【二宮翁夜話 巻之一 三十一】 一言を聽きて勤惰を知る
【今日のこよみ】旧暦2015年 1月 6日 赤口
辛未 日/己卯 月/乙未 年 月相 5.1 中潮
雨水 次候 霞始靆(かすみはじめてたなびく)
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翁曰く、一言を聽いても、人の勤惰は分かるもの也。
東京は水さへ錢が出るを云ふは、懶惰者(らんだしゃ)なり。水を賣りても錢が取れるといふは勉强人なり。夜は未だ九時なるに十時だと云ふ者は、寝たがる奴なり。未だ九時前なりと云ふは、勉强心のある奴なり。
すべての事、下に目を付け、下に比較する者は、必ず下り向の懶惰者(らんだしゃ)なり。たとへば碁を打って遊ぶものは、酒を飲むよりよろし、酒を呑むは博奕(ばくえき)よりよろしと云ふが如し。上に目を付け上に比較する者は、必ず上り向なり。
古語に、一言以て知とし一言以て不知とすとあり(*)。うべなるかな。
【私的解釈】
尊徳翁が言われた。
「一言を聞くだけでその人物が勤勉であるか怠惰であるかが分かるものだ」と。
東京は水を飲むのにも金がいると言う者は怠惰な者である。水を売ってもお金を稼ぐことが出来ると言う者は勉強人である。夜がまだ九時なのに十時だという者は寝たがる怠惰な奴である。まだ九時前であると言う者は勉強熱心な奴である。
あらゆる事象の下層に目を遣り、自分より下層で起こっている事象と自分のいる場所で起こる事象を比較する者は、人生の下り坂を転げ落ちて行く怠け者である。例えば、碁を打って遊ぶのは酒を飲むよりは良いことだとか、酒を呑むのは博打にはまるよりは良いことだとか言うようなヤカラのことである。逆に自分より上層部の事象と自分の周りの事象を比較する者は 、人生の階段を着実に登っている際中の勉強人である。
いにしえの言葉に「一言でも良いことを言えば、自分が物を知っているとうことを人に認められるし、一言でも間違ったことを言えば、自分が愚かであるということを人に見透かされるのである」とあるが、言い得て妙である。
古語に、一言以て知とし一言以て不知とすとあり(*)
陳子禽謂子貢曰、子爲恭也、仲尼豈賢於子乎。
子貢曰、君子一言以爲知、一言以爲不知。
言不可不愼也。
夫子之不可及也、猶天之不可階而升也。
夫子得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和。
其生也榮、其死也哀、如之何其可及也。
【論語 子張第十九】
(書き下し文)
陳子禽(ちょうしきん)子貢(しこう)謂(い)って曰く、子の恭(きょう)をなすや、仲尼(ちゅうじ)も豈(あに)子より賢(まさ)らんや。
子貢曰く、君子は一言(いちげん)を以(もって)知(ち)と爲(な)し、一言を以て不知(ふち)と爲す。
言(げん)は愼(つつしま)ざるべからざるなり。
夫子(ふうし)の及(およ)ぶべからざるや、猶(なお)天(てん)の階(かい)して升(のぼ)るべからざるがごときなり。
夫子にして邦家(ほうか)を得(え)ば、所謂(いわゆる)之(これ)を立(た)つれば斯(ここ)に立ち、之を道(みちびけ)ば斯に行き、之を綏(やす)んずれば斯に來(き)たり、之を動(うご)かせば斯に和(わ)するなり。
其(そ)の生(せい)や榮(えい)、其の死や哀(あい)、之を如何(いかん)ぞ其れ及ぶべけんや。
【経書大講による解釈】
これもやはり子貢が自分の師である孔子を言葉を尽くして称えまして、自分の平生より心服している心持ちを表したのであります。
陳子禽(ちょうしきん)という人が子貢に言うには、あなたは『恭を爲す(実に立派な行いをしていらっしゃる、礼を実行している)』方である。あなたの師の孔子でも、あなたより上と言うことは出来ないであろう。
こう言って誉めたところが子貢が言うには、そういう途方も無いことを言うものではない。君子たる者は一言でも良いことを言えば、自分が物を知っているとうことを人に認められるし、一言でも間違ったことを言えば、自分が愚かであるということを人に見透かされるのである。それだから言葉というものは慎まなければならない。
あなたは私を師の孔子よりも上だと言われるが、そういうことはこれから慎んで言わないようにしてもらいたいものである。先生の孔子という方は実に我々の及ぶべからざる方である。丁度天が高く到底登ることが出来ないのと同じことである。どんな高い所でもハシゴを掛ければ上まで登ることが出来るのであるけれども、天に届くハシゴというものは無い。ハシゴを掛けて天に登ろうと思っても、到底登ることは出来ない。それと同じことで、孔子に勝る者になろうなどと思っても、到底出来ることでは無いので、そういうことを仮にも考えるべきではない。もし自分の先生の孔子が国の一番重要な地位に立って、一国の政治をことごとく任されるということになったならば、必ずや仁政を行って、人民全体を満足させるに違いない。
すなわち『之を立つる』というのは人民に教えを与えて、人民の毎日の行いをこういう標準でなければならぬということを教えれば、『斯(ここ)に立つ【その教えが実行されて、人民は皆その教えられる通りになる】』のである。また『之を道(みちび)く【人民を導いて】』、どういう仕事をしなければならぬとか、国の為にこういう風に尽くせとかいうようなことを教えれば、人民はその導かれた通りの道を歩いて行って、国家に貢献することが出来るのである。
