【老子道徳経 第二十三章】 愛すれば愛される
【今日のこよみ】 旧暦2013年12月30日大安 五黄土星
辛丑 日/丙寅 月/甲午 年 月相 29
大寒 末候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)
【今日の気象】 天気 雨 気温 5.4℃ 湿度 62%
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希言自然。故飄風不終朝、驟雨不終日。
孰爲此者、天地。天地尚不能久、而況於人乎。
故從事於道者、同於道、徳者同於徳、失者同於失。
同於道者、道亦樂得之、同於徳者、徳亦樂得之、同於失者、失亦樂得之。
信不足、焉有不信。
【書き下し文】
希言(きげん)は自然なり。故(ゆえ)に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず。
孰(た)れかこれを為す者ぞ、天地なり。天地すら尚(な)お久しきこと能わず、而(しか)るを況(いわ)んや人に於(おい)てをや。
故に道に従事する者は、道に同じくし、徳なる者は徳に同じくす、失なる者は失に同じくす。
道に同じくする者は、道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ、徳に同じくする者は、徳も亦たこれを得るを楽しみ、失に同じくする者は、失も亦たこれを得るを楽しむ。
信足らざれば、焉(すなわ)ち信ぜられざること有り。
【私的解釈】
くどくど言わないことこそ自然のあり方である。どんな強風でも朝まで吹き続けることはないし、土砂降りの雨も終日続くことはない。
自然そのものが自身の振るまいを決めている。自然すら同じ状態を長く継続することは出来ない。ましてや、人間が同じ状態を継続させることなんて出来やしない。
だからこそ、道に添った生き方をする者は道に没入し、徳を備える者は道徳的な生活をし、礼を欠く者は無礼が日常となる。
道に添う者は道の方からも寄り添われ、徳を備える者は道徳の方からも寄り添われ、礼を欠く者は、無礼な生き方を楽しむこととなる。
人は、何事においても自分が信じないモノから信用されることはないのである。
【雑感】
人の意志は儚いものである。
いや、私の意志は儚く、このブログを書いた日にちを振り返って見ても、三日坊主が当たり前の状況だ。
でも、それでいいんじゃないか。三日坊主だと自己嫌悪に陥って継続を放棄するよりも、三日坊主を当たり前として、三日坊主を継続させる。
継続する中で自分にとって相応しいと思われる事が習慣となり、相応しくないと思われる事が廃れていく。
この選択を行う、私の意志が及ばない見えないチカラを信じてみるって大事なことなのだろう。