まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【小泉八雲】怪物禍(か)の物語

 

【今日のこよみ】旧暦2015年 1月 7日 先勝

        壬申 日/己卯 月/乙未 年 月相 6.1 中潮 

          雨水 次候 霞始靆(かすみはじめてたなびく)

          マヤ長期暦 13.0.2.3.16 マヤ365日暦 9 Kayab  マヤ260日暦 7 Cib

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 5.8℃ 湿度 60% (大阪 6:00時点) 

 

 

小泉八雲は、今の日本人が忘れてしまった「日本人のおもゐ」というものを思い出させてくれる物語を数多く残しています。不定期で小泉八雲の珠玉の作品を紹介して行きたいと思います。

小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)の正氣を浴びて - まどゐ。

 


小泉八雲の生涯|小泉八雲記念館

 

 

 

百を持てる者は千を望む。千を持てる者は十萬を持たんと欲す。十萬を持てる者は王國の主を望む。王國を持てる者は天界を所持せんと願う。富貴や智慧(恵)の所有者すらも、貪慾(欲)に迷わされて、人の決して為さざるべき事どもを行い、人の決して求むまじき事を求む。・・・さればぞ己が悪しき欲情を養う者どもの為、『法苑珠林』第四十六巻より採りしこの物語をここに記す。

 

日の光今よりも輝しく照り、花の香今よりも芳(かんば)しく、世界の色彩見て今よりも麗しく、神々が地上を歩み居たりし頃に、不幸というもの更に無き或る幸福なる王國ありき。

 

宝玉は又は黄金は、有り余るばかりに多く、収穫は太陽の如くに無尽蔵に、市邑(しゆう)は蟻塚よりも住める者多かりき。戦いというもの無くして経る年余りに永く続きたれば、その國の大なる都会の城壁に草木覆いて、その根の蛇の如き力もてその塁壁の石を離し外しぬ。またその國至る所に黄河の流れの如く絶えざる音楽の幽音聞こえ、快楽の追求を防ぐるはただ眠るのみにて、眠れる者の夢すらも悪夢に暗くせらるることかってあらざりき。病というもの無く、何らの欠乏というもの無く、人各々一百の歳を保ち、死する折は快楽の後に休息を求むる者のごとくに―歓喜の陶酔の後の熟睡の穏やかさをを味わいて―苦痛なく身を横たえるなりしなり。

 

ある日その國の王その顧問と大臣と主な官人(マンダリン)ことごとくを招きて彼等に問うて言いぬ。

 

「聞けよ、我が大寺院の保存さるる或る古き年代記にて読みたるうちに、『古昔禍(か)この國を訪れぬ』という言葉ありき。汝らのうちに禍(か)とは如何ようなる動物にや語り得る者ありや。禍(か)とは如何なる物になぞらえ得べきや」

 

されど、顧問と大臣と官人とは全て答えぬ。

 

「王よ、我らは未だかってそれを見たることあらじ、また如何ようなる動物なるべきか言うこと叶わじ」

 

ここにおいて王はその大臣の一人に命じ、己が國より小さき國々を訪ね、禍(か)とは如何ようなる動物かを尋ね、もし買い得るものならんには―その値一国の値ならんとも―如何なる値にても求めしめぬ。

 

ここにある天神あり。この事を見かつ聞きて、直ちに化して人間と成り、鉄の鎖にて繋がりし禍(か)を伴ないて、隣れる一王國の最も大なる市場に赴きぬ。禍(か)の形状は巨大なる猪の形状なりき。かくしてこの大臣その隣国なる市場を訪ね、そこなる柱に繋がれたるその動物を認めて、そは何と名付くる動物にやとその天神に尋ねぬ。

 

「禍(か)の母と呼ぶもの」と天神は言いぬ。

 

「売らんとにや」と大臣は問いぬ。

 

「さなり」と天神は答えぬ。

 

「値は」

 

「黄金百萬片」

 

「日々の食は何ぞ」

 

「縫い針二斗」

 

