まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)の正氣を浴びて

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 2月 23日 赤口  四緑木星

         癸巳日/戊辰 月/甲午 年 月相 21.8 

         春分 初候 雀始巣(すずめはじめてすくう)   

 

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小泉八雲と言えば、「耳なし芳一」の怪談で有名だ。

小泉八雲 - Wikipedia

 


0067 耳なし芳一 - Dailymotion動画

 

 

 

日本童話小説文庫の小泉八雲代表作集の解説の中に以下の記述がある

 

「怪談」の中にある「耳なし芳一の話」は、もと、『臥遊奇談(がゆうきだん)』という本の第二巻「琵琶の秘極、幽霊を泣かしむ」という話に材料を得たもので、大変ハーンの気に入った話であった。その話はもとは短いものだったが、 ハーンが想像力を働かせ、敷衍して、あれだけの長い話にしたのである。

 

ハーンが「耳なし芳一の話」を書いていたある日のこと、日が暮れても、ハーンの部屋に、どうしたものかランプがつかない。夫人は、心配して、ハーンの部屋のとなりの部屋まで行き、ふすまごしに、ハーンを呼んだ。すると、ハーンは、

 

「芳一!芳一!」「はい、私はめくらです。あなたはどなたでございますか。」

 

と答えて、だまっていた。ハーンは、物を書く時は、まったく夢中で、仕事に全精神を打ち込む人であった。

 

これもやはり、ハーンが「芳一」を書いているときのことである。外出して家へもどったハーン夫人が、ハーンのおみやげに、ハーンの机の上に、めくら法師が琵琶を弾じている博多人形をそっとおいた。ハーンは、それを見て、

 

「やぁ、芳一!」

 

と、まるで待ちかねていた人が来た時のようによろこぶのであった。また、夜、風の音を聞いてさえ、耳をすまし、まじめになって、

 

「壇ノ浦の波の音です!」

 

などというのであった。

 

また、

 

ハーン夫人小泉節子によれば、ハーンはいつも夫人に「怪談の本は私の宝です。」と言っていたという。まったく、作家ハーンの生命は「怪談」にあるといって良い。

 

ハーン夫人は、ハーンの為に、怪談の本を漁り歩いた。夫人が良い本を見つけて来るごとに、ハーンは大変喜んだ。夜、わざわざランプを暗くして、ハーンは夫人に怪談を語らせた。「その頃は、私の家は、ばけもの屋敷のようでした。」と節子夫人は言っている。

 

それでは、ハーンは、どのようにして怪談を書いたのであろうか。ハーン夫人が、まず、日本のむかし話をハーンに聞かせる。話のあらすじをハーンに話すと、ハーンはそれを聞いていて、興味がわくと、そのあらすじを書き留める。そして、とてもまじめな、あらたまった態度で、同じ話を繰り返し、繰り返し語らせて聞く。そういう時には、ハーンの顔の色が変わり、するどい眼つきになって、凄愴(せいそう)の氣が部屋中に満ち渡ったということである。

 

夫人が、ハーンに、むかし話の本を読んで聞かせようとすると、ハーンはいつも、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません。」と言うのであった。それで、夫人は、むかし話をすっかり覚え込み、自分のものにしてしまわなければならなかった。そのために、夫人はいつも苦労した。そして、しまいには、むかし話を夢にまで見るようになった。

 

ハーンは面白いと思う時には、何もかも無性におもしろかった。また、悲しいと思う時には、何もかも悲しくてたまらなかった。それで、ハーンはいつも、自分の興味を持つ話の中に没入し、その中の人になり切って、ものを書いた。

 

ハーンは、仏教に心を引かれていた。ハーンが持つ仏教に対する興味と理解は、相当深いものであった。同時にハーンは日本の神道を、常に文学的な目で観察していた。そして、神道に古代日本の美を見出して随喜した。この意味でハーンは美の宗教の賛仰者であった。またハーンは、実に美の修験者であった。ハーンは、花鳥、草木とともに泣き、ともに笑う人であった。そして、すべて美を毀損しようとするものをハーンは心から憎んだ。

 

 

