まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【改訳 怪談 乳房榎】 第十三講

 

「何でも、アァいうガキが成人致すと、きっとおれを親の仇などと狙うに違いない。どうも白眼目(にらみめ)が一通りでない。おれは気になってならぬから、眞與太郎を人知れず手前、殺してはくれまいか」
 
 
「エエ、またかい。。。。。イエ、浪江様、そりゃゃあおめぇ様いけましねぇ。よく物を積ってご覧じませ。まだ二つやそこらのお子で乳ィ飲む小(ちい)せぇ坊っちゃんが、おめぇ様の顔をにらむの、怖い顔をして見るのということがあるものですか。親の仇ァ討つべぇいなどという念があるもんじゃあ無いて。そりゃあ、おめぇ様が気ィ咎めるのだ。よさっせい可哀想ょ」
 
 
「そりゃあなぁ、ああいう事をしたから、こっちの気でそう思うのかもしれんが、栴檀(せんだん)はふたばより芳(かんば)し(*1)とやらで、あのガキは中々利発で、二歳や三歳の常の子供とは違うよ。双葉のうちに刈らずんぞ斧を入らるるの悔いあり、あれは今の内に亡きものにせんければ、おれは枕を高く寝られんょ」
 
 
「なに、千段の槇の槍で殺(や)れって」
 
 
「いやぁ、ただいま申したのは、ありゃな引きごとを申したのじゃが」
 
 
「どうか、うまくガキをやってくれ、頼むよ」
 
 
「いぇ、いけましねぇ。堪忍して下せぇえましぃ。あの可愛いらしい坊ちゃまが、どうしてそんなことが出来ますものか」
 
 
「それでは、どういたしても嫌だと申すかぁあ」
 
 
と、険相を変えますから、
 
 
「あれ、浪江様。また、お怒んなさるかぇ」
 
 
「怒りは致さぬが。それでは、なんじゃな、眞與太郎が成人致したら、その方は親の仇はこの浪江じゃあと申して、おれを仇と狙わせ、助太刀をいたして討たせでもする心か」
 
 
「アレ、だめだよ、何で。おれそんな事をしますべぇ」
 
 
「イヤ、手前は正直者だから、去年の落合の一件に余儀なく加担は致したが、心は元の主人へ忠義を尽くすつもりで、この浪江を仇と狙うに相違ない。よしまた、それでなくっても、一度ならず再度までかかる大事を明かせておいて得心致さぬは、必ず後日他へ口外致すに違いない。さすれば、我が身は安穏にはおられぬ。不便じゃが」
 
 
と、傍らにあります、差料の刀を引き寄せまして、鯉口をくつろげますから、
 
 
「アア、コレサ。待ってくらっしゃい。アア、気の早いお方でぃ、おめぇ様はぁ怖えぇ」
 
 
「一旦悪事に加担いたしたその方ゆえ、何も殺したくはないが、申す事を聞かねば是非がない。。。。。。。」
 
 
「アレサ、マァ待ちなさいィ。気ぃ短けぇ人だ」
 
 
「しからば、眞與太郎を殺してくれるか」
 
 
「エエ、情けねぇ。おれ、頼まれべえ。やりますよ」
 
 
「それではやってくれる気ぃか」
 
 
「おれ、やるよ」
 
 
と、泣き声を出します。。。。。。。
 
 
浪江、得たりと思いますから刀を元の所へ置き、言葉を和らげまして、
 
 
「それでは、聞き入れてくれるか」
 
 
「嫌だと言ゃあ命取ると言うから、仕方がないって。へぇ、やりますべぇ。だが、坊ちゃまをどうやって殺すだぁ」
 
 
 
「それはこうじゃ。。。。。。
 
手前も知っている通り、おきせが先だってから、我が胤を宿して懐妊いたしたゆえ、乳が出なくなったので、ガキがビィビィ昼夜とも泣いていけぬ。
 
どうか、乳母を置いてくれと言うから、それはいけない、気ごころの知れぬ者を置いては、眞與太郎が可哀想だ。いっそ、確かな所へ里にやるのが良いと、おれは傍で申すから、手前、それはちょうど良い、奥様、坊っちゃんをお里におやりになるのなら、良いところがあります。田舎へおやりんなさい。田舎は、江戸と違ってのんきだから、達者にお育ちなさる。そりゃあ、半年も経ちゃあ、クリクリ太って大丈夫におなんなさると、傍で勧めるのじゃ」
 