山吹色なる純良の黄金百萬片を払いてその動物を得たる後、大臣は強いてもそが為に食物を得ざるべからずなりぬ。されば縫い針を手に入れんと、あらゆる市場に、また仕立て物師と織物師との店に、また國内なるあらゆる地方のあらゆる官人に使者を送りぬ。この為多大な災難、縫い針の乏しきが為のみならず、國人が被る苦痛の為に、この國土に出来しぬ。縫い針を持たざる者は竹もて打たれ、官人は王の大臣の命に従わんと欲して過酷なる事多く行いたればなり。縫い針にて生ける仕立て師どもはやがて憐れなる身となりぬ。また縫い針造る者どもは、努めんとはすれど、過労の為に死する者は多かりしが、かの動物の飢えを満たさん量を造ることは叶わざりき。縫い針一本の値あまたの緑玉金剛石の値の如くなり、富める者は、その口地獄の口の如くに満たさるることあり得ざるこの獣の食物得んとて、その財産全てを没収されぬ。かくて諸州の人々、飢餓の為官人の過酷なるが為、自ら捨てて立ちて反乱し、人命幾千万を損ずる戦争を起こしぬ。川は血に流れぬ。されどかの大臣は、それに食いましめん縫い針の足らざるが為にその獣を宮殿に伴い帰ること叶わざりき。

 

かかりければ彼は國王に一書を送りて言いぬ。

 

「禍(か)は我その母なるものを見出して買い求むることは為し得しも、父なるものは之を得ること能わざりき、また陛下の許容を得て之を探すことは為さざるべし。思い給え、その母なるものは早(はや)この國の物質(もの)を食い尽くしたり。かかる怪物を宮殿に伴なわんこと我これを試むることをえせじ。されば余は陛下に願う、この恐ろしの獣を殺さん許可を我に与え給わんことを。余は陛下が印度の賢者の言を記憶し給わんことを信ず、『忠言に耳藉(か)さんと欲せざる王なりとも信実なる顧問の言をば聞くべきなり』との」

 

國王は既に飢饉と革命とに恐れを抱けることとて、即その獣を殺すべしと命じぬ。

 

かくして禍(か)の母はその村の外なる人気無き所に引き出され、鉄の鎖にてしかと繋がれぬ。かの大臣は屠殺者にそを殺せと命じぬ。されどもその皮堅くして刃(やいば)を迎えず、斧も刀もそを傷つけること叶わざりき。されば兵士に命じてそを殺さしめぬ。されど射手の矢はその眼に射当てつるもその鋼の尖(せん)は平たく鈍りつ、眼は金剛石の如く輝きまた硬かりき。またそを殺さんとの愚かの努力に折れ砕けたる劔(つるぎ)と槍とは数限りなかりき。

 

かくて大臣は大なる火をつくらしめ、その火の裡(うち)にその怪物を縛り、瀝青(れきせい)と油と脂多き木材とを山とその火の上に積み上げしかば、火は熱く燃え上がりて、人はそを隔たること十里の内に近寄ること叶わずなりぬ。しかるにその獣は焼くること無く、月のごとく輝きて初め赤熱となり後白熱となりぬ。その鎖は蝋(ろう)のごとく溶けたれば、その獣は遂に脱し出て火龍のごとくに國人の中に走り出でぬ。かくて焼け死にたる人多かりしが、かの獣は村に入りて村を破滅し、市に入りて市を破滅し、進むにつれていよいよその熱を増して尚も疾(と)く走りて首府に入り来たり、その中を貫き走りまたその上を屋根の上を走り過ぎ、その宮殿なる國王すらも燃やし尽くしぬ。

 

かくてこの國王の愚かなるが為、その王國は荒廃破滅し、ただ蜥蜴(とかげ)と蛇と悪鬼とが住む一砂漠となりぬ。・・・

 

小泉八雲全集』より

 

 

 

【雑感】

 

この2枚の写真を見て欲しい。韓国の成人式の様子である。

f:id:isegohan:20150225115023j:plain

 

f:id:isegohan:20150225115043j:plain

 

違和感を感じませんか?私は嫌悪感や気持ち悪さを感じてしょうがなかったです。

 

