることが出来ないわけがない。このことに日々心を配らず、大晦日になって初めて驚く者は愚の骨頂であり、不注意の極みである。

 

ある炊事場の女中が言っていた。一日に一度、米櫃の中のお米をかき混ぜて平らに均(なら)しておけば、お米の量が少なくなっていることに突然気付くことなど無いと。これ、炊事場の女中の良い心配りである。

 

このように米櫃の中のお米を均(なら)してみることは、各家庭で家計簿をつけることと同じことなのだ。十分に念を入れて決定をし、心配りをしなさい。

 

 

【二宮翁夜話 巻之一 二十四】 富家の子弟を諭して推譲を教ふ

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 9月 28日 赤口  四緑木星

         乙丑 日/乙亥 月/甲午 年 月相 26.9 若潮

         寒露 末候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)    

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 18.2℃ 湿度 92%(大阪 6:00時点) 

 

 

翁曰く。
 
農にても商にても、富家の子弟は、業として勤むべき事なし。貧家の者は活計の爲に、勤めざるを得ず、且富を願ふが故に、自ら勉強す。
 
富家の子弟は、譬へば山の絶頂に居るが如く、登るべき處なく、前後左右皆眼下なり、是に依つて分外の願を起し、士の眞似をし、大名の眞似をし、増長に増長して、終に滅亡す。天下の富者皆然り。
 
爰に長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只我が道推譲の教へあるのみ。
 
富家の子弟、此の推譲の道を踏まざれば、千百萬の金ありといへども、馬糞茸と何ぞ異らん、夫れ馬糞茸は季候に依つて生じ、幾程もなく腐敗し、世上の用にならず。只徒らに生じで、徒らに滅するのみ。
 
世の富家と呼ばるる者にして、如斯なる豈惜しき事ならずや。

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が言う。

 

農民や商人であっても、金持ちの家の子弟は家業に勤勉となることがない。貧乏の家の子弟は生活の為に勤勉とならざるを得ず、その上富を願うがゆえに進んで勉学に励む。

 

金持ちの家の子弟は、例えれば山のてっぺんに居るつもりでいるようだ。登るべき道もなく、360度ただ見下ろすばかりである。したがって分外の望みが起こり、武士の真似をしたり、大名の真似事をしたりで増長に増長を繰り返し、ついには破滅してしまう。世の中の成金は例外なくこの道をたどる。

 

ここに、長く富貴を維持し富貴を保つ方法は、私が唱える道、推譲の教えしかない。

 

金持ちの家の子弟がこの推譲の道を歩まなければ、千や百萬のお金があったとしても馬糞茸と何ら変わることがない。この馬糞茸は季節ごとに生えるがすぐに腐敗してしまい、世の中の役に立つことがない。ただ無駄に生じ無駄に滅するのみだ。

 

世の中でお金持ちと呼ばれる者がこのような道をたどることは本当に惜しいことであるではないか。

 

 

【雑感】

小渕経済産業相 辞表提出し首相が受理

10月20日 9時01分
 

小渕経済産業大臣は、安倍総理大臣と総理大臣官邸で会談し、みずからの政治資金を巡る問題で、国民の理解を得るのは難しいとして、辞表を提出し、受理されました。

この問題は、小渕経済産業大臣の後援会など2つの政治団体が開催した「観劇会」で、参加者から集めた会費と、劇場に支払った金額の収支が大きく食い違っていたもので、平成24年に開催された「観劇会」は、これらの政治団体の政治資金収支報告書に、収入・支出のいずれも記載されていなかったことも明らかになりました。

小渕大臣は、20日、これまでにまとめた調査結果の内容を公表することにしていましたが、収支が大幅に食い違っていることなどから国民の理解を得るのは難しいとして、閣僚を辞任する意向を固めました。

そして小渕大臣は、午前8時半前、総理大臣官邸に入り、安倍総理大臣と会談し、調査結果の内容などを説明したうえで辞表を提出し、受理されました。

おととし12月の第2次安倍内閣の発足後、閣僚が辞任するのは初めてです。

小渕大臣は、内閣の重要課題の1つである「女性の活躍」の象徴として起用された女性閣僚の1人でもあることから政権へのダメージは避けられず、政府・与党内からは、今後の国会審議などへの影響を懸念する声も出ています。

小渕経済産業相 辞表提出し首相が受理 NHKニュース

 

松島法相 辞任の意向固める

10月20日 12時11分
 

松島法務大臣は、みずからの選挙区の祭りで『うちわ』を配ったとして野党から追及されている問題で、国会審議や法務行政に、これ以上、影響が出ることは避けたいなどとして閣僚を辞任する意向を固めました。

松島法務大臣は、国会の予算委員会や法務委員会などで、野党から「自分の選挙区の祭りで『うちわ』を配ったのは公職選挙法で禁じられた寄付に当たる」と追及され、これまでの答弁で、「地元の有権者の関心が高そうな法律の内容などを印刷し、討議資料として配付したもので寄付には当たらない」と説明しています。

これに対し、民主党階猛副幹事長は、17日、公職選挙法違反の疑いで松島大臣の刑事責任を問うように求める告発状を東京地方検察庁に提出しました。

こうしたなか、松島大臣は、告発状が受理されれば、法務大臣の立場にありながら、捜査の対象になることなどから、国会審議や法務行政に、これ以上、影響が出ることは避けたいなどとして閣僚を辞任する意向を固めました。

松島大臣は、20日にも辞任の意向を安倍総理大臣に伝えるものとみられます。

すでに辞表を提出した小渕経済産業大臣と共に、松島大臣も、先月の内閣改造で、内閣の重要課題である「女性の活躍」の象徴として起用された閣僚であり、女性閣僚の相次ぐ辞任による政権へのダメージは避けられず、政府・与党内からは、今後の国会審議や政権運営への深刻な影響を懸念する声が出ています。

松島法相 辞任の意向固める NHKニュース

 

【橋下市長VS在特会】面談詳報(上)「お前それでも男かよ!」「座れ、勘違いすんなよ」 至近距離で一触即発に (1/3ページ) - 産経WEST

2014.10.20 20:23

街宣活動で民族差別をあおる「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)問題をめぐり、橋下徹大阪市長は20日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長と市役所で面談した。主なやり取りは次の通り。

《先に会場入りした桜井氏が着席し、扇子をあおぎながら橋下氏を待つ。開始予定時刻から数分過ぎたところで橋下氏が姿を現す。その表情は強ばっており、桜井氏から数メートル離れた席に座る》

 

市職員「それではただいまからヘイトスピーチに関しまして、『在日特権を許さない市民の会』桜井会長と、橋下大阪市長の意見交換を始めます。それでは橋下市長、よろしくお願いいたします」

 

