芥川龍之介の正氣におもゐを馳せて
【今日のこよみ】 旧暦2014年 8月 15日 仏滅 四緑木星
壬午 日/甲戌 月/甲午 年 月相 13.5 中潮 中秋の名月
白露 初候 草露白(くさのつゆしろし)
【今日の気象】 天気 曇り 気温 21.8℃ 湿度 57%(大阪 6:00時点)
ここに戦後の学校教育が教えて来なかった「日本人とは何か」を物語る話がある。
ある春の
夕 、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣 )の裾 を引きながら、南蛮寺 の庭を歩いていた。
庭には松や檜 の間 に、薔薇 だの、橄欖 だの、月桂 だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽 かにする夕明 りの中に、薄甘い匂 を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本 とは思われない、不可思議な魅力 を添えるようだった。
オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い
小径 を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬 の大本山 、リスポアの港、羅面琴 の音 、巴旦杏 の味、「御主 、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛 の沙門 の心へ、懐郷 の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須 (神)の御名 を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。
「この国の風景は美しい――。」
オルガンティノは反省した。
「この国の風景は美しい。気候もまず温和である。土人は、――あの黄面 の小人 よりも、まだしも黒ん坊がましかも知れない。しかしこれも大体の気質は、親しみ易いところがある。のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳 えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスポアの市 へ帰りたい、この国を去りたいと思う事がある。これは懐郷の悲しみだけであろうか?
いや、自分はリスポアでなくとも、この国を去る事が出来さえすれば、どんな土地へでも行きたいと思う。
支那 でも、沙室 でも、印度 でも、――つまり懐郷の悲しみは、自分の憂鬱の全部ではない。自分はただこの国から、一日も早く逃れたい気がする。しかし――しかしこの国の風景は美しい。気候もまず温和である。……」
オルガンティノは吐息 をした。この時偶然彼の眼は、点々と木かげの苔 に落ちた、仄白 い桜の花を捉 えた。桜! オルガンティノは驚いたように、薄暗い木立 ちの間 を見つめた。そこには四五本の棕櫚 の中に、枝を垂らした糸桜 が一本、夢のように花を煙らせていた。
「御主 守らせ給え!」
オルガンティノは一瞬間、
降魔 の十字を切ろうとした。実際その瞬間彼の眼には、この夕闇に咲いた枝垂桜 が、それほど無気味 に見えたのだった。無気味に、――と云うよりもむしろこの桜が、何故 か彼を不安にする、日本そのもののように見えたのだった。が、彼は刹那 の後 、それが不思議でも何でもない、ただの桜だった事を発見すると、恥しそうに苦笑しながら、静かにまたもと来た小径へ、力のない歩みを返して行った。
× × ×
三十分の後 、彼は南蛮寺 の内陣 に、泥烏須 へ祈祷を捧げていた。そこにはただ円天井 から吊るされたランプがあるだけだった。そのランプの光の中に、内陣を囲んだフレスコの壁には、サン・ミグエルが地獄の悪魔と、モオゼの屍骸 を争っていた。が、勇ましい大天使は勿論、吼 り立った悪魔さえも、今夜は朧 げな光の加減か、妙にふだんよりは優美に見えた。それはまた事によると、祭壇の前に捧げられた、水々 しい薔薇 や金雀花 が、匂っているせいかも知れなかった。彼はその祭壇の後 に、じっと頭を垂れたまま、熱心にこう云う祈祷を凝らした。
「南無 大慈大悲の泥烏須如来 !私 はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇 っても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯 まずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能 くする所ではございません。皆天地の御主 、あなたの御恵 でございます。
が、この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい
難 いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜 んで居ります。そうしてそれが冥々 の中 に、私の使命を妨 げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。
が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の
泥烏須如来 !邪宗 に惑溺 した日本人は波羅葦増 (天界 )の荘厳 を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶 に煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部 、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」
その時ふとオルガンティノは、鶏の鳴き声を聞いたように思った。が、それには注意もせず、さらにこう祈祷の言葉を続けた。
「私 は使命を果すためには、この国の山川 に潜んでいる力と、――多分は人間に見えない霊と、戦わなければなりません。あなたは昔紅海 の底に、埃及 の軍勢 を御沈めになりました。この国の霊の力強い事は、埃及 の軍勢に劣りますまい。どうか古 の予言者のように、私もこの霊との戦に、………」
祈祷の言葉はいつのまにか、彼の唇 から消えてしまった。今度は突然祭壇のあたりに、けたたましい鶏鳴 が聞えたのだった。オルガンティノは不審そうに、彼の周囲を眺めまわした。すると彼の真後 には、白々 と尾を垂れた鶏が一羽、祭壇の上に胸を張ったまま、もう一度、夜でも明けたように鬨 をつくっているではないか?
