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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【怪談牡丹灯篭 二十ノ一】 天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず(後篇) 之編  【完】

 
さて相川考助は宇都宮池上町の角屋へ泊り、その晩九ツの鐘の鳴るのを待ち掛けました処、もう今にも九ツだろうと思うから、刀の下緒(さげお)を取りまして襷(たすき)といたし、裏と表の目釘を湿らせ、養父相川新五兵衞から譲り受けた藤四郎吉光の刀を差し、主人飯島平左衞門より形見に譲られた天正助定を差し添えといたしまして、橋を渡りて板塀の横へ忍んで這入りますと、三尺の開き戸が明いていますから、ハハアこれは母が明けて置いてくれたのだなと忍んで行きますと、母のいう通り四畳半の小座敷がありますから、雨戸の側へ立寄り、耳を寄せて内の様子を窺いますと、家内は一体に寝静まったと見え、奉公人の鼾(いびき)の声のみしんといたしまして。
 
池上町と杉原町の境に橋がありまして、その下を流れます水の音のみいたしております。考助はもう家内が寝たかと耳を寄せて聞きますと、内では小声で念仏を唱えている声がいたしますから、ハテ誰か念仏を唱えているものがあるそうだなと思いながら、雨戸へ手を掛けて細目に明けると、母のおりゑが念珠(ねんじゅ)を爪繰(つまぐ)りまして念仏を唱えているから、考助は不審に思い小声になり。
 
「お母さま、これはお母様のお寝間でございますか、ひょっと場所を取り違えましたか」
 
「はい、源次郎お國は私が手引きをいたしましてとくに逃がしましたよ」
 
と言われて孝助はびっくりし、
 
「ええ、お逃し遊ばしましたと」
 
 
「はい十九年ぶりでお前に逢い、懐かしさのあまり、源次郎お國は私の家へ匿まってあるから手引きをして、私が討たせると言ったのは女の浅慮。
 
お前と道々来ながらも、お前に手引きをして両人を討たしては、私が再縁した樋口屋五兵衞どのに済まないと考えながら来ました、今ここの家の主人五郎三郎は、十三の時お國が十一の時から世話になりましたから実の子も同じ事、お前は離縁をして黒川の家へおいて来た縁のない考助だから、両人を手引きをして逃がしました、それは全く私がしたに違いないから、お前は敵の縁に繋がる私を殺し、お國源次郎の後を追い掛けて勝手に敵をお討ちなさい」
 
 
と言われ孝助は呆れて、
 
 
「ええお母様、それは何ゆえ縁が切れたと仰しゃいます、成程親は乱酒でございますから、あなたも愛想が尽きて、私の四ツの時に置いてお出になった位ですから、よくよくの事で、お怨み申しませんが、私は縁は切れても血統は切れない実のお母さま、私は物心が付きましてお母様はお達者か、御無事でおいでかと案じてばかりおりました所、此の度図らずお目にかかりましたのは日頃神信心をしたお蔭だ。
 
殊にあなたがお手引きをなすって、お國源次郎を討たせて下さると仰しゃッたから、この上もない有難いことと喜んでおりました、それを今晩になってお前には縁がない、越後屋に縁がある、あかの他人に手引きをする縁がないと仰しゃるはお情ない、左様なお心なら、江戸表にいる内に何故これこれと明かしては下さいません、私も敵の行方を知らなければ知らないなりに、又他々を捜し、たとえ草を分けてもお國源次郎を討たずには置きません、それをお逃がし遊ばしては、たとえ今から跡を追っかけて行きましても、両人は姿を変えて逃げますから、私には討てませんから、主人の家を立てる事は出来ません、縁は切れても血統は切れません、縁が切れても血統が切れても宜しゅうございますが、余りの事でございます」 
 
 
と怨みつ泣きつ口説き立て、思わず母の膝の上に手をついて揺ぶりました。母は中々落着ものですから、
 
「成程お前は屋敷奉公をしただけに理窟をいう、縁が切れても血統は切れない、それを私が手引きをして敵を討たなければ、お前は主人飯島様の家を立てる事が出来ないから、その言い訳はこうしてする」
 