また、人民を安んずる為に仁政を行うことが相当の歳月を経れば、人民は皆その仁政に懐いて、自分の国ばかりではない、他の国の者までも皆その徳を慕ってやって来るようになるのである。
また、『之を動かす』すなわち人民を働かせることとなれば、その指摘に少しの無理が無いから、皆和合一致して、喜んで働くようになるのである。
これだけの働きは自分の師である孔子には必ず出来るのであって、こういう人が一日でも長く生きていられるということは全ての人の幸せであるり、またこういう人がもし死ぬならば、一国が挙って悲しむべきである。実に偉大な人であって、到底他の者が追い付こうと思っても追い付かれるものではない。しかるに孔子よりも弟子である自分の方が勝っているなどということを言うのは誠に法外なことで、これからはそういうことは決して言わないようにしてもらいたいと思いまして、平生自分がいかに師である孔子を敬服しているかということを遺憾なく申したのであります。
【雑感】
こちら【衆議院インターネット審議中継】から民主党 山井和則氏の発言をお聞き下さい。何やら相当エキサイトしております。
安倍首相:「日教組」やじを陳謝 不用意発言で批判を増幅
毎日新聞 2015年02月23日 21時24分(最終更新 02月24日 01時00分)
◇西川氏追及かわしが裏目に
安倍晋三首相は23日の衆院予算委員会で、日本教職員組合(日教組)を巡る自身のやじを陳謝した。民主党を同じ土俵に引きずり込んで西川公也農相の献金問題への追及をかわそうとしたが、不用意な発言でかえって批判を増幅させた。西川氏は同日辞任。自民党「1強」のゆるみが与党の今後の国会運営に影響する可能性が出てきた。
発端は19日の衆院予算委。民主党の玉木雄一郎氏が西川氏の政党支部への献金問題を取り上げていたさなか、首相は「日教組はやっている」と答弁席からやじを飛ばした。自民党の大島理森予算委員長が「静かに」と制止しても、首相は「日教組はどうするのか」と言葉を重ねた。さらに翌20日の予算委で民主党の前原誠司氏から謝罪を求められると、「日教組が(国から)補助金をもらい、(日本)教育会館から献金をもらっている民主党議員がいる」と主張した。
首相は23日の予算委でも日教組出身の民主党の神本美恵子参院議員の実名を挙げ、文部科学政務官時代に「教育会館という隠れみのではなく、日教組からダイレクトに献金をもらっていた」「日教組からパーティー券(購入)を受けていた」と批判した。
首相はこれまで西川氏の献金問題について「政治資金規正法上は問題ない」との認識を示してきた。日教組と民主党の関係を繰り返し批判したのは、同党へのけん制だ。
しかし、首相のやじや国会答弁には事実関係に誤りがあり、かえって民主党に付け入る隙(すき)を与えた格好になった。同党は(1)日教組は補助金をもらっていない(2)日本教育会館は献金していない(3)神本氏は政務官時代に政治資金パーティーを開催していない−−と反論している。
首相は23日の予算委で「先般の前原委員の質問に対する答弁の中に正確性を欠く発言があった」と認めた。民主党の山井和則氏から「教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいるという答弁は間違いか」と詰め寄られ、「献金をもらっていたかどうかは詳細に調べてみないと分からない」と根拠なく発言したことを自ら告白する場面もあった。
午前中の予算委で防戦に回った首相は午後、民主党の後藤祐一氏が西川氏の問題を「七つの大罪」と表現したのに対し、「大罪という言葉は取り消した方がいい」と反撃を試みた。論戦は泥仕合になりかけたが、後藤氏は「ちょっと強い言葉を使ったことは謝罪する。私は言い過ぎたことを謝罪する見識は持ち合わせているつもりだ」と切り返し、首相を皮肉った。
「首相のやじが(過去に)あんまり多くないのは事実だ」。自民党の谷垣禎一幹事長は23日の記者会見で、首相にやんわりと苦言を呈した。【福岡静哉、水脇友輔】
動画の 1:31:15からの下村文部科学大臣の発言はこう言っている。
「民主党の議員が日教組からですね、政治献金をもらったということはですね、今までもあります。一つはですね、、、、(民主党からのヤジで答弁を妨害される)日教組関係から寄付金をもらった事例はあります」
これに対して、山井氏は、
「委員長、委員長、教育会館から献金をもらっている議員が民主党におられるということを安倍総理は答弁をされたんです。その事実関係!」
と述べている。
山井氏や民主党は総理大臣のヤジを批難しときながら、下村文部科学大臣が日教組から献金を受けている件の詳細を述べようとするとヤジで答弁を妨害して述べさせなくしている。自分たちに都合が悪いことはヤジで答弁を妨害して言論を封じでいるのである。
そして、上の毎日新聞の記事は民主党の民主党の議員が日教組から献金を受けている事実があるというこのやりとりに関しては全く触れていない。
もうね。いいかげんにしていただきたいですね。。。。。
上で二宮尊徳翁が言われている
『一言以て知とし一言以て不知とす(一言でも良いことを言えば、自分が物を知っているとうことを人に認められるし、一言でも間違ったことを言えば、自分が愚かであるということを人に見透かされるのである)』
の格好の事例としてここに記録しておく。