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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【タイのテレビドラマ Khu Kam】 第1話 運命の邂逅

 

タイで何度も映画やテレビドラマとなっている物語がある。

 

第2次世界大戦中のタイが舞台。

当時そのほとんどが欧米の植民地支配下におかれていた東南アジアにおいて唯一の独立国であり、日本の友好国でもあったタイ王国は、イギリスオランダフランスの植民地に囲まれている上に、中華民国やイギリス領ビルマ、ひいてはイギリス領インド帝国インド洋へのアクセスの中心にもなる為、日本軍にとって太平洋戦争におけるインドシナ半島の重要な作戦基地、兵站基地、海運中継地点となりうる地であり、これらの機能を十分に発揮するためにこの地域における安定が必要であった[1]

 

この様な背景を受けて、1941年12月8日の太平洋戦争開戦と同時に日本軍はタイ王国領土に進軍を開始した。

タイ王国進駐 - Wikipedia

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このような時代背景の中での大日本帝国海軍大尉小堀とタイ人女性アンスマリン(ひでこ)の悲劇のラブストーリーである。

 

昨年(2013年)の4月に4回目の映画がタイで放映されたそうだ。

 

これがその予告の動画である。

 


日本兵が主人公のタイ映画 "クーカム(運命の人)" 字幕付 - YouTube

 

【ストーリー】

海軍造船所に赴任した小堀大尉は、タイ人女性アンスマリンに出会い、惹かれていく。

彼女には連合国軍側に協力している抗日レジスタンスのタイ人の恋人がいた。
その影響で日本人を敵とみなしていたアンスマリン。

しかしながら、軍人である父に政略結婚をコボリとさせられてしまう。
憎しみと葛藤の中、コボリに心ない態度をとり続ける彼女。

ある日、恋人だったタイ人の男が日本軍に逮捕され、アンスマリンはコボリに、助けてあげるよう願い出る。


コボリは苦しみながらも、彼女への想いから、釈放させてしまう。

そして皮肉にも、その釈放された男の情報を得た敵軍が日本軍に攻撃をしかける。
そこにはコボリがいた。

戦火にコボリがいることに激しく動揺し、彼を探すアンスマリン。
本当は誠実なコボリに心を動かされていながら、素直に好きと言えなかった。

初めて彼を愛していることに気づいたもののコボリはすでにガレキの下で命を終えようとしていた。。。

 

 

 

ちょうど良い機会なので、テレビドラマも紹介しながら当時の歴史も勉強していこうと思う。

 

中国の覇権主義が勢いを増す現在、日本人にとっても見ておくべきドラマだと思う。

 


[日本語字幕]Khu Kam 2013(คู่กรรม)第1話(1/6)[Japanese Sub] - YouTube


【追記:2014年7月16日】

youtubeのリストが消えてしまいました。。。

が、こちらでアップしていただいております。 こちらからご覧ください。

http://ameblo.jp/naaruk/themeentrylist-1-10064000630.html

さとりんさん、ありがとうございます♪

 


第1話の時代背景【西暦1940年(昭和15年)~】

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アンスマリンとワナスが通う大学がある地域 Bangkok Thon Buri(トンブリー)

アンスマリンが住んでいる地域 Bangkok Noi(ノイ)

 

日本は開戦前からアメリカ合衆国イギリスと戦端を開いた場合、タイ政府は日本軍に協力すると予想しており、開戦前の1941年11月13日大本営政府連絡会議において対タイ施策の大綱を定めた[2][3]

 

1941年12月8日0時日本がアメリカ合衆国、イギリスと戦闘状態に入ると、すぐに第15軍第25軍第3飛行集団、南遣艦隊、第22航空戦隊 をタイ東部タイ南部へ進行させつつ、タイ政府首相プレーク・ピブーンソンクラーム(以下、ピブーン首相)と日泰同盟の交渉に入った[4]。しかし、ピブーン首相不在のためすぐには交渉に入れず、軍隊通過を認める休戦協定が締結されたのは8日午後12時となった[4]。その連絡が伝達されるまでの間、タイ南部では日本軍とタイ王国国軍、タイ王国警察隊との小規模な紛争が起こっている。

 

さらに10日夕方にタイ側から日泰攻守同盟の申し入れがあり、21日に正式に調印された[4]。この条約に伴って結ばれた「日泰共同作戦ニ関スル協定」により、両国軍は相互に協同して作戦を行い、日本軍はタイ国内の通過と作戦行動を行うことができるようになり、日本はタイ国土防衛に協力しつつ、タイ王国軍と協同して国外に侵攻作戦を行うことが可能となった[4]。指揮関係はタイ王国の体面を重んじ、共同を原則とするが、必要に応じ実質的にタイ国軍を指導することができた[5]