と膝の下にある懐剣を抜くより早く、咽喉(のど)へガバリッと突き立てましたから、考助はびっくりし、慌てて縋(すが)り付き、
 
「お母様何故御自害なさいました、お母様アお母様アお母様ア」
 
と力に任せて叫びます。気丈な母ですから、懐剣を抜いて溢(あふ)れ落ちる血を拭って、ホッホッとつく息も絶え絶えになり、面色土気色に変じ、息を絶つばかり、
 
 
「考助、考助、縁は切れても、ホッホッ血統は切れんという道理に迫り、素より私は両人を逃がせば死ぬ覚悟、ホッホッ江戸で白翁堂にみて貰った時、お前は死相が出たから死ぬと言われたが、実に人相の名人という先生の言われた事が今思い当りました。
 
ホッホッ再縁した家の娘がお前の主人を殺すというは実に何たる悪縁か、さア死んで行く身、今息を留めればこの世にない身体、ホッホッ幽霊が言うと思えば五郎三郎に義理はありますまい、お國源次郎の逃げて行った道だけを教えてやるからよくお聞き」
 
 
と言いながら考助の手を取って膝に引き寄せる。考助は思わずも大声を出して
 
「情ない」
 
と言う声が聞えたから、
 
五郎三郎は何事かと来て障子を明けて見ればこの始末、五郎三郎は素より正直者だから母の側に縋(すが)り付き、
 
「お母様、お母様、それだから私が申さない事ではありません。考助様後で御挨拶を致します、私はお國の兄で、十三の時から御恩になり、暖簾を分けて戴いたもお母様のお蔭、悪人のお國に義理を立て、何故御自害をなさいました」
 
と言う声が耳に通じたか、母は五郎三郎の顔をじっと見詰め、苦しい息をつきながら、
 
「五郎三郎、お前はちいさい時から正当な人で、お前には似合わないかのお國なれども、義理に対しお位牌に対し、私が逃がしました、又考助へ義理の立たんというは、血統のものが恩義を受けた主人の家が立たないという義理を思い、自害をいたしたので、どうかお國源次郎の逃げ道を教えてやりたいが、ハッハッ必ずお前怨んでお呉れでないよ」
 
「いいえ、怨む所ではありません、あなたおせつないから私が申しましょう、考助様お聞き下さい、宇都の宮の宿外れに慈光寺という寺がありますから、其の寺を抜けて右へ往くと八幡山、それから十郎ヶ峯から鹿沼へ出ますから、貴方お早くおいでなさい、ナアニ女の足ですから沢山は行きますまいから、早くお國と源次郎の首を二つ取って、お母様のお目の見える内に御覧にお入れなさい、早く早く」
 
と言うから考助はおいおい泣きながら、
 
「はいはいお母様、五郎三郎さんがお國と源次郎の逃げた道を教えて呉れましたから、遠く逃げんうちに跡追っかけ、両人の首を討ってお目にかけます」
 
という声ようやく耳に通じ、
 
「ホッホッ勇ましい其の言葉どうか早く敵を討って御主人様のお家をたてて、立派な人に成って呉れホッホッ、五郎三郎殿この考助は外に兄弟もない身の上、また五郎三郎殿も一粒種だから、これで敵は敵として、これからはどうか実の兄弟と思い、互いに力になり合って私の菩提を頼みますヨウヨウ」
 
