長崎に原爆が落とされた日におもゐを馳せて
【今日のこよみ】 旧暦2014年 7月 14日 友引 四緑木星
壬子 日/癸酉 月/甲午 年 月相 13.16 大潮
立秋 初候 涼風至(すずかぜいたる)
【今日の気象】 天気 雨 気温 21.8℃ 湿度 80%(大阪 6:00時点)
パソコンが故障からやっと復帰。タブレットやスマートフォンでのブログ更新を何度か試みてはみたものの、途中での煩雑さを感じて断念していました。これからもボチボチとブログを続けて行きたいと思います。
さて、今日は、8月9日。長崎に原爆が落とされた日です。
長崎への原爆投下により亡くなられた全ての御霊と、勇気を貫き通し長崎に原爆が投下された日に亡くなられたJoe O'Donnell氏の御霊に謹んで哀悼の意を表します。
朝、タブレットでネットを見ていたらこの写真に目が留まり、関連した下の動画を見入りました。
焼き場に立つ少年 米軍カメラマンが見たナガサキ NAGASAKI - Dailymotion動画
そして、10時30分からのNHKでの平和祈念式典中継視聴へと自然と導かれて行きました。
長崎は9日、69回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、安倍政権が7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を巡る議論に言及し「『戦争をしない』という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と政府に呼び掛けた。一方、安倍晋三首相は「『核兵器のない世界』を実現するための取り組みを、さらに前に進める」と述べたが、2007年の第1次政権時に触れた「憲法の規定を順守」とする発言はなかった。
台風11号の接近に伴い、3200人収容できる大型テントを前日に撤去するなどして迎えた。式典は午前10時35分に始まり、安倍首相ら約5900人が出席した。米国など核保有国を含め、過去最多となる海外50カ国の代表も参列し、原爆が投下された午前11時2分、全員で黙とうをささげた。
平和宣言には、6日の広島市の平和宣言では言及されなかった「集団的自衛権」の文言が盛り込まれた。田上市長は「集団的自衛権の議論を機に、『平和国家』としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされている」とし、日本国憲法がうたう平和主義に触れ「『戦争をしない』という誓いは被爆国・日本の原点であり、被爆地・長崎の原点でもある」と述べた。
そのうえで「被爆者たちが自らの体験を伝え続けた平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が、急ぐ議論のなかで生まれている」と、十分な議論を経ないままの憲法解釈変更への危機感をにじませ、国民の声に耳を傾けるよう政府に求めた。
また、核兵器保有国と日本を含む「核の傘」の下にある国に対し、核兵器禁止を求める国々と協議の場を設けるよう呼び掛けた。日本政府には「核兵器の非人道性を一番理解している国として、先頭に立ってください」と訴えた。
集団的自衛権の行使容認については、被爆者代表として「平和への誓い」を読んだ城臺(じょうだい)美弥子さん(75)も「日本国憲法を踏みにじる暴挙です」と厳しく批判した。
安倍首相は「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがある」とあいさつした。集団的自衛権への言及はなく、原発問題にも触れなかった。
式典では、この1年間で死亡が確認された被爆者3355人の氏名が書かれた原爆死没者名簿3冊が新たに奉安された。奉安された死没者の総数は16万5409人になった。【小畑英介】
上の動画の最後にJoe O'Donnellは、このように云っている。
たとえ小さな石であっても波紋は広がっていく。
それは少しずつ広がりいつか陸に届くはずだ。
アメリカという陸にも届く日が来る。
誰かが続いてくれれば波紋はさらに広がっていく。
そしていつか誰もが平和を実感できる日が来ると、信じる。
Joe O'DonnellのWikipedia【Joe O'Donnell (photojournalist) - Wikipedia, the free encyclopedia】を見てみると下部のリンクはことごとくリンク切れとなっている。ここに現代のアメリカという国の彼への評価を見て取れる。しかし、彼の勇気は、敵味方という壁を超えて私達日本人の胸を打つ。
平和とは、言葉やら他人の意見に従うのではなく、一人ひとりが持つ良心に従うその先にあるものなのだ。
この点、長崎市長の平和宣言と被爆者代表の女性の平和への誓いは、彼らの良心を感じることが出来なかった。感情的に対立を際立たせた内容であり、残念でならない。対立のその先にあるのは平和ではなく戦争であるということは、イスラエルの現況を見れば明らかだ。
