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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 九】 ドス黒いはかりごと 之編

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 1月 27日先負  四緑木星

         戌辰 日/丁卯 月/甲午 年 月相 26.2

         雨水 次候 霞始靆(かすみはじめてたなびく)   

 
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 3.4℃ 湿度 64% (大阪 6:00時点) 
 
【前回のあらすじ】
萩原新三郎は、思い合っていたお露との連夜の逢い引きにうつつを抜かし、魂が黄泉の国を彷徨い歩く。孫店の伴蔵が新三郎が化け物と居るところを覗き、隣の顔相見白翁堂勇斎に洗いざらいぶちまける。白翁堂はこりゃ幽霊だとおののいて、新三郎の顔相見ると、新三郎には死相が浮かぶ。これには新三郎も驚かされて、お露の住む三崎を訪ね、そこで二つ連なる新墓と、例の牡丹灯篭を見つけてしまい、それがお露とお米の墓と知る。知って仕舞ったなら、あれほどまでのおもゐも恐怖のおもゐにササァッと変わる。人のおもゐの儚さよ。新三郎は和尚に乞い、海音如来雨宝陀羅尼経(うほうだらにぎょう)そしてお札をいただき、四方八方お札を貼って一心不乱に読経す。そんなかんなでいつもの時刻。カランコロンと下駄の音すれば新三郎は南無阿弥陀仏。またまた、飯島の家内では、妖しき陰謀が渦巻き、この陰謀に草履取の考助が一人向かっていた。
 
 
 
飯島の家では妾のお國が、考助を追い出すか、しくじらするようにいろいろ工夫をこらし、この事ばかり寝ても覚めても考えている、悪い奴この上ない。
 
殿様は翌日御番でお出向きになった後へ、隣家の源次郎がお早うと言いながらやって来ましたから、お國はしらばっくれて、
 
「おや、いらっしゃいまし、引続きまして残暑が強く皆様御機嫌よろしゅう、こちらは風がよく入りますからいらっしゃいまし」
 
源次郎は小声になり、
 
「考助は昨夜の事を喋りはしないかえ」
 
「いえサ、考助がきっと告口をしますだろうと思いましたに、告口をしませんで、殿様に屋根瓦が落ちて頭へ当たり怪我をしたと言ってね、その時私は弓の折で打たれたと言わなければよいと胸が悸動しましたが、あの事は何とも言いませんが、言わずにいるだけおかしいではありませんか」
 
と小声で言って、わざと大声で、
 
「お暑い事この節のように暑くっては仕方がありません」
 
又小声になり。
 
「いえ、それに水道端の相川新五兵衞様の一人娘のお徳様が、宅の草履取の考助に恋患いをしているとサ、まア本当に茶人も有ったものですねえ、馬鹿なお嬢様だよ、それからあの相川の爺さんが汗をだくだく流しながら、殿様に願って考助をくれろと頼むと、殿様も贔屓の考助だから上げましょうと相談が出来まして、相川は帰りましたのですよ、そうして、今日は相川で結納の取り交わせになるのですとさ」
 
「それわぁアよろしい、孝助が行って仕舞えば仔細はない」
 
「いえサ、水道端の相川へ養子にやるのに、宅の殿様がお里になってやるのだからいけませんよ、そうすると、あいつがこの家の息子の風をしましょう、草履取でさえ随分ツンケンした奴だから、そうなればきっとこの間の意趣を返すに違いはありません、何でもあいつが一件を立ち聞きしたに違いないから、貴方どうかして考助めを殺して下さい」
 
「あやつは剣術が出来るからおれには殺せないよ」
 
「貴方は何故そう剣術がお下手だろうねえ」
 
「いいや、それにはうまい事がある、相川のお嬢には宅の相助という若党が大層に惚れて居るから、彼をうまくだまし、考助と喧嘩をさせておき、後で喧嘩両成敗だから、おれらの方で相助を追い出せば、伯父さんも義理で考助を出すに違いないが、ついちゃア明日伯父様と一緒に帰って来ては困るが、考助がひとりで先へ帰るわけには出来まいか」
 