オルガンティノは飛び上るが早いか、アビトの両腕を拡げながら、倉皇 とこの鳥を逐い出そうとした。が、二足三足 踏み出したと思うと、「御主 」と、切れ切れに叫んだなり、茫然とそこへ立ちすくんでしまった。この薄暗い内陣 の中には、いつどこからはいって来たか、無数の鶏が充満している、――それがあるいは空を飛んだり、あるいはそこここを駈けまわったり、ほとんど彼の眼に見える限りは、鶏冠 の海にしているのだった。
「御主、守らせ給え!」
彼はまた十字を切ろうとした。が、彼の手は不思議にも、
万力 か何かに挟 まれたように、一寸 とは自由に動かなかった。その内にだんだん内陣 の中には、榾火 の明 りに似た赤光 が、どこからとも知れず流れ出した。オルガンティノは喘 ぎ喘ぎ、この光がさし始めると同時に、朦朧 とあたりへ浮んで来た、人影があるのを発見した。
人影は見る間 に鮮 かになった。それはいずれも見慣れない、素朴 な男女の一群 だった。彼等は皆頸 のまわりに、緒 にぬいた玉を飾りながら、愉快そうに笑い興じていた。内陣に群がった無数の鶏は、彼等の姿がはっきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨 をつくり合った。同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルの画 を描 いた壁は、霧のように夜へ呑まれてしまった。その跡には、――
日本の Bacchanalia は、
呆気 にとられたオルガンティノの前へ、蜃気楼 のように漂って来た。彼は赤い篝 の火影 に、古代の服装をした日本人たちが、互いに酒を酌み交 しながら、車座 をつくっているのを見た。そのまん中には女が一人、――日本ではまだ見た事のない、堂々とした体格の女が一人、大きな桶 を伏せた上に、踊り狂っているのを見た。桶の後ろには小山のように、これもまた逞 しい男が一人、根こぎにしたらしい榊 の枝に、玉だの鏡だのが下 ったのを、悠然と押し立てているのを見た。彼等のまわりには数百の鶏が、尾羽根 や鶏冠 をすり合せながら、絶えず嬉しそうに鳴いているのを見た。そのまた向うには、――オルガンティノは、今更のように、彼の眼を疑わずにはいられなかった。――そのまた向うには夜霧の中に、岩屋 の戸らしい一枚岩が、どっしりと聳(そび)えているのだった。
桶の上にのった女は、いつまでも踊をやめなかった。彼女の髪を巻いた蔓 は、ひらひらと空に翻 った。彼女の頸に垂れた玉は、何度も霰 のように響き合った。彼女の手にとった小笹の枝は、縦横に風を打ちまわった。しかもその露 わにした胸! 赤い篝火 の光の中に、艶々 と浮 び出た二つの乳房 は、ほとんどオルガンティノの眼には、情欲そのものとしか思われなかった。彼は泥烏須 を念じながら、一心に顔をそむけようとした。が、やはり彼の体は、どう云う神秘な呪 の力か、身動きさえ楽には出来なかった。
その内に突然沈黙が、幻の男女たちの上へ降った。桶の上に乗った女も、もう一度正気 に返ったように、やっと狂わしい踊をやめた。いや、鳴き競っていた鶏さえ、この瞬間は頸を伸ばしたまま、一度にひっそりとなってしまった。するとその沈黙の中に、永久に美しい女の声が、どこからか厳かに伝わって来た。
「私 がここに隠 っていれば、世界は暗闇になった筈ではないか? それを神々は楽しそうに、笑い興じていると見える。」
その声が夜空に消えた時、桶の上にのった女は、ちらりと一同を見渡しながら、意外なほどしとやかに返事をした。
「それはあなたにも立ち勝 った、新しい神がおられますから、喜び合っておるのでございます。」
その新しい神と云うのは、
泥烏須 を指しているのかも知れない。――オルガンティノはちょいとの間 、そう云う気もちに励まされながら、この怪しい幻の変化に、やや興味のある目を注いだ。
沈黙はしばらく破れなかった。が、たちまち鶏の群 が、一斉 に鬨 をつくったと思うと、向うに夜霧を堰 き止めていた、岩屋の戸らしい一枚岩が、徐 ろに左右へ開 き出した。そうしてその裂 け目からは、言句 に絶した万道 の霞光 が、洪水のように漲 り出した。
オルガンティノは叫ぼうとした。が、舌は動かなかった。オルガンティノは逃げようとした。が、足も動かなかった。彼はただ大光明のために、烈しく眩暈 が起るのを感じた。そうしてその光の中に、大勢 の男女の歓喜する声が、澎湃 と天に昇 るのを聞いた。
「大日貴 ! 大日貴! 大日貴!」
「新しい神なぞはおりません。新しい神なぞはおりません。」
「あなたに
逆 うものは亡びます。」
「御覧なさい。闇が消え失せるのを。」
「見渡す限り、あなたの山、あなたの森、あなたの川、あなたの町、あなたの海です。」
「新しい神なぞはおりません。誰も皆あなたの召使です。」
「大日貴! 大日貴! 大日貴!」
そう云う声の湧き上る中に、冷汗になったオルガンティノは、何か苦しそうに叫んだきりとうとうそこへ倒れてしまった。………
その夜 も三更(零時) に近づいた頃、オルガンティノは失心の底から、やっと意識を恢(回)復した。彼の耳には神々の声が、未だに鳴り響いているようだった。
が、あたりを見廻すと、
人音 も聞えない内陣 には、円天井 のランプの光が、さっきの通り朦朧 と壁画 を照らしているばかりだった。オルガンティノは呻 き呻き、そろそろ祭壇の後 を離れた。あの幻にどんな意味があるか、それは彼にはのみこめなかった。しかしあの幻を見せたものが、泥烏須 でない事だけは確かだった。
