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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 十三】 因果応報の雷(いかずち)落つ 之編

 
【前回のあらまし】
黄泉竃食(よもつへぐ)ひしたる者は現世へ戻れずの伝えあり。黄泉醜女(よみしこめ)と取引する者も同類なるのが天の定め。欲に眩んで恩ある者を裏切る、人でなしが伴蔵夫婦。まんまと幽霊から100両もの金子をせしめこむ。箍(たが)がはずれりゃ畜生界へ真っ逆さま。新三郎が命は風前の灯。一方の飯島家内。陰気の勢い唯一人の陽気を飲み込む飲み込む。お國に賊に仕立て上げられたが考助は、夕刻の手打ちまで蟄居の身。こちらが命も風前の灯。あぁ嘆かわしやは天網働かずことなり。
 
 
飯島平左衞門の家では、お國が、今夜こそ、かねて源次郎としめし合せた一大事を立ち聞きした邪魔者の考助が、殿様のお手打ちになるのだから、してやったりと思うところへ、飯島が奥から出てまいり、
 
「お國、お國、誠にとんだ事をした、たとえにも七たび捜して人を疑ぐれという通り、紛失した百両の金子(きんす)が出たよ、金の入れ所は時々取り違えなければならないものだから、おれが外へ仕舞って置いて忘れていたのだ、皆に心配を掛けて誠に気の毒だ、出たから悦んでくれろ」
 
「おやまアお目出度うございます」 と口には言えど、腹の内ではちっとも目出たい事も何にもない。どうして金が出たであろうと不審が晴れないでおりますと、
 
「女どもを皆ここへ呼んでくれ」
 
「お竹どん、おきみどん皆ここへお出で」
 
「只今承わりますればお金が出ましたそうでおめでとう存じます」
 
「殿様誠におめでとうございます」
 
「考助も源助もここへ呼んで来い」
 
「考助どん源助どん、殿様がめしますよ」
 
「へいへい、これ考助お詫び事を願いな、お前は全く取らないようだが、お前の文庫(小箱)の中から胴巻が出たのがお前があやまり、詫びごとをしなよ」
 
「いいよ、いよいよお手打になるときは、殿様の前で私が並べ立てる事がある、それを聞くとお前はきっと悦ぶだろう」
 
「なに嬉しい事があるものか、殿様が召すからマア行こう」
 
と両人連れ立ってまいりますと、
 
「考助、源助、こっちへ来てくれ」
 
「殿様、只今部屋へ往って段々考助へ説得を致しましたが、どうも全く考助は盗らないようにございます、お腹立ちの段は重々御もっともでござりますが、お手打の儀は何卒二十三日までお日延べの程を願いとう存じます」
 
「まアい、まぁいい、考助これへ来てくれ」
 
「はいお庭でお手打ちになりますか、ゴザをこれへ敷きましょうか、血が滴れますから」
 
「縁側へ上がれ」
 
「へい、これはお縁側でお手打ち、これは有がたい、もったいない事で」
 
「そう言っちゃア困るよ、さて源助考助、誠に相済まん事であったが、百両の金は実はおれが仕舞い場所を違えておいたのが、用箪笥(ようだんす)から出たから喜んでくれ、家来だからあんなに疑ってもよいが、他の者でもあってはおれが言い訳のしようもない位な訳で、誠に申しわけがない」
 
「お金が出ましたか、さようなれば私は盗賊ではなく、お疑りは晴れましたか」
 
「そうよ、疑りはすっぱり晴れた、おれが間違いであったのだ」
 
「ええ有りがとうござります、私は素よりお手打になるのは厭いませんけれども、ただ全く私が取りませんのを取ったかと思われまするのが冥路の障りでございましたが、御疑念が晴れましたならお手打ちは厭いません、ササお手打ちになされまし」
 
「おれが悪かった、これが家来だからいいが、若し朋友か何かであった日にゃア腹を切っても済まない所、家来だからといって、無闇に疑りを掛けては済まない、飯島が板の間へ手を突いてことごとく詫びる、堪忍して呉れ」
 
