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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

驕れる者は久しからず 其の壱

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 8月 20日 先負  四緑木星

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朝日新聞が自社の行った報道の内容について取り消し、社長が謝罪の記者会見を開いた。

みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長

2014年9月12日03時07分

朝日新聞社社長・木村伊量

朝日新聞は、東京電力福島第一原発事故政府事故調査・検証委員会が作成した、いわゆる「吉田調書」を、政府が非公開としていた段階で独自に入手し、今年5月20日付朝刊で第一報を報じました。その内容は「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」というものでした。吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容でした。

しかし、その後の社内での精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。「命令違反で撤退」の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。

これに伴い、報道部門の最高責任者である杉浦信之編集担当の職を解き、関係者を厳正に処分します。むろん、経営トップとしての私の責任も免れません。この報道にとどまらず朝日新聞に対する読者の信頼を大きく傷つけた危機だと重く受け止めており、私が先頭に立って編集部門を中心とする抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で、すみやかに進退について決断します。その間は社長報酬を全額返上いたします。

吉田調書は、朝日新聞が独自取材に基づいて報道することがなければ、その内容が世に知らされることがなかったかもしれません。世に問うことの意義を大きく感じていたものであるだけに、誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。

現時点では、思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因と考えておりますが、新しい編集担当を中心に「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を早急に立ち上げ、あらゆる観点から取材・報道上で浮かび上がった問題点をえぐりだし、読者のみなさまの信頼回復のために今何が必要なのか、ゼロから再スタートを切る決意で検討してもらいます。

同時に、誤った記事がもたらした影響などについて、朝日新聞社の第三者機関である「報道と人権委員会(PRC)」に審理を申し立てました。すみやかな審理をお願いし、その結果は紙面でお知らせいたします。

様々な批判、指摘を頂いている慰安婦報道についても説明します。朝日新聞は8月5日付朝刊の特集「慰安婦問題を考える」で、韓国・済州島慰安婦強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました。戦時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するためには、この問題に関する過去の朝日新聞報道の誤りを認め、そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していくべきだと考えたからです。この立場はいささかも揺らぎません。

ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします。

慰安婦報道については、PRCとは別に社外の弁護士や歴史学者、ジャーナリストら有識者に依頼して第三者委員会を新たに立ち上げ、寄せられた疑問の声をもとに、過去の記事の作成や訂正にいたる経緯、今回の特集紙面の妥当性、そして朝日新聞慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響などについて、徹底して検証して頂きます。こちらもすみやかな検証をお願いし、その結果は紙面でお知らせします。

吉田調書のような調査報道も、慰安婦問題のような過去の歴史の負の部分に迫る報道も、すべては朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼があってこそ成り立つものです。

わたしたちは今回の事態を大きな教訓としつつ、さまざまなご意見やご批判に謙虚に耳を澄まします。そして初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします。そうした弊社の今後の取り組みを厳しく見守って頂きますよう、みなさまにお願い申し上げます。

みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長:朝日新聞デジタル

 

 

今回の朝日新聞の事件は、「物事を自分自身で考えて自分の意見を持つ」という事がいかに大切かを痛感させられる出来事だ。自分の意見を持たない者は、悪意に絡め取られてしまう。

 

 

今回の事件は、

① 原発事故における吉田調書

② いわゆる従軍慰安婦問題で、自らが慰安婦を強制連行したという吉田清治の証言

についての記事について、報道機関として信頼を損なう誤りがあり、読者に誤解や不利益を与えることとなったので、記事を取り消しますということだ。

 

 

上の文章を読めば①についての謝罪が先に述べられ、②についてが後に述べられているため①が主で②が従のような印象を読み手は受ける。朝日新聞の思惑が当然この謝罪の文にもふんだんに散りばめられているのである。

 

新聞やテレビの報道機関が、様々な問題を中立の立場で公平に報道しているということは建前にしか過ぎない。国営放送のNHKすらも中立な立場で報道してはいないのである。人間が編集しているのだから、その人間の思惑が入るのは当然のことなのだ。

 

だから、自分の意見も持たずにニュースに接するとその思惑に絡め取られてしまうこととなる。

 

では、朝日新聞は嘘の情報で読み手をどのように印象付けたかったのであろうか?