「この国の霊と戦うのは、……」
オルガンティノは歩きながら、思わずそっと独り語 を洩らした。
「この国の霊と戦うのは、思ったよりもっと困難らしい。勝つか、それともまた負けるか、――」
するとその時彼の耳に、こう云う囁 きを送るものがあった。
「負けですよ!」
オルガンティノは気味悪そうに、声のした方を
透 かして見た。が、そこには不相変 、仄暗 い薔薇や金雀花 のほかに、人影らしいものも見えなかった。
× × ×
オルガンティノは翌日の夕 も、南蛮寺 の庭を歩いていた。しかし彼の碧眼 には、どこか嬉しそうな色があった。それは今日一日 の内に、日本の侍が三四人、奉教人 の列にはいったからだった。
庭の橄欖 や月桂 は、ひっそりと夕闇に聳えていた。ただその沈黙が擾 されるのは、寺の鳩 が軒へ帰るらしい、中空 の羽音 よりほかはなかった。薔薇の匂 、砂の湿り、一切は翼のある天使たちが、「人の女子 の美しきを見て、」妻を求めに降 って来た、古代の日の暮のように平和だった。
「やはり十字架の御威光の前には、穢 らわしい日本の霊の力も、勝利を占 める事はむずかしいと見える。しかし昨夜 見た幻は?――いや、あれは幻に過ぎない。悪魔はアントニオ上人 にも、ああ云う幻を見せたではないか? その証拠には今日になると、一度に何人かの信徒さえ出来た。やがてはこの国も至る所に、天主 の御寺 が建てられるであろう。」
オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径 を歩いて行った。すると誰か後から、そっと肩を打つものがあった。彼はすぐに振り返った。しかし後には夕明りが、径 を挟んだ篠懸 の若葉に、うっすりと漂 っているだけだった。
「御主 。守らせ給え!」
彼はこう呟 いてから、徐 ろに頭 をもとへ返した。と、彼の傍 には、いつのまにそこへ忍び寄ったか、昨夜の幻に見えた通り、頸 に玉を巻いた老人が一人、ぼんやり姿を煙らせたまま、徐 ろに歩みを運んでいた。
「誰だ、お前は?」
不意を打たれたオルガンティノは、思わずそこへ立ち止まった。
「
私 は、――誰でもかまいません。この国の霊の一人です。」
老人は
微笑 を浮べながら、親切そうに返事をした。
「まあ、御一緒に歩きましょう。私はあなたとしばらくの間 、御話しするために出て来たのです。」
オルガンティノは十字を切った。が、老人はその
印 に、少しも恐怖を示さなかった。
「私は悪魔ではないのです。御覧なさい、この玉やこの剣を。地獄 の炎 に焼かれた物なら、こんなに清浄ではいない筈です。さあ、もう呪文 なぞを唱えるのはおやめなさい。」
オルガンティノはやむを得ず、不愉快そうに腕組をしたまま、老人と一しょに歩き出した。
「あなたは天主教 を弘 めに来ていますね、――」
老人は静かに話し出した。
「それも悪い事ではないかも知れません。しかし泥烏須 もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」
「泥烏須 は全能の御主 だから、泥烏須に、――」
オルガンティノはこう云いかけてから、ふと思いついたように、いつもこの国の信徒に対する、
叮嚀 な口調を使い出した。
「泥烏須 に勝つものはない筈です。」
「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須 ばかりではありません。孔子 、孟子 、荘子 、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉 の国の絹だの秦 の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙 な文字さえ持って来たのです。
が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば
文字 を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿 の本 の人麻呂 と云う詩人があります。その男の作った七夕 の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女 はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽 くまでも彦星 と棚機津女 とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天 の川 の瀬音 でした。支那の黄河 や揚子江 に似た、銀河 の浪音ではなかったのです。
しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。
舟 と云う文字がはいった後 も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。
のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの国に伝えました。