と言いながら、考助と五郎三郎の手を取って引き寄せますから、両人は泣く泣く介抱するうちに次第次第に声も細り、苦しき声で、
 
「ホッホッ早く行かんか、早く行かんか」
 
と言って血のある懐剣を引き抜いて、
 
「さア源次郎お國はこの懐剣でとどめをお刺し」
 
と言いたいがもう言えない。
 
考助は懐剣を受け取り、血を拭い、敵を討って立ち帰り、お母様に御覧に入れたいが、この分ではこれがお顔の見納めだろうと、心の中で念仏を唱え、
 
「五郎三郎さん、どうか何分願います」
 
と出掛けては見たが、今母上が最後の際だから行き切れないで、又帰って来ますと、気丈な母ですから血だらけで這出しながら、虫の息で、
 
「早く行かんか、早く行かんか」
 
と言うから、孝助は
 
「へい往きます」
 
と後に心は残りますが、敵を逃がしては一大事と思い、跡を追って行きました。
 
 
先刻からこれを立ち聞きして居た亀藏は、ソリャこそと思い、考助より先きへ駆けぬけて、トットッと駆けて行きまして、
 
「源さま、私が今立ち聞をしていたら、考助の母親が咽喉(のど)を突いて、お前さん方の逃げた道を考助に教えたから、ここへ追い掛けて来るに違えねえから、お前さんはこの石橋の下へ抜身の姿で隠れていて、考助が石橋を一つ渡った所で、私共が考助に鉄砲を向けますから、そうすると後へ下る所を後から突然に斬っておしまいなさい」
 
「ウム宜しい、ぬかっちゃアいけないよ」
 
と源次郎は石橋の下へ忍び、抜身を持って待ち構え、他の者は十郎ヶ峰の向の雑木山へ登って、鉄砲を持って待っている所へ、かくとは知らず孝助は、息をもつかず追い掛けて来て、石橋まで来て渡りかけると、
 
「待て考助」
 
と言うから、考助が見ると鉄砲を持っている様だから、
 
「火縄を持って何者だ」
 
と向こうを見ますと喧嘩の亀藏が、
 
「やい考助おれを忘れたか、牛込にいた亀藏だ、よくおれを酷い目にあわせたな、手前が源様の跡を追っかけて来たら殺そうと思って待っているのだ」
 
「ヤイヤイ考助手前のお蔭で屋敷を追い出されて盗賊をするように成った、今ここで鉄砲で打ち殺すんだからそう思え」
 
と言えばお國も鉄砲を向けて、
 
「考助、サア迚(とて)も逃げられねえから打たれて死んでしまやアがれ」
 
考助は後ろへ下がって刀を引き抜きながら声張り上げて。
 
「卑怯だ、源次郎、下人や女をここへ出して雑木山に隠れているか、手前も立派な侍じゃアないか、卑怯だ」
 
という声が真夜中だからビーンと響きます。
 
 
源次郎は考助の後ろから逃げたら討とうと思っていますから、考助は進めば鉄砲で討たれる、退けば源次郎がいて進退ここに谷(きわま)りて、一生懸命に成ったから、額と総身から油汗が出ます。
 
この時考助が図らず胸に浮んだのは、かねて良石和尚も言われたが、退くに利あらず進むに利あり、たとえ火の中水の中でも突っ切って往かなければ本望を遂げる事は出来ない。
 
憶して後ろへ下がる時は討たれるというのはこの時なり、たとえ一発二発の鉄砲丸に当っても何程(いかほど)の事あるべき、踏み込んで敵を討たずに置くべきやと、ふいに切り込み、卑怯だと言いながら喧嘩亀藏の腕を切り落しました。
 
亀藏は孝助が鉄砲に恐れて後ろへ下がるように、わざと鼻の先へ出していた所へ、ふいに切り込まれたのだから、アッと言って後ろへ下がったが間に合わない、手を切って落とすと鉄砲もドッサリと切り落して仕舞いました。
 
昔から随分腕の利いた者は瓶(かめ)を切り、妙珍鍛(みょうちんきたえ)の兜を割った例もありますが、考助はそれほど腕が利いておりませんが、鉄砲を切り落せる訳で、あの辺は芋畑が沢山あるから、その芋茎(ずいき)へ火縄を巻き付けて、それを持って追い剥ぎがよく旅人を脅して金を取るという事を、かねて亀藏が聞いて知ってるから、そいつを持って考助を脅かした。
 
