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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 十四】 小を積んで大を爲すの論

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 3月28日 赤口  四緑木星

         戊辰 日/己巳 月/甲午 年 月相 27.3 

         穀雨 次候 霜止出苗(しもやみてなえいづる)    

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 13.8℃ 湿度 64% (大阪 6:00時点)  

 

 

翁曰く。
 
大事をなさんと欲せば、小なる事を、怠らず勤むべし。小積りて大となればなり。
 
凡(おおよ)そ小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出來難き事を憂ひて、出來易き事を勤めず。夫れ故、終に大なる事をなす事あたはず。
 
夫れ大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。
 
譬えば百萬石の米と雖(いへど)も、粒の大なるにあらず、萬町(まんちょう)の田を耕すも、其の業は一鍬(ひとくわ)づつの巧にあり、千里の道も一歩づつ歩みて至る、山を作るも一ト簣(もっこ)の土よりなる事を明かに辨(わきま)へて勵精(れいせい)小さなる事を勤めば、大なる事必ずなるべし。

 

小さなる事を忽(ゆるが)せにする者、大なる事は必ず出來ぬものなり。 

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が言う。

 

大きな事を成し遂げようとするなら、小さな事を怠らずに取り組むべし。小が積もって大となるのである。

 

大体、凡人はいつも、大きなことを求めて小さなことを疎かにしており、出来ない出来ないと大騒ぎしている一方で、簡単に出来る事を軽視している。だから、結局大きな事を成し遂げることがない。

 

これは、大きな事も小さな事を積み上げてこそ大事となることを知らないのだ。

 

例えて言えば、百万石の米といってもひと粒が大きいわけでもなく、万丁の田んぼを耕すのも一鍬(くわ)づつの積み重ねにあり、千里の道も一歩づつ足をだすことにより到達し、山を作るのも一盛りの土を積み重ねることに出来上がることを肝に銘じて、精を出して小さな事を積み上げれば、大きなことも必ず成し遂げられるのである。

 

小さな事をやり遂げることを軽く見る者が大きな事を成し遂げることなど出来やしないのだ。

 

 

【雑感】

 

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチの中に『Stay hungry, Stay foolish.(ハングリーであれ、愚か者であれ)』という言葉が出てくる。


スティーブ・ジョブズ 日本語で学ぶ伝説のスピーチ(字幕) - YouTube

 

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

 

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

 

ハングリーであれ。愚か者であれ。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 :日本経済新聞

 

 

この言葉は、曹洞宗の祖 洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の言葉『潜行密用とは、愚の如く、魯(ろ)の如く、よく相続するを主中の主と名づく』から来ているという。「人に知られることがなくても、ひそかに修する綿密の行持というものは、愚者まぬけの如く平々凡々に見えるがそれでよい。ただ、コツコツと一つのことを続けるということが人間としての真の生き方なのだ」という意味である。

 

 

このスピーチの中で死について述べている部分を抜粋する。

 

3つ目の話は死についてです。

 

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 

一年前、私はがんと診断されました。朝七時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

 

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

 

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

 

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

 

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

 

 

ドグマにとらわれてはいけない。

他人の言葉に振り回されるな。宗教を盲信するな。生きていく上で、人の教えを鵜呑みにすのではなく、自分のプリンシプルを確立して自己判断して生きなさい、ということ。

 

そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。

自分の欲望が渦巻く心の奥にある真の心の存在に焦点を当てると、そこから繰り出される直感に強力なパワーが宿っていることを知ることとなる、ということ。

 

 

これらは、日本人ならば腑に落ちる、当たり前のことが述べられているに過ぎない。ジョブスが述べていることは、戦前の日本人なら当たり前のように実行していたことなのだから。

 

 

 

 そして、最近、伝記「スティーブ・ジョブズ」の最終章が公開された。 

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ I

 

   

2011 年 10 月3日の月曜日、スティーブ・ジョブズは、そのときが来たと悟った。がんと闘い、「次のスイレンの葉までたどり着くんだ」と語るのをやめ――注目する点を変えるときいつもしてきたように突然――目前に迫った死について考えはじめた。

 