日本から遠く離れた、地中海に浮かぶギリシャの島(レフカダ島)で生まれ、明治の時代に縁あって、日本にやって来て、日本女性と家庭を築き、日本に漂う目に見えないモノたちを書き続け、そして日本人として生涯を終えた小泉八雲

 

小泉八雲も日本に漂う正氣を意識し、自身も数々の作品を通して正氣を今も発揮続けている。

 

 

 

 

ここに、節子夫人との心温まる手紙のやりとりを紹介したい。

 

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 防波堤の上に「浪切(なみきり)地蔵」という小さな地蔵が朽ちているのを見た八雲は、これを直そうと思いたち、その際この地蔵に子供の名前を彫り込もうとして、節子に反対され、大喧嘩をする。このけんかの仲直りの為に節子に出した手紙である。

 

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かわいいママ

ごめんごめん。

あなたを少し喜ばせると思いました。

あの地蔵は、墓場の地蔵ではない。波をならし、静かにする地蔵です。邪(わる)いものではない。

しかし、あなたは好かない。

それなら、一雄の名も私の名も、どんな名も書きません。

ただ、私の考えが馬鹿でした。

地蔵さまは、あなたの疑うのを聞いた時、大泣きしました。

私はただ、海を大事にする地蔵さまだと、言いました。

「しかたがない。あの子供の母があなたを疑う」

と、私は地蔵に言い聞かせました。

ですから、今も(地蔵さまは)泣いてます。

パパから、ごめんごめん。

(写真の絵の説明書き)石の涙をこぼしてあの地蔵は泣いています。

 

 

 

ふふふ。

八雲と節子そして子供たち、家族に漂う温かい雰囲気が心に残ります。

 

 

 

 

さて、最後に怪談の中のお話をひとつここに紹介しておきます。

 

 

「蓬莱」

 

 

深い青色は高空に消え、水と空は明るいモヤの陰にとけあっている。日は春、時は朝。

 

 

ただ、空と水。。。。青色のとても広い世界。。。。。前にはさざ波、白銀(しろがね)の光とたわむれ、白波の糸は渦巻きおどっているが、少し向こうは動くものが一つもなく、色の他には何物もない。

 

 

温かく澄んだ青い水は、ひろがるままに青空にとけ入り、水平線はない。 。。虚空に高まる隔たりがあるばかり。。。果てしなき窪みが前方にあり、大いなる蒼空(そうくう)は頭上にあり。。。色は高くなるにつれて深くなる。

 

 

しかし、中ほどの青色の中に、角のある、三日月の形にそった屋根のある宮殿の楼閣が幽かに見える。。。これこそ、記憶のようにものやわらかな日光に輝く、珍しい昔の栄華の幻であろうか。

 

 

。。。。かように私が述べようとしていたのは掛け物なのです。それは私の家の床の間にかけてある、絹地に描いた日本画です。その題目は「蜃気楼」。その蜃気楼の形はまぎれもない蓬莱の光明門と、竜宮城の三日月の屋根です。そして、その描き方は(現代の日本画の画法で描いてはあるが)千百以前の支那の描き方です。

 

 

当時の支那の書物には、竜宮城のことが次の様に書いてあります。

 

 

蓬莱には、死亡もなければ苦痛もなく、又冬もない。蓬莱では花は決してしぼむことなく、木の実の絶えることもない。そして、ただの一度でもその木の実を食べたら、決して、二度と飢えや渇きを感じることはない。

 

 

蓬莱には相隣子(そうりんし)とか、六合葵(りくごうあおい)とか、万根湯(ばんこんとう)などという不思議な木が生えていて、万病が治る。又そこには養神子(ようしんし)といって、起死回生の魔法の草がある。その草には、一滴飲めば永遠の若さを保つという、神泉の水がかけてある。

 

 

蓬莱の人々は、よくよく小さな茶碗で御飯を食べる。しかし、どんなにたくさん食べても、食べ手が十分だと思うほど食べても、茶碗の飯は減らない。又蓬莱の人々は、よくよく小さな杯で酒を飲む。しかし、どんなに多く飲んでも、飲み手が楽しい酔い心地でうとうとするほど飲んでも、杯の酒がなくならない。

 

 