 

これを検証してみたい。

 

 

まず、吉田調書の5月20日の虚偽の記事の内容を調べてみる。


吉田調書 - フクシマ・フィフティーの真相 - 特集・連載:朝日新聞デジタル

 

プロローグ

朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。

28時間、400ページ

吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページに上る分量になる。吉田氏への聴き取りは13回中11回が福島第一原発から南へ20km離れたサッカー施設 J-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで、残る2回が吉田氏の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれた。

政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りをおこなった。吉田調書はその一環で作成された。対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱。吉田氏への聴取時間は28時間あまりで、あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取った。畑村洋太郎政府事故調委員長は、ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼んだ。

怒り、苦悩、分別

吉田調書の特徴は「吉田氏の言いっぱなしになっていない」点にある。政府事故調は聴き取りを始めるにあたり、「後々の人たちがこの経験を生かすことができるような、そういう知識をつくりたいと思って、それを目標にしてやろうとしています」「責任追及とか、そういうことは目的にしていません」と趣旨説明をした。だが、聴取は決して生ぬるいものではなかった。それは吉田氏への聴取が政府事故調事務局に出向した検事主導でおこなわれたからである。調書は微妙な言い回しも細かく書き起こされている。

一方、吉田氏のほうも、聴き取りに真剣に応じている様子が調書の文面からうかがえる。調書には、吉田氏が「ここだけは一番思い出したくない」と苦しい胸の内を明かすように話す場面がある。震災当時の社長の清水正孝氏を「あの人」と呼んだり、菅直人氏や原子力安全委員長の班目春樹氏を「おっさん」呼ばわりしたりして、怒りをぶちまけながら話をする場面もある。全編を通して感情を包み隠さず答えていることから、全体として本音で語っていると感じられる。

吉田氏は、事実と心情や思いとは分けて話そうと努めている。また、事故発生時の認識と、その後に得た情報を加味した自身の考えは分けて話すよう努める様子もうかがえる。

 

未曽有の多重災害

福島原発事故は、複数原発が同時にやられるという人類が経験したことがない多重災害だった。最初に、注水が止まっているのを見逃された1号機が大地震発生の翌日の12日午後に水素爆発。続いて3号機が注水に失敗し14日午前に爆発。その影響で2号機が格納容器の圧力を抑えられない事態に陥り、15日に今回の事故で最高濃度の放射性物質を陸上部分にまき散らした。同日は4号機も爆発。核燃料プールの水が抜けることが懸念された。もしそうなっていればさらに多くの放射性物質がまき散らされるところだった。

3号機が爆発したときのやりとり。東電テレビ会議の音声から
 
 
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過ちは生かされたか

政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。

未曽有の原子力事故に立ち向かった人間の声は、歴史に刻まなければならない。歴史は人類共通の財産である。第1回の聴取の際、政府事故調は「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で公にされる可能性があるということをお含みいただいて、それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」と説明した。吉田氏は「結構でございます」と即答したことをここに記す。(宮崎知己)

 

第1章 原発は誰が止めるのか

第1節「フクシマ・フィフティーの真相」

 

暴走する原発を止める責務はいったい誰が負っているのか。その人間はいよいよ原発が破裂しそうになったときは逃げてもよいのか。原発の挙動を知ることができない都道府県知事任せで住民はうまく避難できるのか。そもそも人間に暴走を始めた原発を止める能力はあるのか。事故収束作業における自らの行動、判断を反省も交えて語った福島第一原発の事故時の所長、吉田昌郎。吉田の言葉を知ると、ことの真相を知ろうとせず、大事なことを決めず、再び原発を動かそうとすることがいかに大きな過ちであるかに気付く。

東日本大震災発生から4日目の2011年3月15日午前6時15分ごろ、東京電力福島第一原発の免震重要棟2階にある緊急時対策室。所長の吉田昌郎が指揮をとる円卓に、現場から二つの重大な報告がほぼ同時に上がってきた。 

