まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第五十七章】 何もしないの効用

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 3月24日 友引  四緑木星

         甲子 日/己巳 月/甲午 年 月相 23.3  

         穀雨 初候 葭始生(あしはじめてしょうず)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 9.5℃ 湿度 44% (大阪 6:00時点) 

 

 

以正治國、以奇用兵、以無事取天下。

 

吾何以知其然哉。以此。

 

夫天下多忌諱、而民彌貧。

 

民多利器、國家滋昬。

 

民多智慧、邪事滋起。

 

法令滋彰、盗賊多有。

 

故聖人云、我無爲而民自化。我好靜而民自正。我無事而民自富。我無欲而民自樸。

 

 

 

 

 

【書き下し文】

 

正を以(も)って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。

 

吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。

 

それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。

 

民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)る。

 

民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。

 

法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。

 

故に聖人は云(い)う、我(わ)れ無為にして民自(おのずか)ら化(か)す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。

 

 

 

 

 

【私的解釈】

 

正しいやり方で国を治め、奇策を用いて戦争を行うわけであるが、色々な戦略を練らずに、あるがままにまかせて世の中を統一することが一番大切なことだ。

 

私が何によってそのことを知るかと言えば、次の通りである。

 

世の中に煩わしい規制が多くなると、民は自由を妨げられ、より一層貧しくなる。

 

民の間に便利な道具が拡がると、国家はますます混乱する。

 

民の間に悪賢い知恵を使う者が増えてくると。悪事がいよいよ盛んに行われる。

 

だからといって、法律がますます細かく立てられると、盗賊がたくさん発生することとなる。

 

それゆえ「道」を体得した聖人はこのように言っている。

 

「私が、全てをあるがままにまかせていると、民はおのずから感化されてくるものである。私が静観を好んで何もしないでいると、民はおのずから自分を律する。私が格別なことを何もしないでいて、民はおのずから豊かになってくる。私が無欲でさっぱりしていると、民はおのずから原木のような素直なおもゐを抱くようになるのだ。」

 

 

 

 

【雑感】

 

この章の道を体得した聖人が言う言葉と今上天皇の姿が重なりあう。今の日本は、三千年前に老子が夢見た理想な国を、正に実現しているのではないかと、私は思う。

 

 

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余談ですが、天皇陛下の手相を見て驚愕しました。

神相全編がいう「三奇紋」「三峰紋」の相をお持ちでいらっしゃいます。

【神相全編 秘伝手相奥義】 其の四 三奇紋・三日紋・三峯紋・ - まどゐ。

 

 

教育勅語美化発言 「まっとう」という見識を疑う

2014年4月13日(日)

 安倍晋三政権の閣僚や首相側近らによる侵略戦争の責任を否定するなどの問題発言が相次いでいますが、下村博文文部科学相が、戦前の軍国主義教育を推進する主柱だった教育勅語について「中身はまっとうなことが書かれている」と発言したのも見過ごせません。安倍政権の「教育再生」を担当する下村氏の発言は、教育の面から「戦争する国」づくりを推進する危険を示しています。

 

侵略戦争に駆り立て

 教育勅語は戦前の教育の基本原理を示すものとして1890年に明治天皇の言葉として出されました。その結論は「一旦緩急(かんきゅう)あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」、つまり「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」と子どもたちに徹底して教え込むものでした。親孝行や兄弟仲よくするなど、自然に見えることも徳目として並べていますが、それらをすべて天皇への命がけの忠義に結び付けたのが特徴です。この中身を「まっとう」という下村氏の発言は、国民主権基本的人権を定めた憲法に基づく教育の否定につながるものです。文部科学行政のトップとしての資格そのものが問われます。

 

 戦前は教育勅語の内容をたたきこむことが教育の最大の目的とされました。新年(1月1日)や「紀元節」(2月11日)などの儀式のたびに校長らが「奉読」し、その間は身動きすることも、せき一つすることも許されませんでした。子どもたちは一字一句暗記、暗唱させられました。こうして子どもたちを天皇と国家に奉仕する「臣民」として育て、侵略戦争に駆り立てたのです。教育勅語は、下村氏がいうように「軍国主義教育推進の象徴のように使われたことが問題」どころの話ではなく、子どもたちに「天皇に命をささげる」という精神を植えつける中心に位置づけられていたのです。

