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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 十八】 さ迷える陽気 之編 

 
【前回のあらまし】
伴蔵は金にものを言わせて女をものにし、邪魔が女房おみねを惨殺す。無念おみねが魂が、伴蔵の店の者に乗り移り、伴蔵が悪事をしゃべり出す。びっくり伴蔵、医者を呼び寄せたが、この医者が萩原新三郎の親友のあの山本志丈。志丈、おみねが魂がしゃべる内容を聞いて、一切合財了承す。ここに伴蔵観念してことの顛末を告白す。何と、萩原新三郎が幽霊に取り殺された話は、伴蔵のほら話にて、伴蔵が新三郎の財産を奪い取り、新三郎を蹴り殺して、お露の墓を暴(あば)き出し、骸骨を引っ張り出しての・・・・・
 
残るお話もあと少し。お天道様は鬼どもに如何なる処置を下すのか!陽気盛んな考助は主人平左衛門の仇を討てるのか!あらまし口上述べるのも、これから先は野暮ってことで、物語だけを進めていきやす。

 

 
引き続きまする怪談牡丹灯籠のお話は、飯島平左衞門の家来考助は、主人の仇なる宮野邊源次郎お國の両人が、越後の村上へ逃げ去りましたとのことゆえ、跡を追って村上へまいり、諸方を詮議致しましたが、とんと両人の行方が分りません。
 
又我が母おりゑと申す者は、内藤紀伊守の家来にて、澤田右衞門の妹にて、十八年以前に別れたが、今も無事でいられる事か、一目お目に懸りたい事と、段々御城中の様子を聞き合せまする処、澤田右衞門夫婦はとくに相い果て、今は養子の代に相い成って居る事ゆえ母の行方さえとんと分らず。
 
止むを得ずここに十日ばかし、あすこに五日逗留いたし、こちらかなたと心当りの処を尋ね、深く踏み込んで探って見ましたけれども更に分らず、空しく其の年も果て、翌年に相い成って考助は越後路から信濃路へかけ、美濃路へかかり探しましたが一向に分らず、早や主人の年忌にも当たる事ゆえ、一度江戸へ立ち帰らんと思い立ち、日数を経て、八月三日江戸表へ着いたし、まず谷中の三崎村なる新幡随院(しんばんずいいん)へ参り、主人の墓へ香花を手向け水を上げ、墓原の前に両手を突きまして、
 
「旦那様私は身不肖にして、未だ仇たるお國源次郎にめぐり逢わず、未だ本懐は遂げませんが、丁度旦那様の一周忌の御年囘(かい)に当たりまする事ゆえ、この度江戸表へ立ち帰り、御法事御供養をいたした上、早速又敵の行方を捜しに参りましょう、この度は方角を違え、是非とも穿鑿(せんさく)を遂げまするの心得、何卒草葉の蔭からお守りくださって、一時も早く仇の行方の知れまするようにお守り下されまし」 
 
と生きたる主人に物言う如く恭(うやうや)しく拝を遂げましてから、新幡随院の玄関に掛りまして、
 
「お頼み申します。お頼み申します
 
「どウれ、はアどちらからお出でだな」
 
「手前は元牛込の飯島平左衞門の家来考助と申す者でございますが、この度主人の年囘(ねんかい)を致したき心得で墓参りを致しましたが、方丈様御在寺なればお目通りを願いとう存じます」
 
「さようですか、暫くお控えなさい」
 
と是から奥へ取次ぎますると、こちらへお通し申せという事ゆえ、考助は案内に連られ奥へ通りますると、良石和尚は年五十五歳、道心堅固の智識にて大悟徹底致し、寂寞(じゃくまく)と坐蒲団の上に坐っておりまするが、道力自然に表に現われ、考助は頭がひとりでに下がるような事で、
 
「これは方丈様には初めてお目にかかりまする、手前事は相川考助と申す者でございますが、当年は旧主人飯島平左衞門の一周忌の年囘(ねんかい)に当たる事ゆえ、一度江戸表へ立ち帰りましたが、ここに金子五両ございまするが、これにて宜しく御法事御供養を願いとう存じます」
 
「はい、初めまして、まアこっちへ来なさい、これはまア感心な事で…コレ茶を進ぜい…お前さんが飯島の御家来考助殿か、立派なお人でよい心懸け、長旅を致した身の上なれば定めて沢山の施主もあるまい、一人か二人位の事であろうから、内の坊主どもに言い付けて何か精進物をこしらえさせ、なるたけ金のいらんように、手は掛るが皆こちらでやっておくが、一ヶ寺の住職を頼んで置きますが、お前ナア余り早く来るとこちらで困るから、昼飯でも喰ってからそろそろ出掛け、夕飯はこちらで喰う気で来なさい、そしてお前はこれから水道端の方へ行きなさろうが、お前を待っている人がたんとある、又お前は悦び事か何か目出度い事があるから早う行って顔を見せてやんなさい」
 