橋下氏「先に言ってもらったらいいんじゃないですか」

桜井氏「あぁそうですか」

橋下氏「ええ」

桜井氏「まずねぇ、いろいろと言いたいこともあるんですけれども、ヘイトスピーチについてお伺いできます?」

橋下氏「いや、僕の意見を聞くんじゃなくて」

桜井氏「いや、あんたが言い出したことだろ!」

橋下氏「『あんた』じゃねぇだろ」

桜井氏「『お前』でいいのか? じゃあ、あのね、まず、あなたがヘイトスピーチうんぬんと言い出したから…」

橋下氏「大阪で、もうそういう発言はやめろって言ってんだよ」

桜井氏「じゃあ、どういう発言なのかって聞いてんだよ!」

橋下氏「民族とか国籍をひとくくりにしてな、評価をするようなそういう発言をやめろと言ってんだ」

桜井氏「朝鮮人を批判するってことがいけないと、あなた言ってるわけ?」

橋下氏「お前なぁ」

《橋下氏はここで失笑を浮かべ、前傾姿勢をとる》

桜井氏「『お前』って言うなよ」

橋下氏「うるせぇお前。お前が…」

桜井氏「ちょっと待てお前、なんだよそれは!」

《桜井氏が席を立って橋下氏に歩み寄ろうとし、橋下氏も立ち上がる。距離はつかみ合えるぐらいまでに縮んだが、周囲の警察官らが一斉に制止に動き、両者を引き離した》

桜井氏「お前それでも男かよ! こうやって守られないとな…」

橋下氏「座れ!」

桜井氏「お前だろうよ!」

橋下氏「お前、勘違いすんなよ」

桜井氏「こちらこそ、勘違いしないでもらえるか?」

橋下氏「お前みたいなうるさい相手だから…」

桜井氏「だったらやってみろよ、男だったら一対一で! なんだよこの後ろのこの警備は! 人に命守ってもらえなきゃ何にもできないんだったら、最初から言うな!」

橋下氏「大阪でお前な、そういう発言やめろ」

桜井氏「どういう発言なんだって聞いて答えられないだろ、君」

橋下氏「お前、国会議員に言え」

桜井氏「は?」

橋下氏「お前の主張は国会議員に言え」

桜井氏「あんたの友達の国会議員に言ってるよ」

橋下氏「言えよ」

桜井氏「おお言ってるよ」

橋下氏「どんどん言えよ」

桜井氏「ふん。それでもう終わりじゃないか話は」

橋下氏「参政権持っていない在日韓国人の人に言ってもしょうがねぇだろ」

桜井氏「その参政権を求めているだろ彼らは」

橋下氏「強い者に言えよ」

桜井氏「言ってるだろうよ!」

橋下氏「弱い者いじめばっかりするんじゃなくて」

桜井氏「じゃあ一体どういう弱い者いじめをしたか教えてくれるか?」

橋下氏「国会議員に言え。政府に言え。東京に行ってこい!」

桜井氏「じゃあ、あんたはなんで、呼んだんだよ、人を!」

《桜井氏は質問を重ねるが、橋下氏は聞き入れずに持論を展開する》

橋下氏「統一地方選挙あんだろ? 立候補しろよ」

桜井氏「君ね、なんで私を呼んだんだ、そしたら」

橋下氏「選挙やって訴えろよ」

桜井氏「それでいつも逃げてるだろ?」

橋下氏「くだらない、そんな政治団体か何か知らないけどな? そんなしょうもないことやるんじゃなくて、今度の統一地方選挙でお前、訴えたらいいじゃないか」

桜井氏「私は政治に興味がないんだ」

橋下氏「だからもう、そういうね、在日の特定永住者制度とかそういうことに文句があるんだったら、それをつくった国会議員に言えっていってんだよ」

桜井氏「言ってるんだよ! そして何よりもね、特別永住者制度をなくしたらどうなるかぐらい分かるだろ?」

橋下氏「だから、国会議員に言え」

桜井氏「言ってるっていってんだよ」

橋下氏「ルール違反をやっている特定個人がいるんだったら、刑事告発しろ」

桜井氏「やってるだろ」

 

【橋下市長VS在特会】面談詳報(中)「地方の首長ごときが…」「お前みたいな差別主義者」 “敵意”むき出しの応酬続く (1/3ページ) - 産経WEST

橋下徹大阪市長と「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長の面談は、険悪な雰囲気で続く》

橋下氏「民族でまとめて、国籍でまとめて、それに対して評価を下したり、あういう下劣な発言はやめろ」

桜井氏「じゃあ、どういう下劣な発言なんだって言ってるんだ」

橋下氏「裁判所に認定されている事実だ」

《橋下氏が念頭に置いているのは在特会が京都の朝鮮学校周辺で行ったデモ。京都地裁、大阪高裁がともに「人種差別」と認定して在特会側に損害賠償を命じ、在特会が上告している》

桜井氏「それ、私が言ったんかい」

橋下氏「1審、2審だから最高裁でまだ変わる可能性もあるからまだ断定はできないけど、そういう主張があるんだったらな、ちゃんと政治家に言うか、それか立候補して訴えろよ」

桜井氏「なるほど、君は政治家じゃないんだね?」

橋下氏「オレは大阪市長

桜井氏「その大阪市長が何の権限があって、ヘイトスピーチがどうのこうのって言ってんだ。これ7月の君の記者会見だよ。『自分が相手をするから来い』とこう言ってるんだよ。しかも9月になんて言ってるよ。『僕に簡単に会えると思うな』とかね、ふざたこと言うな、頭おかしいのか君は。7月に言ったことと9月に言ったこと全然違うだろ? 政治家に言えっちゅうから、あんたにも言ってるだろうよ。どうだ」

橋下氏「国会議員に言え」

桜井氏「特別永住者制度については言っている。そして何よりもね、特別永住者制度をなくすためには、日本人自身が強くならないとしようがないだろ」

橋下氏「市役所の前で訴えてもいいけど、韓国人や朝鮮人をひとくくりにして、ああだこうだ言うなっつってんだ、大阪では」

桜井氏「日本人をひとくくりしてね、誹(ひ)謗(ぼう)中傷をやるから、たたき返しただけだろうよ! お前も日本人の代表だったら、少しは言えよ! 韓国人に」

橋下氏「特定個人が誰なのかを、特定個人をちゃんと指摘しろよ」

桜井氏「朴槿恵(韓国大統領)でもいいよ。君が言ってやれよ」

橋下氏「じゃあ、それで刑事告発でも何でもしろよ。民主主義のルールに基づいて」

桜井氏「こちらも民主主義のルールに基づいてデモ行進やってんだ」

橋下氏「お前、なんか勘違いしてんじゃないのか?」

桜井氏「なにを」

橋下氏「お前、なんか自分で世の中変えられる力を持っていると思ったら…」

桜井氏「それはあなただろうよ。たかがね、一地方の首長ごときでふざけたこと言うなよ」

橋下氏「じゃあお前、立候補して当選してみろよ」

桜井氏「政治に全く興味がないんでね。政治家ってのはね、この世で最も醜悪な人種だと思ってるんでね」

橋下氏「当選してから言え」

桜井氏「悪いけど政治に興味がない」

橋下氏「そしたら政治的な活動するな」

桜井氏「政治を信じていない人間が政治に出るのはね、何よりも冒(ぼう)涜(とく)行為だろ? 違うか?」

橋下氏「世の中をなぁ、変えるのはそんな簡単じゃないの」

桜井氏「分かってるよ。君を見ていればよく分かる」

大阪維新の会を率いる橋下氏は大阪市を5つの特別区に分割し、大阪府とともに再編する大阪都構想や、大阪市営地下鉄民営化の実現を目指しているが、野党会派の反対で実現の見通しはたっていない。桜井氏は、こうした橋下氏を取り巻く政治的な厳しい状況について言及したとみられる》

橋下氏「だから統一地方選挙をやって…」

桜井氏「これは選挙の話じゃなくてヘイトスピーチの話じゃなかったのかよ! 話をそらすなよ!」

橋下氏「お前みたいな差別主義者はな、大阪にはいらない」

桜井氏「お前、誰が差別主義者だよ」

橋下氏「お前だよ」

桜井氏「何で差別主義者なんか教えてくれるか?」

《「差別主義者」をめぐって2人はさらにエキサイト。かみ合わない会話がしばらく続く》

橋下氏「な? もうやめろって。もう分かってんだろ? 自分で」

桜井氏「それはあんただろ? 自分で言ってるの、めちゃくちゃじゃないかよ」

橋下氏「だからもう、とにかく大阪では、もうお前みたいな活動はいらないから。ちゃんと政治的な主張と…」

桜井氏「私がいつ大阪でそういう風にやったんだって聞いてるんだよ」

橋下氏「政治的な主張と、通常の主張、表現の自由で収まるような主張に変えろっていってんだ」

 

【橋下市長VS在特会】面談詳報(下)「帰れ!」「ここは市役所。お前が帰れ!」面談はわずか10分弱で打ち切られる(1/3ページ) - 産経WEST

橋下徹大阪市長と「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長の面談は、在特会のデモと、憲法が保障する「表現の自由」との関係など核心部分に入っていく》

桜井氏「お前ね、この間(の記者会見で)、在特会はおとなしくなったとか何とか言ってたろ?」

橋下氏「うん」

桜井氏「ああいうデモしか、われわれやったことないんだよ! それ以外のデモであんたがね、ヘイトがどうのこうのというデモがあるんだったら、ちょっときつく言ってくれるか?」

橋下氏「だから、普通にやれ」

桜井氏「いや、普通にやってるんだよ!」

橋下氏「表現の自由の範囲で普通にやれ」

桜井氏「それを、あんた確認したって言ってたじゃないか、自分で」

橋下氏「だから民族をひとくくりにして言うな。朝鮮人は出ていけとか、朝鮮人は半島に帰れとか、そういうくだらないことはやめろ」

桜井氏「それ、一体何が悪いわけ? 朝鮮人朝鮮半島に帰れってのは一つの意見だろうよ」

橋下氏「やめろ。民族をひとくくりにするのは」

桜井氏「お前ね、民主主義を否定するのやめろよ。言論の自由を否定するのはやめろよ! あんた、民主制のもとで選挙で受かったんと違うんかい! 民主制否定するんだったら辞めてからやれよ!」