「それはわけなく出来ますとも、私が殿様に用がありますから先へ帰して下さいましといえば、きっと先へ帰して下さるに違いはありませんから、大曲りあたりで待ち伏せてあやつをボカボカにお殴りなさい」
 
大声を出して、
 
「誠におそうそう様で、左様なら」
 
源次郎は屋敷に帰るとすぐに男部屋へ参ると、相助は少し愚者で、鼻歌でデロレンなどを唄っている所へ源次郎が来て、
 
「相助、大層精が出るのう」
 
「オヤ御次男様、誠に日々お暑い事でございます、当年は別してお暑いことで」
 
「暑いのう、その方は感心な奴だと常々兄上も褒めていらっしゃる、主用がなければ自用を足し、少しも身体に隙のない男だとおっしゃっている、それに手前は国に別段親族もない事だから、当家が里になり、大した所ではないが相応な侍の家へ養子にやるつもりだよ」
 
「恐れ入ります、何ともはや誠にどうも恐れ入りますなア、殿様と申し貴方と申し、不束な私をそれ程までに、これははや口ではお礼が述べきれましねえ、何ともヘイ分らなく有難うございます、それだが武士になるにゃア私もいろはのいの字も知んねえもんだから誠に困るんで」
 
「実は貴様も知っている水道端の相川のう、あすこにお徳という十八ばかりの娘があるだろう、貴様をあすこの養子に世話をしてやろうと兄上がおっしゃった」
 
「これははやモウどうも、本当でごぜえますか、はやどうも、あのくれえなお嬢様は世間にはないと思います、頬っぺたなどはポッとして、尻などがちまちまとして、あのくれえな美しいお嬢様はたんとはありましねえ」
 
 
「向うは高が少ないから、若党でも何でもよいから、堅い者なればというのだから、手前なればごくよかろうとあらまし、相談が整った所が、隣の草履取の考助めが胡麻をすった為に、縁談が破談となってしまった。
 
考助が相川の男部屋へ行って、あの相助はいけない奴で、大酒飲で、酒を飲むと前後を失ない、主人の見さかいもなく頭をぶち、女郎は買い、博奕は打ち、その上盗人根性があると言ったもんだから、相川も厭気になり、話がもつれて、今度はとうとう考助が相川の養子になる事に決まり、今日結納の取り交わせだとよ、向うでは草履取でさえ欲しがるところだから、手前なれば真鍮でも二本さす身だから、きっとよろしかったに違いはない、考助は憎い奴だ」
 
 
「なんですと、考助が養子になると。憎こい奴でございます。人の恋路の邪魔をすればッて、私が盗人根性があって、おまけに御主人の頭を打(ちょう)すと、いつ私が御主人の頭を打しました」
 
「おれに理屈を言っても仕方がない」
 
「残念、腹が立ちますよ、憎こい孝助だ。ただ置きましねえ」
 
「喧嘩しろしろ」
 
「喧嘩しては叶いましねえ、あやつは剣術が免許だから剣術はとても及びましねえ」
 
「それじゃア田中の中間(ちゅうげん)の喧嘩の亀蔵という奴で、身体中疵だらけの奴がいるだろう、彼と藤田の時蔵と両人に鼻薬をやって頼み、貴様と三人で、明日考助が相川の屋敷から一人で出て来る所を、大曲りで打殺しても構わないから、ボカボカに殴りにして川へ投りこめ」
 
「殺すのは可愛相だが、打してやりてえなア、だが喧嘩をした事が知れればどうなりますか」
 
「そうさ、喧嘩をした事が知れれば、おれが兄上にそう言うと、兄上はきっと不届な奴、相助を暇にしてしまうとおっしゃってお暇に成るだろう」
 
「お暇になってはつまりましねえ、よしましょう」
 
「だがのう、こちらで貴様に暇を出せば、隣でも義理だから考助に暇を出すに違いない、彼奴が暇になれば相川でも考助は里がないから養子に貰う気遣いはない、其の内こっちでは手前を先へ呼び返して相川へ養子にやるつもりだ」
 