2号機の「サプチャン」すなわち原子炉の格納容器下部・圧力抑制室の圧力がゼロになったという知らせと、爆発音がしたという話だった。

——— 2号機とは限らないんですが、3月15日の6時から6時10分ころ、その前後の話なんですが、このとき、一つは2号機の圧力抑制室の圧力が急激に低下してゼロになる。それから、このころ、何か。

吉田「爆発音ですね」

——— 音があったと。これは免震重要棟から聞こえたり、感じたりしましたか。衝撃なり音なりというのを。

吉田「免震重要棟には来ていないんです。思い出すと、この日の朝、菅総理が本店に来られるということでテレビ会議を通じて本店とつないでいたんです。我々は免震重要棟の中でテレビ会議を見ながらということでおったら、中操から、あのとき、中操にたまたま行っていたのかよくわからないですけれども、その辺は発電班の班長に聞いてもらった方が、記憶にないんですけれども、要するに、パラメーターがゼロになったという情報と、ぽんという音がしたという情報が入ってきたんですね。免震重要棟の本部席に」


「私がまず思ったのは、そのときはまだドライウェル圧力はあったんです。ドライウェル圧力が残っていたから、普通で考えますと、ドライウェル圧力がまだ残っていて、サプチャンがゼロというのは考えられないんです。ただ、最悪、ドライウェルの圧力が全然信用できないとすると、サプチャンの圧力がゼロになっているということは、格納容器が破壊された可能性があるわけです。ですから保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した」

 

「1F」すなわち福島第一原発では、2号機の暴走を抑えようと懸命の努力が続けられていた。2号機は前日14日昼以降、状態が急激に悪くなっていた。

特に原子炉格納容器の圧力上昇への対応は急を要していた。なんとか「ベント」という格納容器の中の気体を外に放出する操作をやって、破裂をふせぎたい。さらに、圧力容器の圧力を下げたうえで消防車を使って炉に水を注ぎ込み、核燃料を冷やしたい。

15日午前1時すぎ、ベントがうまくいって、原子炉への注水もできたようだという知らせがきた。だが、およそ2時間後の午前3時12分にはこれを打ち消すような知らせが現場から上がってきた。「炉への注水はできてないと推測している」。1、2号機の中央制御室「中操」で運転員を束ねる当直長からだった。

炉に水が入らない状態が続くと、中の核燃料が、自ら発する高熱でどろどろになって溶け落ちる。さらに手をこまねいていると、原子炉圧力容器の鋼鉄製の壁を、続いて格納容器のやはり鋼鉄製の分厚い壁を突き破り、我々の生活環境に出てきてしまう。

——「保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性がある」

そんな懸念が持ち上がる状況のもとに飛び込んできた圧力ゼロと爆発音という二つの重大報告。これらが、2号機の格納容器が破壊されたのではないかという話に結びつけられるのは当然の成りゆきだった。

格納容器が破れると、目と鼻の先にいる福島第一原発の所員720人の大量被曝はさけられない。「2F」すなわち福島第二原発へ行こうという話が飛び出した。

午前6時21分、まず各号機の中央制御室につめている運転員に、免震重要棟に避難するようにとの命令が出た。少しでも被曝の量を減らすためだ。

22分には所員全員に活性炭入りのチャコールマスクの着用が命じられた。空気中に漂う放射性物質を口や鼻から吸い込まないようにするためだ。

27分、退避の際の手続きの説明がスピーカーで始まった。

ここで、現場から2号機の格納容器の破壊を否定するデータがもたらされた。吉田がいる免震重要棟の緊急時対策室内の放射線量が、毎時15~20マイクロシーベルトとあまり上昇していないことだった。

吉田「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

——— そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。

吉田「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

——— 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。

吉田「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」

午前6時30分、吉田はテレビ会議システムのマイクに向かって告げた。「いったん退避してからパラメーターを確認する」。各種計器の数値を見たいというのだ。

続いて32分、社長の清水正孝が「最低限の人間を除き退避すること」と命じた。清水は、つい1時間ほど前に東電本店に乗り込んできた首相の菅直人に、「撤退したら東電はつぶれる」とやり込められたばかりだ。