どういう葬式をしてほしいのか、ジョブズはそれまで語ったことがなく、妻のローリーンは、荼毘(だび)に付してほしいのだろうと思っていた。何年も前から、折々、どこに散骨したらいいのかという話をしていたからだ。だがその月曜日、彼は、火葬はやめてくれ、両親のそばに埋めてくれと言いだした。 

 

翌火曜日の朝、アップルでは、iPhone4Sの発表が行われた。ジョブズが最後の取締役会でいじり倒そうとした音声認識ソフトウェアのSiriが搭載された製品だ。アップルキャンパスの講堂、タウンホールで行われた発表会には、厳粛な雰囲気がただよっていた――スティーブに近しい幹部たちは彼の容体がよくないことを知っていたからだ。発表会が終わると、ジョニー・アイブ、エディ・キュー、ティム・クックらにすぐ来るようにと電話がかかってきた。彼らは、午後、ジョブズの自宅を訪れ、順番に別れを惜しんだ。

 

 ジョブズは、妹のモナ・シンプソンにも「急いでパロアルトまで来てくれ」と電話をかけた。モナは、そのときのことを追悼文で次のように語っている。 

 

「彼の声には心からの深い愛情が感じられましたが、同時に、もう車に荷物をくくりつけてしまった人のような響きがありました。我々を置いていくのは申し訳ない、本当に残念だと思いながら、もう旅を始めてしまった人のような響きがあったのです」  そのまま電話で別れの言葉を言おうとするジョブズを、いまタクシーで空港に向かっている、すぐ着くからとモナがさえぎると、 「いま言っておくべきなんだ。君が来るまで持ちそうにないんだよ」 と返ってきたという。 

 

娘のリサはニューヨークから飛んできた。ふたりの関係は必ずしもよかったとは言えないが、リサはいい娘であろうといつもがんばっていたし、実際、そうだったと言える。もう一人の妹であるパティも駆けつけた。 こうして、スティーブ・ジョブズは、深く愛する家族に囲まれて最後の日を過ごすことになった。

 

本人もよく語っていたように、ジョブズは家庭的とは言いがたい男だったかもしれない。だが、本当のところは、最終的な結果も含めて判断すべきだろう。会社のトップとしての彼は、要求が厳しく気難しいリーダーだったかもしれないが、熱狂的と言えるほど忠誠心の強いチームを作ったし、社員に心から愛されてもいた。同じように、家庭においては、無愛想で家族をあまり顧みない人間だったかもしれないが、しっかりした子どもを4人ももうけ、彼らの愛に包まれて最期を迎えることができた。

 

その火曜日の昼下がり、ジョブズは、子どもたちの目ばかりを見つめていた。そしてあるとき、パティに目をとめ、子どもたちをじっと見つめ、そしてローリーンに視線を移したあと、どこか遠くを見る目になった。

 

「うわぁ」 つぶやきが漏れる。「うわぁ、うわぁ」 最後の言葉だった。意識がなくなる。午後2時ごろのことだ。息づかいが苦しそうになる。モナ・シンプソンは追悼文にこう書いている。「そうなってもまだ、彼は厳しい表情の男前でした。独裁者の顔、ロマンチックな男の顔をしていたのです。息づかいから、彼が大変な旅をしていること、急な坂道を高みへと登っていることがわかりました」  その日、モナとローリーンは一晩中、ジョブズに付き添っていた。

 

翌 2011 年 10 月5日の水曜日、スティーブ・ジョブズはこの世を去った――家族に見送られて。 

http://bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/jobs/pdf/lastchapter.pdf

 

 

どういう葬式をしてほしいのか、ジョブズはそれまで語ったことがなく、妻のローリーンは、荼毘(だび)に付してほしいのだろうと思っていた。何年も前から、折々、どこに散骨したらいいのかという話をしていたからだ。だがその月曜日、彼は、火葬はやめてくれ、両親のそばに埋めてくれと言いだした。 

家族と先祖や子孫をおもゐ遣ると散骨などは、自分の欲望に従う自己満足にすぎないのだ。日本人ならこのジョブスの判断にも共感が湧くだろう。

 

 

 

スティーブ・ジョブズの正氣が、日本人の心の奥に潜んでいる、思い出すべき「おもゐ」へと導いてくれている。