「誠にお前様、御親切が恐れ入り奉ります」
 
というから、源次郎は懐中より金子若干を取出し、
 
「金子をやるから亀蔵たちと一杯飲んでくれ」
 
「これははや金子まで、これいただいてはすみましねえ、折角のおぼしめしだから頂戴いたしておきます」
 
これから相助は亀蔵時蔵の所へ行きこの事を話すと、面白半分にやッつけろと、手筈の相談を取り決めました。
 
さて飯島平左衛門はそんな事とは知らず、考助を供につれ、御番からお帰りになりました。
 
「殿様今日は相川様の所へ考助の結納でお出でになりますそうですが、少しお居間の御用が有りますからお送り申したら、考助は殿様よりお先へお帰し下さいまし、用が済み次第直に又お迎いに遣わしましょう」
 
という飯島は「よしよし」と孝助を連れて相川の宅へ参りましたが相川は極小さい宅で、
 
「お頼み申します、お頼み申します」
 
「ドーレ、これ善蔵や玄関に取り次ぎが有るようだ、善蔵居ないか、何処へ行ったんだ」
 
「あなた、善蔵はお使いにおやり遊ばしたではありませんか」
 
「おれが忘れた、牛込の飯島様がお出でに成ったのかも知れない、煙草盆へ火を入れてお茶の用意をして置きな、多分考助殿も一緒に来たかも知れないから、お徳にその事を言いな、これこれお前よく支度をして置け、おれが出迎いをしよう」
 
と玄関まで出て参り、
 
「これは殿様大分お早くどうぞすぐにおがりを願います、へい誠にこの通り見苦しい所考助殿も、御挨拶は後でします」
 
相川はいそいそと一人で喜び、コッツリと柱に頭を打付け、アイタタ、兎に角こちらへと座敷へ通し、
 
「さて残暑お暑い事でございます、又昨日はあがりまして御無理を願ったところ、早速にお聞済み下されありがとう存じます」
 
「昨日はお草々を申しました、いかにもお急ぎなさいましたから御酒も上げませんで、大きにお草々申上げました」
 
 
「あれから帰りまして娘に申し聞けまして、殿様がお承知の上考助殿を婿にとる事に決まって、明日は殿様お立合の上で結納取り交わせになると言いますと、娘は落涙をして悦びました。
 
と言うと浮気の様ですが、そうではない、お父様を大事に思うからとは言いながら、只今まで御苦労を掛けましたと申しますから、早く丈夫にならなければいけない考助殿が来るからと申して、すぐに薬を三服立て付けて飲ませました、それからお粥を二膳半食べました、それから今日はナ娘がずっと気分が治って、お父様こんなに見苦しい形でいては、考助さまに愛想を尽かされるといけませんからというので、化粧をする、婆アもお鉄漿(はぐろ)を附けるやら大変です。
 
私も最早五十五歳ゆえ早く養子をして楽がしたいものですから、誠に恥いった次第でございますが、早速のお聞済み、誠にありがとう存じます」
 
 
 
「あれから考助に話しましたところ、当人も大層に悦び、私の様な不束者をそれ程までに思召し下さるとは冥加至極と申してナ、大概当人も得心いたした様子でな」
 
「いやもう、あの人は忠義だから否でも殿様のおっしゃる事ならいいと言って、言う事を聞きます、あの位な忠義な人はない、旗本八万騎の多い中にも恐らくはあの位な者は一人もありますまい、娘がそれを見込みましたのだ、善蔵はまだ帰らないか、これ婆ア」
 