33分、吉田は清水の命令を受け、緊急時対策室にいる各班長に対し、この場に残す人間を指名するよう求めた。

34分、緊急時対策室内の放射線量について「変化がない」とのアナウンスがあった。

格納容器上部、ドライウェルの圧力が残っているということは、格納容器が壊れたことと明らかに矛盾する。それよりなにより、緊急時対策室の放射線量がまったく上がっていないことをどう評価するか……。

吉田は午前6時42分に命令を下した。

「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」

格納容器破壊は起きていないだろうが、念のため現場の放射線量を測ってみる。安全が確認されるまで、最低限残す所員以外は福島第一原発の構内の放射線量が低いエリアで待つ。安全が確認され次第戻って作業を再開するように。これが吉田の決断であり、命令だった。

放射線量が測られた。免震重要棟周辺で午前7時14分時点で毎時5ミリシーベルトだった。まだ3号機が爆発する前の3月13日午後2時すぎと同程度だった。吉田の近場への退避命令は、的確な指示だったことになる。

ところがそのころ、免震重要棟の前に用意されていたバスに乗り込んだ650人は、吉田の命令に反して福島第一原発近辺の放射線量の低いところではなく、10km南の福島第二原発を目指していた。その中にはGMクラス、すなわち部課長級の幹部社員の一部も入っていた。

一部とはいえ、GMまでもが福島第二原発に行ってしまったことには吉田も驚いた。

吉田「20〜30分たってから、4号機から帰ってきた人間がいて、4号機ぼろぼろですという話で、何だそれはというんで、写真を撮りに行かせたら、ぼこぼこになっていたわけです。当直長は誰だったか、斎藤君か、斎藤当直長が最初に帰って来て、どうなのと聞いたら、爆風がありましたと。その爆風は3、4号機のサービス建屋に入ったときかどうか、そんな話をして、爆風を感じて、彼は入っていくか、出ていくかだったか、帰りに見たら、4号機がぐずぐずになっていて、富田と斎藤が同じだったかどうか、私は覚えていないんだけれども、富田と斎藤から後で話を聞いたら、ぼんと爆風を感じた時間と、2号機のサプチャンのゼロの時間がたまたま同じぐらいなので、どちらか判断できないというのが私がそのときに思った話で。だけれども、2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた」

福島第二原発への所員の大量離脱について、東電はこれまで、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提だったと、計画通りの行動だったと受け取られる説明をしてきた。

外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。

しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない

所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。

まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。

定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。

燃料プールは圧力容器や格納容器のような鋼鉄製の容器に守られておらず、仮に核燃料が自らの熱で溶けるようなことがあれば、放射性物質をそのまま直に生活環境にまき散らすからだ。しかも燃料プールには膨大な量の核燃料があった。

後になって、4号機の燃料プールの核燃料は溶けておらず、爆発の原因は3号機から流入した水素と疑われることになるが、午前9時39分には火災の発生が確認され、米軍から回してもらった消防車で消そうとするなど騒ぎとなった。

——「注水だとか、最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした」

2号機もおとなしくしていなかった。午前8時25分、2号機の原子炉建屋から白煙が上がっているのが確認された。45分には湯気が見られた。午前9時45分には原子炉建屋の壁についている開放状態のブローアウトパネルから大量の白い湯気が出ているのが確認された。午前10時51分には原子炉建屋で大量のもやもやが確認され、原子炉建屋の放射線量は150〜300ミリシーベルトと報告された。

白いもや、湯気、白煙は、1号機と3号機が爆発する少し前に見られたことから、東電は原子炉格納容器内の気体が漏れ出す兆候として最も警戒していた事象だ。

福島第一原発の西側正門付近で測った放射線量の時系列をたどると、爆発音が聞こえた午前6時台は73.2〜583.7マイクロシーベルトだった。それが所員の9割が福島第二原発に行ってしまった午前7時台に234.7〜1390マイクロシーベルトに上昇した。4号機が爆発していたことがわかり、騒然としていた午前8時31分に8217マイクロシーベルト、そして午前9時ちょうど、今回の事故で最高値となる1万1930マイクロシーベルトを観測している。