「へい、私は水道端へ参りまするが、貴僧はどうしてそれを御存じ、不思議な事でございます」
 
と言いながら、
 
「左様ならば明日昼飯を仕舞いまして又出ますから、何分宜しくお願い申しまする、御機嫌よろしゅう」
 
と寺を出ましたが、心の内に思うよう、どうも不思議な和尚様だ、どうして私が水道端へ行く事を知っているだろうか、本当に占者のような人だといいながら、水道端なる相川新五兵衞方へ参りましたが、考助は養子になって間もなく旅へ出立し、一年ぶりにて立帰りました事ゆえ、少しは遠慮いたし、台所口から、
 
「御免下さいまし、只今帰りましたよ、これこれ善藏どん、善藏どん
 
「なんだよ、掃除屋が来たのかえ」
 
「ナニ私だよ」
 
「おやこれはどうも、誠に失礼を申上げました、いつも今時分掃除屋が参りまするものですから、粗相を申しましたが、よくマア早くお帰りになりました、旦那様旦那様考助様がお帰りになりました」
 
「なに考助殿が帰られたとか、何処にお出でになる」
 
「へい、お台所にいらっしゃいます」
 
「どれどれ、これはマア、何んで台所などから来るのだ、そういえば水は汲んで廻すものを、善藏コレ善藏何をぐるぐる廻って居るのだ、コレ婆ア考助どのがお帰りだよ」
 
「若旦那がお帰りでございますか、これはマアさぞお疲れでございますだろうまず御機嫌宜しゅう」
 
「お父様にも御機嫌宜しゅう、私も都度都度書面を差し上げたき心得ではございまするが、何分旅先の事ゆえ思うようにはお便りも致し難く、お父様はどうなされたかと日々お案じ申しまするのみでございましたが、まずはお健かなる御顔を拝しまして誠にお慶びに存じまする」
 
 
「誠にお前も目出たく御帰宅なされ、新五兵衞至極満足いたしました、はい実にねえ烏の鳴かぬ日はあるがという譬(たとえ)の通りで、お前のことは少しも忘れたことはない、雪の降る日は今日あたりはどんな山を越すか、風の吹く日はどんな野原を通るかと、雨につけ風につけお前の事ばかり少しも忘れた事はござらん、ところへ思いがけなくお帰りになり、誠に喜ばしく思いまする。
 
娘もお前のことばかり案じ暮らし、お前の立った当座は只だ泣いてばかりおりましたから私がそんなにくよくよして煩(わずら)いでもしてはいかないから、気を取り直せよといい聞かせて置きましたが、お前もマア健かでお早くお帰りだ」
 
 
「私は今日江戸へ着き、すぐに谷中の幡随院へ参詣をいたして来ましたが、明日は丁度主人の一周忌の年囘(ねんかい)にあたりまするゆえ、法事供養をいたしたく立ち帰りました」
 
「そうか、如何にも明日は飯島様の年囘に当るからと思ったが、お前がお留守だから私でも代参に行こうかと話をしていたのだこれ婆ア、ここへ来な、考助様がお帰りになった」
 
「あら若旦那様お帰り遊ばしませ、御機嫌様よろしゅう、貴方がお立ちになってからというものは、毎日お噂ばかり致しておりましたが、少しもお窶(やつれ)れもなく、お色は少しお黒くおなり遊ばしましたが、相変らずよくまアねえ」
 
「婆ア、あれを連れて来なよ」
 
「でも只今よく寝んねしていらッしゃいますから、おめんめが覚めてから、お笑い顔を御覧に入れる方が宜しゅうございましょう」
 
「ウンそうだ、初めて逢うのに無理にめんめを覚さして泣き顔ではいかんから、だが大概にしてここへ連れて抱いて来い」
 
娘お徳は次の間に乳児を抱いて居りましたが、孝助の帰るを聞き、飛び立つばかり、嬉し涙を拭いながら出て来て、
 
「旦那様御機嫌様よろしゅう、よくマアお早くお帰り遊ばしました、毎日毎日貴方のお噂ばかり致しておりましたが、お窶(やつ)れも有りませんでお嬉しゅう存じまする」
 
「はい、お前も達者で目出たい、私が留守中はお父様の事何かと世話に成りました、旅先の事ゆえ都度都度便りも出来ず、どうなされたかと毎日案じるのみであったが、誠に皆の達者な顔を見るというはこの様な嬉しいことはない」
 
