【岡本かの子 仏教人生読本】 第二課 誰でも持つたから(宝)
【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月25日 仏滅 四緑木星
甲午 日/庚午 月/甲午 年 月相 23.9 小潮
小満 初候 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 16.2℃ 湿度 46% (大阪 6:00時点)
頭は考えて分別し、胸は感情を披瀝(ひれき)する。
腹は蔵( おさ)めて貯え、手足は動いて実地に当ってみる。
頭でいけなければ胸で、
胸でいけなければ腹で、
腹でいけなければ手足で、
そして全体として、完全な協同作業( チームワーク)が取れています。私たちの唯一の財産、最初にして最後の財産=身体には、これだけの機能( はたらき)が備わっています。およそ世の中に、これだけの機能の備わっている道具は、又とあるでしょうか。これだけの機能を使って出来ないことがあるでしょうか。私たちが今までこれに気が付かなかったのは愚かな至りです。周囲( まわり)のものばかりに気を奪( と)られ、羨(うらや)んでいたのは笑止の沙汰です。早速、使い出してみよう。使い出してみるとなるほどこれは調法(重宝)です。この場面で、多宝如来は真理を現し、釈迦仏は智慧を現している。そして多宝塔は私たちの身体 を象徴( かたど)ったものです。私たちの精神肉体の一致しているこの身体は、使えばあらゆる真理、あらゆる智慧が取出せる。そこを、多宝塔中、釈迦多宝の二仏の並座で表現( あらわ)したのです。つまり私たちの身体、一名多宝塔です。多宝というくらいだから、私たちの身体には万宝が含み備わっているに違いない。知らないうちは兎 に角 、そうと知った以上、塔の中の宝を、身体の価値を、ぽつぽつ取出して行こう。これだけの宝を持っていながら、なにをうかうか他所( よそ)ばかり見て、無暗( むやみ)に宝を探しあぐねていたろう。五体を丹念に、まめやかに、正直に、使って行くところに、私たちの本当に授かる宝は取出されるのです。
多宝塔(たほうとう)は、寺院建築のうち仏塔における形式のひとつである。現代の寺院建築用語・文化財用語としては、一般に裳階付き単層塔であって、裳階平面が方形、中央部平面が円形のものを指す(例外あり)。なお、宝塔という呼称もあり、現代の寺院建築用語・文化財用語では円筒形の塔身に方形の庇(裳階)があるものを「多宝塔」、ないものを「宝塔」と称しており、教義上はなんら変わるものではないが、便宜的に区別している。
多宝塔は、「法華経」見宝塔品第十一に出てくるもので、釈迦が霊鷲山で法華経を説法していると多宝如来の塔が湧出し、中にいた多宝如来が釈迦を讃嘆し半座を空け、二如来が並座したとされることに由来する。
見宝塔品には、「世尊(釈迦)が説法をしていると、大地から巨大な七宝塔(金、銀、瑠璃などの七宝で造られた塔)が涌出(ゆじゅつ)し、空中にそびえた」との説話がある。この宝塔は過去仏である多宝如来の塔であった。塔内にいた多宝如来は釈迦の説く法華経の教えを讃嘆し、正しいことを証明して半座を空け、釈迦とともに並んで座ったと説かれる。「多宝塔」の名称はこの法華経の所説に由来するものと思われる。ただし、漢訳経文中の用語は「宝塔」または「七宝塔」となっている。これらの記述から多宝塔に二如来を安置する場合は、向って左に多宝を、右に釈迦を置くことになっている。
この見宝塔品のエピソードは法華経の中でもドラマチックな場面の1つであり、法華経の真実性を証明するものとして著名で、さまざまな形式で造形化されている。たとえば、奈良県長谷寺所蔵の銅板法華説相図(国宝)はこの見宝塔品の場面を造形化したもので7世紀末の作品である。ただし、この作品に表されている塔は平面六角形の三層塔である。