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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【伝教大師最澄 山家学生式】 万物の霊長たるゆえん

 

【今日のこよみ】旧暦2015年 1月 24日 赤口

        己丑 日/庚辰 月/乙未 年 月相 23.1 二十三夜月 

          啓蟄 次候 桃始笑(ももはじめてさく)

          マヤ長期暦 13.0.2.4.13 マヤ365日暦  6 Cumku  マヤ260日暦 11 Ben

 

【今日の気象】 天気 雨 気温 7.1℃ 湿度 63% (大阪 6:00時点) 

 

 

國寶何物、寶道心也。有道心人、名爲國寶。

 

故古人言、徑寸十枚、非是國寶。照于一隅、此則國寶。

 

古哲又云、能言不能行、國之師也、能行不能言、國之用也、能行能言、國之寶也。三品之内、唯不能言不能行、爲國之賊。

 

乃有道心佛子、西稱菩薩、東號君子。

 

惡事向己、好事與他、忘己利他、慈悲之極。

 

釋敎之中、出家二類、一小乘類、二大乘類。

道心佛子、卽此斯類。

 

今我東州、但有小像、未有大類。大道未弘、大人難興。

 

誠願先帝御願、天臺年分、永爲大類、爲菩薩僧。

 

然則枳王夢猴、九位列落、覺母五駕、後三增數。

 

斯心斯願、不忘汲海。利今利後、歷刧無窮。

 

 

 

【書き下し文】

 

國寶とは何物ぞ、寶とは道心なり。道心有るの人を名づけて國寶と爲す。

 

故に古人の言はく、徑寸(けいすん)十枚是れ國寶にあらず。一隅をも照らす、此れ則ち國寶なりと。

 

古哲(こてつ)又云はく、能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは、國の師なり、能く行いて言うこと能わざるは、國の用なり、能く行い能く言うは、國の寶なり。三品(さんぽん)の内、唯(ただ)言うこと能わず行うこと能わざるを、國の賊と爲すと。

 

乃(すなわ)ち道心有るの佛子(ぶっし)を、西には菩薩と稱(しょう)し、東には君子と號(ごう)す。

 

惡事を己に向かえ、好事を他に與(あた)え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。

 

釋敎(しゃくきょう)の中、出家に二類あり、一つには小乘の類(たぐい)、二つには大乘の類なり。道心あるの佛子は、卽(すなわ)ち此(こ)れ斯(こ)の類なり。

 

今、我が東州には、但(ただ)小像(しょうぞう)のみ有りて、いまだ大類有らず。大道いまだ弘まらざれば、大人興り難し。

 

誠に願わくは、先帝の御願(ぎょがん)、天臺(てんだい)の年分は、永く大類と爲し、菩薩僧(ぼさつそう)と爲さん。

 

然るときは則(すなわ)ち枳王(きおう)の夢猴(むこう)、九位列(つらな)り落ち、覺母(かくも)の五駕(ごが)、後の三、數を增さん。

 

斯の心、斯の願(がん)、海を汲むことを忘れず。今を利し後を利して、刧(こう)を歷(ふ)れども窮(きわ)まり無けん。

 

 

 

【私的解釈】

 

国の宝とは何なのでしょうか?国の宝とは正しい道を求める心です。

この正しい道を求める心を持つ人を国の宝と言うのです。

 

だから、古(いにしえ)の人物が言っています。

「3cmの大きさの宝石10個など国の宝でも何でもなく、自分の周りの一隅(いちぐう)を照らす者こそ国の宝である」と。

 

古代の哲人はこうも言っています。

「自分の意見をよく述べるが、言ったことを実行に移さない者は国の師であり、自分の思い付いたことをよく実行に移すが、意見を述べようとしない者は国に欠かすことの出来ない者であり、自分の意見をよく述べ、かつ言った側から実行に移す者は国の宝である。一方で、この3種の人間のいずれにもあてはまらない、自分の意見を述べることもせずに、自分の思い付いたことを実行に写しもしない者が国の害となるのだ」と。

 

すなわち、正しい道を求める心を持つ仏の弟子のことを、印度では菩薩と呼ばれ、支那では君子と呼ばれているのです。

 

悪い事を自分で引き受けて、良い事は他人に与え、己のことをひとまず置いておいて他人の為に働くことこそ、本当の慈悲なのである。

 