橋下氏「だから選挙出てから言えよ」

桜井氏「だから選挙に興味がないって言ってんの。あんたたちみたいな権力欲ばっかりじゃないんだよ、人間は。日本を少しでもよくしたいと願う。あるいは日本に対して冒涜(ぼうとく)行為を働く、暴言を働くような人間がいたら怒って当たり前と違うか」

《橋下氏と桜井氏の主張は互いにかみ合わないまま終盤を迎える》

橋下氏「お前、勘違いするなよ。お前!」

桜井氏「何がだよ!」

橋下氏「いい加減にしろ! もう終わりにしましょうか」

《橋下氏は市職員に面談を打ち切ることを告げた》

桜井氏「帰れ、さっさと!」

橋下氏「お前、ここ大阪市役所だぞ。お前が帰れ」

桜井氏「お前が呼んだんだよ、だから外でやれっつったろ」

橋下氏「帰れ、帰れ」

《面談を聞いていた関係者から「あかん、あかん。生活保護の問題言え、生活保護の問題。橋下、言えや」と声が上がった》

橋下氏「帰れ」

桜井氏「生活保護の問題はどうだ」

《再び関係者が声を荒らげると、市職員が「それでは」と間に入る》

橋下氏「庁舎管理権は大阪市長にありますから」

市職員「これで意見交換会を終了させていただきます」

桜井氏「みっともねえったらありゃしないよ、この男は。言い逃げかい? はい、さいなら。弱虫のね、橋下君。二度と会うことはないと思うけど、さっさと帰れ!」

橋下氏「大阪に来んなよ」

《橋下氏は桜井氏に向かって手で払いのけるしぐさをし、会場を後にした》

桜井氏「ご覧の通りね、橋下、市長、逃げ出しました。以上でございます。ついでに言っとくけどね、今の市長ね、市役所はシロアリって言ってんのよ? これ、ヘイトスピーチと違う?」

《橋下氏は大阪府知事時代、「市役所は税金をむさぼり食うシロアリ」と批判したことがある。桜井氏はこのことについて言及したとみられる》

市職員「意見交換会は終了しましたので」

《こう促された桜井氏は出口へと向かったが、並んで歩く市職員とみられる男性に「あんな市長で大変だね」と言葉をかけていた。面談時間はわずか10分弱。当初予定は30分で、職員の間では「1時間は超えるのではないか」と激論が予想されていたが、あっけない幕切れだった》

 

昨日は、政治の茶番が立て続けに起こった。

時代の空気が変化している中その変化に対応出来ない者が炙り出されて退治されているのだろう。

政治の世界も長年の澱が排出されていくシステムが作用しているようである。

 

 

 

 

【マヤ暦占い】 フィギュア界の凸凹ペアを占ってみたょ

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 9月 24日 友引  四緑木星

         辛酉 日/乙亥 月/甲午 年 月相 22.9 小潮

         寒露 次候 菊花開(きくのはなひらく)    

 

 【今日の気象】 天気 晴れ 気温 14.5℃ 湿度 33%(大阪 6:00時点) 

 

 

 

久しぶりのマヤ暦占いです。

 

面白い写真がネットにあふれています。

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はい!フィギュアスケート織田信成君と村上佳菜子ちゃんです。

 

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微笑ましい限りです。

 

お二人は、どんな性格なのでしょうか?

マヤ暦占いで占ってみました。

 

 

まずは、織田信成君。

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なんと、羽生結弦君と同じエレメントですね。

お二人は似たところがあるとのだと思います。

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神経を張り詰めて取り組んできたフィギュアスケートを離れて、最近、芸能人としてテレビでよく見かけますが、楽しそうにはっちゃけてますね。

 

 

次は、村上佳菜子ちゃん。

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彼女も太陽のように明るく、楽しいことが大好きっ子です。フィギュアスケートには結果重視よりも楽しんで取り組めば、楽しければ楽しいほど結果がついてくるみたいです。

 

お二人は銀河の数が1つ違いということなので、性格が共振することも多く兄妹みたいに気が合うみたいです。

 

 

今後も、オモシロ写真を披露して世の中を笑かして下さい。期待しています!

 

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日本の瀬戸際

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 9月 20日 仏滅  四緑木星

         丁巳 日/乙亥 月/甲午 年 月相 18.9 更待月 中潮

         寒露 次候 菊花開(きくのはなひらく)    

 

【今日の気象】 天気 暴風雨 気温 17.6℃ 湿度 66%(大阪 6:00時点) 

 

 

 

今日は、普通の国民が政治に無関心だと世の中がどうなってしまうかの事例を記録しておく。

 

国民が政治に無関心となると必ず亡国となってしまう、これは法則である。

 

 

毎年、今の時期に来年度の税制度の変更を審議している。

自民税調、消費税10%前提に大型改正 議論に着手

2014/10/10 0:58

自民党税制調査会は9日、来年度税制改正に向けた議論に着手した。来年10月に予定する消費税率10%への引き上げや法人税改革、軽減税率など重要課題が目白押しで、財政健全化と景気への配慮のバランスがとれた改正をめざす。財政規律を重視する党税調は消費税率引き上げを前提に設計を進め、安倍晋三首相の増税判断を後押しする。 

自民税調、消費税10%前提に大型改正 議論に着手 :日本経済新聞

 

 

税制に反映される日本国の財政状況は財務省のサイトを引用すると下記の通り。

平成26年度一般会計予算案は約95.9兆円です。

 

このうち歳出について見ると、国債の元利払いに充てられる費用(国債費)と地方交付税交付金等と社会保障関係費で、歳出全体の7割以上を占めています 

 

平成26年度一般会計予算案における歳入のうち税収は約50兆円を見込んでいます。一般会計予算案における歳入のうち、税収でまかなわれているのは5割程度で、4割強は将来世代の負担となる借金(公債金収入)に依存しています。

http://www.mof.go.jp/budget/fiscal_condition/related_data/sy014_26_02.pdf

 

 

この収支予算と積もりに積もった国の借金のべらぼうな額を見ると財務省増税したい。消費税の増税もこの流れである。そして、財務省の役人は、自民党税制調査会に所属する政治家を操り、さらなる増税を目論む。

 

自民党税制調査会構成議員(2014年9月26日現在)

税制調査会会長
 顧問
 小委員長
 小委員長代理
 副会長
 幹事

自由民主党 役員表 | 議員・役員情報 | 自由民主党

 

 

また、役人はマスコミや大学教授等も操り、増税を容認する世の中の空気を醸成する。今、槍玉に挙がっているのが所得税の計算にあたって課税所得から差し引くことの出来る所得控除の中の一つである配偶者控除である。

 

配偶者控除を簡単に説明する。この控除は夫婦共に働いている場合に問題を生じさせる。妻の収入が103万円を超えると夫の所得からこの配偶者控除を差し引くことができなくなるからだ。配偶者控除の金額は38万円。したがって夫の所得税率が10%ならば3.8万円、40%ならば15.2万円の増税となる。ここで、この控除があるから女性の社会進出が妨げられているのだとかなんとかの論調が生じることとなる。

 

そして、配偶者控除をきっかけにこのような論が主張されることとなる。

今般の所得税改革論議の本丸は、配偶者控除をはじめとする、「今ある所得控除の額をいじって、誰が増税になるか」という小さな話ではない。多用されている所得控除をどれだけ税額控除へと改めるよう働きかけ、所得格差是正効果をいかに発揮させることができるかという、大局観のある話である。

所得税改革は、「配偶者控除」だけではない | 岐路に立つ日本の財政 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

 

上の大学教授は論理をこねくり回しているが、要するに今後ドンドン日本国民から遍く増税して行きますねと言っているのだ。こ奴達は、増税一本念仏主義者といえる。

 

こういった状況の中、ある役所が興味深い報告を行った。

 

そして、これをNHKテレビ朝日のみが下記のようにひっそりと報じた。NHKも数ある時間帯のニュースの中で朝5時からのニュースで1回報じたのみ。そして新聞は今日現在、どこも全くこのニュースを報じていない。この事実からこのニュースが今の日本の既得権者にとって都合が悪いニュースであることが分かると思う。

 