芋茎だから誰にでも切れます。
 
亀藏が
 
「アッ」
 
と言って倒れたから、相助は驚いて逃げ出す所を、後ろから切り掛るのを見て、お國は
 
「アレ人殺し」
 
と言いながら鉄砲を放り出して雑木山へ逃げ込んだが、木の中だから帯が木の枝に纒(から)まってよろける所を一刀あびせると、
 
「アッ」
 
と言って倒れる。
 
源次郎はこの有様を見て、おのれお國を斬った憎い奴と考助を斬ろうとしたが、雑木山で木が邪魔に成って斬れない所を、考助は後から来る奴があると思って、いきなり振り返りながら源次郎の肋(あばら)へ掛けて斬りましたが、殺しませんでお國と源次郎の髻(もとどり)を取って栗の根株に突き付けまして、
 
 
「やい悪人わりゃア恩義を忘却して、昨年七月二十一日に主人飯島平左衞門の留守を窺(うかが)い、奥庭へ忍び込んでお國と密通している所へ、この考助が参って手前と争った所が、手前は主人の手紙を出し、それを証拠だと言って、よくも考助を弓の折れで打(ぶ)ったな、それのみならず主人を殺し、両人乗込んで飯島の家を自儘(じまま)にしようという人非人(ひとでなし)、今こそ思い知ったか」
 
 
と言いながら栗の根株へ両人の顔を擦(すり)付けますから、両人とも泣きながら、
 
「免(ゆる)せえ、堪忍しておくんなさいよう」
 
というのを耳にも掛けず、
 
 
「これお國、手前はお母様が義理をもって逃がして下すったのは、樋口屋の位牌へ対して済まんと道まで教えて下すったなれども、自害をなすったも手前故だ、唯一人の母親をよくも殺しおったな、主人の敵親の敵、なぶり殺しにするから左様心得ろ」
 
 
と、これから差し添えを抜きまして、
 
「手前のような悪人に旦那様が欺(だま)されておいでなすったかと思うと」
 
といいながら顔を縦横ズタズタに切りまして、又源次郎に向い、
 
「やい源次郎、この口で悪口を言ったか」
 
とこれも同じくズタズタに切りまして、又母の懐剣でとどめをさして、両人の首を切り髻(たぶさ)を持ったが、首という物は重いもので、考助は敵を討って、もうこれでよいと思うと心に緩みが出て尻もちをついて、
 
 
「ああ有難い、日頃信心する八幡築土明神(まちまんつぐどみょうじん)のお蔭をもちまして、首尾よく敵を討ちおおせました」
 
 
と拝みをして、どれ行こうと立ち上がると、
 
「人殺人殺し」
 
という声がするからふり向くと、亀藏と相助の二人が眼が眩(くら)んでるから、知らずに考助の方へ逃げて来るから、こやつも敵の片われと二人とも切り殺して二つの首を下げて、ひょろひょろと宇都宮へ帰って来ますと、往来の者は驚きました。
 
生首を二つ持って通るのだから驚きます。中には殿様へ訴える者もありました。
 
考助はすぐに五郎三郎の所へ行って敵を討った次第をのべ、殊に
 
「母がまだ目が見えますか」
 
と言われ、五郎三郎は妹の首を見て胸塞がり、物も言えない。
 
母上様は先程息がきれましたというから、この儘(まま)では置けないというので、御領主様へ届けると、敵討の事だからというので、考助は人を付けて江戸表へ送り届ける。
 
考助は相川の所へ帰り、首尾よく敵を討った始末を述べ、それよりお頭小林へ届ける。
 
小林から其の筋へ申し立て、考助が主人の敵を討った廉(かど)を以て飯島平左衞門の遺言に任せ、考助の一子考太郎を以て飯島の家を立てまして、考助は後見となり、芽出度く本領安堵いたしますと、その翌日伴藏がお仕置きになり、その捨札をよんで見ますと、不思議な事で、飯島のお嬢さまと萩原新三郎と私通(くっつ)いた所から、伴藏の悪事を働いたということが解りましたから、考助は主人の為め娘の為め、萩原新三郎の為めに、濡れ仏を建立いたしたという。
 
これ新幡随院(しんばんずいいん)濡れ仏の縁起で、この物語も少しは勧善懲悪の道を助くる事もやと、かく長々とお聴きにいれました。
 
 
(拠 若林玵藏 筆記)