 

 敗戦後は、戦前への痛苦の反省から、子どもの教育を受ける権利が憲法で保障され、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を目指す旧教育基本法が制定されました。教育勅語はその理念に根本的に反するとして、1948年に衆議院で「排除決議」が、参議院で「失効決議」が採択され、公式に否定されました。

 

 下村氏が教育勅語の原本が50年ぶりに見つかったことにかこつけて、「国民が改めて学ぶことは大変重要」と述べたことは、安倍政権が推進する「道徳の教科化」の危険性を浮き彫りにしています。「道徳の教科化」は国民が願う道徳教育とは異質のもので、国が偏狭な「愛国心」など「道徳」の内容を決め、教科書に書かせて教えさせ、身に付いたかどうか心の中まで評価しようというものです。それは天皇教育勅語で「道徳」の内容を定め、「修身」などで教え込んで子どもを戦争に駆り立てた戦前の教育体制をほうふつさせます。

 

憲法踏まえた教育を

 安倍政権は「教育再生」の名で、教育の自主性を奪い政治の介入を強化する教育委員会制度の改悪を企てるなど、教育を「戦争をする国」づくりのための“人づくり”の場に変えようとしています。

 安倍政権の「教育再生」を許さず、個人の尊厳や基本的人権を尊重し平和主義を掲げる憲法を踏まえた教育を守り進めるため、世論と運動が求められます。

主張/教育勅語美化発言/「まっとう」という見識を疑う

 

 

歴史の事実を振り返ってみると、上の主張のように教育勅語を学校教育に取り入れるのは中々難しいだろう。

 

しかし、今のように教育勅語に対する明治天皇のおもゐが抹殺されている状態もおかしいことだと思う。

 

 

教育勅語

 朕(ちん)惟(おも)フニ我カ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ

 

我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ世世厥(よよそ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦實(実)ニ此ニ存ス

 

爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友(ほうゆう)相信シ恭儉(きょうけん)己レヲ持(じ)シ

 

博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ

 

進(すすん)テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲(こくけん)ヲ重(おもん)シ國法ニ遵(したが)ヒ

 

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ

 

是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所之ヲ古今(ここん)ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス

 

朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ

 

明治二十三年十月三十日

御名御璽

  

 

【現代語訳】 

 

私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、今現在まで連綿と御築きになって来られた徳は深く厚いものとなっています。

 

我が臣民は忠と孝のおもゐをもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美を造化して来ましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にある。

 

あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、

 

皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、

 

世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、

 

もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。

 

これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を受け継いでいくものでもあります。

 

このようなおもゐは実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓でもあり、子孫臣民が共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても人類全てに共通のおもゐでもあります。

 

私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳のおもゐを形にしていくことを希(こいねが)っています。

 

明治二十三年十月三十日

天皇陛下の署名と印。)

 

 

 

この教育勅語の精神について以下の様な解釈がある。

 

教育勅語を作成するにあたり『しらす(しろしめす)』という言葉を重要視した。
 
『しらす』とは、古事記の中に出てくる大国主神の国護りの一節の中に現れる。
 
高天が原の支配者である天照大神の命を受けたタケミカヅチノカミ(建御雷神・鹿島神宮の御祭神)が、出雲を治めていた大国主神
 
「汝(大国主神)が『うしはける』葦原中国(あしはらのなかつくに)は、アマテラスオオミカミの御子が『しらす』ところの国である」
 
と、国譲りの交渉をする。
 
この中に『うしはける』と『しらす』という2つの謎の言葉が出てくる。「治める」という意味の言葉が「しらす」という言葉で使われ、大国主神をはじめとする一般の豪族たちのところでは「うしはく」という言葉で使われ、厳密に使い分けられているのである。
 
「うしはく」とは西洋で「支配する」という意味で使われている言葉、すなわち、日本では豪族が私有化した土地を権力をもって支配するような場合に使われる。それに対して「しらす」の意味は、同じ治めるという意味でもまったく違う。「しらす」は「知る」を語源としており、天皇がまず民の心、すなわち国民の喜びや悲しみや願いといったおもゐと神々の心を知り、それを鏡に映すように、わが心に映し取って、そのおもゐと自己を同一化しようとする意味である。
 