 
 
「はぁ、それから」
 
 
 
「手前を普段から正直者と思っておるから、本当のことに思うところで。
 
その先は、私の妹の縁付いておる先の親類とかなんとか申して、すぐ近在で鳩ヶ谷という所で大尽でございます。田地が二百石もあって馬の十疋もある中々金持ちで、そこの嫁さんがこの間初産をしたところが、虫が出て死んだ。乳はたくさんあるし、奉公人の二三十人も使っておりますから、坊ちゃまはお仕合せだと、手前が本当のように申すと、おきせは喜んで承知致すに違いない」
 
 
 
「はぁ、それからどうします」
 
 
 
「もっとも、おきせは眞與太郎を手放す心は心底なかろうが、そこはおれへ義理があるから、よんどころなくそれでは正助頼むよと、きっと申す。そういたすと、おれが善は急げだ、すぐに連れて参る方が眞與太郎の為だと、申すから、アレか、着替えの衣類からおしめまで付けて手前に渡す。
 
よろしゅうございます、鳩ヶ谷と申すのは三里半ばかりしかございませんから、これから行きますと、すぐに宅を出て、観音様の奥山でも参って、日の暮れかけるのを待ち合わせて、それから四ツ谷角筈村(つのはずむら)(*2)の十二社へゆくのじゃ」
 
 
 
「はぁ、それから」
 
 
「ここの大滝は、中々もの凄いほどな高い所から落ちるが、谷の下は滝壺で、ここへ眞與太郎を放り込んで殺してしまうのじゃ」
 
 
「滝つぼへ、坊っちゃんを放り込めってぇえ。そりゃ、だめだ」
 
 
「なぜ、いけぬ」
 
 
「それ、だっていくら深い滝壺だって水だから、坊ちゃまを打ち込めば死体が浮くだぁ。そうなった日にゃあ、大事だ。すぐにおれの仕業だという事が知れて、おれぇお仕置きになるだぁって。怖えぇ、こりゃあ浪江様、止めなせぇ」
 
 
 
「いや、いや、そんな心配を致さないで良い。
 
何丈という上から落ちる幅の四問もある滝だ。殊に滝壺の下はみな岩だから、あすこへ打ち込めば死骸は底まで行かぬ内に微塵に砕けて散乱してドンドン水に流れてしまうのは受け合いだ。
 
それを首尾よく手前がやってくれれば、金を二十両つかわす。またその他に手前の得になるように、眞與太郎の衣類また月々いくらか渡さねばならぬ里扶持も、先へやる所がない故、手前が途中で懐に入れて知らん顔でおれば、それはおれが承知だから良い。うまくガキを殺して、すまして宅へ帰って、口を拭いておればよいのだ。うまくやってくれ」
 
 
「へぇ」
 
 
「へぇではいけん。生返事を致すのは不承知か。不承知ならよろしい。大事を明かせて、それで嫌だと申せば、是非に及ばぬ。手前を斬り殺して、おれも後で割腹致して、相果てる。覚悟致せよ」
 
 
と、また刀を引き寄せますから
 
 
「マァ、お待ちなせぇ。気の短けぇお人だ。まだ嫌だと、ワシィ言い切りやしァねヘダァ」
 
  
「それでは承知してくれるつもりか」
 
  
「仕方がねぇえなぁ、、、、、やりますよ。やっつけべぇ」
 
  
「承知してくれれば、重畳(ちょうじょう)だ。サァ、それで良いから一杯やって、飯を食えなどと申します」
 
 
が、正助は情けない事だと思いますから、どうして酒どころではない。ここの勘定も程良く済ませまして、浪江は正助と連れ立ちまして宅へ帰りました。
 
 
「今、帰ったよ」
 
 
おきせは、眞與太郎が乳が足りないので、泣いていけませんから、寝かし付けております。
 
 
「エ、また泣くのか、いけねえぇのう。そうビィビィ泣かしては、のぼせ上がるょ。。。。。。アレ、静かにさせないかな、うるさいよ。ナニ乳が無いから。それだったら里にやるがよい。なぁ、正助、手前が頼まれた口とかは、あれは至極良いな」
 
  
「マァ、お帰り遊ばしませ。ようよう寝ました。もう、本当にやかましゅういらっしゃいましょう。これと申すも私が乳が上がりましたので、もう少ないものですからむずかりまして」
 