「私は昨晩旦那様の御出立になる処を夢に見ましたが、よく人が旅立ちの夢を見るとその人にお目にかかる事が出来ると申しますから、お近いうち旦那様にお目にかかれるかと楽しんで居りましたが、今日お帰りとは思いませんでした」
 
「おれも同じような夢を見たよ、婆アや抱いてお出で、もうおきたろう」
 
婆々は奥より乳児を抱いて参る。
 
「考助殿これを御覧、いい児だねえ」
 
「どちらのお子様で」
 
「ナニサお前の子だアね」
 
「御冗談ばかり言っていらっしゃいます、私は昨年の八月旅へ出ましたもので、子供なぞはございません」
 
「只一ぺんでも子供は出来ますよ、お前は娘と一つ寝をしたろう、だから只一度でも子は出来ます、只一度で子供が出来るというのは余程縁の深い訳で、娘も初のうちはくよくよしているから、私が懐姙をしているからそれではいかん、身体に障るからくよくよせんが宜しいと言っているうちに産み落したから、私が名付け親で、お前の考の字を貰って考太郎と付けてやりましたよ、マアよく似ておる事を、御覧よ」
 
「へい誠に不思議な事で、主人平左衞門様が遺言に、其の方養子となりて、若し子供が出来たなら、男女に拘らずその子を以て家督と致し家の再興を頼むと御遺言書にありましたが、事によると殿様の生まれ変わりかも知れません」
 
「おお至極左様かも知れん、娘も子供が出来てからねえ、嬉し紛れにお父様私は旦那様の事はお案じ申しまするが、この子が出来ましてから誠によく旦那様に似ておりますから、少しは紛れて、旦那様と一つ所におるように思われますというたから、私が又余り酷く抱き締めて、坊の腕でも折るといけないなんぞと、馬鹿を言っている位な事で、善藏や」
 
「へいへい」
 
「善藏や」
 
「参っています、何でございます」
 
「何だ、お前も板橋まで若旦那を送って行ったッけな」
 
「へい参りました、これは若旦那様誠に御機嫌よろしゅう、あの折りは実にお別れが惜しくて、泣きながら戻って参りましたが、よくマアお健かでいらっしゃいます」
 
「あの折りは大きにお世話様であったのう」
 
「それは兎も角も肝腎の仇の手掛りが知れましたか」
 
「まだ仇にはめぐり逢いませんが、主人の法事をしたく一まず江戸表へ立帰りましたが、法事を致しましてすぐに又出立致します」
 
「フウ成程、明日法事に行くのだねえ」
 
「左ようでございます、お父様と私と参りまする積りでございます、それに良石和尚の智識なる事はかねて聞き及んではいましたが、応験解道窮りなく、百年先の事を見抜くという程だと承わっておりまするが、今日和尚の言う言葉にその方は水道端へ参るだろう、参る時は必ず待っている者があり、かつ慶び事があると申しましたが、私の考えは、かく子供の出来た事まで良石和尚は知っておるに違い有りません」
 
「はてねえ、そんな所まで見抜きましたかえ、智識なぞという者は趺跏量見智(ふかりょうけんち)で、あの和尚は谷中の何とか云う智識の弟子と成り、禅学を打り破ったという事を承わりおるが、えらいものだねえ、善藏や、大急ぎで水道町の花屋へ行って、おめでたいのだから、何かお頭付の魚を三品ばかりに、それからよいお菓子を少し取ってくるように、道中にはあまり旨いお菓子はないから、それから鮓(寿司)も道中では良いのは食べられないから、鮓も少し取ってくるように、それから考助殿は酒はあがらんから五合ばかりにして、味淋(みりん)のごく良いのを飲むのだから二合ばかり、それから蕎麦も道中にはあるが、醤油(したじ)が悪いから良い蕎麦の御膳の蒸籠(せいろう)を取って参れ、それからお汁粉も誂(あつ)らえてまいれ」
 
といろいろな物を取り寄せ、その晩はめでたく祝しまして床に就きましたが、その夜は話も尽きやらず、長き夜もたちまち明ける事になり、翌日刻限を計り、考助は新五兵衞と同道にて水道端を立ち出で切支丹坂から小石川にかかり、白山から団子坂を下りて谷中の新幡随院へ参り、玄関へかかると、お寺にはとうより考助の来るのを待っていて、
 
「施主が遅くって誠に困るなア、坊主は皆本堂に詰め懸けているから、さアさア早く」
 
と急き立てられ、急ぎ本堂へ直りますると、かれこれ坊主の四五十人も押し並び、いと懇(ねんごろ)なる法事供養をいたし、施餓鬼(せがき)をいたしまする内に、もはや日は西山に傾く事になりましたゆえ、坊様達には馳走なぞして帰してしまい、後で又考助、新五兵衞、良石和尚の三人へは別に膳がなおり、和尚の居間で一口飲むことになりました。
 
