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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第六十二章】 光り輝く道

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月 2日 大安  四緑木星

         辛未 日/己巳 月/甲午 年 月相 0.9  

         穀雨 末候 牡丹華(ぼたんはなさく)     

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 14.8℃ 湿度 86% (大阪 6:00時点) 

 

 

道者萬物之奧。

 

善人之寳、不善人之所保。

 

美言可以市尊、美行可以加人。人之不善、何棄之有。

 

故立天子、置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。

 

古之所以貴此道者何。

 

不曰求以得、有罪以免耶。

 

故爲天下貴。

 

 

 

 

 

【書き下し文】

 

道なる者は万物の奥なり。

 

善人の宝にして、不善人の保(やす)んずる所なり。

 

美言(びげん)は以(も)って尊(そん)を市(か)うべく、美行(びこう)は以って人に加うべし。

 

人の不善なるも、何の棄つることかこれ有らん。

 

故に天子を立て、三公(さんこう)を置くに、拱璧(こうへき)以って駟馬(しば)に先(さき)んずる有りと雖(いえ)ども、坐(ざ)して此(こ)の道を進むるに如(し)かず。古えの此の道を貴(たっと)ぶ所以(ゆえん)の者は何ぞ。

 

求むれば以って得られ、罪あるも以って免(まぬが)ると曰(い)わずや。

 

故に天下の貴きものと為る。

 

 

 

 

 

【私的解釈】

 

道はあらゆるモノの奥に鎮座する万物の根源である。

 

善なる人が宝として大切に守るトコロであり、善ない人が守られるトコロでもある。

 

飾り立てた言葉によって尊敬の念がやりとりされ、飾り立てた行為によって地位がやりとりされているのがこの世の中だ。善ない人だからといって、どうして見捨てられようか。

 

だから、天子の即位や三公の就任の時には、大きな碧玉を飾り立てた四頭立ての馬車を献上するということがあるけれども、そのようなことをするより、ただ低くひざまずいて、道に添うようにと進言する方が勝っている。

 

昔の人がこの道を尊んだのはなぜか。望めばそのおかげで得られ、罪があってもそのおかげで免れると言い伝えられているではないか。だからこそ、道が世の中で最も尊いモノとなっているのだ。

 

 

 

 

【雑感】

 

「道」とは、どういうモノなのか?私もまだまだ模索中の身である。

 

幸いにも日本には、二千年以上も老子が言う「道」を体現して来た皇室という存在が身近にある。

 

ある書物に

世界の歴史上、戦争に負けた国の君主・元首がそのまま在位するということは、まずなかった。

第二次世界大戦後でも、かなり君主制が廃止されたり、君主が退位させられる国があった。そういう中で、敗戦にもかかわらず天皇制が存続し、しかも戦前も戦後も同じ天皇が位にあるということは、われわれ日本人は普通のことだと思っているかもしれないが、少なくとも外国人にとっては大変な驚きであり、理解しがたいことである。

天皇研究 天皇存在の意義をさぐる 美和信夫著」

と、あった。

 

なぜ、アメリカは天皇制を存続させたのだろうか?アメリカは日本を占領し、その権力により天皇家に伝わるあらゆる資料を精査した。三種の神器も精査している。天皇家についての全てを研究した上で天皇制の存続を決定しているのだ。表向きは、トルーマン米国大統領が「天皇制の存廃は日本人民の民意によって決定されるべき」と発言したように、日本の国民の判断によって天皇制が存続されたこととなっているが、裏には天皇制を廃止できない何かがあったのかも知れない。

 

では、この皇室の伝統的精神とはどういったものなのか?