外国人の扶養控除制度の見直し要求へ

10月10日 4時17分
 

外国人と結婚した日本人や、海外に家族を残して日本で働く外国人の扶養控除の状況について、会計検査院が調べたところ、扶養する家族が多いために控除額が高くなりすぎて、所得税が課税されていない人が全体の6割近くに上ることが分かりました。

会計検査院財務省に対して外国人の扶養控除の制度の見直しを検討するよう求めることにしています。

会計検査院は、外国人と結婚した日本人や、海外に家族を残して日本で働いている外国人のうち、扶養控除の額が年間300万円以上と多額のおよそ1400人の扶養控除の状況について調べました。その結果、扶養家族の人数は、平均で10.2人に上り、中には26人が扶養家族になっているケースもありました。

また、扶養家族を年齢別で見てみると、23歳から60歳未満の「成人」の占める割合が半数に上っていました。

さらに、扶養する家族が多いために扶養控除の額が高くなりすぎて、結果的に所得税が課税されていない人はおよそ900人で、全体の6割近くに上ることが分かりました。

会計検査院は、外国人は扶養家族が多くなる傾向があるうえ、その家族の所在確認も海外にいるために難しいとして、財務省に対して、外国人の扶養控除の制度の見直しを検討するよう求めることにしています。


外国人の扶養控除制度の見直し要求へ NHKニュース

 

 

 日本で働いている外国人や外国人と結婚した日本人のなかに、「扶養家族が大勢いる」ことを理由に所得税を支払っていない実態があることが会計検査院の調査で分かりました。

会計検査院が扶養控除額の多かった外国人約1400人分のおととしの確定申告の記録を調べたところ、6割にあたる900人は、扶養控除額が所得税額を上回ったため、所得税を納めていませんでした。また、扶養家族の人数は平均で約10人で、なかには「20人以上」と申告した例もあったということです。検査院は、この多くは海外に住んでいるため、本当に扶養家族なのか証明が難しいとして、財務省に対し、扶養控除制度の問題点を指摘する予定です。

 


扶養家族20人以上? 在日外国人の所得税不払いも

 

 

上のニュースは2社とも核心をぼかして報じているのでここで核心を述べる。

 

会計検査院は、税金に関して日本人と外国人との間で不公平が生じている。この制度の放置は課税の公平性の観点から問題がある。早急にこの不公平を是正するように求めたのである。

 

国民(日本人の納税者)視点から言い換えると、

 

現在、消費税が増税されて更に税率が上がろうとしている。配偶者控除の見直し等、増税に繋がる税法の改正も検討されている。一方で外国人に対して、永年に渡って放置されている課税が漏れてしまう法律の不備が見直されようとする気配は全く見られない。このままでは更に不公平の格差が広がる。早急にこの不公平を生み出す税法を見直しするように求めたのである。

 

 

この法律(所得税法)の不備は恐ろしいものです。外国人が悪意を持ってこの不備をつけば日本という国を崩壊させてしまうことも可能となります。この点を解説していきたい。

 

問題となっているのは所得税の扶養控除である。

 

 

扶養控除とは何か?国税庁のホームページではこう定義している。

納税者に所得税法上の控除対象扶養親族となる人がいる場合には、一定の金額の所得控除が受けられます。これを扶養控除といいます。

No.1180 扶養控除|所得税|国税庁

 

扶養控除の対象となる親族の条件を所得税法は以下のように規定している。

控除対象扶養親族とは、扶養親族のうち、その年12月31日現在の年齢が16歳以上の人をいいます。

No.1180 扶養控除|所得税|国税庁

 

扶養親族とは以下の全てを満たす親族のこと。

扶養親族とは、その年の12月31日(納税者が年の中途で死亡し又は出国する場合は、その死亡又は出国の時)の現況で、次の四つの要件のすべてに当てはまる人です。

(注)出国とは、納税管理人の届出をしないで国内に住所及び居所を有しないこととなることをいいます。

① 配偶者以外の親族(6親等内の血族及び3親等内の姻族をいいます。)又は都道府県知事から養育を委託された児童(いわゆる里子)や市町村長から養護を委託された老人であること。

② 納税者と生計を一にしていること。

③ 年間の合計所得金額が38万円以下であること。
 (給与のみの場合は給与収入が103万円以下)

④ 青色申告者の事業専従者としてその年を通じて一度も給与の支払を受けていないこと又は白色申告者の事業専従者でないこと。

No.1180 扶養控除|所得税|国税庁

 

専門用語がうっとおしいので簡単に解説していく。

 

 

条件①の配偶者以外の親族(6親等内の血族及び3親等内の姻族をいいます)とは下の図全員です。

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配偶者は別枠で配偶者控除として控除が受けられるからここでは除外されている。

 

条件②の「納税者と生計を一にするということ」とは、簡単に言えば納税者の収入で生活している人たちのこと。同居を条件にしていないので定期的に仕送りを送っていれば生計を一にするといえます。例えば、離れた田舎に住む父母に仕送りを送っていると父母は納税者の扶養親族となる為の条件②を満たすこととなります。

 

条件③は、扶養親族にしようと考えている人の所得が年38万円を超えるとダメですヨということ。言い換えれば、所得38万円(給料なら年間103万円超、年金なら年間158万円超)あると扶養されているとは認めませんということ。

 

条件④は、自営業者で給料を払っている家族は扶養親族ではないですよということ。

 

 

 

ここで、今一度、上のNHKのニュースを詳しく読んでいくと、日本人ならビックリするようなことが、さらっと書かれています。

扶養控除の額が年間300万円以上と多額のおよそ1400人の扶養控除の状況について調べました。その結果、扶養家族の人数は、平均で10.2人に上り、中には26人が扶養家族になっているケースもありました。

 

扶養控除の額が年間300万円以上ということは、扶養控除を8人分以上計上している外国人が1400人も居て、この1400人の扶養控除の金額は平均387.6万円以上(38万円×10.2人)でした。中には26人分の金額988万円以上(38万円×26人)を計上している外国人も居ました。注意すべきところは、扶養控除は年齢によって38万円から63万まで変動するので上の金額は最低の金額ということです。

 

ここで、毎年確定申告をされている普通の人は疑問に思うはず。扶養控除を10.2人分もどうやったら計上出来るのと。ごもっともなご感想です。この人数を計上することは、日本人だったらほぼ不可能ですから。

 

 

扶養家族を年齢別で見てみると、23歳から60歳未満の「成人」の占める割合が半数に上っていました。

 

なぜ、働き盛りの成人が扶養親族に占める割合の50%以上も占めているのでしょうか?外国の失業率が高いから?いえいえ、そうではないんですね。単に上の系図の範囲で上記の年齢の親族の割合が多いだけです。

 

 

扶養する家族が多いために扶養控除の額が高くなりすぎて、結果的に所得税が課税されていない人はおよそ900人で、全体の6割近くに上ることが分かりました。

 

扶養控除を計算する前は所得があった人が、扶養控除を計上したら所得が0円となったので所得税を払っていない人が1400人のうち900人居ましたということ。言い換えれば、年収600万円(387.6万円+38万円=425.6万円【課税所得からの逆算→】給料収入600万円)以上の外国人1400人の内900人が所得税ゼロ円でしたよということです。

 

年収600万円以上の人が所得税ゼロですよ!!!驚きませんか!!!!

正にマジックです!!

 

このような外国人が少なくとも900人はいるんですよ!

と、会計検査院は親切にも国民に教えてくれているのです。

 

 

どうですか?NHKのニュースは問題の本質を捉えていないことがお分かりだと思います。

 

 

 

では、どうして?なんでなの?を簡単に解説していきます。

 

結論としては、所得税法が外国人に上の様な方法を認めているからこういう現実となっているのです。

 

NHKのニュースでも、

会計検査院財務省に対して外国人の扶養控除の制度の見直しを検討するよう求めることにしています。

とあり、外国人が脱税をしているから至急脱税分を徴収しなさい!とは書いていません。制度の見直しを検討するように求めているだけです。つまり、現時点では合法な節税方法なのです。

 

では、日本人の私も10人分の扶養控除を来年の確定申告に計上しよや♪と思い、えいやっと計上したらどうなると思いますか?はい!確実に速攻税務署から呼び出しがかかります。

 

 

この違いは何なんでしょうか?