「ああもったいない、誠に嬉しゅうございました、源助どん」
 
「誠にどうも」
 
「源助、手前は孝助を疑って孝助を突いたから謝まれ」
 
「へい。考助どん、誠に済みません」
 
「たけや何かも何か少し考助を疑ったろう」
 
「ナニ疑りは致しませんが、考助どんは平常の気性にも似合ないことだと存じまして、ちょっとばかり」
 
「矢張り疑ったのだから謝まれ、きみも謝まれ」
 
「考助どん、誠にお目出度存じます、先程は誠に済みません」
 
「これ國、貴様は一番考助を疑り、膝を突いたり何かしたから余計に謝まれ、おれでさえ手をついて謝ったではないか、貴様は猶更丁寧に詫びをしろ」
 
と云われてお國は、今度こそ考助がお手打ちになる事と思い、心の中でしてやったりと思っている処へ、金子が出て、考助に謝まれと云うから残念で堪らないけれども、仕方がないから、
 
「考助どん誠に重々すまない事を致しました、どうか勘弁しておくんなさいましよ」
 
「なによろしゅうございます、お金が出たからよいが、若しお手打ちにでもなるなら、殿様の前でお為になる事を並べ立て死のうと思って……」
 
とりきんで言いかけるを、
 
「考助何も言ってくれるな。おれにめんじて何事もいうな」
 
「恐れ入ります、金子は出ましたが、彼の胴巻はどうして私の文庫から出ましたろう」
 
「あれはホラいつか貴様が胴巻の古いのを一つ欲しいと言った事があったっけノウ、その時おれが古いのを一つやったじゃないか」
 
「ナニさような事は」
 
「貴様がそれ欲しいと言ったじゃないか」
 
「草履取の身の上でちりめんのお胴巻を戴いたとて仕方がございません」
 
「こいつ物覚えの悪いやつだ」
 
「私より殿様は百両のお金を仕舞い忘れる位ですから貴方の方が物覚えがわるい」
 
「成程これはおれがわるかった、何しろ目出度いから皆に蕎麦でも喰わせてやれ」
 
と飯島は考助の忠義の志しはかねて見抜いてあるから、考助が盗み取るようなことはないと知っている故、金子は全く紛失したなれども、別に百両を封金にこしらえ、この騒動を我が粗忽にしてぴったりと納まりがつきました。
 
飯島はそれ程までに考助を愛する事ゆえ、考助も主人の為めには死んでもよいと思い込んでおりました。
 
かくて其の月も過ぎて八月の三日となり、いよいよ明日はお休みゆえ、殿様と隣邸の次男源次郎と中川へ釣りに行く約束の当日なれば、考助は心配をいたし、今夜隣の源次郎が来て当家に泊まるに相違ないから、殿様に明日の釣りをお止めなさるように御意見を申し上げ、もしどうしてもお聞入りのないその時は、今夜客間に寝ている源次郎めが中二階に寝ているお國の所へ廊下伝いに忍び行くに相違ないから、廊下で源次郎を槍玉にあげ、中二階へ踏込んでお國を突き殺し、自分は其の場を去らず切腹すれば、何事もなく事済みになるに違いない、これが殿様へ生涯の恩返し、しかしどうかして明日主人を漁にやりたくないから、一応は御意見をして見ようと、
 
「殿様明日は中川へ漁に入っしゃいますか」
 
「ああ行くよ」
 
「度々申し上げるようですが、お嬢様がお亡くなりになり、未だ間もない事でございまするから、お見合せなすってはいかが」
 
「おれは他に楽しみはなく釣りが極好きで、番がこむから、たまには好きな釣りぐらいはしなければならない、それを止めてくれては困るな」
 
「貴方は泳ぎを御存じがないから水辺のお遊びは宜しくございません、それともたって入っしゃいますならば考助お供いたしましょう、どうか手前お供にお連れください」
 
「手前は釣りは嫌いじゃないか、供はならんよ、能く人の楽みを止める奴だ、止めるな」
 
「じゃア今晩やって仕舞います、長々御厄介になりました」
 
「何を」
 
「え、なんでも宜しゅうございます、こちらの事です、殿様私は三月二十一日に御当家へ御奉公に参りまして、新参者の私を、人が羨ましがる程お目を掛けてくださり、御恩義の程は死んでも忘れはいたしません、死ねば幽霊になって殿様のお身体に附きまとい、凶事のない様に守りまするが、全体貴方は御酒を召し上れば前後も知らずお寝みになる、又召し上がらねば少しもお寝みになる事が出来ません、御酒も随分気を散じますから少々は召し上がっても宜しゅうございますが、多分に召し上ってお酔いなすっては、たとえどんなに御剣術が御名人でも、悪者がどんなことを致しますかも知れません、私はそれが案じられてなりません」
 