「なんでございます」
 
「殿様に御挨拶をしないか」
 
「御挨拶をしようと思っても、貴方がせかせかしている者だから御挨拶する間もありはしません、殿様、御機嫌様よういらっしゃいました」
 
「これは婆やア、お徳様が長い間御病気の所、早速の御全快誠にお目でたい、お前も心配したろう」
 
「お蔭様で、私はお嬢様のお少さい時分からお側にいて、お気性も知って居りますのに何ともおっしゃらず、やっとこの間分かったので殿様に御苦労をかけました、誠にありがとうございます」
 
「善蔵はまだ帰らないか、長いなア、お菓子を持って来い、殿様御案内の通り手狭でございますから、何かちょっと尾頭附(おかしらつき)で一献差上げたいが、まアお聞き下さい、この通り手狭ですからお座敷を別にする事も出来ませんから、考助殿もここへ一緒にいたし、今日は無礼講で御家来でなく、どうか御同席で御酒を上げたい、考助は私が出迎えます」
 
「なに私が呼びましょう」
 
「ナアニあれは私の大事な婿で、死水を取ってもらう大事な養子だから」
 
と立ち上がり、玄関まで出迎え、
 
「考助殿誠によろしく、いつもおすこやかに御奉公、今日はナ無礼講で、殿様の側で御酒、イヤなに酒は飲めないから御膳をちょっと上げたい」
 
「これは相川様御機嫌よろしゅう、承ればお嬢様は御不快の御様子、少しはおよろしゅうございますか」
 
「何を言うのだお前の女房をお嬢様だのおよろしいもないものだ」
 
「そんな事を言うと孝助が間を悪るがります、考助折角のおぼしめし、御免を蒙ってこっちへ来い」
 
 
「成程立派な男で、中々フウ、へえ、さて昨日は殿様に御無理を願い早速お聞済み下さいましたが、高は少なし娘は不束なり、舅は知っての通りの粗忽者、実に何と云って取る所はないだろうが、娘がお前でなければならないと患う迄に思い詰めたというと、浮気なようだがそうではない、あれが七歳の時母が死んで、それから十八まで私が育った者だから、あれも一人の親だと大事に思い、お前の心がけのよい、優しく忠義な所を見て思い詰め病となった程だ、どうかあんな奴でも見捨てずに可愛がってやっておくれ。
 
私は直にチョコチョコと隠居して、隅の方へ引込んでしまうから、時々少々ずつ小遣をくれればいい。それから他に何もお前に譲る物はないが、藤四郎吉光の脇差が有る、こしらえは野暮だが、それだけは私の家に付いた物だからお前に譲るつもりだ、出世はお前の器量にある」
 
 
 
「そういうと考助が困るよ、考助も誠にありがたい事だが、少し仔細があって、今年一ぱい私の側で奉公したいと云うのが当人の望みだから、どうか当年一ぱいは私の手元に置いて、来年の二月に婚礼をする事に致したい、もっとも結納だけは今日致しておきます」
 
「へい来年の二月では今月が七月だから、七八九十十一十二正二と今から八ヶ月間があるが、八ヶ月では質物でも流れて仕舞うから、余り長いなア」
 
「それは深い訳があっての事で」
 
「成程、ああ感服だ」
 
「お分りに成りましたか」
 
「それだから孝助に娘の惚れるのももっともだ、娘より私が先へ惚れた、それはこうでしょう、今年一ぱい貴方のお側で剣術を習い、免許でも取るような腕に成るつもりだろう、これはそうなくてはならない、考助殿の思うにはなんぼ自分が怜悧でも器量があるにした処が、少なくも禄のある所へ養子にくるのだから土産がなくてはおかしいと云うので、免許か目録の書付を握って来る気だろう、それに違いない、ああ感服、自分を卑下した所が偉いねえ」
 
「殿様、私はちょっとお屋敷へ帰って参ります」
 
「行くのは御主用だから仕方がないが、何もないがちょっと御膳を上げます少し待っておくれ、善蔵まだか、長いのう、だが考助殿、又すぐに帰って来るだろうが主用だから来られないかも知れないから、ちょっと奥の六畳へ行って徳に逢ってやっておくれ、徳が今日はお白粉を粧けて待っていたのだから、お前に逢わないと粧けたお白粉が徒になってしまう」
 