 

かい摘んで説明すると、

 

日本人は、上の扶養親族の条件③で扶養親族とすることがほぼ弾かれてしまいます。年収が給料で年間103万円、年金で年間158万円以下でないと扶養親族と出来ないからです。

③ 年間の合計所得金額が38万円以下であること。

 

一方で、外国人の親族にはこの所得条件を簡単に所得0円として満たしてしまうのです。なぜなら所得税は原則日本に住む人の日本国内での所得に対して課税されるものだから。外国に住む外国人の扶養親族が現地でどれだけ高収入があろうが、その人達の所得税法における所得はゼロとなってしまうのです。外国で普通に生活している外国人に日本の法律を適用することなど出来ないでしょ!という常識からもこのことは理解できると思います。

 

だから、外国人は、上の扶養親族条件②

② 納税者と生計を一にしていること。

を満たすだけ、つまり定期的に祖国の親族に送金をしているだけでその親族を扶養親族とすることが出来てしまうのです。この親族の範囲が上の系図です。

 

 

私が外国人の高所得者(年間所得2,000万円)だとします。このままだと税率50%で1,000万円の税金がかかってきてしまいます。しかし、この制度を使い、上の系図の範囲内で祖国の親族30人に1人につき月1万円、合計で年間360万円を送金し、扶養控除1,140万円(30人×38万円)を計上して所得を860万円に圧縮したとします。すると税金は283万円(860万円×33%)に下がります。もちろん30人以上計上することも法的には可能です。

 

きちんと親族に360万円送っていても(実態は送金を仮装している人がほとんどでしょう)357万円(1000万円ー360万円ー283万円)の節税となるのです。送金を仮装していたらこれは脱税行為ですが、この場合の脱税額は717万円(1,000万円ー283万円)もの高額となるのです。

 

これは、極端な例ですが、行おうと思えば合法的に出来てしまうのです。

 

要は、資金を定期的にきちんと送金して送金された資金をその扶養親族が使うだけで、外国人にとって合法的な節税スキームとなるのです。私ならこの方法を有効に使って合法的に節税を図ります。

 

日本人の高額納税者がこの事実を知ったら怒りが爆発することでしょう。お金を送金するだけという簡単な手続きだけでこのような割の良い節税方法など、日本人には絶対にあり得ない方法なのだから。

 

 

私たちがここで理解しなければならないことは、この制度を使った外国人たちを責めることではないのです。なぜなら、外国人たちは合法的に制度を運用したに過ぎないからです。

 

考えなければならないことは、何故この制度が戦後70年近くとなる現在まで長期間温存されて来たのかということ。会計検査院も今回初めてこの問題を指摘したようです。そして、このニュースにより、上のような不公平が明らかとなっているにもかかわらず、今現在、新聞はなぜこの問題を掘り下げて報道しようとしないのか?ということなのです。

 

直近では、扶養控除制度は平成22年度に改正(扶養控除の見直しについて(22年度改正) : 財務省)されている。この時、扶養親族の条件が以前と比べて厳しくなった。しかし、外国人のこの制度には何も手を付けておらず温存された。専門家ならこの制度の不平等を熟知しているにもかかわらずにだ。結果的に日本人のみに増税を課したと言える。ちなみにこの時の政権は民主党政権

 

 

この問題の恐ろしいところは、上でも言ったが、この制度を悪意のある外国人が使えば、日本という国を崩壊させてしまうことも可能となるのです。

 

反日の外国の工作機関が工作員を日本に送り込んでIT企業を設立したとします。そして、この会社のアプリが日本で流行り会社が利益を上げると、この会社は本国からの工作員を受け入れて社員とし、給料を払うことで法人税を節税することが出来ます。そして、この雇われた工作員個人が限度一杯に扶養控除を計上して所得税を節税し、これらの法人税所得税の節税分を留保します。そして、定期的に本国に貯まった円貨を送金します。この資金反日工作に注ぎ込まれているかも知れないとしたら、あなたは何を思いますか?

 

また、外国人が駅前の商店街で飲食店を開いたとします。そして、この節税方法を活用して資金を貯めて、ある程度資金が貯まったら祖国から親族を呼び寄せて近くに新たに商店を開かせます。これを際限なく続ければ、おそらく周辺の日本人の商店は駆逐されて行くこととなります。なぜならば、日本人にはこの節税方法が利用できないからです。資金面で競争が不利なのは明らかです。価格競争でも仕掛けられたら同じ業種の日本人のお店は即廃業となるでしょう。東京の限られた地域で特定の外国人が営む商店街が短期間に出来上がった理由は、この制度にあるとも言えます。日本人のあなたが長年にわたり事業をして来た商店街に、ある日突然上のような競合する外国人のお店が開店したら、あなたはどうしますか?

 

 

長年に渡ってこの制度が国益を害して来たのは明らかです。問題が明らかになったのですから私たちはこの問題に対処しなければなりません。この問題に関心を持たなければなりません。国民ひとりひとりの長年に渡る無関心が日本という国を傷つけてきたのです。

 

所得は社会保険料の負担に比例連動します。外国人が低い健康保険料で医者にかかりまくり、国の医療財政が悪化したとします。すると、国は社会保険料を上げようとするでしょう。日本人はこの社会保険料の値上げを甘受するしかありません。一方で、外国人は扶養親族の数を増すことで所得を下げて値上げを忌避することが出来てしまうのです。戦後長年に渡り、このようなことが幾度となく繰り返されて来ているのです。この事実を知ったあなたは何を思いますか?

 

 

法律は、国会がつくり、改正していきます。国民ひとりひとりが国会議員に声を上げて行かなければある勢力にとって都合の良い法律は絶対に変わりません。誰が見ても日本の国益を害するこの法律が長期間に渡って放置されてきていることからもこの事は明らかです。

 

 

一方で、こういう事例が明らかになると外国人を攻撃しようとする勢力が必ず出て来ます。私はこの勢力には与しません。何故なら、外国人には何らの責任も無いからです。全ての責任は、長年見て見ぬ振りをして来た国会議員にあり、無関心でいた国民ひとりひとりにあるのです。

 

タイミングよく今、来年度の税制改正を審議する自民党税制調査会が開かれています。上にメンバー一覧を掲載してありますので、わたしたちは、メンバーに対してこの問題に対する意見を述べていかなければなりません。ひとりひとりが意見を出さなければ何も変わることがない。これもこの世の法則なのです。

 

 

最後に、この話題についてのある掲示板で日本語の拙さと内容からアジアの外国の方が記入したと思われる書き込みを見つけて感動したので、ここに記録しておく。

816 :   @   2014/10/11(土) 21:27:09.91 id:QrYy82osb 
幕末維新で、多くの人が、近代化の為に働き、亡くなった。
日清日露で、多くの人が戦って、白人と対抗しうるアジア人の姿を示した。
祖国の為に、そういう働きをしようともせず、日本の繁栄にただ乗りすべく
やって来る外国人は、もっぱら、「 カネ目当て 」 の連中。卑しむべき人間。
そんな人間に、良い思いをさせてはいけない。後進国でも、祖国の為に勉強し、
歯噛みする思いで頑張っている人がいる。そんな人たちを、せせら笑うような連中に、応援してはいけない。
彼らはぜんぜん、気の毒ではない。ずるい人間。

 

 

【追記 2014/10/15】

この問題を考えていて思ったことを記録しておく。

 

この制度をお金の視点から見ると怒りの感情が止めどなく湧いてくる。日本人には出来ない方法で外国人は税金の支払いから逃れているのだから当然の感情だろう。

 

しかし、お金に着目しないと怒りの感情は湧くこともなく、逆に日本という国の懐の深さに感動すら覚えることとなる。この日本は、日本に住む外国人の親族にまで心を配った法律が運用されている国なのだ。そして、この制度のお陰で日本人は意識せずに外国人に対してお布施(寄附)をしているのである。これは誇れることだと思う。

 

祖国の発展の為に日本で頑張って働いて仕送りをしている外国人にとっては、仏のような制度だと思います。そして彼等はきちんと感謝してくれていると思う。また、因果応報がこの世の原則なので、国際社会で日本が報われる日がきっとやって来るとも思う。

 

当然、ダニみたいな外国人も群がって来るでしょう。でもコイツ等はダニに過ぎないので、いつまでたっても日本人社会から受け入れられることもなく、長い目で見れば必ず駆逐されていくこととなるでしょう。

 

最初、この制度をお金の視点でしか見ることの出来なかった未熟な自分の存在をここに記録しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

【二宮翁夜話 巻之一 二十三】 多田某を諭す

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 9月 7日 先負  四緑木星

         甲辰 日/甲戌 月/甲午 年 月相 5.9 上弦 中潮

         秋分 次候 蟄虫[土不/一]戸(むしかくれてとをふさぐ)    