この「しらす」の理念こそが日本国の根本に生氣となって古から積み重なっているものである。 
 
鏡は人々の心を照らし、映し出すとして祭祀で使われて来た。それが「知る」ということ、そこから「しらす」という言葉が誕生したのである。にごりのない心で常に神のおもゐ、民のおもゐを知るということが天皇にとって最も大切なこととされ、従って三種の神器の中で一番大切なものとして鏡が今も伝えられている。
 
外国では国家成立、憲法成立は、君主と民の約束といった形、国家契約といった形で成立するが、日本では何よりも神々のおもゐ、民のおもゐを知ろうとされ、そららのおもゐに自らを合わせようとする天皇の『徳』により国家が始まっているのだ。 
 
このことは非常に重要なことで、日本国家は日本固有のもの、決して外国を模範した国ではない。この国の成り立ちから教育勅語は、一方的な押し付けではなく、明治天皇の「徳」をベースに作られたのである。 

 

 

 この本の中にも「しらす」と「うしはく」の違いが述べられている。

 

 

「しらす」は高天原(たかまのはら)における統治の方法で、これは天皇の統治の方法とも同じです。天皇の統治における「しらす」とは、天皇が広く国の事情をお聞きになり、御存在あそばすことによって、自然と国民が統合されていくことを意味します。高天原においては、天照大御神が御存在あそばすことによって、自然と神々が統合されることを意味します。そしてこれを実際に行うための方法論の一つに先に説明した「不親政の原則」があるのです。

 

つまり、「しらす」とは、政治の権威が天照大御神ないし天皇に属することを意味します。「大日本帝国憲法」が明記する、天皇が統治権の総攬者(そうらんしゃ)であるというのは、このことを指しています。

 

一方「うしはく」とは、政治の権力を指します。政治の権力者は政策を決定する責任を負う者で、古代においては摂政・関白・武家政権の時代は将軍、近現代では内閣総理大臣が国を「うしはく」地位にあるといえます。日本の歴史において、国を「うしはく」者は、例外なく天皇の任命を受けています。現在の内閣総理大臣も同様です。

 

「国譲り」といっても大国主神の地位が明け渡されたわけではありません。武御雷神が大国主神に尋ねたのは次の二点を確認するためでした。すなわち、第一に大国主神葦原中国を「うしはく」存在であって「しらす」存在ではないこと。そして、第二に、葦原中国を「しらす」のは日の御子であること、です。

 

幕末の大政奉還王政復古の大号令は、天皇が「しらす」地位にあることを確認するものでした。その意味において「幕末の国譲り」ともいえます。現在の日本においては、天皇が「しらす」地位にあり、天皇の任命に基づき、内閣総理大臣が「うしはく」地位にあります。いつの時代も、天皇が政治の責任者を任命する形式にこそ意味があるのであって、天皇自ら人選することに価値があるのではありません。現在の「日本国憲法」下においても、天皇は日本国を「しらす」御存在でいらっしゃいます。

 

 

日本は「しらす」国であること、これこそ日本という国を形作って来た魂(正氣)である。戦後の教育は日本人の背骨となるもののことを一切教えて来ていない。これこそ、臭いものに蓋をしてきたのである。だから腑抜けるのだ。

 

天皇が外国ではEmperor(皇帝)と呼ばれている事実にさえも向きあおうとして来なかったのが戦後の学校教育。

 

 

最後に日本を「しらす」天皇のおもゐあふれる和歌を紹介する。舒明(じょめい)天皇の民衆に対するおもゐ遣りが今も日本に響いている。

 

私は、この美しき日本に生まれたことを感謝する。

 

 大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ

天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見をすれば

国原(くにはら)は煙立つ立つ 海原は鷗(かもめ)立つ立つ

うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 

 

万葉集 巻一(二) 舒明(じょめい)天皇

 

【現代語訳】

大和には多くの山があるけれど、とりわけ立派なのが天の香具山だ。 

その頂に登って大和の国を見渡せば、眼下に広がる土地からはご飯を炊く煙がたくさん昇っているよ、池には水鳥たちがたくさん飛び交っているよ。

ほんとうに美しい国だな、この蜻蛉島(日本)大和の国は。