思考が創り出す狂気は幻なのか?
【今日のこよみ】 旧暦2013年10月24日先負 五黄土星
丙申 日/癸亥 月/癸巳 年 月相 22 下弦
小雪 初候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 10.9℃ 湿度 42%
(大阪 6:00時点)
最近、漫画のドラゴンボールを読む機会があり、その内容にハッとさせられた。
同じような感性を持つ人はいらっしゃるようで、ネットには色々とまとめられている。
そして、このドラゴンボールは、この世界観が共感を呼ぶからこそ、全世界の人々に愛読されている。
人種や言葉、宗教を超えて世界中に、ドラゴンボールの世界観が受け入れられるのは何故なのか?
また、最近ネットで見つけたこちらの動画
久石讓Joe Hisaishi 800人大合唱天空之城HD - YouTube
なぜこの動画を見ると、心が震え響くのか?
コメント欄を見ると世界中の人々が同じおもゐを共有しているのが分かる。
なぜ、人種や言葉、宗教を超えて共感されるのか?
この世界は分からないことだらけである。
突き詰めると、
私は、なぜ生まれて来たのか?
私がこの世に産まれ出たという事実は、何もないところから突然私が産まれ出たのでなく、私が連綿と続く先祖の遺伝子を引き継いでいることを意味する。
となると、私は、産まれ出た時から次の世代にこの遺伝子を引き渡すという責任を背負っていることになる。
この社会の家族というシステムがこの責任を完遂できるように沿っていることからも上記が的はずれの考えではないことが分かる。
しかし、世の中にはこの伝統的な家族のシステムを壊そうとする勢力もいる。
もう、この産まれ出た世界は、もうあらゆるモノが入り組んで、ごっちゃごちゃになって、こんがらがっているとしか思えない。
そして、この世界では、こういう事実を知らないままでいる方が、無邪気に生きることが出来るみたいだ。
この事実を本能的に悟っている者が引きこもったり、逆に無軌道に生きたりしているのだろうか?
もう、考えに考えを任せると思考はドンドン混乱し、遂には狂乱の世界に誘われる。
究極には狂乱の世界に至るのも、この堂々巡りの重圧から解放される為の人間の本能なのかも知れない。
人はこの世の中の実体が放つ狂気から逃れる為に思想というものを産み出すのだろうか?
少なくとも、確固たる思想を持てば色々な価値観に翻弄されることもなくなる。そして、この思想に共感する仲間が集まり出し、孤独から解放される。
上のドラゴンボールの作者である鳥山明氏や天空の城ラピュタの作者である宮崎駿氏は、私には見えていない、この世界の実像が見えており、その実像を見て物語を創り上げることにより思想(世界観)を世の中に示しているのだと思う。
鳥山明氏がドラゴンボール以後作品を世の中に出していないことと、最近、宮崎駿氏が作品作りから引退すると宣言したことにも興味がつきない。
とりとめもなく書き連ねたが、この世の中で既にアップアップと溺れかけている自分には、思想(世界観)の確立が急務のようである。