吉田は部下が福島第二原発に行く方が正しいと思ったことに一定の理解を示すが、放射線量の推移、2号機の白煙やゆげの出現状況とを重ね合わせると、所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある

28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府が、このような時間帯に命令違反の離脱行動があったのを知りながら、報告書でまったく言及していないのは不可解だ

東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調東電もほとんど情報を出さないため不明だ。

この日、2011年3月15日は、福島第一原発の北西、福島県浪江町飯舘村方向に今回の事故で陸上部分としては最高濃度となる放射性物質をまき散らし、多くの避難民を生んだ日なのにである。(文中敬称略)

 

この特集記事は上のプロローグにあるように、朝日新聞の記者宮崎知己氏が、政府内でひっそりと埋もれていた、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を独自に入手し、その調書の内容から記された記事である。

 

つまり、宮崎氏が政府内で埋もれていた調書を独自に入手して、そこに書かれた内容の重大性から私がスクープしますと、記事にしたものである。

 

 

ここで、疑問がわく。

① 宮崎氏は、誰から調書を入手したのか?

② 宮崎氏は、なぜ「吉田調書」のみを入手し、当時の政権与党の民主党菅総理、その他責任者の調書を入手しなかったのか?

③ 宮崎氏は、なぜこの記事を2014年5月20日に発表したのか?

 

 


2014-09.12 「嘘までついて原発反対」“吉田調書 朝日新聞謝罪会見” 「菅直人+反原発派→朝日新聞」調書リークの流れ.mp4 - Dailymotion動画

 

 

この動画が上の疑問を含めて的確に今回の事件について説明してくれている。

 

 

【今回の捏造記事の経緯(3:11~)】

5月20日に朝日新聞が記事(上記の特集記事のこと)にし、どう読んでも650人が逃げたと。吉田所長の命令に反して逃げたと、全世界に向けて(朝日新聞が)発表した。そして世界中の報道機関が「人道に恥ずべきことが日本で行われた」と報道した。

 

しかし、その直後から実際に逃げたとされた650人から「自分たちは逃げたのではない」と疑問の声が上がった。「私達はバスに乗って福島第二原発に連れて行かれただけで、自分の意志など無かった。なぜ逃げたと言われなければならないのか」と。

 

朝日新聞が質が悪いのはですね、吉田所長が生きていれば絶対にこの記事は出なかったはず。生きていれば本人から必ず反論されるから。でも、死人に口なしでしょ。だから、書いちゃえ書いちゃえと。この時点(5月20日)で吉田調書は朝日新聞しか入手していないわけですから、世の中の誰も反論が出来ないわけですよ。当事者はすでに亡くなっていますからね。

 

(後から報じた)産経新聞にリークした側は、「朝日新聞の記事は捏造である。真相はこうである」と、産経新聞に持ち込んだ。それで、産経新聞が8月になってから朝日新聞の記事は間違っていると(記事を)書き始めた。その後読売新聞が書いて、毎日新聞も書いて、(朝日新聞は)もう隠し切れなくなった。

 

そして、政府も今、調書を公開したほうが利益があると見込んで、「朝日新聞の記事が虚偽であるとアピールできる」し、「原発にこれだけ反対している朝日新聞が事実を捏造してまで原発に反対している」という構図を浮き彫りに出来ると考えて、非公開とされていた吉田調書を公開した。

 

この吉田調書が公開されてしまった為、朝日新聞が嘘を突き通すことが出来なくなり、捏造を認めて社長が謝罪することとなった

 

 

 【今回の2つの捏造記事を世に出した朝日新聞の思惑(12:25~】

朝日新聞は一連の反原発キャンペーンの中で、原発という閉ざされた世界で事故が起きると、こういう人道に反した行為(責任を放棄して逃げ出すということ)が行われてしまうということを強調したかった。

 

これは、従軍慰安婦と同じ構造である。従軍慰安婦も、軍隊という閉ざされた組織の中では、非人道的な行為(本人の意志に反して強制的に慰安婦をさせられたということ)が起きるんだということを強調したいが為に、強制的に慰安婦が集められたということを捏造したのである。

 

 

① 宮崎氏は、誰から調書を入手したのか?

