【二宮翁夜話 巻之一 十六】 貯蓄も一つの譲道(じょうどう)なる辯(弁)
【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月21日 赤口 四緑木星
庚寅 日/庚午 月/甲午 年 月相 19.9 中潮
立夏 末候 竹笋生(たけのこしょうず)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 16.6℃ 湿度 47% (大阪 6:00時点)
翁曰く。多く稼いで、錢を少く遣ひ、多く薪を取って焚く事は少くする、是を富國の大本、富國の達道といふ。然るを世の人是を吝嗇といひ、又強欲と云ふ、是心得違ひなり。夫れ人道は自然に反して、勤めて立つ處の道なれば貯蓄を尊ぶが故なり。夫れ貯蓄は今年の物を來年に譲る、一つの譲道なり、親の身代を子に譲るも、則ち貯蓄の法に基ひするものなり。貯蓄を言ひもてゆけば人道の一法のみ。故に是を富國の大本、富國の達道と云ふなり。
【私的解釈】
尊徳翁が言う。
お金を多く稼いで支出を抑える。たくさんの薪を拾ってきて燃やす薪を少なくする。これを国を富ます基本、国が富む大道という。しかしながら世の中の人々は、このような行為をケチと言い、ドケチとまでも言う。全く勘違いをしている。
人道というものは自然の運びとは異なり、努力して積み重ねてやっと姿を見せる道である。貯蓄をすることが尊ばれるのは、これ故である。貯蓄というのは、今年使うお金を来年以降に譲るということであり、言い換えれば、譲りの道(精神)の発露である。親の財産を子供に相続させることが出来るのも、この貯蓄するという習慣が積み重ねられたからこそである。
貯蓄をする習慣も人道に添う一つの手段である。だからこそ、貯蓄は国を富ます基本、国が富む大道というのである。
【雑感】
小学校の子供達の活き活きとした表情がうらやましく思える番組だった。
片道2時間半の山道を徒歩で通学し、雨漏りがする校舍で学ぶ。
女の子には教育など必要ないという親の反対で学校に通うことの出来ない子供が当たり前のようにいる社会。
こんな状況でも笑顔で今を生きる子供達。
日本も通ってきた道である。
少子化どうのこうのと騒いでいるが、いざとなったらこういう環境に戻れば良いのだ。戻って一からやり直せばいい。
それにしても、ネパールの人々の目の輝きのキラキラ感はうらやましい。
この目の輝きを取り戻せば、人生怖いものなど何も無くなるだろう。
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あす、5月18日(日)よる10時からは…!
《故郷ネパールの秘境の村の子どもたちを学校へ!
東大大学院を卒業したばかりのホムカミさんが
決意の里帰り!》
今回のホムカミさんは、
ヒマラヤ山脈を望む秘境・ネパールからやって来た
ライさん(27歳)。
ライさんはこの春、東京大学大学院を卒業しました。
でも、彼の故郷ネパールは今も十分な教育制度がなく、
子ども達は授業を受けることすらできない
教育環境にあります。
ライさんは、大学に在籍しながら
子ども達の未来のために教育改革を行いたいと
NPO法人を設立。
2年前に故郷のチュマク村に小学校を建てました。
今回の里帰りで、
自分が作った学校を初めて訪れるライさん。
学校は子ども達のためにきちんと運営されているのか、
ずっと気にかけてきました。
道なき道を行く過酷な里帰りに同行するのは、
俳優・西村和彦さん。
果たしてどんなドラマが待っているのでしょうか?
親善大使:西村和彦
MC:さまぁ〜ず 進行:SHELLY
スタジオゲスト(50音順):
菊池風磨(Sexy Zone)中島健人(Sexy Zone)May J.
お楽しみに!
