まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談 牡丹灯篭 一】 飯島平太郎、孝蔵を斬り捨てる之編

 

人間社会はふとしたきっかけで鬼畜のごとく地獄絵図を映し出す。

 

今の世は、先人の努力のお蔭で映し出される地獄絵図の頻度も昔と比べれば多くはない。

 

しかし、この世から地獄が無くなることは決してない。そして、いつ自分がこの地獄絵図の中に放り込まれても不思議ではない。

 

生きるということはそういうことだ。

 

さて、これから江戸の時代に起こった地獄絵図をつまびらかに写し出す。

 

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時は、寛保4年の正月。湯島天神は鷽(うそ)替え神事の最中で群衆雑踏を極めておりました。

 

この大通りに藤村屋新兵衛という刀屋がございまして、その店先には良い代物が並べられているところを、通りかかりました一人のお侍は、年の候二十一、二ともおぼしく、肌の色が透き通り、目元がキリリとして、少し神経質な様子もたずさえ、鬢(びん)の毛をグワッと吊り上げて結いあげ、立派な羽織に結構な袴を着け、雪駄をはいて前に立ち、その後ろには浅葱(あさぎ)の法被(はっぴ)に梵天帯を締め、真鍮(しんちゅう)巻きの木刀を差したる中間(ちゅうげん)が附き、店先へ立ち寄って腰を掛け、並べてある刀を眺めながら、

 

「亭主、そこの黒糸だか紺糸だか知れんが、あの黒い刀柄(つか)に南蛮鉄の鍔(つば)が附いた刀は誠によさそうな品だな、ちょい見せぃ」

 

「へい、へい、おいっ!ここにお茶を。今日は天神の御祭礼で大層な人出でして。定めし往来は埃でお困りあそばしたろう」

 

と刀の塵を払いつつ、

 

「これは、少しこしらえがほつれてございます」

 

「おおっ!確かに少しほつれとるな」

 

「へい、中身は随分な年代ものでして、もちろんお差料になされても間に合いまする」

 

と言いながら、

 

「まあ、ご覧ください」

 

と、差し出すのを、侍は手に持って見ましたが、まず中身のそり具合から焼きの有り無しより、差表(さしおもて)差裏(さしうら)やらを吟味致しまするは、さすが旗本の殿様の事ゆえ、なみの者とは違います。

 

「これは良さそうなもの。拙者の鑑定するところでは、備前物のように思われるがどうじゃ」

 

「へい、さすがのお目ききでいらっしゃいますな、恐れ入りました。仰せの通り私ども仲間の者も天正助正であろうとのことですが、惜しいことに、何分無銘でして、残念でございます」

 

「おい、亭主。これはどのくらいするな」

 

「へぃ、ありがとう存じます。只今申します通り銘さえございますれば多分の値打ちもございますが、なにぶん無銘なもので。へい、金拾枚でございます」

 

「なに、十両かぃ、ちぃと高いわい。七枚半にまからんかぇ」

 

「どういたしまして。何分その値では損が参りまして、へぃ、なかなかむつかしいです、へぃ」

 

と、しきりに侍と亭主と刀の値段の駆け引きをいたしておりますと、後ろの方で通りがかりの酔っ払いが、この侍に附いた中間に向かって、

 

「やい!何しゃアがる」

 

と言いながら、ひょろひょろとよろけて、バタッと尻もちをつき、ようよう起き上がって、額で睨んだかと思うと、いきなり拳骨(げんこつ)を振い丁々と打(ぶ)たれて、中間(ちゅうげん)は堪忍して逆らわず、大地に手をつき頭を下げて、しきりに詫びても、酔っ払いは耳にもかけず猛り狂って、さらに中間(ちゅうげん)を殴り続けるのを、侍が目を遣れば家来の藤助だから驚きまして、酔っ払いに向かって会釈をし、

 

「何をこの家来めが無調法を致しましたか存じませんが、当人に成り代わり私がお詫び申し上げます。何とぞご勘弁を」

 

「なにぃ!こやつが其の方の家来だと。けしからん無礼な奴。武士の供をするなら主人の脇で小さくなっておるのが当然。しかるに何だ往来に出しゃばり、通行の妨げをしゃアがって。拙者にぶつかって来たから、やむを得ず打擲(ちょうちゃく)いたした」

 