「さような事は言わんでも宜しい、あちらへ参れ」
 
「へえ」
 
と立上がり、廊下を二足三足行きにかかりましたが、これがもう主人の顔の見納めかと思えば、足も先に進まず、又振り返って主人の顔を見てポロリと涙を流し、悄々(すごすご)として行きますから、振り返るを見て飯島もハテナと思い、しばし腕を組み、小首かたげて考えておりました。
 
考助は玄関に参り、欄間(らんま)に懸ってある槍をはずし、手に取って鞘を外して検(あらた)めるに、真赤に錆びておりましたゆえ、庭へ下り、砥石を持ち来り、槍の身をゴシゴシ研ぎはじめていると、
 
「考助、考助」
 
「へいへぃ」
 
「何だ、何をする、どう致すのだ」
 
「これは槍でございます」
 
「槍を研いでどう致すのだえ」
 
「余り真赤に錆ておりますから、なんぼ泰平の御代とは申しながら、狼藉ものでも入りますと、其の時のお役に立たないと思い、身体が閑でございますから研ぎ始めたのでございます」
 
「錆槍で人が突けぬような事では役にたたんぞ、たとえ向うに一寸幅の鉄板があろうとも、こなたの腕さえ確かならプツリッと突き抜ける訳のものだ、錆ていようが丸刃であろうが、さような事に頓着はいらぬから研ぐには及ばん、又憎い奴を突き殺す時は錆槍で突いた方が、先の奴が痛いからこの方が却っていい心持ちだ」
 
「成程こりゃアそうですな」
 
と其の儘槍を元の処へ掛けて置く。
 
飯島は奥へ這入り、その晩源次郎がまいり酒宴が始まり、お國が長唄の地で春雨かなにか三味線を掻きならし、当時の九時過ぎまで興を添えておりましたが、もうお引きにしましょうと客間へ蚊帳を一抔に吊って源次郎を寝かし、お國は中二階へ寝てしまいました。
 
お國は誰が泊っても中二階へ寝なければ源次郎の来た時不都合だから、何時でもお客さえあればここへ寝ます。夜も段々と更け渡ると、考助は手拭いを眉深に頬冠りをし、紺看板に梵天帯を締め、槍を小脇に掻き込んで庭口へ忍び込み、雨戸を少々ずつ二所明けて置いて、花壇の中へ身を潜め隠し縁の下へ槍を突込んで様子を窺っている。
 
その中に八ツの鐘がボーンと鳴り響く。この鐘は目白の鐘だから少々早めです。するとさらりさらりと障子を明け、抜き足をして廊下を忍び来る者は、寝衣(ねまき)姿なれば、確かに源次郎に相違ないと、考助は首を差し延べ様子を窺うに、行灯の明りがぼんやりと障子に映るのみにて薄暗く、はっきりそれとは見分けられねど、段々中二階の方へ行くから、考助はいよいよ源次郎に違いなしとやり過し、戸の隙間から脇腹を狙って、物をも云わず、力に任せて繰り出す槍先は違わず、プツリッと脾腹へ掛けて突き徹す。
 
突かれて男はよろめきながら左手を伸ばして槍先を引抜きさまグッと突き返す。突かれて考助たじたじと石へつまずき尻もちをつく。男は槍の穂先を掴み、縁側より下へヒョロヒョロと降り、くつ脱ぎ石に腰を掛け、
 