天皇は多くの場合、伝統と国民の理想の統一されたものとして存在していた。国家の統一も文化の発展も国民は天皇にその理想を見、また情景の対象となっていた。

 

いかなる時代においても国民の念願することは『安国と平けく』治まる時世を念願したのであって、今日の言葉でいえば、平和国家、文化国家の建設を民族の理想としていたのであって、『安国』の実現のために祖先に祈り、祖先の示した徳行は、遺伝的勢力として代々の天皇に伝えられ、天皇はその民族理想の実践者と考えられ、そこに天皇に対する崇拝も起こり、国民との対立はなく天皇自身民族の理想の保持者となって歴史を貫いて生きてきたというのが明らかである。

 

天皇の名において発せられた詔勅、和歌、日記、著述などに一貫して現れるものは、天皇は神と共にあり、国民と共にあるということであって、神慮天皇の思いとし、国民の思いを天皇の思いとする一種の宗教者として、過去においても天皇はまさしく日本民族結合の象徴であった

http://rc.moralogy.jp/ronbun/23%E7%BE%8E%E5%92%8C.pdf

 

正に、老子が説く理想が日本において体現されているのである。混沌とした世の中を掻き分けたその奥に皇室が存在している。そして、一度国が乱れると日本民族結合の象徴となって国民の精神安定に資しているのである。

 

天皇のおもゐは和歌となって今に伝えられている。連綿と積り重なる皇室の日本に対するおもゐ遣りは、家族の間でこそ語り継がれるべきものなのだ。そうすることで、家系を貫き通る「光輝く道」が姿を現すこととなる。

 

 

仁徳天皇御製

高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり

(高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっている。民の生活が成り立っていることをうれしく思う)

 

この和歌には以下の物語が伝わる。

どの家でもその日に食べる食料すらなくなり、人々は飢えに苦しんでいた。仁徳天皇はカマドに煙すら上がらない民の生活を見ていたく嘆き、いそぎ税を向う3年間は取り立てないことにした。そして宮殿の改修などに人力をさくことを中止し、食料の生産高をあげるべくさまざまな事業に専念した。その結果3年後にはどの家々からもカマドの煙が立ち昇ったとの故事にちなむ歌。

仁徳天皇は、「天皇が天に立つのは民のためである。過去の聖王達は一人でも民が飢えたら自分の身を責めたものである。民が貧しいのは私が貧しいことであり、民が豊かなのは私が豊かなことなのだ」といい、まず民のことを第一に考えた。民は天皇を中心としたクニ造りに賛同し、その持てる力を出し合って難波の地に強くそして平和なクニを築き上げた。仁徳天皇没後に世界最大の墳墓が築かれたのも、「仁」と「徳」の聖王として称えられ、長く続く五穀豊穣と太平の世が残ったからとされている。

 

 

 

明治天皇御製

とこしへに 民やすかれと 祈るなる わがよを守れ 伊勢の大神

(いついつまでも我が治めている国民が安くあれかしと、祈って居る我が心を知ろしめして、わが世を守りたまへ皇祖天照皇大神よ)

 

あしはらの 国とまさむと 思ふにも 青人草ぞ たからなりける

(あしはらの大日本帝国を富まさむと思ふにつけても、第一に貴い宝はわが民草である)

 

国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事なわすれそ

(我が国の為めに仇を為す敵は打ち砕くとも、その半面には又、其の人々に対して残忍なる行為はなすな、仁徳の心を以て、慈愛を垂るることを忘れてはならぬぞ)

 

国のため 斃れし人を 惜しむにも おもふはおやの こころなりけり

(国のため戦場に出て敵の手に斃れたる忠勇の士卒を惜しむにつけても、家々に取っては孝行な子を失うた親々の心は如何であらうかと、まずそれが気の毒に思はれるぞ)

 

つく杖に すがるともよし 老人(おいびと)の 千年の坂を こえよとぞおもふ

(老人はたとえ杖に縋って歩いてもよいから、どうか千年までも長寿してくれよと思ふぞ)

 

おもふこと おもふがままに いひ出づる をさな心や まことなるらむ

(天真爛漫として、思ふことを思ふがままに言うことが出来る子供の心が、人間の誠の心であらう、誰れに心を置くこともなく、赤裸々として、歯に衣着せず言葉にそのまま自分の思ふことを言ふは、即ち誠の心ではあるまいか)

 