「何もわきまえぬ者でございますれば偏(ひとえ)にご勘弁を。手前成り代わってお詫びを申し上げます」

 

「今この所で手前がよろけたとこをドンと突き当たったから、犬でもあるかと思えばこの下郎めが居て、地べたへ膝をつかせ、見ての通り、これこの様に衣類を泥だらけに致した。無礼な奴だから打擲(ちょうちゃく)致したがいかが致した。拙者の存分に致すからここへお出しなさい」

 

「この通り何もわからん者、畜生同様のものでございますから、何卒ご勘弁下されませ」

 

「こりゃ面白い、初めて承った。侍が犬の供を召し連れて歩くという法はあるまい。畜生同様のものなら手前が申し受けて帰り、エサを食わしてやろう。いかほど詫びても堪忍は成らん。この家来の無調法を主人が詫びるならば、大地へ両手を突き、重々恐れ入ったと頭を土に叩きつけて詫びをするのが筋であるのに、何だ片手に刀の鯉口を切って詫びをするなど侍の作法にあるまい。何だてめえは拙者を斬る気けぇ」

 

「いや、これは手前がこの刀屋で買い取ろうと存じまして、只今中身を見ていましたところへ、この騒ぎにとりあえず罷り出ましたので」

 

「えぃ。それを買うとも買わんとも、てめぇの勝手じゃ」

 

と罵るのを、侍はしきりにその酔狂をなだめていると、往来の人々は、

 

「そりゃ喧嘩だ!喧嘩だ!」「なにぃ!喧嘩だとオ」「おおさ!相手は侍だぁ。これは険呑(けんのん)だぞぇ」

 

というを又一人が

 

「なんでげすぇ」

 

 「左様さ。刀を買う買わないとかの間違いだそうです。あの酔っ払っている侍が初め刀に値をつけたが、高くて買われないでいるところへ、こっちの若い侍が又その刀に値をつけたから酔っ払いが怒り出して、おれの買おうとしたものをおれに勝手に値段をつけとか何とかの間違いらしい」

 

と言えば、又一人が、

 

「いえいえそうじゃございませんよ。あれは犬の間違いだアね。俺が犬にエサをやったから、その代わりに犬をよこせやら何やら。犬が原因の喧嘩は昔からよくありますよ。平井権八なんぞも犬の喧嘩からあんな騒動になったのですからねぇ」

 

と言えば、その傍から、

 

「ナニサそんなんじゃない。あの二人は叔父と甥の関係で、あの真っ赤な酔っ払いが叔父で、若くて綺麗なのが甥だそうだ。甥が叔父に小遣い銭をくれないというところからの喧嘩サ」

 

と言えば、又そばから、

 

「ナーニありゃあ巾着切サ」

 

などと、往来の人々は好き勝手に評判をしている内に、一人の男が申しますには、

 

「あの酔っ払いは、丸山本妙寺中屋敷に住む人で、元は小出様のご家来であったが、身持ちが悪く、酒色に耽り、折々はすっぱ抜きなどして人を脅かして乱暴を働いて市中を徘徊し、ある時は料理屋に上がりこんで、十分に酒肴で腹を太らし、勘定は本妙寺中屋敷まで取りに来いと、横柄に食い倒し飲み倒して歩く黒川孝蔵というゴロツキですから、年の若い方は、からまれて、つまり酒でも買わせられるのでしょうょ」

 

「左様ですか、普通の侍なら斬ってしまいますが、あの若いのはどうも病身のようだから斬れまいねぇ」

 

「ナニあれは剣術なんぞ知らないのだろうょ。ハハ、侍が剣術を知らなければ腰ぬけだ」

 

などとささやく声がちらちら若い侍の耳に入るから、グッと込み上げしゃくに障り、顔面が朱を注いだようになり、額には青筋をあらわして、キッと詰め寄り、

 

「これほどまでにお詫びを申してもご勘弁なさりませぬか」

 

「くどいワ、見れば立派なお侍。ご直参かいずれの御藩中かは知らないが、落ちぶれた浪人と侮り失礼千万。いよいよ勘弁ならぬワ」

 

と言いさま、グワッと痰をかの若侍の顔に吐き付けましたので、さすがに堪忍強い若侍も、はや怒気が一気に顔にあらわれ、

 

