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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【高神覚昇著 般若心経講義 その壱】 『空』とは北斗七星の如く

 

【今日のこよみ】旧暦2015年 3月 13日 先負

        丁丑 日/壬午 月/乙未 年 月相 12.3 中潮 

                          穀雨 末候 牡丹華(ぼたんはなさく)

          マヤ長期暦 13.0.2.7.1  マヤ365日暦 9 Uo  マヤ260日暦 7 Imix

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 16.2℃ 湿度 35% (大阪 6:00時点)

 

 

 



いったい仏教の根本思想は何であるかということを、最も簡明に説くことは、なかなかむずかしいことではあるが、これを一言にしていえば、「くう」の一字に帰するといっていいと思う。だが、その空は、仏教における一種の謎で、いわば公開せる秘密であるということができる。


何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。


ところで、その空を『心経』はどう説明しているかというに、「色即是空しきそくぜくう」と、「空即是色くうそくぜしき」の二つの方面から、これを説いているのである。すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いわゆる弁証法的に、統一、総合されているのであって、空を理解するについて、まずわれわれのはっきり知っておかねばならぬことである。


次に空をほんとうに認識するについて、もう一つたいせつなことがある。それは「因縁」ということである。『心経』には因縁について一言も説いてはいないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであって、端的にいえば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」ということで、世間のこといっさいみなことごとく因縁の和合によって生じ起るということである。もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにもかかわらず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でいるのである。すなわち「因」より直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。


おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたび拙著『般若心経講義』を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこびである。


昭和二十二年春

東京 鷺宮 無窓塾

 

 

 

 

【雑感】

 

般若心経には『空』という文字が7文字散りばめられている。ある手法で般若心経を書き写すと、この『空』が興味深い様相を示しながら浮き上がってくるという。

 

bloom.at.webry.info

 

bloom.at.webry.info

 

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旧暦の6月6日(今の暦の七夕が終わった頃)の夕方6時に北極星の真上に北斗七星が瞬く。上のブログにこのことに関して次のような記述がある。

 

北斗七星は、6月6日午後6時に北極星の真上にくるのです。

つまり
6月6日午後6時に北斗七星は宇宙一番の力を持つのです。
旧約聖書で「頭に666の験がある者」とは北斗七星のことである。
そして、まさに心経曼陀羅の形は、北極星の真上に来た状態の北斗七星の形をしているのです。

従って、護身や必勝祈願には、般若心経は最強の力を発揮してくれる呪文であり、
古来より、宗派を問わず尊ばれた「経」である根拠でありましょう。

 

まさしくこの記述の通りだと私は思います。そして、『空』という言葉の意味も北斗七星にあてはめて考えると腑に落ちてくる。昔の僧侶も『空』という言葉を人に説く時に北斗七星の瞬きを例にして解り易く説明したものと思います。『空』というのは北斗七星の瞬く光のごとく実体を備えない波長(波動)のことを言うのであると。

 

 

 

いったい仏教の根本思想は何であるかということを、最も簡明に説くことは、なかなかむずかしいことではあるが、これを一言にしていえば、「くう」の一字に帰するといっていいと思う。だが、その空は、仏教における一種の謎で、いわば公開せる秘密であるということができる。


何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。

 

夜空に瞬く北斗七星の輝きは誰にも容易に目にすることが出来る。しかし、この瞬きの源についてきちんと説明出来る人は少ない。何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが北斗七星の瞬きである。『空』という言葉の意味は、まさしく北斗七星の輝きの如くものなのだ。

  

 

その空を『心経』はどう説明しているかというに、「色即是空しきそくぜくう」と、「空即是色くうそくぜしき」の二つの方面から、これを説いているのである。すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いわゆる弁証法的に、統一、総合されているのであって、空を理解するについて、まずわれわれのはっきり知っておかねばならぬことである。

 

色即是空

→私の目の前で今繰り広げられている現象は、これらが全て北斗七星の瞬きの如く実体の無い波動が映し出している映像に過ぎない。

 

空即是色

→北斗七星の瞬きの如く実体の無い映像がこの世の中のあらゆる現象を織り成しており、掛け替えの無い今を造形している。

 

これらの言葉を聞くと金子みすずの詩が思い出される。

youtu.be

 

 

次に空をほんとうに認識するについて、もう一つたいせつなことがある。それは「因縁」ということである。『心経』には因縁について一言も説いてはいないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであって、端的にいえば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」ということで、世間のこといっさいみなことごとく因縁の和合によって生じ起るということである。

 

北斗七星が輝くにも原因がある。おおぐま座を構成する地球から80~120光年離れた恒星が自ら光を放ち、その光が北斗七星という形となって私たちの目に届いているのである。

 

北斗七星 - Wikipedia

 

まさしく、因と縁が結びついているから北斗七星たり得ているのだ。これこそ因縁の和合というものだろう。

 

 

もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにもかかわらず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でいるのである。すなわち「因」より直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。

 

北斗七星を構成する恒星が、光の速さで100年前後進んでやっと到達するという途方も無く地球から離れた距離の空間で、この宇宙空間の闇に飲まれない程強力な光を放っているからこそ、この途方も無い距離を光が届いて現実に北斗七星が存在しているのだ。これこそ因縁の和合のなせる奇跡であろう。

 

これを奇跡と思わない人間の思い上がりが迷いを生じさせている。奇跡と腑に落とすことこそが悟りなのだ。

 

これは、己の生命にもあてはまる。己の生命が己の力だけで存在していると思う思い上がりこそが様々な「迷い」を生み出している。母親の胎内にいるホントに短い期間で人間は人類の進化の過程を光速で駆け上がって来ているのだ。そして父親と母親が居たからこそ私の生命が芽生えたのだ。父親と母親の後ろには祖父母その後ろには曾祖父母と、計算していくとこれも途方も無い数の祖先の生命の繋がりが今の私を存在たらしめているのだ。

 

これを奇跡と言わずに何と呼ぼう。この奇跡の恩恵の前ではどんな迷いも吹き消され、そこには感謝の思いしか残らないはずである。

 

 

おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたび拙著『般若心経講義』を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこびである。

 

目を閉じてみると目の前に宇宙空間を超える広大な闇の空間が広がる。この空間そのものがあなたなのだ。この空間にはあなた以外存在していない。そしてこの空間を因としてあらゆる現象があなたの目の前で繰り広げられることとなる。あらゆる現象は他人など関係なくあなた自身がこの空間から生み出しているのだ。となればあらゆる現象の原因はあなた自身のせいなのである。これを認めることから全ては始まる。

 

今は、戦後70年が経ってやっと日本の世の中の空気が醸されて到来した日本人が目覚める好機である。日本人ひとりひとりが各々の祖先から受け継いできた思いを思い出す。さすれば新日本文化が自ずと開花することとなるであろう。

 

 

 

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