まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

清濁併せ呑みあらゆるモノを浄化する生駒山の素晴らしさ

 

【今日のこよみ】旧暦2015年 4月 10日 先勝

        癸卯 日/壬午 月/乙未 年 月相 8.9 小潮 

                          小満 次候 紅花栄(べにばなさかう)

          マヤ長期暦 13.0.2.8.7  マヤ365日暦 15 Zip  マヤ260日暦 7 Manik

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 18.2℃ 湿度 30% (大阪 6:00時点)

 

 

 

大阪市内に住んでいると、生駒山から日の出が出てきます。

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神話時代の神武東征の孔舎衛坂(くさかさか・くさえのさか)の戦いの地が正にこの生駒山の麓である。この戦いに苦戦したイツセが放った言葉【「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」】の通りの場所なのだ。

 

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生駒山中腹から『あべのハルカス』を望む。

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この生駒山は人間のあらゆる欲望を飲み込んで更に浄化させる霊山としてこの地に神話時代からあいも変わらずそびえ立つ。

 

近鉄生駒駅から宝山寺を目指す。

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そう、この宝山寺が人間のあらゆる欲望をこの地に呼び寄せているのだ。

 

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

 

江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。

 

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。京都皇室江戸徳川将軍家郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると約1000段あり西日本有数の規模を誇る。歓喜天を祭り、現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。

 

宝山寺のある霊峰・生駒山には宝山寺以外にも在日韓国人系のシャーマニズム信仰の場(朝鮮寺)が多く集まっている。

宝山寺 - Wikipedia

 

 

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生駒山は大昔から神や仙人のようなお方が住む山と周辺から仰ぎあがめられ、巨巌や奇石、幾つかの窟から成る魁偉な姿の般若窟は、寺伝によれば、役行者が梵文般若経を書写して納め、弘法大師も若いころ修行された。

 

今から三百数十年前、伊勢に生まれ、江戸永代寺に入った宝山湛海律師(一六二九~一七一六)は歓喜天に対する修法に優れ、江戸の大火で焼失した永代寺八幡宮の復興では思わぬ所から金や資材が集まる祈祷の効験を発揮、人々を驚かせた。

 

その後、京都に歓喜院を建て、独立した。しかし、ある日訪れた円忍律師の教えを受け、堺・神鳳寺(現、大鳥神社)で律師に戒を授かり、真の仏法とは何かを求めることに目覚めた。そして、道場だけの行に飽き足らず、大和葛城山麓の山林で千日不出の木食行を続け、その千日目近く、我が行を完成するにふさわしい山として「生駒山の存在」を、念ずる不動明王に暗示された。

 

延宝六年(一六七八)十月十日、湛海は数人の弟子と生駒山に入った。村人や郡山藩家老らの援助と協力で翌年正月、五間四面の仮本堂が出来、湛海は念願の八万枚護摩を果たした。寺は当初、大聖無動寺と号した。

 

その後、湛海は聖天(大聖歓喜天)を山の鎮守に仰ぎ、益々の修行と理想の密厳浄土建設を目指した。 また、仏像彫刻や仏画制作の基本知識や技術にも優れ、本堂の本尊はじめ多くの作品を今に伝えている。生駒の伽藍は約十年でほぼ完成、名を寳山寺と改めた。

 

湛海は、さらに苦修練行、十万枚護摩を数限りなく積み重ね、生きながら悟りの境地に入ることを目指した。

 

「生駒に優れた験者あり」~。うわさは関白近衛家熙の耳にも入り、家熙は湛海の祈祷で腫れ物が治った。効験が家熙を介して時の東山天皇、将軍徳川家宣にも聞こえた。天皇、将軍から「求子の祈祷」「世継ぎの安泰祈祷」が相次ぎ、湛海はその期待に応えた。住友家はじめ多くの商売関係者や庶民もお参りするようになった。

 

寳山寺は以後、大いに栄え、「生駒山」「生駒の聖天さん」と、現生利益を求める多くの人々の信心の寺となった。

寳山寺について

 

 

端折って言ってしまえば、この宝山寺にはお金を求める人間が集い、その人間の欲望を煽ることを生業とする者どももがその界隈に集うカオスの地となっている。

 

4travel.jp

 

blog.goo.ne.jp

 

しかし、この人間の欲望まみれる地で堕落することもなく、江戸時代から今も変わらずに人々のお金を求める信心を一心に集め、その欲望に笑顔で応えて下さっていることを顧みると、この宝山寺の神聖さが一層極み立つ。

 

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この地に参拝に訪れると、この階段の参道を境に空気が一変するのを実感するだろう。正に此岸と彼岸に架かる石の橋がこの参道なのだ。蓮華に例えれば蓮の葉と茎の部分がこの参道と言えるだろう。

 

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この鳥居で邪なるモノの侵入がキチンと阻まれているのが、この写真からも分かると思う。この鳥居より向こう側は、言うならばドロの池に生える蓮の花咲く部分と言える。

 

明治の廃仏毀釈の荒波をくぐり抜けて今も変わらず神仏習合を続けていることに思いを遣ると、この寺が持つ金の力は強大なのだということが分かると思う。

 

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欲望に溺れる人間を煽るかのようにこのような石塔が参道の両側に並び、石の壁を作っている。確実に人々のお金儲けの欲を満たしてあげているからこその寄進なのだろう。本当に興味深い場所である。

 

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蓮華の花の上から下界を望むとあらゆるモノが清廉に見えるのだということが体験できる風景である。

 

 

さて、この宝山寺から生駒山を境に対極に位置するのが石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)である。いつ訪れてもお百度参りをする人の姿を必ず目にします。

 

www.nhk.or.jp

 

そう、生駒山の麓にあるこの神社にも人々が現世利益を求めて参拝に訪れているのだ。

 

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そして、この現世利益を求める人々にたかる邪鬼が参道で生業をしている構図も宝山寺と同じである。

 

news.mynavi.jp

 

素直に欲望に溺れる者は確実に救われ、邪なる思いで欲望に溺れる者は聖地の周りに巣食う邪鬼の食い物とされる社会の縮図がこの生駒山の地で垣間見ることが出来る。

 

現世利益を求めるということは、正に己の人格の器が試されているのだということを肝に銘じておきたい。己の器に入る以上の利益を求めても受け取ることなど出来やしないのだ。