釋迦の教えの中には2種類の僧侶がいます。一つは小乗に添う僧侶であり、もう一つは大乗に添う僧侶である。正しい道を求める心を持つ仏の弟子とは、この大乗に添う僧侶のことを言うのです。

 

今、わが国の現状をこれにあてはめると、小乗に添う者のみばかりで、大乗に添う僧侶は全く見当たりません。大乗の道に添う教えが広まっていないので、大乗に添う国の宝が生まれ出ていないのです。

 

私が真心から願うことは、先帝がお望みになられたように、天台の教えに添う年分度者を末永く大乗に添う国の宝に変えて行き、菩薩のような僧侶にしたいということなのです。

 

これが実現されれば、枳王(きおう)が見た夢のように9匹の猿が滑り落ち、智恵を生み出す母(文殊菩薩)が持つ五つの駕籠の内、三つの駕籠の数が増えることとなるでしょう。

 

このほとばしる私のおもゐ、私のねがゐは、海の水を吸い尽くしても国の宝を発掘することを止めようとはせずに、今の世の中、未来の世の中に利益を与え続け、未来永劫その勢いが衰えることは無いでしょう。

 

 

 

【雑感】

「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉

2015年3月11日16時24分

東日本大震災追悼式の宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことば

 

私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

 

あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 

しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 

そんな体験から今日で4年。

 

あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。

 

しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

 

震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

 

最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。

 

「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉:朝日新聞デジタル

 

 

東日本大震災から4年が経った今年の追悼式での遺族代表のことばは多くの日本人の心を打った。だが、時間が経つにつれてわだかまる何かが澱となって皆の心に沈殿し始めた。私もその一人である。

あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 

しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 

ここでは、これ以上の詳細を述べない。ただ、こちらの新聞の投書の叫びと比べれば人として感じるところは同じであろうと思う。

 

読売新聞:人生案内(2011年5月23日)

 

大学生の女の子。何をしていてもあのことばかりを思い出してしまいます。あの日私は祖母と一緒に逃げました。でも祖母は坂道の途中で「これ以上走れない」と言って座りこみました。私は祖母を背負おうとしましたが、祖母は頑として私の背中に乗ろうとせず、怒りながら私に「行け、行け」と言いました。私は祖母に謝りながら一人で逃げました。

 

祖母は三日後、別れた場所からずっと離れたところで、遺体で発見されました。気品があって優しい祖母は私の憧れでした。でもその最後は、体育館で魚市場の魚のように転がされて、人間としての尊厳などどこにもない姿だったのです。

 

助けられたはずの祖母を見殺しにし、自分だけ逃げてしまった。そんな自分を一生呪って生きて行くしかないのでしょうか。どうすれば償えますか。毎日とても苦しくて涙が出ます。助けて下さい。

 

 

【回答:心療内科医 海原純子

お手紙を読みながら涙が止まらなくなりました。こんなに重い苦しみの中でどんなにつらい毎日かと思うとたまりません。ただあなたは祖母を見殺しにしたと思っていらっしゃいますが、私にはそうとは思えません。

 

おばあさまはご自分の意志であなたを一人で行かせたのです。一緒に逃げたら二人とも助からないかもしれない。でもあなた一人なら絶対に助かる。そう判断したからこそ、あなたの背中に乗ることを頑として拒否したのでしょう。

 

おばあさまは瞬時の判断力をお持ちでした。その判断力は正しくあなたは生き抜いた。おばあさまの意志の反映です。人はどんな姿になろうとも外見で尊厳が損なわれることは決してありません。たとえ体育館で転がされるように横たわっていても、おばあさまは凛とした誇りを持って生を全うされたと思います。

 

おばあさまの素晴らしさはあなたの中に受け継がれていることを忘れないで下さい。

 

おばあさまが生きていたらかけたい言葉、してあげたいことを周りに居る人たちにかけたり、してあげたりして下さい。そのようにして生き抜くことが憧れだったおばあさまの心を生かす道に思えます。

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どんな困難な状況に出くわしても人として手離してしまっては駄目なモノがある。それを備えているからこそ人間が万物の霊長として分類され、この地球上に存在することが許されているのだ。これを手放すことは人間として生まれてきたことを拒絶することと同じであり、自らの手で人間としての自分の存在価値を否定したこととなるのだ。そして、人としての正しい道から外道に外れることとなる。

 

今後も必ず日本で災害が起こる。私も被災者となることが充分あり得る。その時、私は霊長なるモノを離さずにいられるのかを災害にあっていない今、己に問いかけてみたいと思う。