こうしたことや、その他色々のことが、清朝の伝説に述べてあります。

 

 

しかし、こうした伝説を書いた人達が、蓬莱を、蜃気楼でなりと、見たことがあるとは到底思われません。

 

 

と言うのは、本来そこには食べた人がいつまでも飢えや渇きを感ぜずにいられる、不思議な木の実も無いし、死人をよみがえらせる魔法の草も、神泉も、米の無くならぬ茶碗も、酒の無くならぬ杯も無いからです。

 

 

蓬莱には死も悲しみも無いというのは嘘です、冬も無いというのも嘘です。蓬莱の冬は寒く、冬の風は骨身にしみ、雪は恐ろしくうず高く竜宮城の屋根に降り積みます。

 

 

しかし、蓬莱には不思議なことが色々あります。そして一番不思議なことは、支那のどの作者も書いていません。

 

 

それは蓬莱の大気ですが、それは蓬莱の特有のもので、そのため、蓬莱に対する光線は余所の光線より白く(まぶしくない乳色の光)、おどろくばかりに透明で、しかも穏やかな光なのです。

 

 

この大気は、今の世のものとは違う、とても大昔の大気で、その遠い昔のことを想ってみると恐ろしくなる位であります。

 

 

そして、その大気は、窒素と酸素の混合物ではありません。それは全く空気などで出来ているのではなく、魂魄(こんぱく)なのです、幾億万代の人の魂が混じって出来た大きな透明体なのです、我々とは似ても似つかぬことを考えていた人々の魂なのです。

 

 

誰にもせよ、人間が一度この大気を吸うならば、魂魄はその人間の血の中に染み通って体内の感覚を変え、人間の空間時間の観念をすっかり変えてしまう、こうして人間はただ魂魄の見た通りに見、感じた通りに感じ、考えた通りに考えるより他なくなるのです。

 

 

こうした感じ方の変化は眠りの様に優しいですが、こんな感じ方で見た蓬莱は次の様に記すことが出来るでしょう。

 

 

蓬莱では悪というものを知らぬから、蓬莱の人々は生まれてから死ぬまで微笑んでいる、ただ神々が蓬莱の人々に悲しみを送る時、悲しみの消え去るまで顔をおおっているだけだ。蓬莱の民は皆お互いに信じ合い、愛し合って、全体がまるで一家族のようである。

 

 

女の話は鳥の歌に似ているが、それは心が鳥の魂のように無邪気だからである。遊んでいる乙女の袂(たもと)のさゆらぎは、やわらかな大きな翼の羽ばたきに似ている。

 

 

蓬莱では、悲しみの他に隠すものとては無いが、それは恥じることが無いからだ。又全然錠をかけることが無いが、それは盗みということが無いからだ。恐れるものが無いからだ。

 

 

人々は皆、死は免れぬが、小神仙であるから蓬莱のものは、竜宮の御殿の他、何もかも小さくて、古めかしくて、変わっている。又、この小神仙たちは、実際小さな茶碗で飯を食べ、よくよく小さな杯で酒を飲む。

 

 

こう見えるのは多くはあの魂魄の氣を吸ったからでしょう、しかし、皆が皆そう見えるとは限りません。

 

 

亡き人々がここに残した不思議な力というのは、ただ理想のみにある魅力、昔の望みの魅力に他ならないからです、その望みの内には多くの人々の胸の内に(無我の人の単純な美しい心の中に)、夫人の優しい心の中により、ようようにして実現されたものなのです。。。。。。

 

 

西洋の悪風が今蓬莱の上を吹きまくっています。そして、霊気は、悲しいかな、その為に委縮し、消え去ろうとしています。今ではただ切れ端や帯のようになって残っているだけです、あの日本画の山水の上にたなびいている輝いた雲の帯のようになって。これらの狭い霊気の切れ端の下に今でも蓬莱は見られる。。。。が、そこを離れると見ることは出来ないのです。

 

 

忘れてはなりません。蓬莱は又蜃気楼と言い、見極めにくい幻なのです。そして、その幻は今消え失せようとしています、そうなれば、絵と詩と夢との他にもう二度と出現することはないのです。

 

小泉八雲著 『怪談 蓬莱』