「方丈様には初めてお目にかかります、私は相川新五兵衞と申す粗忽な者でございます、今日又御懇(ねんごろ)な法事供養を成しくだされ、仏もさぞかし草葉の蔭から満足な事でございましょう」
 
「はいお前は考助殿の舅御かえ、初めまして、考助殿は器量といい人柄といい立派な正しい人じゃ、中々正直な人間で余程怜悧(りこう)じゃが、お前はそそっかしそうな人じゃ」
 
「方丈様はよく御存じ、気味のわるいようなお方だ」 
 
「ついては、考助殿は旅へ行かれる事を承わったが、まだ急には立ちはせまいのう、私が少し思う事があるから、明日昼飯を喰って、それから八ツ前後に神田の旅籠町へ行きなさい。其処に白翁堂勇齋という人相を見る親爺がいるが、今年はもう七十だが達者な老人でなア、人相は余程名人だよ、これに頼めばお前の望みの事は分ろうから往って見なさい」
 
「はい、有り難う存じます、神田の旅籠町でございますか、かしこまりました」
 
「お前旅へ行くなれば私が餞別を進ぜよう、お前が折角呉れた布施はこっちへ貰って置くが、又私が五両餞別に進ぜよう、それからこの線香は外から貰ってあるから一箱進ぜよう仏壇へ線香や花の絶えんように上げて置きなさい、これだけは私が志じゃ」
 
「方丈様恐れ入りまする、どうも御出家様からお線香なぞ戴いては誠にあべこべな事で」
 
「そんな事をいわずに取って置きなさい」
 
「誠に有り難う存じます」
 
「考助殿気の毒だが、お前はどうも危い身の上でナア、剣の上を渡るようなれども、それを恐れて後へ退がるような事ではまさかの時の役には立たん、何でも進むより外はない、進むに利あり退くに利あらずというところだから、何でも憶してはならん、ずっと精神を凝(こら)して、仮令(たとえ)向こうに鉄門があろうとも、それを突っ切って通り越す心がなければなりませんぞ」
 
「有り難うござりまする」
 
「お舅御さん、これはねえ精進物だが、一体内で拵(こし)えると言うたは嘘だが、仕出し屋へ頼んだのじゃ、うまうもあるまいがこの重箱へ詰めて置いたから、二重とも土産に持って帰り、内の奉公人にでも喰わしてやってください」
 
「これは又お土産まで戴き、実に何ともお礼の申そうようはございません」
 
「考助殿、お前帰りがけにきっと剣難が見えるが、どうも遁(のが)れ難いからその積りで行きなさい」
 
「誰に剣難がございますと」
 
「考助殿はどうも遁(のが)れ難い剣難じゃ、なに軽くて軽傷、それで済めば宜しいが、どうも深傷じゃろう、間が悪いと斬り殺されるという訳じゃ、どうもこれは遁れられん因縁じゃ」
 
「私は最早五十五歳になりまするから、どうなっても宜しいが、貴僧考助は大事な身の上、殊に大事を抱えて居りまする故、どうか一つあなたお助け下さいませんか」
 
「お助け申すと云っても、これはどうも助けるわけにはいかんなア、因縁じゃからどうしても遁(のが)るる術はない」
 
「左様ならば、どうか考助だけを御当寺へお留め置きくだされ、手前だけ帰りましょうか」
 
 
「そんな弱い事ではどうもこうもならんわえ、武士の一大事なものは剣術であろう、その剣術の極意というものには、頭の上へ晃(きら)めくはがねがあっても、電光の如く斬り込んで来た時はどうして之を受けるという事は知っているだろう。
 
仏説にも利剣頭面(りけんずめん)に触るる時如何という事があってその時が大切の事じゃ、その位な心得はあるだろう。
 
たとえ火の中でも水の中でも突っ切って行きなさい、その代りこれを突っ切れば後は誠に楽になるから、さっさっと行きなさい、そのような事で気怯(おく)れがするような事ではいかん、ズッズッと突っ切って行くようでなければいかん、それを恐れるような事ではなりませんぞ、火に入って焼けず水に入って溺れず、精神を極めて進んで行きなさい」
 
「さようなればこのお重箱は置いて参りましょう」
 
「いや折角だからマア持って行きなさい」
 
「どこへか遁路(にげみち)はございませんか」
 
「そんな事を云わずズンズンと行きなさい」
 
「さようならば提灯を拝借して参りとうございます」
 
「提灯を持たん方がかえって宜しい」 
 
と言われて相川は意地の悪い和尚だと呟(つぶや)きながら、挨拶もそわそわ考助と共に幡随院の門を立ち出でました。
 
 
 

陽気ますます盛んに類を呼ぶ 之編に続く