【小泉八雲】 乳母(うば)櫻 / 十六櫻
【今日のこよみ】旧暦2015年 2月 20日 大安
甲寅 日/辛巳 月/乙未 年 月相 18.7 中潮 寝待月
清明 初候 玄鳥至(つばめきたる)
マヤ長期暦 13.0.2.5.18 マヤ365日暦 6 Pop マヤ260日暦 10 Etzunab
【今日の気象】 天気 雨 気温 4.4℃ 湿度 50% (大阪 6:00時点)
三百年も前のこと、伊予国は温泉郡の朝美という村に、徳兵衛という気立ての良い人が住んでいました。徳兵衛はその界隈での物持ちで、村長(むらおさ)をつとめ、まず何事にも不足のない身でありましたが、四十になっても、父となる喜びを知りませんでした。そこで徳兵衛と徳兵衛の妻は、子供のないことを苦に病んで、朝美村の西方寺という名高い寺に祭ってある不動明王にたびたび祈願をするのでした。
やがて祈願が達して、徳兵衛の妻はひとりの女の子を産み落としました。その子は至って器量良しで、つゆという名をつけました。母親の乳が足りなかったので、おそでという女を子供の乳母に雇い入れました。
おつゆは大きくなるにつれて、大変美しい娘になりました。ところが十五の歳に病気になり、医者もさじを投げました。その時、おつゆをわが子のようにかわいがっていた乳母のおそでは、西方寺に行って、お嬢様の病気の治るようにと、懸命に不動さまにお祈りをしました。三七(さんひち)の間、毎日行って祈りました。そして満願の日に、おつゆはにわかに全快しました。
徳兵衛の家では大喜びでした。徳兵衛はこの嬉しい出来事に、知り合いを招いて祝いの宴会を開きました。ところが、そのお祝いの晩に、乳母のおそではにわかに病気になりました。そしてその明くる朝、おそでに付き添わせてあった医者がおそでの臨終を知らせました。
家中の者は、大変悲しんで、おそでの床の側に別れを告げに集まりました。その時おそでは、皆の者に向かって言いました。
「皆様方のご存じないことを申し上げる時が参りました。私の願いは聞き届けられました。私は不動さまに、おつゆさまのお身代わりに死ぬことをお許し下さるようお願いしました。そして今特別のお願いのお許しがいただけたのでございます。ですから、皆さま、私の死ぬのをお嘆き下さいますな。・・・けれど、ただ一つお願いがございます。私は不動さまに、お礼と思い出のしるしに桜の木を西方寺の境内に納めることをお約束しました。今私は、自分でその木を植えることが出来ません。どうか、私に代わって、この約束を果たして下さいまし。・・・さらば、皆さま、おつゆさまのお為に、私は喜んで死んで行ったと思って下さいまし。」
おそでの弔いが済んでから、一本の桜の若木(選り抜きの、とりわけ良い若木)が、おつゆの両親の手で西方寺の境内に植えられました。木は根付いて見事に成長し、翌年の二月十六日(今の暦で三月下旬)_ちょうどおそでの命日_に、不思議に花が咲きました。こうして二百五十年の間、その木は引き続き花が咲きました_いつも二月十六日(今の暦で三月下旬)に_そしてその花は、うすもも色と白の色で、ちょうど乳に濡れた女の乳房のような色でした。それで人はその木を乳母桜と呼びました
『小泉八雲代表作集』より
もちろん、この『乳母桜』は現存する。
今、大宝寺の桜が満開になっていると教えて頂いたので、休憩時間に訪ねてみました。静かな境内で見事に咲いていたその桜は『うば桜』と呼ばれていて、乳白色の大きなお花と枝垂れた姿がとても優美でした(^_^) もう少しゆっくりと見たかったな! pic.twitter.com/MbLNv05ywp
— dialogue (@dialogu87062421) 2015, 3月 27
大宝寺のうば桜。 pic.twitter.com/LoThw4ynkk
— アンダー80 (@ififell2) 2015, 3月 29
続いての物語。
うそのような 十六桜 咲きにけり