「考助外庭へ出ろ」
 
と言われて考助、オヤ、と言って見ると、びっくりしたは源次郎と思いのほか、大恩受けたる主人の肋骨へ槍を突き掛けた事なれば、アッとばかりに呆れはて、唯キョトキョトキョトキョトとしてのぼせあがってしまい、呆気に取られて涙も出ずにいる。
 
「考助こちらへ来い」
 
と気丈な殿様なれば袂にて疵口を確かと押えてはいるものの、血は溢れてぼたりぽたりと流れ出す。飯島は血に染みたる槍を杖として、飛石伝いにヒョロヒョロと建仁寺垣の外なる花壇の脇の所へ考助を連れて来る。考助は腰が抜けてしまって、歩けないで這って来た。
 
「へいへぃ間違いでござります。。。。。。」
 
「へいへぃ間違いでござります。。。。。。。。。。。。」
 
「考助おれの上締を取って疵口を縛れ、早く縛れ」
 
と言われても、考助は手がブルブルとふるえて思うままに締らないから、飯島自ら疵口をグッと堅く締め上げ、なお手をもって其の上を押え、根府川の飛石の上へペタペタと坐る。
 
「殿様、とんでもない事をいたしました」
 
とばかりに泣き出す。
 
「静かにしろ、他へ洩れては宜しくないぞ、宮野邊源次郎めを突こうとして、あやまって平左衞門を突いたか」
 
 
「大変な事をいたしました、実は召しつかえのお國と宮野邊の次男源次郎とが前々から不義をしていて、先月二十一日お泊り番の時、源次郎がお國の許へ忍び込み、お國と密々話して居る所へうっかり私がお庭へ出て参り、様子を聞くと、殿様がいらっしゃっては邪魔になるゆえ、来月の四日中川にて殿様を釣舟から突き落して殺してしまい、ていよくお頭に届けをしてしまい、源次郎を養子に直し、お國と末長に楽しもうとの悪工み、聞くに堪え兼ね、怒りに任かせ、思わず漏れる声を聞きつけ、お國が出て参り、かれこれと言い合いはしたものの、源次郎の方には殿様から釣道具の直しを頼みたいとの手紙を以て証拠といたし、一時は私言い籠(こ)められ、弓の折にてしたたか打たれ、いまだに残る額の疵。
 
悔しくてたまり兼ね、表向きにしようとは思ったなれど、こちらは証拠のない聞いた事、ことに向こうは次男の勢い、無理でも押え付けられて私はお暇になるに相違ないと思い諦め、この事は胸にたたんでしまって置き、いよいよ明日は釣りにお出になるお約束日ゆえお止め申しましたが、お聞入れがないから、是非なく、今晩二人の不義者を殺し、その場を去らず切腹なし、殿様の難義をお救い申そうと思うた事は鶍(いすか)の嘴の(はし)と喰い違い、とんでもない間違をいたしました。
 
主人の為に仇を討とうと思ったに、却って主人を殺すとは神も仏もない事か、何たる因果な事であるか、殿様御免遊ばせ」 
 
と飛石へ両手をつき考助は泣き転がりました。
 
飯島は苦痛を堪えながら、
 
「ああ、あぁ不束なるこの飯島を主人と思えばこそ、それ程までに思うてくれる志もったいない、なんぼ敵(かたき)同士とはいいながら現在汝の槍先に命を果すとは輪廻応報、ああ実に殺生は出来んものだなア」
 
「殿様敵同士とは情ない、何で私は敵同志でございますの」
 
「其の方が当家へ奉公に参ったは三月二十一日、その時それがし非番にて貴様の身の上を尋ねしに、父は小出の藩中にて名をば黒川孝藏と呼び、今を去る事十八年前、本郷三丁目藤村屋新兵衞という刀屋の前にて、何者とも知れず人手に罹り、非業の最期を遂げたゆえ、親の敵を討ちたいと、若年の頃より武家奉公を心掛け、やっとの思いで当家へ奉公住をしたから、どうか敵の討てるよう剣術を教えて下さいと手前の物語りをした時、びっくりしたというは、拙者がまだ平太郎と申し部屋住の折、かの孝藏と聊(いささか)の口論がもととなり、切り捨てたるはかく言う飯島平左衞門であるぞ」
 