神垣に 涙手向けて をがむらし 帰るをまちし 親も妻子も

(靖国神社の神垣に涙を手向けて拝んで居ることであらう、嗚呼それは戦場から帰るを待って居た将卒の親や妻や子等である、国のために戦死のなき骸となって神社に祀られた人々の親や妻や子等ではある、その心の察せらるることよ)

 

たらちねの 庭のをしへは せばけれど 広き世にたつ もとゐとはなれ

(父母の教育を受くる家庭は、狭いけれども、その狭い処で教訓されたことが、やがて広い世間に立つ土台とはなるのであるから、家庭の教訓は大切のものである)

 

敷島の 大和心の ををしさは 事ある時ぞ あらはれにける

(わが日本国民の大和魂は、男々しいものであるが、平生はあらはれなくも、一朝事のある時に、始めて外にあらはれるものではあるよ)

 

受けつぎし 国の柱の 動きなく 栄えゆくよを なほいのるかな

(天照皇大神より皇統連綿と受け継いで来りたまひし大日本国の基(国の柱)の動くことなく万々歳まで栄えゆくは勿論ながら、なほ此上にも栄えを神明に祈ることであるよ)

 

 

 

大正天皇御製【http://kahuetaisyourouman.web.fc2.com/gyosei.html

かぎりなき 山田の里の 賑わひも 立てる煙に 知られけるかな

 

降り積る 真垣の竹の 白雪に 世の寒けさを 思ひこそ遣れ

 

吹き騒ぐ 嵐の山の 巌根松 うごかぬ千代の いろぞ静けき

 

民は皆 年のはじめを 松の枝 門に飾りて 御代祝ふらん

 

國のため たふれし人の 家人は いかにこのよを 過ごすなるらむ

 

ぬきがたき 塁ぬがんと 捨てし身を したふ妻子や いかに悲しき

 

 

 

昭和天皇御製

世のなかも かくあらまほしき おだやかに 朝日にほへる 大海の原

 

あらたまの 年をむかへて いやますは 民をあはれむ こころなりけり

 

あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を

 

静かなる 神のみそのの 朝ぼらけ 世のありさまも かかれとぞ思ふ

 

戦の わざはひうけし 国民(くにたみ)を おもふこころに いでたちてきぬ

 

わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ

 

海の外(と)の 陸(くが)に小島に のこる民の うへ安かれと ただいのるなり

 

国がらを ただまもらんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり

 

国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし

 

春たてど 山には雪の のこるなり 国のすがたも いまはかくこそ

 

外国(とつくに)に つらさしのびて 帰りこし 人をむかへむ まごころをもて

 

賞を得し 湯川博士の いさをしは わが日の本の ほこりとぞ思ふ

 

新米を 神にささぐる 今日の日に 深くもおもふ 田子のいたつき

 

戦(たたかい)の いたでをうけし 外国の 長(をさ)をむかふる ゆふぐれさむし

 

国のため 命ささげし 人々の ことを思へば 胸せまりくる

 

戦を とどめえざりし くちをしさ ななそぢになる 今もなほおもふ

 

戦に いたでをうけし 諸人の うらむをおもひ 深くつつしむ

 

喜びも 悲しみも皆 国民と ともに過(すぐ)しきぬ この五十年

 

国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみ(出光佐三)また去りぬ さびしと思ふ

 

思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを

 

やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど

 

医師(くすし)らの 進みしわざに われの身は おちつきにけり いたつきを思ふ

 

 

 

今上天皇御製【歌会始 - 宮内庁

慰霊碑の 先に広がる 水俣の 海青くして 静かなりけり

 

津波来し 時の岸辺は 如何なりしと 見下ろす海は 青く静まる

 

人々の 幸願ひつつ 国の内 めぐりきたりて 十五年経つ

 

戦なき 世を歩みきて 思ひ出づ かの難き日を 生きし人々

 

うち続く 田は豊かなる 緑にて 実る稲穂の 姿うれしき

 

山荒れし 戦の後の 年々に 苗木植ゑこし 人のしのばる

 

人々の 過しし様を 思ひつつ 歌の調べの 流るるを聞く

 

波立たぬ 世を願ひつつ 新しき 年の始めを 迎へ祝はむ