何故真ん中の女性のみ顔を露(あら)わにしているのでしょうか?たまたまの出来事では無く、意図的にこの女性だけの顔だけを露(あら)わにし、他の女性の顔を隠したりボカしたりしているのが分かると思います。

 

私の意見に疑いを持たれる方々、では、この写真をみた感想を教えて下さい。

f:id:isegohan:20150226122830j:plain

 

私はここに女性の容姿に対する差別的な意図を感じました。この記事(中日韓の女性の成人式を比較_中国網_日本語)からの引用ですので他の写真や中国、日本の写真と比べてみて下さい。

 

奇皇后 ―ふたつの愛 涙の誓い―|NHK BSプレミアム 海外ドラマ

 

 

ちょうど、良いタイミングでこのドラマをNHKで流しています。

 

奇皇后 - Wikipediaを一読してみてください。

 

この物語は女性を物として扱った貢女(こうじょ)のお話に過ぎないのです。こんな物語を嬉々としてテレビドラマに仕立てる精神を私は理解することが出来ません。

貢女朝鮮語: 공녀、コンニョ)とは、一般に女性を朝貢品の1つとして献上することである。朝鮮時代においても続いていたが、ここでは高麗からの場合のみを説明する。高麗時代の献上先は蒙古()、契丹であり、貢女だけでなく多くの朝貢を強いられていた。

 

この史実から韓国は伝統的に女性には容姿端麗が求められていることが分かると思います。だからこそ、美容整形が国の観光産業とまでになっているのです。


韓国整形観光協会 韓国美容整形・自毛植毛・美容外科

 

 

今、韓国人の反日思想と日本人の嫌韓思想で両国は対立の真っ最中です。上の例を見るまでもなく、日本人の価値観の対極にいるのが韓国人だと私は思っています。まさに日本にとって小泉八雲の上の物語の『怪物禍(か)』が韓国という国なのです。

 

日本人は朝鮮と日本との関係史を自らの意志で学ぶべきだと思います。間違っても学校教育とマスコミの教えを鵜呑みにしてはいけないです。

 

女性を物として扱っていた史実のある国から日本は性奴隷の国だとか何とか言われたくないですね。

 

なぜ、日本の嫌韓感情は極端に流れるのか?

カン・ギルソン全北大学BIN融合工学科教授

2015.02.25  10:46:13

 

最近、日本の韓国に対する感情が極端な嫌韓に走る異常を見せている。特に隣接する国々の史実をも無視し、決して認めることのない行動を一貫している。その理由は何だろうか?

 

まず、韓日関係を古代史から見てみよう。日本の源流は西暦660年に遡る。新羅と唐の連合軍の侵略により滅びた百済王族とその豪族は難民となって金剛を後にして、後の復興を夢見て日本に一時避難する。

 

しかし、その復興軍さえ663年に白村江(今の金剛河口堰)の戦いで完全敗北することになる。日本書記ではこの時の様子を次のように記述している。 「百済という名前も今日で終わりだ。ご先祖様の墓地を再び訪れることが出来るであろうか? 」と。

 

そうなのだ。倭(日本)から見れば、私たちが住む朝鮮半島は彼等の先祖の国なのである。日本人の心の中では、韓国は今もご先祖様が眠る国であり、ここから一種のコンプレックスが生じ、今の韓日関係に影響を与えているのである。

 

とにかく百済王族の難民とご先祖様の国(韓国)との縁はこれで完全に途絶えたのである。そして、彼等は倭の最高権力者である天皇一家と合流して倭を支配することとなる。それにより、倭は統一新羅を始め高麗·朝鮮からのあらゆる文化や経済の知恵を学ぶこととなった。以後、朝鮮を師匠の国、先輩の国として仕えるようになったのだ。

 

そして、15世紀初頭にポルトガル商人に会って欧州先進技術に接するようになる。烏銃という新兵器を手に入れた豊臣秀吉が日本を統一した後、各派閥(大名)間の内部対立の葛藤を払拭させようとして壬辰倭乱つまり、自分たちの過去の土地を探し、奪還する為に壬辰の乱を起こしたのだ。