と言われて考助は唯へいへいとばかりに呆れ果て、張り詰めた気もひょろぬけて腰が抜け、ペタペタと尻もちを突き、呆気に取られて、飯島の顔を打ち眺め、茫然としておりましたが、暫くして、
 
「殿様そう言う訳なれば、なぜその時にそう言っては下さいません、お情のうございます」
 
 
「現在親の敵と知らず、主人に取って忠義を尽す汝の志、殊に孝心深きに愛(め)で、不便なものと心得、いつか敵と名乗って汝に討たれたいと、さまざまに心痛いたしたなれど、かりそめにも一旦主人とした者に刃向えば主殺しの罪は逃れ難し、されば如何にもして汝をば罪に落さず、敵と名乗り討たれたいと思いし折から、相川より汝を養子にしたいとの所望に任せ、養子に遣わし、一人前の侍となして置いて仇と名乗り討たれんものと心組んだるその処へ、國と源次郎めが密通したを怒って、二人の命を絶たんとの汝の心底、さきほど庭にて錆槍を磨ぎし時より暁りしゆえ、機を外さず討たれんものと、わざと源次郎の形をして見違えさせ、槍で突かして孝心の無念をここに晴させんと、かくは計らいたる事なり。
 
今汝が錆槍にて脾腹を突かれし苦痛より、先の日汝が手を合せ、親の敵の討てるよう剣術を教えてくだされと、頼まれた時のせつなさは百倍増であったるぞ、定めて敵を討ちたいだろうが、我が首を切る時はたちまち主殺しの罪に落ちん、されば我髷をば切り取って、之にて胸をば晴し、その方は一先ここを立退いて、相川新五兵衞方へ行き密々に万事相談致せ。
 
この刀は昔、藤村屋新兵衞方にて買わんと思い、見ているうちに喧嘩となり、汝の父を討ったる刀、中身は天正助定なれば、これを汝に形見として遣わすぞ。
 
又この包の中には金子百両と悉(ことごと)しく跡方の事の頼み状、これを開いて読み下せば、我が屋敷の始末のあらましは分る筈、汝いつまでも名残りを惜しみてここにいる時は、汝は主殺の罪に落るのみならず、飯島の家は改易となるは当然、この道理を聞き分けて早く参れ」
 
 
「殿様、どんな事がございましょうともこの場は退きません、たとえ親父をお殺しなさりょうが、それは親父が悪いから、かくまで情ある御主人を見捨てて他へ立ち退けましょうか。
 
忠義の道を欠く時は矢張り孝行は立たない道理、一旦主人と頼みしお方を、粗相とは言いながら槍先にかけたは私の過り、お詫びの為にこの場にて切腹いたして相果てます」
 
「馬鹿な事を申すな、手前に切腹させる位なら飯島はかくまで心痛はいたさぬわ、左様な事を申さず早く往け、もしこの事が人の耳に入りなば飯島の家に係わる大事、悉(ことごと)しい事は書き置きに有るから早く行かぬか、これ考助、一旦主従の因縁を結びし事なれば、仇は仇恩は恩、よいか一旦仇を討ったる後は三世も変らぬ主従と心得てくれ、敵同士でありながら汝の奉公に参りし時から、どう言う事かその方が我が子のように可愛くてなア」
 
 
と云われ考助は、おいおいおいおいと泣きながら、
 
「へいへぃ、これまで殿様の御丹誠を受けまして、剣術といい槍といい、なま兵法に覚えたが今日かえって仇となり、腕が鈍くばかくまでに深くは突かぬものであったに、御勘弁なすってくださいまし」
 