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 19.7℃ 湿度 58%(大阪 6:00時点)

 

 

 

翁多田某に謂ひて曰く、

 

我東照神君(とうせうしんくん)の御遺訓と云ふ物を見しに、曰く我れ敵国に生れて、只父祖の仇を報ぜん事の願ひのみなりき、祐誉が教へに依りて、國を安んじ民を救ふの、天理なる事を知りてより、今日に至れり、子孫長く此の志を繼ぐべし、若し相背くに於ては、我が子孫にあらず、民は是れ國の本なればなりとあり。

 
然れば其の許が、遺言すべき處は、我過ちて新金銀引替御用を勤め、自然増長して驕奢に流れ御用の種金を遣ひ込み大借に陥り、身代破滅に及ぶべき處、報徳の方法に因つて、莫大な恩惠を受け、此の如く安穏に、相続する事を得たり。
 
此の報恩には、子孫代々驕奢安逸を嚴に禁じ節儉を盡し身代の半(なかば)を推譲り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富ます事を、勤むべし、若し此の遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速かに放逐すべし、聟嫁は速かに離縁すべし、我が家株田畑は、本来報徳方法の物なればなりと子孫に遺言せば、神君の思召と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり。
 
其の子孫徳川氏の、二代公三代公の如く、その遺言を守らば、その功業量るべからす。汝が家の繁昌長久も、限りあるべからず、能々思考せよ。

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が多田某(なにがし)に言って聞かせた。

 

私は、東照神君(徳川家康公)の御遺訓というモノを拝見したことがある。これにはこのように書かれていた。

 

「私は敵国にて育ち、ひたすらご先祖の仇を討つ事を願い生きて来た。祐誉上人の教えに触れ、国を安らかにして民衆を救うということを天命にし、今日に至っている。子孫は末永く我のこの意志を継がないといけない。もしこの意志に背く者は私の子孫ではない。民衆はこれ国の支えであるのだから。」

 

と。

 

だから、あなたが子孫に遺言すべき事は、

 

「私は身を誤って新金銀引替御用を勤め、次第に増長して贅沢に陥り、御用の元金を使い込んで多額の負債を抱えてしまった。身の破滅となるべきところを、報徳の法によって莫大な恩恵を受け、このように安穏に家督を相続することが出来た。この恩に報いる為、私の子孫は代々贅沢や怠惰を厳に禁止し、節約を尽くして収入の半分を推譲し、世の中の利益となるような行為を心掛け、貧する者を救い、村里を豊かにすることを勤めないといけない。もしこの遺言に背くような者が現れたならば、我が子孫といえども子孫ではない故、速やかに追放しなさい。その者が婿や嫁であったならば速やかに縁を切りなさい。 我が家の家屋や田畑は、元々報徳の法により破産を免れた財産であることを肝に銘じなさい。」

 

ということであり、この遺言を子孫に残せば、家康公の思し召しと同じであり、孝であり、忠であり、仁であり、義であるのだ。

 

あなたの子孫も徳川家の二代公三代公のように、この遺言を守るならばその功徳の恩恵は量ることが出来ないであろう。あなたの家の繁昌と長久も、また限りがないであろう。よくよく考えなさい。

 
 
 
【雑感】
 

御嶽山 死亡12人 心肺停止24人に

9月29日 22時46分

長野と岐阜の県境にある御嶽山の噴火で、山頂付近で新たに5人が心肺停止の状態で倒れているのが見つかりました。また、心肺停止で搬送された人のうち新たに2人の死亡が確認され、これで今回の噴火で死亡したのは12人になり、心肺停止の人は24人となっています。

御嶽山の噴火で、警察や消防、それに自衛隊が29日朝から捜索活動を進めた結果、警察によりますと、山頂付近で新たに5人が心肺停止の状態で倒れているのが見つかりました。また、警察などは、心肺停止になっている人のうち山頂にある「御嶽神社」付近で倒れていた登山者ら8人を、29日、自衛隊のヘリコプターで山のふもとに搬送しました。警察が確認を進めた結果、新たに2人の死亡が確認されました。これで今回の噴火で死亡したのは12人になり、心肺停止の人は24人となっています。

また、警察によりますと、死亡した人のうち新たに4人の身元が確認されました。新たに身元が確認されたのは、▽岐阜県中津川市の会社員、関口泰弘さん(39)、▽東京・大田区の会社員、高田紗妃さん(29)、▽川崎市麻生区の会社員、高橋秀臣さん(41)、▽横浜市港北区の会社員、本多達一さん(39)です。また、長野県側と岐阜県側で合わせて69人が重軽傷を負っています。警察などは、家族などと連絡が取れない人がいることから確認を進めるとともに、30日も山頂付近で、硫化水素の濃度などを確認しながら捜索活動を再開することにしています。

御嶽山 死亡12人 心肺停止24人に NHKニュース

 
 
普通に生活していて、前触れもなく突然命を奪われてしまう。交通事故、災害、事件である日突然、容赦なく命の灯火が吹き消されてしまう。天は非情だ。
 
しかし、考えてみると人間の寿命はよく生きてたかだか百年に過ぎない。地球は46億年前に誕生したと言われているが、この地球時間の視点で見ると人間がゼロ歳で死のうが百歳で死のうがそこに大きな差は無く、どちらも一瞬の小さな点に過ぎない。
 
人類はこの無情に直面し、折り合いをつける為、心を安定させる為に信仰を生み出した。己の力ではどうしようもない事には己の信念で対抗するということが人類の生み出した知恵なのだ。
 
人ひとりの命は一瞬の小さな点でも、人類の命はこの小さな点が600万年に渡って繋がっている。日本人の命も2000年以上に渡って繋がっており、これからも繋がって行く。
 
この史実の前で、人は天の非情に対してどのように反応するのかを試されているのかも知れない。
 
「天は非情だ。だから、自分は他人など気にせずに好き勝手に生きる。」
「天は非情だ。だから、自分は他人を思い遣って生きる。」
 
他人を思い遣るということは、人間が無意識に地球時間の視点、つまり連々と受け継いで来た人類の遺伝子の意志で物事を見ている状態のことをいうのかもしれない。
 
 

たけし バイク事故の原因を明かす

2013年9月28日

ビートたけし(66)が28日、MBS系のトーク番組「サワコの朝」に出演し、1994年に起こした原付バイク事故の原因について語った。

同番組MCの阿川佐和子が86年のフライデー事件と94年のバイク事故について「だいたい10年単位で起きている。10年くらいすると爆発したくなるんですか?」と尋ねた。たけしは考え込みながら「結局…イラつくんじゃないですかね。漫才で売れて、ラジオでも売れて、この先どうするんだろうと。頭の中では落ち込むことしか出てこなくて。イライラして…白紙に戻す意味もあった」と話し、事件や事故の背景に売れっ子になったがための焦りを抱えていたことを明かした。

その上でたけしは「いいバチだと思って。節目節目でバチがあたる」とバイク事故のことを話し始めた。

「実は事故の原因はかなり映画があったの。自分としては自信があったのに、まるっきり評価がない。そうなると自分の感覚が悪いんだと思って」と右手の指で頭を指しながら語った。たけしは93年に監督4作目「ソナチネ」を発表している。

続けてたけしは「オレ、だめなのかと自虐的になった。酒飲んでわーっとなったら事故を起こして。後になって考えたらそこまで自分を犠牲にする必要はない。やりたいことを、浅草の原点に戻って自分がいいと思ったことをやって評価されようとされまいとしょうがない。そっから自分が芸人生活始めたのに、ちょっと売れたからってそれを守っていこうとして図々しいことになったんだって思って。後は野となれ山となれ」と原点に戻って開き直りの心境に至ったことを語った。

また、「メディアに『たけし終わった』って書かれてむかっとすることも。やってやろうと思った。その後のほうがベネチアの映画祭とったり、フランスの勲章もらったり、いろんな賞をばんばんもらった。全部事故のあと」とバイク事故後にさまざまな評価を得たとの認識を示した。

たけしは1997年に「HANA‐BI」でベネチア映画祭金獅子賞を、03年に「座頭市」で監督賞を受賞。10年にフランス文化省からコマンドール章を授与された。

たけし バイク事故の原因を明かす/芸能速報/デイリースポーツ online

 
 
 
 
 