空海 、道風 、佐理 、行成 ――私は彼等のいる所に、いつも人知れず行っていました。彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟 です。しかし彼等の筆先 からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之 でもなければ遂良 でもない、日本人の文字になり出したのです。
しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の
息吹 きは潮風 のように、老儒 の道さえも和 げました。この国の土人に尋ねて御覧なさい。彼等は皆孟子 の著書は、我々の怒に触 れ易いために、それを積んだ船があれば、必ず覆 ると信じています。科戸 の神はまだ一度も、そんな悪戯 はしていません。が、そう云う信仰の中 にも、この国に住んでいる我々の力は、朧 げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」
オルガンティノは茫然と、老人の顔を眺め返した。この国の歴史に
疎 い彼には、折角 の相手の雄弁も、半分はわからずにしまったのだった。
「支那の哲人たちの後 に来たのは、印度 の王子悉達多 です。――」
老人は言葉を続けながら、径 ばたの薔薇 の花をむしると、嬉しそうにその匂を嗅 いだ。が、薔薇はむしられた跡にも、ちゃんとその花が残っていた。ただ老人の手にある花は色や形は同じに見えても、どこか霧のように煙っていた。
「仏陀 の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡 の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日貴 は大日如来 と同じものだと思わせました。これは大日貴の勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、大日貴は知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中 には、印度仏 の面影 よりも、大日貴が窺 われはしないでしょうか?
私 は親鸞 や日蓮 と一しょに、沙羅双樹 の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰 した仏 は、円光のある黒人 ではありません。優しい威厳 に充ち満ちた上宮太子 などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須 のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」
「まあ、御待ちなさい。御前 さんはそう云われるが、――」
オルガンティノは口を挟 んだ。
「今日などは侍が二三人、一度に
御教 に帰依 しましたよ。」
「それは
何人 でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多 の教えに帰依しています。しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
老人は薔薇の花を投げた。花は手を離れたと思うと、たちまち夕明りに消えてしまった。
「なるほど造り変える力ですか? しかしそれはお前さんたちに、限った事ではないでしょう。どこの国でも、――たとえば希臘 の神々と云われた、あの国にいる悪魔でも、――」
「大いなるパンは死にました。いや、パンもいつかはまたよみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、未だに生きているのです。」
オルガンティノは珍しそうに、老人の顔へ横眼を使った。
「お前さんはパンを知っているのですか?」
「何、
西国 の大名の子たちが、西洋から持って帰ったと云う、横文字 の本にあったのです。――それも今の話ですが、たといこの造り変える力が、我々だけに限らないでも、やはり油断はなりませんよ。いや、むしろ、それだけに、御気をつけなさいと云いたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘 の神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」
「しかし泥烏須 は勝つ筈です。」
オルガンティノは剛情に、もう一度同じ事を云い放った。が、老人はそれが聞えないように、こうゆっくり話し続けた。
「私 はつい四五日前 、西国 の海辺 に上陸した、希臘 の船乗りに遇 いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕 にする女神 の話だの、声の美しい人魚 の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇 った時から、この国の土人に変りました。今では百合若 と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須 も必ず勝つとは云われません。天主教 はいくら弘 まっても、必ず勝つとは云われません。」
老人はだんだん小声になった。
「事によると