「そうおっしゃると考助が間をわるがります」
 
「兎に角アレサどうかちょっと逢わせて」
 
「考助ああおっしゃるものだからちょっとお嬢様にお目通りして参れ、まだこちらへ来ない間は、手前は飯島の家来考助だ、相川のお嬢様の所へ御病気見舞に行くのだ、何をうじうじしている、お嬢様の御病気をうかがって参れ」
 
といわれ孝助は間を悪がってへいへい云っていると、
 
「こちらへどうぞ、御案内を致します」
 
とお徳の部屋へ連れて来る。
 
「これはお嬢様長らく御不快のところ、御様子は如何様でございますか、お見舞を申し上げます」
 
「考助様どうかお目を掛けられて下さいまし、お嬢様考助様が入らっしゃいましたよ、アレマア真っ赤になって、今まで貴方が御苦労をなすったお方じゃアありませんか、考助様がお出でになったらおうらみを言うとおっしゃったに、唯真っ赤になってお尻で御挨拶なすってはいけません」
 
「お暇を申します」
 
と挨拶をして主人の所へ参り、
 
「一旦御用を達して、早く済みましたら又上ります」
 
「困ったねえ、暗くなったが何が有るかえ」
 
「何がとは」
 
「何サ提灯があるかえ」
 
「提灯は持って居ります」
 
「何が無いと困るがあるかえ、何サ蝋燭があるかえ、何有るとえ、そんなら宜しい」
 
孝助は暇乞をして相川の邸を立ち出で、大曲りの方を通れば、前に申した三人が待ち伏せをしているのだが、孝助の運が強かったと見え、隆慶橋を渡り、軽子坂から屋敷へ帰って来た。
 
「只今帰りました」
 
というからお國は驚いた。なんでも今頃は考助が大曲り辺で、三人の中間に真鍮巻の木刀で打たれて殺されたろうと思っている所へ、平常の通りで帰って来たから
 
「おやおやどうして帰ったえ」
 
「貴方様がお居間の御用があるから帰れとおっしゃったから帰って参りました」
 
「どこからどうお帰りだ」
 
「水道端を出て隆慶橋を渡り、軽子坂を上って帰って来ました」
 
「そうかえ、私ゃ又今日は相川様でお前を引き留めて帰る事が出来まいと思ったから、御用は済ませて仕舞ったから、お前はすぐに殿様のお迎いに行っておくれ、そしてもしお前がお迎いに行かない間にお帰りになるかも知れないよ、お前他の道を行って、途中でお目に懸らないといけない、殿様は何時でも大曲りの方をお通りになるから、あっちの方から行けば途中で殿様にお目に懸るかも知れない、すぐに行っておくれ」
 
「へい、そんなら帰らなければよかった」
 
と再び屋敷を立ち出で、大曲りへかかると、中間(ちゅうげん)三人は手に手に真鍮巻の木刀をひねくり待ちあぐんでいたのも道理、来ようと思う方から来ないで、後の方から花菱の提灯を提げて来るのを見付け、確かにに考助と思い、相助はズッと進んで、
 
「やい待て」
 
「誰だ、相助じゃねえか」
 
「おぉ相助だ、貴様と喧嘩しょうと思って待っていたのだ」
 
「何をいうのだ、唐突に、貴様と喧嘩する事は何もねえ」
 
「おのれ相川様へ胡麻アすりやアがって、おれの養子になる邪魔をした、そればかりでなくおれの事を盗人根性があると言いやアがったろう、どう言う訳で胡麻を摺って、手前があのお嬢様の処へ養子に行こうとする、憎い奴、他の事とは違う、盗人根性があると言ったから喧嘩するから覚悟しろ」
 