 

1867年に明治維新が起こり、再び征韓論が台頭した。この時まで朝鮮は師匠の国、援助を与える国だったにもかかわらずにだ。帝国主義のもとで外国の技術を受け入れながら、李朝鮮を征服しなくては、つまり韓国を追い越さなければ、日本の未来はないという事実を知ったのだ。

 

一方で、明治維新直後に日本はアジア各国にスパイを送り各国の情報を収集し、満州の原野に広開土大王碑があることを知り、この碑文を書き換えて、朝鮮半島伽揶地域が日本の植民地であった任那日本府であったという漫画のような主張をすることになるのだ。

 

また、石上神宮に保管されている七支刀に彫られた60文字を作為的に解釈して、倭が百済から贈られた物であると操作した。そして、三国遺事三国史記などは信じるに値しないものであり、日本書紀の記述だけが信じられると主張し、征韓論の口実をでっち上げたのだ。結局は、脱亜入欧をスローガンにして韓国と中国を植民地化し、アジアの盟主を自任するようになる。

 

私たちが住む朝鮮半島を日本の一部として考えている最も典型的な出来事が、公州扶余一帯に日本の天皇墓を移そうとまでしたことであり、これは単なる征韓ではなく、自分たちの昔の地を取り戻そうとする領土回復の野心の現れであった​​。

 

明治維新から現在までの約150年を日本はアジアの盟主と自任して来たが、最近、韓国の政治·経済が発展し中国も大国に発展する一方で、逆に日本の代表企業であるソニーをはじめとする多くの企業が、サムスンをはじめとするいくつかの中国や韓国の企業に制圧されることとなった。この出来事により、日本人に明治維新以前の古代·中世史の悪夢が蘇ることとなったのだ。

 

さらに、最近、日本では自然災害が続出し、これにより日本人の不満と不安が限界に近づいた。これにより、彼ら自身の問題を外部に責任転嫁して見ないでおこうとする特有の島国根性がよみがえったのだ。つまり、独島をはじめ諸問題に無理難題を吹っかけて来て、韓国が上手く行っていることを妬ましく思って牽制しているのである。つまり、日本人の中に内在している一種のコンプレックスの露出なのである。

 

数日後に96回目の3・1節を迎える。今、私たち大韓民国国民は克日 ·抗日を超えて、私たち自身が壬辰の乱以前の大国に戻らなければならない。少なくとも日本に対しては、師匠の国・祖先の国・両親の国そして日本の源流の国であることに立ち返り、私たちの度量·謹厳さを示さなければならない。 

 


[새바람] 일본인들의 반한감정은 왜 극단적으로 흐르는가? - 전민일보

 

この記事を読んでみても韓国と日本の世界観が対極にあるのが分かると思います。今後どう運んでもこの双方の世界観が融和することがないことは明らかだと思います。そして、日本に対する韓国の視線には、視野狭窄した何とも言えない気持ち悪さを感じることと思います。

 

これに対抗するには、人間関係と同じように韓国とは適度の距離を保ち、関わらないことを徹底する。簡単に言ってしまえば無視していればいいのです。この世界には韓国と日本しか国が存在しないわけではないのですから。

 

相当の期間日本と韓国との首脳会談が実施されていないにもかかわらず、我々の生活に支障は出て来ていません。逆に日本の株価は上昇を続けています。このことからも韓国の存在など眼中に入れる必要が全くないのです。下手に眼中に入れるから感情が乱されるだけなのです。

 

以後、当ブログでも韓国の存在を黙殺して行きたいと思っています。

 

 

【2015年3月11日追記】

韓国人の歴史認識は一体どうなっているのだろうか?色々と調べてみて上の大学教授の見解が史実と大きくかけ離れているのでここに記録しておく。

明治維新直後に日本はアジア各国にスパイを送り各国の情報を収集し、満州の原野に広開土大王碑があることを知り、この碑文を書き換えて、朝鮮半島伽揶地域が日本の植民地であった任那日本府であったという漫画のような主張をすることになるのだ。