泥烏須 自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇 の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明 りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
その声がとうとう絶えたと思うと、老人の姿も夕闇の中へ、影が消えるように消えてしまった。と同時に寺の塔からは、眉をひそめたオルガンティノの上へ、アヴェ・マリアの鐘が響き始めた。
× × ×南蛮寺 のパアドレ・オルガンティノは、――いや、オルガンティノに限った事ではない。悠々とアビトの裾 を引いた、鼻の高い紅毛人 は、黄昏 の光の漂 った、架空 の月桂 や薔薇の中から、一双の屏風 へ帰って行った。南蛮船 入津 の図を描 いた、三世紀以前の古屏風へ。
さようなら。パアドレ・オルガンティノ! 君は今君の仲間と、日本の海辺 を歩きながら、金泥 の霞に旗を挙げた、大きい南蛮船を眺めている。
泥烏須 が勝つか、大日貴 が勝つか――それはまだ現在でも、容易 に断定 は出来ないかも知れない。が、やがては我々の事業が、断定を与うべき問題である。君はその過去の海辺から、静かに我々を見てい給え。たとい君は同じ屏風の、犬を曳 いた甲比丹 や、日傘をさしかけた黒ん坊の子供と、忘却の眠に沈んでいても、新たに水平へ現れた、我々の黒船 の石火矢 の音は、必ず古めかしい君等の夢を破る時があるに違いない。それまでは、――さようなら。パアドレ・オルガンティノ! さようなら。南蛮寺のウルガン伴天連 !
オルガティノは、南蛮寺の庭を歩いていて、西洋から持ち込まれた花や植物の中に紛れて咲く、日本古来のしだれ桜を見て慄いた。
また、オルガティノの目の前で繰り広げられた天宇受賣命(あめのうずめのみこと)を始めとした神々の舞いを見て卒倒した。
八百万(やおろず)の神々が人間に語りかけてくる日本は、唯一神を信ずるオルガティノから見れば魔境の地そのものであったであろう。
精霊がオルガティノに語りかける。
はるばるこの国へ渡って来たのは、
泥烏須 ばかりではありません。孔子 、孟子 、荘子 、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉 の国の絹だの秦 の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙 な文字さえ持って来たのです。
が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば
文字 を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿 の本 の人麻呂 と云う詩人があります。その男の作った七夕 の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女 はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽 くまでも彦星 と棚機津女 とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天 の川 の瀬音 でした。支那の黄河 や揚子江 に似た、銀河 の浪音ではなかったのです。
七夕の由来と変遷を記す。
七夕(たなばた、しちせき)は、中国、台湾、日本、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。五節句の一つにも数えられる。旧暦では7月7日の夜のことで、日本ではお盆(旧暦7月15日前後)との関連がある年中行事であったが、明治改暦以降、お盆が新暦月遅れの8月15日前後を主に行われるようになったため関連性が薄れた。日本の七夕祭りは、新暦7月7日や月遅れの8月7日、あるいはそれらの前後の時期に開催されている。
日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。
日本語「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕に纏わる歌が存在する。
ほとんどの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。
全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。短冊などを笹に飾る風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。「たなばたさま」の楽曲にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸をつるす。さらに、上記乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。また、お盆や施餓鬼法要で用いる佛教の五色の施餓鬼幡からも短冊は影響を強く受けている。
イモの葉の露で墨をすると習字が上達するといい、7枚のカジ(梶)の葉に歌を書いてたむける。俊成女の歌に「たなばたのとわたるふねの梶の葉にいくあきかきつ露のたまづさ」とある。
このようにして作られた笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日未明に海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾り付けにプラスチック製の物を使用することがあり海に流すことは少なくなった。地区によっては川を跨ぐ橋の上に飾り付けを行っているところもある。