伊予国和気郡に十六桜という、大変有名な桜の古木があります。十六桜と言うわけは、毎年旧暦の正月十六日(今の暦で二月中旬)に_それもその日にだけ_桜が咲くからです。それで_桜は、春の時候になるのを待って、花が咲き出す習わしですが_この木が花を持つのは大寒の季節なのです。しかし十六桜は、その木の持っていない_さもなければ、少なくとも本来その木の持っていなかった_生命によって花を咲かせるのです。その木の中には一人の男の、魂が宿っているのです。
その男は伊予の侍でありました。そして桜の木はその男の庭に植わっていて、普通の時期_すなわち、三月の終わりから四月の始め_に、いつも花が咲いていました。その男は子供の頃その木の下で遊びました。そして、その男の両親や祖父母や祖先の人達は、その木の花の咲く枝に、春ごとに、百年以上も、讃歌(ほめうた)をしたためた美しい色の短冊をつるしておりました。その男も非常に老人(としより)となり、子供にも先立たれ、桜の木を除いては、もうこの世に愛する物がなくなりましたが、どうしたことでしょう!ある年の夏、その木はしなえて、枯れてしまいました。
老人はその木の枯れたのをこの上なく悲しみました。そこで親切な近所の人達は、美しい桜の若木を見つけて老人の庭に植えてやりました_こうして老人を慰めようと思ったのです。老人は近所の人達に礼を言い、嬉しそうな様子でした。しかし、実は老人の心は苦しい思いで一杯でした。老人はとてもその古木を愛していたので、何ものを以ってしてもその木を失くした老人を慰めることが出来なかったのです。
ついに良い考えが老人に浮かびました。老人は枯れ木を救うことの出来る方法を思い出したのでした。正月の十六日でしたが、老人は一人で庭に行き、枯れた木の前にひざまずき、枯れ木に向かってこう言いました_「お願いだ、どうかも一度花を咲かせておくれ、_私はお前の身代わりとなって死のうから。」
というのは、人は神様のお力で、自分の生命を他の人か、動物か、木にさえも、実際に与えることが出来ると信ぜられているからです_そして、かように生命を移すことを「身代わりに立つ」というのです。そこで老人は、その木の下に白布と敷物を何枚も敷き、その敷物の上に座って、武士の作法によって切腹しました。そして老人の魂は木に移り、同時に花を咲かせました。
それで、毎年、雪の季節の正月十六日に、今も尚その木には花が咲くのです。
『小泉八雲代表作集』より
この十六桜も株分けされたその子孫が現存する。
松山の二本の櫻を探しました 〜小泉八雲 作 怪談(Kwaidan)から〜 | ぶらり四国の旅 | 四国運輸局
【雑感】
上の小泉八雲の2つの物語を読んで思うことは、昔の日本人は自我が希薄であったということ。周りのあらゆるモノを思い遣って、いざという時は、自分の生命でさえもサラリと身代わりに投げ出してしまうことに躊躇が全く見られないということだ。
翻って現代。膨張仕切った自我が自分の「素の心」を真っ黒に覆い隠してしまい、自我に「素の心」を乗っ取られて、自我に追い詰められて、掛け替えの無い生命を断つ日本人。
最近10代の子とか自殺したりするでしょ?
そういうのはね、勿体無い。
人生はそん時だけじゃないんだよ。ほんとに。50まではね、面白くないよ。
人生は。50から相当面白いよ。
10代で悩んでる方たくさんいるでしょ?
20代でも悩んでる方。30でもまだ悩んでるよ。50なってみろよ。
良い事も悪い事も自分のせい!他人のせいにしてるとそういう自分になっちゃうよ!都合の良い自分にならない。厳しいし辛い時こそもっとそっちの方へ!
誰の日常にも面白いヒントがたくさんある。
遊びがわかってないね。
まずは一生懸命暮らすこと。
星は誰にでもみんなに輝いている。ただ見上げる人と見上げない人の差で云々。
遊びに理由なんかないんだよ。
人間は何のために生きてるのかなって考えてることが生きている意味だ!
俺が妻と結婚したのは妻の笑顔を長い時間見たいから。
今、妻を笑顔にしてあげられてないなら笑顔にしてあげれてない俺が全て悪い。
揚げ足取るのは簡単。文句言うんだったら自分の意見をもってから言えよ。
「やればできる」ってじゃあやれよ!
「昔は凄かった」って昔なんかどうでもいいんだよ今どうなんだよ?