【二宮翁夜話 巻之一 二十二】 無學者の經驗(経験)恐るべし

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 9月 3日 大安  四緑木星

         庚子 日/甲戌 月/甲午 年 月相 1.9(初月) 大潮

         秋分 次候 蟄虫[土不/一]戸(むしかくれてとをふさぐ)    

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 19.6℃ 湿度 67%(大阪 6:00時点)

 

 

 

翁曰く、
 
山芋掘は、山芋の蔓を見て、芋の良惡(よしあし)を知り、鰻つりは、泥土の様子を見て、鰻の居る居らざるを知り、良農は草の色を見て、土の肥瘠(こへやせ)を知る、みな同じ。
 
所謂至誠神の如しと云う物にして永年刻苦經驗して、發明するものなり。
 
技藝に此の事多し、侮るべからず。

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が言う。

 

山芋掘りは、山芋の蔓を見て地中の芋の良し悪しを知り、ウナギ釣りは、泥の具合を見てウナギがこの場所に居るか居ないかを知り、よく出来る農民は、草の色を見て土が肥えているかどうかを知る。みな同じことなのだ。

 

つまり、「真心に神宿る」というものであり、永年に渡って励み勤めて経験を積むことで閃(ひらめ)くものなのである。

 

技芸にこういった例が多いものだ。職人を侮ってはいけない。

 

 

 

【雑感】

 

職人が重宝される世の中では無くなった。昔は家の近くに何店舗もあった畳屋が今はもう見かけることもない。

 

無くなれば新たに萌む。時代に添うように萌む。これも法則。

 

 


古今亭志ん生(五代目) 名人長二* - YouTube

 

 

三遊亭圓朝 名人長二 鈴木行三校訂・編纂

第94話「落語『名人長二』の舞台を歩く」

 

 

【椿説弓張月 曲亭馬琴】 二ノ弐 路に迷ふて狼の戦いを止(とど)め 舎(いへ)に伴ふて猴酒(さるざけ)を勸(すす)む

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 8月 27日 仏滅  四緑木星

         甲午 日/甲戌 月/甲午 年 月相 25.5(有明月) 長潮

         白露 末候 玄鳥去(つばめさる)    

 

 【今日の気象】 天気 曇り 気温 18.7℃ 湿度 59%(大阪 6:00時点)

 

 

沖縄人のルーツが日本本土に由来するとの研究成果が発表された。

となると、『源為朝の子孫が琉球王朝の始祖なのか!』

 

まさに『椿説弓張月』の物語のロマンが更に増すこととなる。

物語を書き進めるのが楽しみだ。

 

沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定

沖縄タイムス 9月17日(水)6時0分配信

沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定

 

琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを中心とする共同研究グループは琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した。

これまでも沖縄本島地方についての研究データはあったが、八重山宮古地方も含め、大規模に精査した点が特徴。英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」の電子版(1日付)に掲載された。

木村准教授は「沖縄の人々については、東南アジアや台湾などに由来するといういわゆる『南方系』との説もあったが、今回の研究はこれを否定している。沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なデータになる」と話している。

研究では、沖縄本島八重山宮古の各地方から計約350人のDNAを採取。1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。

また、宮古八重山諸島の人々の祖先がいつごろ沖縄諸島から移住したのか検証したところ、数百年から数千年と推定され、最大でも1万年以上さかのぼることはないとの結果が出た。宮古八重山ではピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人(2万年前)の人骨が発見されており、現在の人々の祖先なのか関心を呼んできたが、主要な祖先ではないことを示している。

一方、港川人(1万8千年前)については、沖縄本島地方の人々の主要な祖先ではない可能性が高いとみられるものの、さらなる精査が必要という。

共同研究に携わったのはそのほか、北里大学医学部や統計数理研究所など。

琉球列島内で見ると、沖縄諸島宮古諸島の集団は遺伝的な距離が比較的離れており、八重山諸島の集団が中間に位置していることも判明した。

沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 (沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

 

 

物語を進める。

 

 

その打扮(いでたち) 頭には鹿皮(しかのかは)の頭巾を被り 身には(たへ)の衣着て 脚には棕櫚皮(しゆろのかは)のあゆびを結び 腰に長き刀を佩(は)いて 身の丈六尺(1m80cm) 年紀(としのころ)は三十(みそぢ)あまりと覺しくて 山の獵夫(さつお)かと見れば弓矢を持ず こは引剥(ひきはぎ)する山客(やまだち)ならんとて なかなかに憚(はばか)り給ふ氣色なく弓杖に携(すがり)てそなたを膽(きもり)おはしけるに
 
彼男も爲朝を見て近く歩み來つ禮儀(いや)を正しくしていへりけるは 君は近會この列民(くにたみ)の稱(たた)へまゐらする 八郎御曹司にてましますべし 今この狼のよく狎(なれ)たるを見まいらすれば 久しく養(かひ)給ふものにや 斯(かへ)いえばなほ怪しともおぼさんが それかしは紀平治(きへいぢ)という獵夫(かりびと)なり
 

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祖父(おほぢ)は元琉球國の人なりしが 一年(ひととせ)漂流してその船筑紫に着きしかば 遂に日本に留りて 肥後の菊池に奉公せり しかるに祖父没して後父なるもの故ありて浪人し この豊後に移り住むといへども 世渡る便(たつき)なきままに 獵夫(かりびと)の業をなして一生をおくりそれがしに至りてもなほ業を更(あらため)ず 父の時より鳥獣を捕(とる)に 弓矢剣戟(けんげき)を用ひず 只礫(つぶて)をもて狙撃(ねらひうつ)に百發百中の手煉(しゅれん)あり 凡そ八町(870m)の内に狙(ねらひ)を定めて撃つときは 疾(と)き鳥 勇(たけ)き獣といへども 打殺さずといふ事なし 爰をもて人口順(くちずさみ)に渾名して八町礫紀平治太夫(はちてうつぶてきへいぢだいふ)と呼びて候
 
それがし今かく村落(かたゐなか)にありといへども 聊(いささか)青雲の志なきにしも非ず よりて君が文武の道に富て ひろく人を愛し給ふ事を傳へ聞 渇望甚だしかりつれど 身賤しければ見(まみ)えまいらするによしなかりしを 意(おもは)ずもこの深山(みやま)にて 尊容を拝し奉りしは 僥倖(さいはひ)何かこれにます事の候はんとぞいへりける
 
爲朝聞給ひて 扠(さて)は此の狼共が怕(おそ)れて進み得ざりしは 紀平治があるをもてなりけん 然れば彼が礫が妙ある事しるべしとて 心の中(うち)に感じ思し ねんごろに回答(いらへ)して 路に迷ひたる事 狼の事など 凡て物語り給へば 紀平治只(ひたすら)嘆賞(たんせう)し 君が徳既に禽獣に及ぶ事 いといと有りがたくも賢くおはしますことよ 終日(ひねもす)路に迷ひ給はば さこそ餓(うへ)もし給ひけめ 我家はこの山の麓にありもし茅屋(はうをく)を厭ひ給はすは 立より憩ひ給へ といふに固辞(いなふ)がたく 打つれだちて麓のかたへ赴き給へば 彼の二頭(ひき)の狼も 後方につきて門まで來にけり
 
紀平治はふりたる諸折戸をやをら押明て爲朝を入れまゐらせ 妻をよびてしかじかの事を語り聞かすれば 妻も又夫に齏(ひと)しく 心信々(まめまめ)しきものなれば 粟の飯(いひ)に鮎のしら焼きとり添えて 爲朝にすすめ進(まゐ)らするにぞ
 
紀平治も草鞋(わらぐつ)脱すてて裡面(うち)に入りこれは荊婦(わがつま)にて名をば八代(やつしろ)と呼て候 御目を給はり候へかしと申せしかば 爲朝も今日の惠の喜(うれ)しきよしを聞え給ふ
 
紀平治は又一瓶(ひとかめ)の酒を取り出(い)て 爲朝を管待(もてなし)まゐらすれば 是を喫(のみ)給ふに葡萄酒に似て味(あじは)ひ異なり こは何をもて醸(かも)せし物にやと問給へば 紀平治答て 是は山中稀にある處のものにて 猴(さる)酒と名づけ候 秋の末に至りて 猴(さる)ども菓(このみ)を貯(たくはへ)んが爲に許多(あまた)とり集て 古木の洞(うろ) 厳(いはば)の凹(くぼみ)なるところなどに藏(をさめ)置(おく)に 月を經てその菓(このみ)悉(ことごと)く潰(ついへ) 自から酒の如くなりて候 然れとも山を家とするものも 多くは見ることなきを それがし近會(ちかごろ)見出して 汲みて携(たづさへ)歸り候といふ
 