② 宮崎氏は、なぜ「吉田調書」のみを入手し、当時の政権与党の民主党菅総理、その他責任者の調書を入手しなかったのか?

(13:25~)

朝日新聞に「吉田調書」をリークしたのは反原発主義の人。当時の菅総理に非常に近い人がリークしたのだと思う。

 

なぜなら、「吉田調書」では当時の菅総理を徹底的に非難しているのだけど、この点を朝日の記事でフォーカスしていないから。今回、反原発運動の人たち(菅総理に近かった人)から朝日新聞の記者(宮崎知己氏)が吉田調書を手に入れて、そういう人たちの思惑を記事に反映させたのだと思う。

 

③ 宮崎氏は、なぜこの記事を2014年5月20日に掲載したのか?

この疑問について上の動画では触れていないが、この時、韓国である事故が世界中から注目を集めていた。セウォル号事件である。

 

【コラム】無能な指揮官は敵軍より恐ろしい=韓国

2014年05月20日16時08分 

西洋の格言に「危機的状況の中で最高の船はリーダーシップ(leadership)」という話がある。海の真ん中で孤立したまま漂流する船(ship)を救うためには、何よりもリーダーの役割が重要だという話だ。船は実際の船舶ということも、各自身を置いている組織ということも、大韓民国号を指し示すこともできる。 

セウォル号の惨事は「リーダーシップの欠如」という韓国社会の致命的弱点を端的に表わした。それも現場からコントロールタワーまですべての段階でリーダーシップの総体的乱脈の様相を見せた。船長は船を捨てて脱出し、海洋警察は沈没するセウォル号を前にしても即座に救出に出ず、本部の責任者は右往左往して貴重な救助活動の「ゴールデンタイム」を浪費するばかりだった。まったくもって理解することのできないこのようなモラル・ハザードが同時に発生したことをどう説明できるだろうか。 

国家を船に例えた代表的思想家は絶対君主制を擁護したフランスの思想家ジャン・ボダンだ。ボダンは「国家という船は家族同様ひとり、すなわち君主によって航海されるのが最善」と主張した。これはルイ14世が「啓蒙君主」と位置づけられる理論的土台となった。 

 しかし、このような論理が19世紀の近代産業社会にも同じように適用されるのは不可能だった。「文明国家においては、いくら良い専制政治だとしても何よりも有害だ」というジョン・スチュアート・ミルの批判はその後の西欧社会が権威主義的リーダーシップから民主的リーダーシップに進む羅針盤的役割を果した。 

今日の韓国社会にもこのようなリーダーシップが定着していると思っていた。だが、今回の惨事によって不幸にも韓国社会が「権威主義的官僚主義」の弊害を克服できていないということが確認された。政府でも企業でも、上層部からの指示なしには決して動かない伏地不動(地に伏して動こうとしないこと)が日常化された。部下には冷酷なくせに上官にはひたすら忠誠をつくす姿も珍しくない。 

こんな硬直してねじれた組織文化が災いを招いたと言っても過言ではないだろう。あまりのことに軍隊でも「無能でまぬけな指揮官は目の前の敵軍より恐ろしい」という言葉が広まった。 

また、共に歩む民主的リーダーシップには背を向けたまま、利潤と効率ばかり強調しマフィアのように自分たちの実利を確保することばかりに血眼になったリーダーのために21世紀の大韓民国号は方向を失って漂流している。70年余り前、マハトマ・ガンディーが「方向を誤れば速度は何の意味がない」と言ったが、私たちは今までその警告を無視して生きてきたわけだ。 