タイ王国進駐 - Wikipedia

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日本軍は開戦と同時に英領マレーへの上陸作戦を企画し、上陸作戦では当初、ソンクラーパッターニーなどのタイ南部に海南島三亜から長途渡洋接敵によって奇襲上陸し、陸上から英領マレーに侵攻する案が有力であった[6]

 

それに対し第25軍作戦参謀辻政信中佐が自ら偵察機に乗って要所偵察を行い、その結果、ソンクラー、パッターニーの飛行場は英領マレーの飛行場に比べて貧弱、イギリス軍の反撃に耐えず、上陸制空権確保にはならないと判断。英領マレーコタバル飛行場同時上陸を敢行する案を陸軍案として強硬に要請した[7]。南遣艦隊司令長官小澤治三郎中将は陸海軍の意向を聞き、このコタバル同時上陸決行を決断した[8]

 

さらに第3飛行集団と第5飛行集団から抽出した第10飛行団が作戦協力することになった[9]

タイ王国進駐 - Wikipedia

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マレー作戦 - Wikipedia

 

西暦1941年(昭和16年)12月

チュムポーン(Chumphon 当時の日本軍呼称:チュンポン)へは第15軍宇野支隊主力(2233名、馬330頭、自動車20両)が輸送船伏見丸、良洋丸で8日午前3時泊地に侵入し、上陸を始める[14]。タイ国守備隊300名と戦闘となるも、武装解除し、飛行場を占拠[15]

 

宇野支隊の任務は、チュムポーン上陸後、速やかにクラ地峡を横断し、クラブリーへ抜け、英領ビルマのビクトリアポイント(現コートーン)を占領することにあったため、11日早朝タイ王国軍1小隊とともにチュムポーンを出発。タイ軍は途中落伍するも、12日14時頃クラブリーに到着[15]。折畳船でさらに南下し、14日20時20分頃、抵抗なくビクトリアポイントを占拠[16]。さらに歩兵1小隊で北方145kmにあるボウピンの飛行場を占領した[16]

タイ王国進駐 - Wikipedia

 

12月8日午前7時、トンレサップ湖の北岸シェムリアップ付近からタイ新国境(タイ・フランス領インドシナ紛争戦後処理東京条約による失地回復後の新国境)から第15軍隷下近衛師団先遣隊がシソポンへ自動車で進軍開始[10]アランヤプラテートを抜け、ワッタナーナコーンのタイ国軍兵舎を戦闘なく進軍している最中、午後11時30分平和進駐協定成立の報を受ける[11]。その後、9日未明ドンムアン飛行場に到着。

 

トンレサップ湖の南岸にいた近衛師団主力も払暁、大自動車部隊を率いて国境を突破[11]。シソポン以西で先遣隊と合流、バンコクに入り、チュラーロンコーン大学に司令部を設置した[11]

 

さらに第15軍鉄道部隊も8日にタイ側の旧国境部分の連結工事を開始した[11]。その日の早朝、鉄道第5連隊第3大隊装甲列車が旧国境に向ったが16キロにわたって軌条がなく、装甲軌道車にゴムタイヤを履かせ、通過させた[12]。10日にはサイゴンから南タイまで連結作業が完了した[12]

 

第3飛行集団の飛行第77戦隊戦闘機11機と飛行第31戦隊軽爆撃機9機は、8日昼ごろアランヤプラテート上空で威嚇飛行を実施中にタイ王国空軍小型機が攻撃してきたため、3機を撃墜した[12]。この事態に対し、ドンムアン飛行場の攻撃を準備していたが、14時に平和進駐の報を受け中止[12]

 

海上からバンコクへ進軍し、ラーマ6世橋(鉄道橋)確保することを目的にした近衛師団第4連隊第3大隊(吉田支隊、1100名、自動車20両)は12月3日にフーコック島に移動し待機。8日3時から4時に多少の警察隊の抵抗を受けた以外は特に大きな抵抗を受けることなく、輸送船白馬山丸でバンコク南方バーンプー海岸に上陸[13]タイ王国警察隊と対峙中にバンコクの第15軍参謀の情報を受け待機[13]。13時40分平和裡にバンコク到着[13]

タイ王国進駐 - Wikipedia

 

当時のバンコク中心街 Phranakorn(プラナコーン)

 

西暦1942年(昭和17年)1月

1942年1月25日タイ政府はアメリカ合衆国、イギリスに宣戦布告を行った。これによってタイは実質的に枢軸国の一員となり、その報復としてアメリカ合衆国は、国内のタイ王国資産を凍結した。

 

ロンドンタイ王国イギリス大使は宣戦布告を通達したが、ワシントンDCアメリカ合衆国大使セーニー・プラーモートは宣戦布告の通達を拒否し、アメリカで自由タイ運動を組織し、対日レジスタンス活動を開始した。

タイ王国進駐 - Wikipedia