と争って居る横合から、亀蔵が真鍮巻の木刀を持って、いきなり考助の持っている提灯を叩き落す、提灯は地に落ちて燃え上る。
 
「手前は新参者の癖に、殿様のお気に入りを鼻に懸け、大手を振って歩きやアがる、一体貴様は気に入らねえ奴だ、この畜生め」
 
と云いながら考助の胸ぐらを取る。考助はこいつ等は徒党したのではないかと、透して向うを見ると、溝の縁に今一人しゃがんでいるから、考助は予ねて殿様が教えて下さるには、敵手の大勢の時は慌てると怪我をする、寝て働くがいいと思い、胸ぐらを取られながら、亀蔵の油断を見て前袋に手がかかるが早いか、孝助は自分の体を仰向けにして寝ながら、右の足を上げて亀蔵の睾丸のあたりを蹴り返せば、亀蔵は逆筋斗(さかとんぼう)を打って溝の縁へ投げ付けられるを、左の方から時蔵相助が打ってかかるを、考助はヒラリと体を引外し、腰に差たる真鍮巻の木刀で相助の尻の辺をドンと打つ。
 
相助打たれて気が逆上せ上るほど痛く、眼も眩み足もすわらず、ヒョロヒョロと逃げ出し溝へ駆け込む。時蔵も打たれて同じく溝へ落ちたのを見て、
 
「やい、何をしやアがるのだ、サアどいつでもこいつでも来い飯島の家来には死んだ者は一匹も居ねえぞ、お印物の提灯を燃やしてしまって、殿様に申し訳がないぞ」
 
「まアまあもう宜しい、心配するな」
 
「ヘイ、これは殿様どうしてここへ、私がこんなに喧嘩をしたのを御覧遊ばして、又私がしくじるのですかなア」
 
「相川の方も用事が済んだから立ち帰って来たところ、この騒ぎ、憎い奴と思い、見ていて手前が負けそうならおれが出て加勢をしようと思っていたが、貴様の力で追い散らしてまずよかった、焼落ちた提灯を持って供をして参れ」
 
と主従連れ立って屋敷へお帰りになると、お國は二度びっくりしたが、素知らぬ顔でこの晩は済んでしまい、翌朝になると隣の源次郎がすましてやってまいり、
 
「伯父様お早うございます」
 
「いや、大分お早いのう」
 
「伯父様、昨晩大曲りで御当家の考助と私共の相助と喧嘩を致し、相助はさんざんに打たれ、ほうほうの体で逃げ帰りましたが、兄上が大層に怒り、怪しからん奴だ、年甲斐もないと申してすぐに暇を出しました、ついては喧嘩両成敗の例えの通り、御当家の考助も定めてお暇になりましょう、家来の身分として私の遺恨をもって喧嘩などをするとはもっての他の事ですから、兄の名代でちょっと念の為にお届けにまいりました」
 
 
「それはよろしい、昨晩のは考助は悪くはないのだ、考助が私の供をして提灯を持って大曲りへ掛ると、田中の亀蔵、藤田の時蔵お宅の相助の三人が突然に考助に打ってかかり、供前をさまたぐるのみならず、提灯を打ち落とし、印物を燃しましたから、憎い奴、手打ちにしようと思ったが、隣りづからの中間(ちゅうげん)を切るでもないと我慢をしているうちに、孝助が怒って木刀で打散らしたのだから、昨夕のは考助は少しも悪くはない。
 
もし考助に遺恨があるならばなぜ飯島に届けん、供先をさまたげ怪しからん事だ、相助の暇に成るは当然だ、あれは暇を出すのがよろしい、あいつをおいては宜しくありませんとお兄さまに申し上げな、これから田中、藤田の両家へも回文を出して、時蔵亀蔵も暇を出させるつもりだ」
 
 
と言い放し、考助ばかり残る事になりましたから、源次郎も当てが外れ、挨拶も出来ないくらいな始末で、何ともいう事が出来ず屋敷へ帰りました。