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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 二十五】 決定と注意

【今日のこよみ】 旧暦2014年 閏 9月 5日 先勝  四緑木星

         壬申 日/乙亥 月/甲午 年 月相 4.2 中潮

         霜降 次候 霎時施(こさめときどきふる)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 10.9℃ 湿度 51%(大阪 6:00時点) 

 

 

旧暦では今年の9月は閏月です。

月みれば 秋くははれる 年はまた あかぬ心も そふにぞありける

西行「後九月、月をもてあそぶといふ事を」

【月を見ていると九月がひと月加わった今年は、(存分に月見を楽しんだので)一層名残惜しい気持ちが増して来るわい】

 

織女(おりひめ)の 年に一夜と 契らずは 後の文月も あはましものを

実富朝臣母「百首の中に、閏月七夕といふことを」

【(七夕の夜の天候が悪く)織姫の年に一夜だけの約束が守れなかったけれどもね、幸いにも今年はもうひと月七月があるからその時には会えるといいわね】

 

花悔帰根無益悔 花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるになし

鳥期入谷定延期 鳥は谷にらむことをすれども定めてを延ぶらむ

藤滋藤

【桜の花は散ってしまったが、閏三月と知って、ひと月多い春を楽しもうとして根に戻ろうと悔いても、もはやどうしようもできないね。一方で鶯は谷に帰ろうと思ったが、閏三月と知って、きっと戻る日時を延ばしてひと月多い春を楽しんでいることだろうよ。】

 

新暦が幅をきかす現代に旧暦を取り入れると胸が騒ぐのは日本人の特権でしょう。

 

 

 

翁曰く、
 
百事決定と注意とを肝要とす。如何(いかん)となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり。小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉く破る。
 
夫れ一年は十二月也、然して月々に米實法(みの)るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米實法りて、十二月米を喰ふは、人々しか決定して、しか注意するによる。是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度實法るとも、人々其の通り決定して注意せば、決して差支あるべからず。
 
凡そ物の不足は皆覚悟せざる處に、出づるなり。されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)此の位の事にすれば、年末に至って餘(余)るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし。是に心付かずうかうかと暮して、大晦日に至り始めて驚くは、愚の至り不注意の極りなり。
 
ある飯焚女が曰く、一日に一度づつ米櫃(こめびつ)の米をかき平均して見る時は、米の俄に不足すると云ふ事、決してなしといへり、是れ飯焚女のよき注意なり。
 
この米櫃をならして見るは、則ち一家の店卸しにおなじ、能々決定して注意すべし。

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が仰った。

「万事、決定と心配りが肝要である。突き詰めれば、どんなことでも決定と心配りを采配することで事は成るのだ。どんな些細なことでも決定と心配りが行き届かなければ、万事ことごとく破れてしまうものである。

 

1年は12ヶ月である。この1年の毎月にお米が実るわけではない。ただ、初冬の1ヶ月のみにお米が実り、以後12ヶ月に渡りお米を食することが出来るのは、人々の決定の積み重ねと、心配りの積み重ねの恩恵なのだ。この道理に従えば、例えお米が2年に一度、3年に一度しか実ることが無くても、人々が決定と心配りを積み重ねれば、何ら差し障りも無く毎月毎月お米を食べることが出来るのである。

 

だいたい物の不足は人々が心構えをしないこととにより生じる。毎月だいたいこのぐらい消費をすれば、年末にこれほど余るだろうとか、不足するだろうとかを推し量ることが出来ないわけがない。このことに日々心を配らず、大晦日になって初めて驚く者は愚の骨頂であり、不注意の極みである。

 

ある炊事場の女中が言っていた。一日に一度、米櫃の中のお米をかき混ぜて平らに均(なら)しておけば、お米の量が少なくなっていることに突然気付くことなど無いと。これ、炊事場の女中の良い心配りである。

 

このように米櫃の中のお米を均(なら)してみることは、各家庭で家計簿をつけることと同じことなのだ。十分に念を入れて決定をし、心配りをしなさい。