爲朝聞給ひて掌をうち 山中にはさる物ありと聞つれど 都に生育(おひたち)たれば見たる事さへなし 我若(もし)爰(ここ)に流浪(さすらは)ずは爭(いか)でかかる管待(かんたい)に會べきと宣へば 紀平治も笑坪(ゑつぼ)に入りて なほしばしば勸め進(まゐ)らせしが
 
われ忘れたる事こそあれ 彼等もさそな餓(うゑ)つらめ獨(ひと)りごち 門方(かどべ)に出て二頭(ひき)の狼を呼びつつ 切(きざみ)たる鹿の股(もも)を投與(なげあた)ふれば 妻の八代はこれを見て 大いに驚き怕(おそ)るるを 紀平治うち笑ひて縁由(ことのよし)を物かたるにぞ 漸(やうや)く心安堵(こころおちゐ)けり
 
かくて紀平治は再(ふたた)び 舊(もと)の處に参りて四表八表(よもやま)の話の序(なへ)に しばし兵法を討論せしが 爲朝の説(とき)給ふ所 悉(ことごと)くわが聞(きか)ざる處に出(い)て その才測(はかり)がたく見え給へば 心を傾けて感伏(かんぷく)し 遂に主従の契約(きやく)をなしつ
この物がたりに時移りて 日も既に暮にければ 爲朝は別を告て立かへらんとし給ふ折しも 乳母子須藤九郎重季(しげすゑ)は 主君(との)のかへり遅きに心もとなく 蕉火(たいまつ)振照して彼此(あちこち)を索(たづね)つつ ややこの處へ來りしかば 爲朝は重季を召て紀平治が事 狼の事など 説示(ときしめ)し給へば 重季も夫婦が厚き志をよろこび聞え 主(との)の供して立かへるに 彼狼はなほその後方(あとべ)にしたがひ來て 追い遣れども歸りゆかず この夕べより爲朝の住給へる 子舎(へや)のほとりを去ることなければ 爲朝も又これを哀み 一頭(いつぴき)をば山雄(やまを)と名づけ又一頭をば野風(のかぜ)とよびて 然(さ)ながら畜犬(かひいぬ)のごとくにてぞありける

 

 

 

その格好、頭には鹿革の頭巾をかぶり、麻布の衣服を着て、足にはシュロ皮の足袋を履き、腰には長い刀を身に付けて、背丈が6尺(1m80cm)、歳は30ちょっとと思われた。

 

猟師なのかと思えば弓矢を持っておらず、こいつは追い剥ぎをする山賊だろうと思っても、全くこちらをうかがう様子も見せずに、弓杖をつきながらもキリッとした様子を見せていた。

 

 

彼は為朝を目にするとそばに歩み寄り、恭しく言うには、
 
 
「あなた様は、最近このあたりの人々が噂をしている八郎様でいらっしゃろう。この狼たちがよく慣れているのを見ると、長く飼っていらっしゃるのじゃろう。
 
こう言っても信じられないじゃろうが、わしゃは紀平治という猟師ですだ。じじいは琉球に住んでたが、漁に出たまま1年漂流し筑紫に流れ着き、そのまま日本に留まり、肥後の菊池氏に奉公してましただ。ところがじじいが亡くなり、おやじはよんどころない事情で浪人となり、この豊後に流れ住んでみたもんの、世を渡る伝(つて)も無く、猟師として生計を立て生涯を終え、わしゃも後を継ぎ猟師をしておりますだ。
 
おやじの時から鳥獣を狩るのに弓矢や剣戟(けんげき)を使わず、礫(つぶて)だけで狙い撃ち百発百中の技を持ってるだ。だいたい8町(870m)の内で狙いを定めて撃てばどんな素早い鳥や獰猛な獣といえど、撃ち殺さない事はないだ。だんから猟師仲間からは八町礫紀平治太夫(はっちょうつぶてきへいじだゆう)とあだ名されておりますだ。
 
わしゃ、今はこんな片田舎に今は住んどるが、青雲の志を胸に抱いておりますんじゃ。だから、あんた様が文武の道に長けて、別け隔てなく人を愛すちゅう噂を伝え聞き、会いたいものだと思ってたが、賎しい身でありますゆえ、なかなかそうはいきますまい。が、こんな山ん奥で思いがけずお会いできたっちゅうことは何かのご縁ですじゃ」
 
 
と言う。
 
為朝これを聞いて、
 
 
「なるほど、この狼どもが恐れて前に進まなくなったのは、こいつが居たからか。そして、あ奴の礫の技も察知していたということか」
 
 
と、心中で感じ、丁寧に返事をし、道に迷っていたことや山で出会った狼のことなどを全て語り出せば、紀平治ただ感嘆するばかり。
 
 
「あんた様の徳が畜生にまで及ぶということだ。ほんまほんまにあり得ないほど賢いお方なんじゃろうよ。終日道に迷ってたならお腹もさぞ空いていらっしゃろう。我が家はこの山のふもとにありますだ。ボロ家じゃがお立ち寄り下されや」
 
 
と言われて、断ることも出来ずに連れ立ってふもとの方へ歩き出せば、2匹の狼どもも後方から付いて来て門のところまでやって来た。
 
紀平治は古びた両折戸をそっと押し開け、為朝を入れ、妻を呼んでこれまでのいきさつを語り聞かせれば、この妻もまた夫に似て、心配りがまめまめしかったので、粟のご飯に鮎の塩焼きを添えて、為朝にすすめたのであった。
 
 
紀平治もわらぐつを脱ぎ捨て、家の中に入り、
 
 
「こいつは、我が妻の八代というものですじゃ。お見知りおき下され。」
 
 
と申せば、為朝も今日の奇遇を喜んだ。
 
紀平治はまた瓶(かめ)から酒を汲み出して、為朝を歓待すれば、為朝これを飲んでみると、色はぶどう酒のようだが味わいが異なっていた。
 
 
「これは何を酒にしたものじゃ」
 
 
と尋ねれば、紀平治が答えて、
 
 
「これは、山ん中でもめったにねぇもんで、猿酒と名付けておりますじゃ。秋も深まって、猿どもが木の実を蓄えようと多く集め、古木の洞(うろ)や岩場の窪んだところに貯蔵したんが、そのままとなって、それが発酵し酒のようになったもんですじゃ。山を庭としている者でも、めったに見つけることができねぇじゃ。わしゃ最近運良くこれを見つけたんで、汲み出して持ち帰りましたじゃ。」
 
 
と言う。
 
為朝、これを聞いて手を打ち、
 
 
「山の中にはそいうものがあると聞いてはいたが、都で育ったから見ることもなかった。われが今日ここを彷徨わなければ、こんな酒で歓待をうけることもなかったわい。ハハハ」
 
と言えば、
 
紀平治も大喜びして、どんどん杯をすすめていたが、
 
 
「おお、われ忘れておったわ。奴等も腹が減っておろう」
 
 
と、独り言を言いながら、門のところに行って、2匹の狼どもを呼びながら、刻んだ鹿のもも肉を投げ与えていると、妻の八代がこれを見て大変驚いた。紀平治が笑いながら事情を話して、やっと安心した表情を見せたのだった。
 
そして、紀平治は再び元の座に戻って為朝とよもやま話をしていると、ふとしたことで兵法についての討論となり、為朝が説く内容が今まで自分が聞いたこともないような内容で、その才能に惚れ惚れしてしまった。遂には主従の契りを交わすこととなったのだ。
 
話に夢中になっている内に日も暮れて来たので、為朝が別れを告げて帰ろうとしていた時、乳母の子須藤九郎重季(しげすえ)は、主人の帰りが遅いのを心配して、松明(たいまつ)を持ってあちこち尋ね歩いていたが、しばらくしてここにやって来たので、為朝は重季を呼んで紀平治のことや、狼のことなどを話し明かすと、重季もこの夫婦の厚い心遣いを喜んだ。
 
重季が主人のお供をして帰る道すがら、狼どもはやはり後ろから付いて来た。追いやっても離れず、この日から為朝の屋敷の辺りから去ろうとしなかったので、為朝はこれを不憫に思い、一匹を山雄(やまお)と名付け、もう一匹を野風(のかぜ)と名付けて、為朝の飼い犬のごとくになったのだった。