私達日本人は、次の高みに登る時に来ているのだ。憲法という縛りがたとえ無くなったとしても必ず平和を堅守するのだという、人類未踏の高みに。この高みに至る道へは、日本人同士が対立していてはとても到達することは出来ないということを思い知るべきなのだ。
【追記:2014/08/12】
原爆忌 不戦の誓い、危うくないか
(2014年8月6日午前7時00分)
広島は被爆から69年目を迎えた。9日は長崎原爆忌。日本は世界で唯一の被爆国であると同時に、忘れてはならないのが戦争加害国であり、敗戦国でもあることだ。昨年の広島平和宣言で、松井一実市長は核兵器を「絶対悪」と呼び、核廃絶を訴えた。ならば戦争も絶対悪である。いかなる正当化も許されない。
安倍政権は憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使容認へ突き進んだ。14年版防衛白書にも安全保障政策の転換を明記した。戦争のできる国―日本はこれでよいのか。さらに、国際社会で核廃絶の先頭に立っていると言えるだろうか。
広島と長崎。この夏、二つの被爆都市はこの「集団的自衛権」をめぐって揺れた。式典で読み上げる平和宣言にこの文言を入れるかどうかである。
広島市の松井市長は言及しないことを決めた。「平和主義をうたうことで、さまざまなことへの立ち位置を明確にできる」とする。一方、長崎市の田上富久市長は「核兵器をなくし、戦争をしないという長崎の原点を伝える」として「現状を明確に伝えるため、言葉を入れた方が伝わりやすい」という考え方だ。
長崎の場合は行政主導の広島と異なり、平和宣言の起草委員会で議論し、最終的に市が文言を作る民主的手法を取る。委員には被爆者や大学教授、マスコミ関係者ら14人が加わり、いつも激しい議論を戦わす。当初案にはなかったが、「戦争ができる国に変わろうとしていることへの警鐘が必要」といった声が上がり、市長が軌道修正した。
両市とも「非核」「不戦」の誓いに変わりはないのだろう。しかし、強大な政治権力が恣意的に国をコントロールする可能性に対し、市民、国民は常に懐疑的であり、抑制力を働かせる必要があるのではないか。それが忌まわしい戦争の教訓であるからだ。
戦後、営々と守ってきた平和憲法の精神をないがしろにして日本はどこへ向かうのか。核爆弾を投下し、今もロシアと並ぶ最強の核保有国である米国との軍事同盟を強化しながら、国家主義に走る安倍政権。国民の知る権利侵害の恐れがある特定秘密保護法も成立させ、年内施行を目指す。
広島に原爆を投下した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の搭乗員セオドア・バンカーク氏が先月、93歳で老衰死した。人類史上初の核攻撃に加わり、大量破壊兵器がもたらした惨状を上空から目撃した生き証人はすべていなくなった。生前、原爆の不必要性を強調する一方で「原爆投下を後悔していない。多くの人たちの命を救ったことに誇りを感じている」とも語った。
被爆者健康手帳の交付が始まった1957年度以降、被爆者の数は80年度末に最多37万2264人を数えた。だが13年度末は19万2719人と初めて20万人を割った。平均年齢は79・44歳。80歳が目前だ。絶望的な廃虚から立ち上がり、歩み続けた人々の苦しみと勇気を学ばねばならない。来年は戦後70年である。
長崎では、どのような議論の上、平和宣言が起草されたのであろうか?
長崎市役所の担当部署に起草委員会について電話で聞いてみた。
起草委員会は14名の有識者で構成され、有識者のプロフィールは非公開。委員会の議事録も非公開で、委員の人選も市長の専決事項とのこと。
上の新聞の記事にあるような『民主的手法』や『激しい議論が戦われていること』を国民が確かめることは出来ないのだ。
対して、上の記事で『行政主導』とされている広島市は平和宣言起草の骨子となる「被爆体験に関する懇談会」の構成員をホームページで公開している。
区分 |
氏名 |
所属・役職等 |
座長 | 松井 一實 | 広島市長 |
浅川 伸二 | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館長 | |
池田 精子 | 公益財団法人広島平和文化センター被爆体験証言者 | |
江種 則貴 | 中国新聞社論説主幹 | |
大西 知子 | 広島市立倉掛小学校教諭 | |
桜井 茂樹 |
日本放送協会広島放送局放送部長 |
|
志賀 賢治 |
広島平和記念資料館長 | |
田邊 雅章 | 被爆70年事業「ヒロシマ・プロジェクト」爆心地復元映像製作委員会代表 | |
坪井 直 |
日本原水爆被害者団体協議会代表委員 |
何故、長崎市長は「集団的自衛権」という文言を平和宣言に取り入れたのか?
この決断に対する長崎市長のおもゐを、マスコミというフィルターを通さずに国民が知ることが出来ないということは、残念でならない。