経験することが楽しい。だから生きていることが楽しい。
だって生きていることが経験だから。死んじゃったら何も経験できない。
でもそのうち、死ぬことも経験になる。
何でもかんでも規則通りにやらせようとするのは機械の仕事人間なんだからいろいろな場面で臨機応変に対応しなきゃ!
あなたなんて居ても居なくても同じ!って言われたら
「居てもいいんだ!ラッキー」って思っちゃうもんね。
途中で意味を考えない。
山に登る意味を考えていいのは登り切った人か
途中であきらめて降りた人だけ。
がっかりも度を超えると面白い!
メンドクサイことがイヤなら寝ているのが一番。
でも、ずっと寝ているだけじゃ幸せも、生きてる時間もわかりっこない。
メンドクサイことがいっぱいあるから生きてるんだって実感が持てる。
戦後の日本の学校教育は失敗であった。そんな戦後の教育の犠牲者が生きる屍となり日本の社会を現代進行形でドンドン蝕んでいる。
上の2010年の7月に記入されたブログのコメント欄には、「内容に共感し、闇に光が差しました」という過真面目人間たちの感謝の言葉が今も止まない。私自身も検索でこのブログにたどり着き、即共感し、目からウロコが落ちた一人でもある。
過真面目人間が何故真面目を過ぎるのであろうか?その原因は、失敗して他人から軽蔑されたくないとか、他人の自分への評価を落としたくないとか自分の立場や自分の居場所を必死に守るため、とにかく他人の為ではなく自分自身の為に自我を膨らませて本来の無垢なる自分自身を見失った結果にあるのだと、自分の体験からも思う。
そしてこのドンドン膨らんだ自我が制御不能となる時が突然やって来て、バンと破裂して社会からはじき出され、そこから這い上がる気力を失って社会の暗部でうごめいている人たちが大勢存在しているのが現代の日本である。ほんと、掛け替えの無い一人の日本人が代替ある物のように社会にコキ使われて、使い捨てにされて行く現代の日本社会。
一人の人間がこの世に産まれ落ちるには、父母、祖父母、曾祖父母と遡り2の累乗の数の先祖の血の繋がりが必要で、ホント奇跡的にこの繋がりが途切れることがなかったが故に自分がこの世に産まれ落ちることが出来たという事実がある。一人の日本人を27世代遡ると、その祖先の人数は今の日本の人口を超過してしまう。この事実が照らす奇跡に感謝の思いを抱くこともなく、いや現代の日本人たちはこの事実を誰からも教えられることもなかったのであろうが、自ら死を選んで自分の子孫の誕生の芽を自らの手で摘んで、脈々と果てしなく続いて来た血のつながりを自分自身で断ち切る罪よりもどこまでも自我を優先させて自滅していく日本の若者たち。
上の医師がこのように書いているが、私も同じ意見。
教育について私の理想はハイジのアルムオンジの考え方。ハイジには一般の教育を受けさせるのを渋っていましたよね。
国家に強制された「義務教育」ほど子供の心身に害を及ぼすものはないと思っています。
本当の教育は。。。。これは、名家とよばれるところや傑出した人物が出た家では、必ず子子孫孫に脈々と受け継がれています。名作『ゴッドファーザー』でも父から2代目のマイケルに家督を譲るときに、人間の見分け方を教えるシーンがありましたよね。あれです。本当の教育とは。
不幸にして身内に傑出した人物がいない場合や、脈々と受け継がれてきた“教育”がない場合(私を含めほとんどの人はこちらです。)。その場合はどうなるのでしょう?
この場合は、優れた人物について(丁稚奉公して)すべてを“盗む”しかありません。
(いわゆる社会勉強というやつです。。)これは日本人であれば昔は皆が行ってきたこと。それで始めて自分の血肉となります。
小学校~大学~大学院の教育は“生きた知恵”ではありません。
人として生きる為の生きた知恵を、家庭でも学校でも教えてくれなくなって久しくなったことが今の日本の病巣の原因だと思う。昔は各家庭で仏教の教えが親から子へときちんと伝えられていたが、現代の多くの一般家庭ではそれも断絶してしまった。
私自身も思うところがあるので、次回以降、高神覚昇著「般若心経講義」を取り上げて『般若心経』を私自身も学んで行きたいと思う。