と泣き沈む。
 
「これ早く往け、往かぬと家は潰れるぞ」
 
と急き立てられ、孝助は止むを得ず形見の一刀腰に打ち込み、包を片手に立ち上がり、主人の命に随って脇差抜いて主人の元結をはじき、大地へこくと泣き伏し、
 
「おさらばでございます」
 
と別れを告げてこそこそ門を出て、はや足に水道端なる相川の屋敷に参り。
 
「お頼ん申します。お頼ん申します
 
「善藏や誰か門を叩くようだ、御廻状が来たのかも知らん、ちょっと出ろ、善藏や」
 
「へいへぃ」
 
「何だ、返事ばかりしていてはいかんよ」
 
「只今開けます、只今、へい真っ暗でさっぱり訳がわからない、只今々々、へいへぃ、どっちが出口だか忘れた」
 
コツリと柱で頭を打ッつけ、アイタアイタ、、、、、と寝惚眼(ねぼけまなこ)をこすりながら戸を開いて表へ立出で、
 
「外の方がよっぽど明るいくらいだ、へいへぃどなた様でございます」
 
「飯島の家来考助でございますが、宜しくお取り次ぎを願います」
 
「御苦労様でございます、只今開けます」
 
と石の吊してある門をがッたんがッたんと開ける。
 
「夜中上りまして、おしずまりになった処を御迷惑をかけました」
 
「まだ殿様はおしずまりなされぬようで、まだ御本のお声が聞えますくらい、まずお入り」
 
と内へ入れ、善藏は奥へ参り、
 
「殿様、只今飯島様の考助様が入っしゃいました」
 
「それじゃアこれへ、アレ、コリャ善藏寝惚てはいかん、これ蚊帳の釣手を取って向うの方へやって置け、これ馬鹿何を寝惚ているのだ、寝ろ寝ろ、仕方のない奴」
 
と呟きながら玄関まで出迎え、
 
「これは考助殿、さアさぁお上り、今では親子の中何も遠慮はいらない、ズッと上れ」
 
と座敷へ通し、
 
「さて考助殿、夜中のお使い定めて火急の御用だろう、承りましょう、ええどういう御用か、何だ泣いているな、男が泣くくらいではよくよくな訳だろうが、どうしたんだ」
 
 
「夜中上り恐れ入りますが、不思議の御縁、御当家様の御所望に任かせ、主人得心の上私養子のお取り決めはいたしましたが、深い仔細がございまして、どうあっても遠国へ参らんければなりませんゆえ、この縁談は破談と遊ばして、どうか外々から御養子をなされて下さいませ」
 
 
「はいナア成程よろしい、お前が気に入らなければ仕方が無いねえ、高は少なし、娘は不束なり、舅は此の通りの粗忽家で一つとして取り所がない、だが娘がお前の忠義を見抜いて煩(わずら)うまでに思い込んだもんだから、殿様にも話し、お前の得心の上取り決めた事であるのを、お前一人来て破縁をしてくれろと言ってもそれは出来ないな。
 
殿様が来てお取り決めになったのを、お前一人で破るには、何か趣意がなければ破れまい、左様じゃござらんか、どう言う訳だか次第を承わりましょう、娘が気に入らないのか、舅が悪いのか、高が不足なのか、何んだ」
 
 
「決してそういう訳ではございません」
 
「それじゃアお前は飯島様を失錯(しくじ)りでもしたか、どうも尋常の顔付きではない、お前は根が忠義の人だから、しくじってハッと思い、腹でも切ろうか、遠方へでも行こうと言うのだろうが、そんな事をしてはいかん、しくじったなら私が一緒に行って詫びをしてやろう、もうお前は結納まで取り交せをした事だから、内の者、言い付けて、考助どのとは言わせず、考助様と呼ばせるくらいで、言わば内の忰を来年の二月婚礼を致すまで、先の主人へ預けて置くのだ、少し位の粗相が有ったッてしくじらせる事があるものか、と不理窟をいえばそんなものだが、マア一緒に行こう、行ってやろう」
 
「いえ、そう言う訳ではございません」
 
「何だ、それじゃアどう言う訳だ」
 
「申すに申し切れない程な深い訳がございまして」
 
 
「ははア分った、宜しい、そう有るべき事だろう、どうもお前のような忠義もの故、飯島様が相川へ行ってやれ、ハイと主命を背かず答はしたものの、お前の器量だから先に約束をした女でもあるのだろう。
 