地域によっては半夏生の様に農作業で疲労した体を休めるため休日とする風習が伝承[9]していたり、雨乞いや虫送りの行事と融合したものが見られる。そのほか、北海道では七夕の日に「ローソクもらい(ローソク出せ)」という子供たちの行事が行われたり、仙台などでは七夕の日にそうめんを食べる習慣がある。この理由については、中国の故事に由来する説のほか、麺を糸に見立て、織姫のように機織・裁縫が上手くなることを願うという説がある。
これを読めば分かるように、中国から伝わった七夕が日本の神々と交わり、仏教とも交わり、明治に西暦が使用されるようになり、キリスト教とも交わった。ただこの西暦と交わったことで七夕が放つ霊力が消えてしまったように感じる。
仏教も日本に伝来して、日本の神々と習合した。しかしながら、明治に入って神仏分離が図られた。なぜ、神仏分離が図られたのであろうか?自分はまだまだ勉強不足で自分の考えがまとまっていない。そこで、後学の為になるほどと思う論調があったので記録しておく。
神仏習合は時代からはじまっていることです。
これが平安時代になると「本地垂迹説」という理論までつけられて、以後、明治元年までのおよそ1000年間は神仏が習合されていたのです。つまり、カミとホトケは同居するのがふつうだったのです。
さて、江戸時代に国学という学問が発展します。国学とは、本来は日本の古典文学を研究する学問でした。本居宣長の古事記研究などは、現在の学問レベルでも通用するほどのすぐれた研究でした。国学者たちは、古事記や万葉集の研究を通じて、古代日本人の心象風景などに思いをはせていました。
この本居宣長の研究に感激し、「夢で宣長先生に弟子入りを許された」と本居宣長の弟子を自称した(詐称した)平田篤胤という人物がいます。
平田篤胤はオカルトな人物でしたが、そのいっぽうで学識も豊かで人格的吸引力も強烈でした。かれの周囲には「信者」というかんじの弟子が集まります。
平田は、日本のオリジナルなものは仏教伝来によって破壊されたと考えました。日本人の霊性も、仏教という異国の宗教によって穢され、歪められたと考えます。そして、神仏習合も仏教によって神道が穢された状態であるとして、神道を仏教伝来以前の姿に戻すべしとして「復古神道」を唱えます。
それまでは古典文学研究にすぎなかった国学という学問を、平田はある種の宗教に変えていったのです。
この時期、日本の近海には外国船がしばしば出没するようになり、日本人は外国にたいする脅威を感じ始めていました。
そんな背景もあって、平田の唱えた排他的・排外的な国学は、かなりの信奉者を生みました。とくに神社の神主には熱烈に支持されたのです。
幕末の尊皇攘夷運動の思想的背景は、この平田国学にあります。「勤王の志士」たちは、みな排他的・排外的な平田国学の影響下にあって、外国はけがらわしい、獣のように穢れた異国人が、神国日本の地を踏み荒らすなどあってはならないと考え、開国に反対し、攘夷の実行を幕府に迫ったのでした。
この平田国学に影響をうけた尊皇攘夷運動が、やがて討幕運動になり、幕府が倒れて明治維新が成立したわけです。
かつて外国など穢らわしいと考えていた勤王の志士たちも、じっさいに自分たちが政権を担ってみれば、攘夷などできるわけがないことを思い知り、明治政府は近代化・西洋化政策をとっていきます。
収まりがつかないのは、かつて志士たちを思想的に「指導」した国学者たちでした。
こうした国学者たちも、維新の功労者にはちがいありません。ですから、明治政府は、国学者たちをじっさいの政治とはあまり関係のない神祇官として政府に登用しました。神祇官とは、宗教政策を担当する部署です。
神祇官となり、一定の権力を得たこの国学者たちが、平田篤胤が唱えていた「復古神道」、つまり神道を仏教伝来以前の姿にもどす、ということを実践したのが「神仏分離令」です。これによって、無数の文化財が破壊されました。まさに日本史上最悪の文化破壊となったわけです。
靖国神社を建てたのも、この平田国学を信奉する連中でした。権力を得た国学者たちが、自分たちの権益の拡大のために、神道の国教化を推し進めたのです。
外国を穢らわしいものとみなして敬意をはらわず、根拠もなく日本は神の国だからすぐれているとする民族主義的な思想の原点は、平田篤胤の国学にあるのです。現在も横行するネトウヨの原点も、平田篤胤の国学にあるのです。そして、この思想が神仏分離令という日本史上最悪の愚法・悪法を生み出したということです。
日本は外国から伝わるモノをことごとく飲み込んで、自分の体内に取り込んで一体として来た。こうすることでヨソモノを内輪に変え、異文化との対立が避けられて来たのだ。これは日本人の遺伝子に組み込まれた知恵なのだろう。いや、日本を取り巻く霊力がそうするように導いて来たのかもしれない。
しかし、黒船が浦賀にやって来た幕末そして明治を経て、日本人はヨソモノそのものに魅了されてしまった。芥川龍之介はこのことに気付いていたからこそ、物語の結論をぼかしたのだろう。
大正、昭和そして平成と禍々しい空気が世の中に充満して全く闇が明けようとしないこの現代、今一度天照大御神を天岩戸から引っ張りだすための神々の舞いが必要とされている。