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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【湛海律師著『霊感記』】湛海律師略歴のこと

 

【今日のこよみ】旧暦2015年 5月 9日 先勝

        辛未 日/癸未 月/乙未 年 月相 7.5 小潮 上弦 

                          夏至 初候 乃東枯(なつくさかるる)

          マヤ長期暦 13.0.2.9.15  マヤ365日暦 3 Tzec  マヤ260日暦 9 Men

 

 

 

十八歳ニシテ出家シ、在江戸学問等難成故、依周光指図上京シ、儒者岡村三叔ニ付而四書古文等学ス、此間三年、月々廿四日毎ニ断食シ、地蔵菩薩ヲ信仰ノ故、愛宕山ニ参詣、裸足シテ往還ス(寒天時分ニハ、刃ノ上ヲ行コトク足痛ムモノニテ候)道中の所作ニハ心経一千巻ツ、誦ス、三年之結願ニハ、七日断食シテ、三蜜之修行悉地成就ヲ祈ル

 

兼而、仁範上人ヲ為師、(高野住山之時ハ金性院ト申、光宥ノ弟子ノ故周光ト法眷也、南部ニ遠流ス)十巻疏等ノ密教ヲ学シ、又東寺光弁阿闍梨ヲ為師、四度加行シ、高野山蓮華三昧院検校法印頼仙和尚為師、両部灌頂受(是モ光宥弟子也、伊豆ニ遠流ス)

 

其後、又江戸ニ下リ、古議之檀林ニ出頭、結衆シテ論義等ヲ学ス、且ツ其暇ニモ心指処ハ三密之修行ニアリ、他行、相応之以法則、修練為事、故ニ一会之能化所化等、予ヲ字シテ如来坊ト云、後ハ学業ヲ廃シテ、只修行一途トナル

 

又洛東居住之間、大通寺慧照阿闍梨ヲ為師、伝法灌頂シ、小野道教法流地蔵院覚雄方一流伝受、已満シテ五部之阿闍梨位ヲ究ム

 

 又当山居居住之内、貞享三年四月上旬ニ、為ニ諸弟等灌頂修行ス

 伝法之受者五十七人

 一流付法之弟子二十三人

 

 

 

【私的解釈】

 

湛海和尚は寛永6年(1629年)2月1日、伊勢国安濃郡一色村で山田重忠を父とし、辻氏を母として呱々(ここ)の声をあげられた。

 

真言礦石集(蓮体著)』によれば、和尚は生まれつき性質が素直で、飾り気がなく、人情篤く、その上書画、彫刻等に優れていたとある。

 

17歳の正保2年(1645年)11月24日、地蔵菩薩霊場である京都愛宕山の白雲寺に登り、7日間の断食の上、本尊勝軍地蔵尊に今後の仏道修行へのお力添えを願っておられる。

 

明けて正保3年(1646年)1月、自ら剃髪して江戸深川の永代寺に趣き、周光阿闍梨を師として真言密教の門に入られた。しかし、永代寺にあってはいろいろの寺務に追われ、密教に必要な勉学が出来ないので、慶安3年(1650年)の正月、和尚の能力を見抜いていた師周光の薦めで京都に上り、儒学者岡村三叔について、3年の間儒学の重要典籍である四書五経をはじめ、仏教経典の読解に必要な学問を学ばれた。

 

この間いよいよ地蔵菩薩への信仰を深め、毎月24日の縁日には、断食の上、出家をする前にお力添えを願った愛宕山地蔵菩薩にお参りされた。この参詣の際には、わらじも履かずに素足で険しい山道を往復されたので、冬の寒い時節には、刃の上を歩けばかくぞやと思われるほどに足が痛み、そのうえ、往復の途次には般若心経を一千巻づつ誦して、心の安静を保つことに努められた。3年目の結願の日には、7日間の断食のあと、密教の修行によって悟りの境地に達することが出来ますようにと、地蔵菩薩に祈願をしておられる。

 

承応2年(1653年)真言密教の中枢である高野山に登り、師周光の法眷にあたる金性院の仁範上人に師事して、2年間にわたり『即身成仏義』『般若心経秘鍵』など、弘法大師が撰述された真言宗の重要典籍である『十巻疏』をはじめとして、密教の学問を学ばれた。

 

この間東寺の光弁阿闍梨について、真言宗での初度の修行とされる四度加行を修めておられる。また、高野山の蓮華三昧院の頼仙和尚を師として、金剛、胎蔵両界の潅頂を授けられ、頼承の名をいただいた。

 

明暦元年(1655年)、高野山より再び永代寺に戻り、周光和尚を助ける傍ら、経典や儀軌を学ぶ学問所に入り、同学の僧侶たちと経典についての問答をしながら議論をして、その教えを身に付けたが、その間でも志すところは密教の修行であり、その上、密教の法と自分の志すところが一致していたので、修行練業に勤め励んだがゆえに、学問所の師や朋輩は私に如来坊という字をつけ、如来坊、如来坊と呼んでいた。その後は学問所も辞めて、ひたすら修行に励まれた。

 

寛文4年(1664年)春、京都洛東の粟田口に歓喜院を創建されてから、延宝元年(1673年)夏の頃、歓喜院を周範に譲るまでの間に、大通寺の慧照阿闍梨に従って伝法潅頂を受けられた。また、寛文10年(1670年)小野道教法流地蔵院覚雄方の一流を伝授されて、地蔵院流の阿闍梨位についておられる。

 

その後、延宝6年(1678年)10月10日、生駒山に移り住まれ大聖無動寺(宝山寺創建時の寺号)を興され、貞享3年(1686年)4月上旬、弟子たちの為に潅頂を行い、伝法潅頂を受けた者57人、一流の奥義を授けられた弟子は23人であった。

 

 

 

伊勢国安濃郡一色村

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真言礦石集(蓮体著)

ci.nii.ac.jp

 

 

京都愛宕山の白雲寺

www.hozugawakudari.jp

 

 

勝軍地蔵尊

blogs.yahoo.co.jp

 

江戸深川の永代寺

www.tesshow.jp

 

超地元的深川観光案内「其角主人・深川のススメ」第十五回「永代寺の謎・消えた永代寺」

 

超地元的深川観光案内「其角主人・深川のススメ」第十九回「富岡八幡宮と永代寺・まとめ」

 

 

粟田口歓喜院

www.awatajinja.jp

 

 

www3.pref.nara.jp