6月4日の地方選挙まで17日だ。選挙の時だけ国民の前で頭を下げるリーダー、当選した後には国民は眼中にもないリーダー、地位を利用して自分の安全と危機ばかり管理するリーダーは冷静に除外しなければならない。そして韓国社会が進む方向を正しく提示するリーダー、少しゆっくりでも国民と共に歩もうとするリーダーを熟慮して選ばなければならない。それが第2のセウォル号惨事を防ぎ、犠牲者の冥福を祈る道だ。 

 パク・シンホン政治部門記者

【コラム】無能な指揮官は敵軍より恐ろしい=韓国 | Joongang Ilbo | 中央日報

当時韓国では、乗客を見捨てて一目散に逃げ出したセウォル号の船長がその非人道的な行為に世界中から非難されていた最中であった。

 

この最中に朝日新聞が今回の捏造記事を全世界に発信したのである。このことは偶然ではないと思う。

 

 

 


プライムニュース 140911_1 - Dailymotion動画

  

 

この動画の福山哲郎氏(当時の官房副長官)の発言(25:44~)は注目に値する。この発言により、朝日新聞民主党が結託してどのような思惑を国内や海外に仕込みたかったのが浮かんでくる。

 

 

福山哲郎氏(当時の官房副長官)

今回の朝日新聞の(捏造)報道はどうでもいいんですけど。

 

あの時点で、15日の朝です。一部の60人50人を残して650人の方が2F(福島第二原発)に一度退避されたことは事実です。これは事実なんですね。ですから、そのことが命令違反だったかどうかは別にして、吉田所長がとにかく1F(福島第一原発)の周辺に居て欲しいと思っていたのは簡単なんです。それは、1~4号機が非常に不安定で、先ほど門田さんが仰られたように、本当に厳しい危機の時に作業される650人、あの時私は現場に居ましたから、東電の本店に居ましたので、爆発音を聞いて退避させたいと、吉田所長と東電から言われて、私も含めてそれは当然だと言いました。しかし、注水は続けないと、より事故が広がる可能性がある。一部の人員を残して注水は続けて下さいと言って、退避をお願いしました。

 

その状況で、吉田所長の気持ちとして、近くに今は一回退避だけれども、近くに居ていただけることによってすぐに作業が再開できる状態にしておきたいという態度は、現場の責任感の強い吉田所長としたら当然の判断だったと思うんですね。

 

しかし、これが10キロ離れた2Fに行ったことで、実は作業がすぐに戻せない状況になっていたことは事実としてあります。それが、命令違反だったかどうかは、これは報道の話ですから。

 

僕は事実としてこの問題が非常に重要だと思っていて、残念なことに、この650人が2Fに行っている時に、実は最も放射性物質が福島に降り注ぐことになりました。つまり、11日12日13日14日ではなくてこの15日の朝が、最も放射能に汚染された状況になるわけで、そういった事実が、この状況で何が事前に出来たのか、その退避が致したかなかったとしても、その時に一体どういった状況で、次の作業に取り掛かかればよかったのかということが、私は重要だと思っています。

 

それからもう一点、我々は吉田所長が退避をしたいとか撤退をしたいとか、吉田所長から聞いたことは一度もございません。

 

ジャーナリスト門田隆将氏

ちょっといいですか。いま(福山さん)が仰ったことで事実関係を少し(述べさせて下さい)。650人という者が、これは女性職員を含む、現場の非戦闘員(補助職員)が多く含まれる、総務、人事、広報、要するに700人という人員があそこの免震重要棟に居たんですけれども、今、福山さんが仰ることだと、その人達が行った(退避した)ことによって、何か(問題)が起こったかのように言われましたが、そこで圧力抑制室、2号機の圧力抑制室の圧力がゼロになった。

 

すなわちこれが損傷を受けて、大量の放射性物質がこれは出るという可能性が出たところで、いわゆる非戦闘員、女性たちあるいは総務、人事、広報の人たち、その人たちを以前から2Fの方へ退避させようとしているマニュアルの元でこれは(退避)やったわけです。

 