土手ぼうず
二宮尊徳という人物をご存じだろうか。
このビッグネームから誰もが想像するのは、柴を背に読書をしている二宮金次郎の姿ではないだろうか。
しかし、農家に生まれた金次郎少年が柴を背負ってまで勉強しようとしたのはなぜか、尊徳先生と呼ばれるほどのカリスマになぜなったのかはあまり知られていないだろう。しかも、尊徳という名は晩年用いたもので、没後、農村復興の神様として尊徳と称されるようになる。
質素倹約や刻苦勉励のシンボルとして語られてきた二宮尊徳だが、子供の頃のニックネームは、「キ印の金さん」。父に習った『論語』や『大学』という難しい四書を大声で朗読しながら山道を歩くものだから、栢山村(今の小田原市)では奇人で通っていたという。百姓の子が学問をする意味など理解されない時代の話である。
金次郎は、病気がちな父に代わって酒匂川の堤防修理にも出た。そこで付けられたあだ名は「土手ぼうず」。大人顔負けの熱心さだが何しろ十二歳である。非力な分を補うため徹夜でワラジを編んで作業の人に配る。行商人から安価で買った松苗を堤防補強のために植えた。ひまがあると土手に来て蛇籠(石を詰める籠)を編んだり、川の流れや水勢の変化を観察した。
読書好きの父が亡くなったのは、金次郎が十四歳の時、十六歳の時に母を失った。二人の弟の親代わりとなった金次郎は残されたわずかな田畑を耕すが、酒匂川の氾濫により一夜で流されてしまう。家は崩壊した。
一家を再興するには学問(実学)しかないと誓っ金次郎。時間を無駄にはできなかったのである。立て直し
天明七年(1787年)、二宮尊徳が生まれたのは相模の栢山村(小田原市)、酒匂川の下流沿いである。
酒匂川は、今でこそ、取水堰が整備されて、有数の鮎釣り場となっているが、かつては上流から運ばれた土砂が下流に堆積し、洪水が土手を壊した。少年時代から堤防工事を手伝い、酒匂川を観察してきた金次郎は、幸せを一瞬で呑み込む自然の無慈悲を身に刻んでいたし、農業振興には土木事業が深く関係していることを知っていた。
はじめ叔父の家に厄介になった金次郎には、自分の土地も費用もない。そこで、税金のかからない川べりの荒地に、捨てられた苗を拾って育て、一俵の米を収穫する。そして、水害にあった砂利だらけの田を耕し、農地を持たない農民に貸して小作米を得る。この収穫を売って得た金を人に貸す。こうして金次郎は二十歳で独立。三十歳で二町歩の田畑を買い戻し、一家再興の悲願を果たす。
その手腕を見込んで各方面から依頼が来る。手腕とは仕法すなわち経済再建である。江戸の中頃から末期、藩の領主といえども何千石という禄高は表向きのこと、台所の実情は火の車で、方々に借金を重ねていた。農民あがりの金次郎に頼む体裁の悪さに躊躇するよりも、負債を整理してもらうため藩士は、外聞もなく日参した。
金次郎の仕法は、収入以上に支出しないこと。収入の半分で生活して、残った分を明日のため、他人のために役立てることを基本に、借金返済を計画した。
金次郎の再建は、関東周辺十ヶ国以上、綿密な調査データに基づく経営管理で農村を復興させていった。ワーキングプアー
180センチ、90キロの体躯。鋭い眼光、雷のような地声。睡眠三時間、誰よりも早く起きて田畑を見て回り、村民の先頭に立って開墾した男、二宮尊徳。
柴を背負って論語を読み、洪水で田畑を奪われ、兄弟ばらばらで他家に預けられた少年は、逞しく、したたかに成長していた。
尊徳は「遣ったつもりで貯金しなさい」と藩士に説く一方、藩の財政を支える農村を再建することを一番のテーマと考えた。しかし、江戸末期、荒廃していたのは土地だけでなく、農民の心こそ深刻だった。
日本の異常気象は江戸時代も同様であった。冷害、大雨による大飢饉は天災だが、さらに年貢という人災が農民たちをとことん追い詰めた。働いても働いても報われないワーキングプアーは、現代に比すべくもない。米を基本とする封建社会では、生産力が落ちると取る側の武士も、取られる農民も経済弱者となる。こうした武士と農民の間に立って、どうすれば負の連鎖を断ち切れるかの仕法を具体的に示した点に尊徳の偉大さがある。
「貧しい者を救うには貧しい者自身の力をもっていたします」。尊徳はそう言って藩主の援助を断る。一時的な助けはかえって農民のためにならないからである。その代わり、働き者には褒美を与えたり、年貢を免除したりして農民の向上心をあおった。経済的な自立を助けるため「報徳金」という低利融資も行った。
そして最も注目すべきは、それぞれ土地の履歴を百年前まで遡って読み、農村復興のネックとなっている問題解決を行った点である。それが、河川の改修、堰の築造や改修、水路の掘削など土木の仕事である。