所が今度の事をその女が知って私が先約だから是非とも女房にしてくれなければ主人に駆け込んでこの事を告げるとか、何とか言い出したもんだから、お前はハッと思い、その事が主人へ知れては相済まん、それじゃアお前を一緒に連れて遠国へ逃げようと言うのだろう、なに一人ぐらいの妾はあっても宜しい、お頭へちょっと届けて置けば仔細はない、もっともの事だ、娘は表向の御新造として、内々の処はその女を御新造として置いてもいい、私が取る分米をその女にやりますから宜しい、私が行ってその女に逢って頼みましょう、その女は何者じゃ、芸者か何んだ」
 
 
「そんな事ではございません」
 
「それじゃア何んだよ、エイ何んだ」
 
「それではお話をいたしまするが、殿様は負傷でいます」
 
「ナニ負傷で、何故早く言わん、それじゃア狼藉者が忍び込み、飯島が流石手者でも多勢に無勢、切り立てられているのを、お前が一方を切り抜けて知らせに来たのだろう、宜しい、手前は剣術は知らないが、若い時分に学んで槍は少々心得ておる、参ってお助太刀をいたそう」
 
「さようではございません、実は召し使いの國と隣の源次郎が前々から密通をして」
 
「へい、やっていますか、呆れたものだ、そういえばちらちらそんな噂もあるが、恩人の思いものをそんな事をして憎い奴だ、人非人ですねえ、それからそれから」
 
「先月の二十一日、殿様お泊り番の夜に、源次郎が密かにお國の許へ忍び込み、明日中川にて殿様を舟から突き落し殺そうとの悪計みを、私が立ち聞をした所から、争いとなりましたが、こっちは悲しいかな草履取の身の上、向こうは二男の勢なれば喧嘩は負となったのみならず、弓の折にて打擲され、額に残る此の疵もその時打たれた疵でございます」
 
「不届至極な奴だ、お前なぜその事をすぐに御主人に言わないのだ」
 
 
「申そうとは思いましたが、私の方は聞いたばかり、証拠にならず、向こうには殿様から、暇があったら夜にでも宅へ参って釣道具の損じを直して呉れとの頼みの手紙がある事ゆえ、表沙汰にいたしますれば、主人は必ず隣へ対し、義理にも私はお暇に成るに違いはありません。
 
さすれば後にて二人の者が思うがままに殿様を殺しますから、どうあってもこのお邸は出られんと今日まで胸を摩(す)っておりましたが、明日はいよいよ中川へ釣りにお出になる当日ゆえ、それとなく今日殿様に明日の漁をお止め申しましたが、お聞入れがありませんから、止むを得ず、今宵の内に二人の者を殺し、その場で私が切腹すれば、殿様のお命に別条はないと思い詰め、槍を提げて庭先へ忍んで様子を窺いました」
 
 
「誠に感心感服、アア恐れ入ったね、忠義な事だ、誠にどうも、それだから娘より私が惚れたのだ、お前の志は天晴なものだ、その様な奴は突き放しでいいよ、腹は切らんでもいいよ、私が何のようにもお頭に届を出しておくよ、それからどうした」
 
「そういたしますると、廊下を通る寝衣(ねまき)姿は確かに源次郎と思い、繰り出す槍先あやまたず、脇腹深く突き込みましたところ、間違って主人を突いたのでございます」
 
「ヤレハヤ、それはなんたることか、しかし疵は浅かろうか」
 
「いえ、深手でございます」
 
「イヤハヤどうも、なぜ源次郎と声を掛けて突かないのだ、無闇に突くからだ、困った事をやったなア、だが過って主人を突いたので、お前が不忠者でない悪人でない事は御主人は御存じだろうから、間違いだと言う事を御主人へ話したろうね」
 
「主人は早くより得心にて、わざと源次郎の姿と見違えさせ、私に突かせたのでござります」
 
「これはマア何ゆえそんな馬鹿な事をしたんだ」
 
「私には深い事は分りませんが、このお書き置きに詳しい事がございますから」
 
と差し出す包を、
 
「拝見いたしましょう、どれこれかえ、大きな包だ。婆や、婆や、コレ本の間に眼鏡があるから取ってくれ」
 
と眼鏡を掛け、行灯の明り掻(か)き立て読み下して相川も、ハッとばかりに溜息をついて驚きました。