「おのれ、下手に出ればつけあがり、ますます募る罵詈暴行。武士たるものの顔面に痰を吐き付けるとは不届きなヤツ。勘弁できなければこうしてくれる」

 

と言いながら、今刀屋で見ていた備前物の刀柄(つか)に手が掛かるが早いか、スラリと引き抜き、酔っ払いの鼻の先へピカリと出したから、見物は驚きあわて、弱そうな男だからまだ引っこ抜きはしまいと思ったのに、ピカピカといったから、ほら抜いたと、木の葉が風に舞ったかのように四方八方にバラバラと散らかり、通りの木戸を閉じ、路地を締め切り、商店は皆戸を閉める騒ぎで、町中はひっそりとなりましたが、藤新の亭主一人は逃げ場を失い、ぽつねんとして店先に座っておりました。

 

さて、黒川孝蔵は、酔っ払っておりますけれども、生酔い本性たがわずで、この若侍の剣幕に恐れをなし、よろめきながら二十歩ばかり逃げ出すを、侍はおのれ卑怯者、口ほどでもないヤツ、武士が相手にうしろを見せるとは天下の恥辱、返せ返せと、雪駄履きにて後を追いかければ、孝蔵は最早かなわじと思いまして、よろめく足を踏みしめて、一刀のやれ柄に手をかけて、こちらを振り向こうとしたところを、若侍は、得たりと踏み込み様、エィヤと一声、肩先を深くシュと斬りこむ。斬られた孝蔵は、ギャッと叫び、片膝を突いた刹那をのしかかり、ヤァッと左の肩から胸元へ斬り付けましたから、斜(はす)に三つに斬られて、何だか亀井戸の葛餅のように果ててしまいました。

 

若侍はすぐにとどめを刺して、血刀をシュンシュンと振いながら、藤新の店先へ立ち帰りましたが、もとより斬り殺す料簡でございましたから、ちっとも動ずる気配もなく、我が下郎に、

 

「これ藤助、その天水桶の水をこの刀にかけろ」

 

と言いつければ、最前で震えておりました藤助は、

 

「へい、とんでもないことになりました。このことから大殿様のお名前でも出ますような事がございましては相済みません。元はみな私から始まった事、どう致したらよろしゅうございましょう」

 

と、顔面蒼白。

 

「いや、左様に心配するには及ばぬ。市中を騒がす乱暴人を斬り捨てたまでだ、心配するな」

 

と、下郎を慰めながら、泰然として、あっけに取られたる亭主を呼び、

 

「こりゃ、亭主。この刀はこれ程までに切れようとは思いませんだったが、なかなかの切れ味。こりゃよく切れる」

 

と言えば、震えながら

 

「いえいえ、あなた様のお手が冴えているからでございます」

 

「いやいや、全く刃物がよい。どうじゃな、七両に負けてもよかろうな」

 

と言えば、藤新は係(かかわ)り合いを恐れ、

 

「よろしゅうございます」

 

「いや、お前の店には決して迷惑をかけん。とにかくこの仔細を自身番に届けねばならん。名刺を書くからちと硯箱を貸してくれろ」

 

と言われても、亭主は己のそばに硯箱があるのも目に入らず、震え声で、

 

「小僧!小僧!硯箱をここへ」

 

と呼べど、店の者はさっきの騒ぎでどこかに逃げてしまい、店には一人も居りませんから、ひっそりとして返事がなければ、

 

「ご亭主。お前はさすがに修羅場をくぐりぬけて来たとみえて、この店を一歩も動かず、自若(じじゃく)としてござるは、立派な者だな」

 

「いえ、なに、お誉めで恐れ入ります。先ほどから腰が抜けて立てやしません」

 

「おおっ。硯箱はお前の脇にあるじゃないか」

 

と言われてようよう気づき、硯箱を目の前に差し出すと、侍は硯箱のふたを開けて筆をとり、すらすらと名前を飯島平太郎と書き終わり、自身番に届け置き、牛込のお屋敷へお帰りになりまして、この始末を、御父上飯島平左衛門にお話しを申し上げましたれば、平左衛門様はよくぞ斬ったと仰せありて、それからすぐに、お頭たる小林権太夫殿へお届けに及びましたが、何のおとがめもなく、斬り得斬られ損となりました。

 

 

華の薫りに誘われて舞う二匹のてふてふ 之編に続く