もし、そこでいわゆる非戦闘員、総務、人事、広報の人たちが圧倒的に防護マスクが不足している中で、その穴の開いた、損傷を受けた圧力抑制室、これその日に18Kベクレルという福島第一原発事故で最大のこれ(放射性物質)が出た時に、その時にこの周辺に居てくれと、吉田さんが思うわけがないんですよ。

 

福山哲郎氏(当時の官房副長官)

いや、いや、僕が言っていることは違いますよ。退避をすることは、我々もそれは了解しているのですよ。リスクがあるのは分かっているんです。しかし、吉田所長は、自分は2Fに行って下さいと言ったつもりは無かったんだけれども、行ってしまったと言われてますよね。

 

ジャーナリスト門田隆将氏

事実関係として、650人が非戦闘員であったから2Fに退避させたんですね。

 

女性アナウンサー

(フィリップの説明)

 

先ほどの話で、福山さんは、650人の方々が福島第二原発に行った(退避した)ことで作業をすぐに取り戻せないような状況に陥ったと仰いました。

 

福山哲郎氏(当時の官房副長官)

違います。行った(退避した)ことでではないです。そういう状態がこの緊迫した中であったということなのです。

 

我々は、650人の退避については、もちろん了解をしています。だけど、現実問題として、僕は吉田所長は現場の責任者として、非常に責任感の強い方だったので、線量の低いところで一回退避して次の指示を待てと言ったのは、非常にその気持がよくわかる。

 

女性アナウンサー

いいえ、先程はですね、あの福島第二(原発)の10キロ離れたところに650人を退避させたことで、現実的には現実的には作業がすぐに取り掛かれないこととなったと仰いました。

 

福山哲郎氏(当時の官房副長官)

いえ、結果としてその時間帯に福島の線量が一番高くなったんですが、事前の状態でどのように回避すればよかったのかということを、やっぱりここでは検証しなければならないのではないかということを言いたかったのです。

 

女性アナウンサー

なるほど。。。

 

男性アナウンサー

では、福島第二に行った(退避した)ことを、とやかく言いたいわけではないのですね。

 

 福山哲郎氏(当時の官房副長官)

ええ。それは逆に線量が高い状況になる可能性があるわけですから、現場の作業員の方としては、なるべく被曝を恐れてそこへ、2Fに行くことは、僕は心情的にも、危機管理上も、それは仕方のないことだったと思っています。

 

 

この一連の発言で福山氏はトーンを徐々に落としているが、言いたかったことは

 

「15日の朝、この時に福島は一番放射性物質に汚染されることとなった。まさにこの最中、吉田所長の意志に反して、650人もの人が10キロ離れた福島第二原発に退避している状態になってしまった。なぜ、吉田所長の意志に反した状態となってしまったのかをきちんと検証して明らかにしなければいけない」

 

ということなのだろう。

 

つまり、民主党は、吉田調書を朝日新聞にリークさせ、このことを朝日新聞を使って誘導したかったのだと思う。

 

しかし、朝日新聞の記者(宮崎知己氏)は、その意図を理解することが出来ずに、650人が命令違反で福島第二原発に逃げ出したと事実を捏造してしまった。その為、捏造問題がフォーカスされてしまい、民主党の思惑はパーとなった。。。。。

 

このことは、上の動画で福山氏が「今回の朝日新聞の(捏造)報道はどうでもいいんです」と冒頭に述べていることからも明らかだろう。

 

 

今回の朝日新聞の吉田調書の捏造記事により国益が害されたことは明らかである。にもかかわらず、民主党の福山氏が今回の朝日新聞の(捏造)報道はどうでもいいんです」と言ったことの意味は大きい。

 

民主党はリベラルではなくて、売国奴なのだ。朝日新聞もリベラルではなくて、売国奴なのだ。

 

今回の事件で、民主党朝日新聞が結託して、何とかして日本を貶めようとしていることが明らかになった。時代が「なりすまし」を許さなくなっている。今回の事件も浄化作用の一段階なのだろう。ありがたいことである。

 

次回は、もうひとつの捏造問題である、従軍慰安婦問題を記録しておこうと思う。

 

 

 【参考】


政府事故調査委員会ヒアリング記録 - 内閣官房