 

この主張に対して、調べてみると史実はこうであった。

【史実】

1884年(明治17年)1月、情報将校として実地調査をしていた陸軍砲兵大尉の酒匂景信参謀本部に持ち帰った資料の中に、好太王碑の拓本が含まれていた(「酒匂本」)。その後、参謀本部で碑文解読に当たったのは文官である青江秀横井忠直であり、これが倭の五王以前の古代日本を知る重要史料とわかったため、漢文学者の川田剛丸山作楽井上頼圀らの考証を経て、1888年(明治21年)末に酒匂の名により拓本は宮内省へ献上された。

 

 

【酒匂本を研究対象にした在日コリアンの考古学、歴史学者の李進熙が唱えた、旧大日本帝国陸軍による改竄・捏造説】

 

その主張は、「而るに」以降の「倭」や「来渡海」の文字が、5世紀の倭の朝鮮半島進出の根拠とするために日本軍によって改竄されたものであり、本来は

百殘新羅舊是屬民由来朝貢而後以耒卯年不貢因破百殘倭寇新羅以為臣民

百済新羅はそもそも高句麗の属民であり朝貢していたが、やがて辛卯年以降には朝貢しなくなったので、王は百済倭寇新羅を破って臣民とした。〉

と記されており、「破百殘」の主語を高句麗とみなして、倭が朝鮮半島に渡って百済新羅を平らげた話ではなく、あくまでも高句麗百済新羅を再び支配下に置いた、とするものであった。

 

しかし、百済などを破った主体が高句麗であるとすると、かつて朝貢していた百済新羅朝貢しなくなった理由が述べられていないままに再び破ることになるという疑問や、倭寇を破ったとする記述が中国の正史、『三国史記』、日本の『日本書紀』などの記述(高句麗が日本海を渡ったことはない)とも矛盾が生じる。

 

これに対して、高句麗が不利となる状況を強調した上で永楽6年以降の好太王の華々しい活躍を記す、という碑文の文章全体の構成から、該当の辛卯年条は続く永楽六年条の前置文であって、主語が高句麗になることはありえない、との反論が示された[9]

 

1974年(昭和49年)に上田正昭北京で入手した石灰塗布以前の拓本では、改竄の跡はなかった[10]

 

その後、2005年(平成17年)6月23日に酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見され、その内容は酒匂本と同一であるとされた。さらに2006年(平成18年)4月には中国社会科学院の徐建新により、1881年(明治14年)に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表され[11]、これにより改竄・捏造説は完全に否定され、その成果は『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。

 

東北大学名誉教授関晃は「一介の砲兵中尉にそのような学力があったとはとうてい考えられないし、また酒匂中尉は特務機関として行動していたのであるから、そのような人目を惹くようなことができるはずもない」と述べ、改竄・捏造説を否定している[要出典]。

 

なお、この説が唱えられる以前の1963年(昭和38年)、北朝鮮内で碑文の改竄論争が起き、同国の調査団が現地で調査を実施した結果、改竄とは言えないという結論を出した[12]

 

次に以下の記述である。

石上神宮に保管されている七支刀に彫られた60文字を作為的に解釈して、百済が倭に贈った物であると操作した。 

学会の定説は、

銘文についてはこれまで様々な研究がなされてきた。銘文の判読はもちろん、彫られた場所についても「表は東晋で鋳造された際に刻まれ、裏は百済で刻まれた」などの説もある。しかし内容は「百済王が倭王に贈った」との解釈が定説とされ、当時の背景として、高句麗の圧迫を受けていた百済が倭との同盟を求め、贈られたとされている。

七支刀 - Wikipedia

 とされ、大学教授が主張していることは定説ではないことが分かる。

 

韓国の教授が主張していることは余りにも一方的なのだ。本来、学説に争いがある所はその旨を明らかにするか、両論を併記してから自分の考えを主張すべきだと思うのだが、全くその配慮が見られない。大学教授がこういう論理を展開しているのである。

 

全くもって話にならない。相手にするだけ時間の無駄である。こういうヤカラは無視するに限る。