  
「どうも、子供は乳が無いといかんもので。これまでちっとも泣かなかった者が俄かにビィビィ。それだから里にやるのが一番だょのう」
 
  
「へぇ」
 
 
「へぇではない。手前が以前から頼まれておる所などは良いではないか」
 
  
「エ、ようございましょう」
 
  
「田舎はどこだな」
 
  
「へぇ、ここだよ」
 
  
「何を申する。コレ、確か鳩ヶ谷(*3)とか申したな。おきせ、よく聞いてみるがよい。正助が頼まれた所というのは、鳩ヶ谷という田舎で、ここから三里、何三里半もある、ウンム大尽だそうだ」
 
  
「ハァ、馬の二百石もある。田地は二十疋もある」
 
  
「何じゃ、田地が二百石、馬が二十疋。それは中々の分限(ぶげん)だな。その嫁というのは、手前の妹の姪でぇ。それは調度良いな」
 
 
「坊ちゃまを田舎へやってご覧じろ。そりゃあクリックリッと太って、乳は出る程たくさんあるからええょ」
 
  
「名は、喜左衛門とか言ったな。おきせ、正助が口入れだから、案じることは無い」
 
  
「眞與太郎が手前の乳を探って出ぬから、怪訝な顔をして泣き出すのは、実に見ておってもいじらしいよ。あれが為だから、早いが良い。今日正助に頼んで連れて行ってもらうかい」
 
 
と、少しは話のございました事ですが、こう急な事とも思いませんから、呆気には取られましたが、根が素直なおきせ故、
 
  
「それでは、正助、お前が先と受け合いかぇ」
 
  
「ヘェ、ワシィの受け合い先は、田地の二百石もあって、馬が二十疋もある大層な分限だょ」
 
  
「お前の親類だとお言いだから、坊をやっても安心だ」
 
 
と、浪江が傍で急き立てますからこれも義理づくと、折角泣きやんで寝ております眞與太郎を起こしまして、着物などを着せ替えまして、タンスから出しました着物、これは普段着、これはよそいきと重ねて風呂敷へ包み、おしめまでを一つに致したが、そばで見ております正助は、心の内で情けない事だと、涙を飲み込んでおります。
 
 
おきせは、眞與太郎を抱き上げまして、まずしばらく逢えぬから、これが当分乳の飲ませ納めだと、出ない我が乳を含ませます。
 
 
おきせは、これが全く我が子の顔の見納めと後に思い当たりましょうか、神ならぬ身であるから存じませんで、
 
 
「正助や、お前に頼んでおくがな、この子は疳(かん)の虫が時々引きつける事があるから、その時には救命丸(*4)を一粒か二粒飲ますと、じきに開きがつくからと、先のおっ母さんへそう申しておくれ」
 
  
「エエ、ようございます。案じねぇえがええよ」
 
 
「何決して案じはしない。ただ、あんまり早急だから、何だか手の内のものを取られるようで」
 
 
「もっともだょ。手の内のものを取られるのだからね」
 
 
「あの、途中で泣いたら頼むよ」
 
  
「ようございます。この頃は私に馴染んでござるから。もし泣いたら、爺が落雁を噛んであげやす。それで直に泣きやむだぁ」
 
 
 
 
 
 
 
栴檀(せんだん)はふたばより芳(かんば)し(*1)
俊才は子供のときからすぐれていることのたとえ。
 
 
 
四ツ谷角筈村(つのはずむら)(*2)
角筈(つのはず)は、東京都新宿区にかつてあった地名。町名設置当初は、一丁目から三丁目まであった。現在は、新宿区西新宿歌舞伎町および新宿の一部。
 
 
 
鳩ヶ谷(*3)
江戸時代には、日光御成街道宿場町市場町として発展した。
 
 
 
救命丸(*4)

f:id:isegohan:20140309185952j:plain

慶長2年10月13日1597年11月22日)、初代宇津権右衛門が「宇津の秘薬」として創製したのが始まりであり、現在の名称は昭和6年(1931年)より使用されている。かつては『金匱救命丸』と称した[1]。また、古くは大人向けの救急薬として使われており、特に道中薬として旅籠などでも売られ、印籠に入れて持ち歩いた[1]

宇津救命丸 - Wikipedia