まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【山岡鉄舟 門生聞書】鉄券之説(てっけんのせつ)

 

【今日のこよみ】旧暦2015年 1月 1日 先勝 元旦

        丙寅 日/己卯 月/乙未 年 月相 0.1 朔 

          雨水 初候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

          マヤ長期暦 13.0.2.3.10 マヤ365日暦 3 Kayab  マヤ260日暦 10 Oc

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 4.8℃ 湿度 66% (大阪 6:00時点) 

 

 

今日は旧暦のお正月です。


Year of the Sheep: Lunar New Year celebrated across Asia - Photo Galleries - World - CBC News

 

旧暦を日常に取り入れると潤いが生じます。

戦後に途絶えてしまった慣習を今一度思い出し、日常の生活に取り入れて行きたいですね。


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ブログ:ノルマ!!: 2009年1月9日

 

 

 

大燈國師曰く、鐵券難分付(てつけんはぶんぶしがたし)と。

 

今此の語の表面を平たく云はば、三千世界を一通に認(したた)めたる此の鐵券狀は遣りたくても遣られないといふ程の語なり。

 

此の鐵券は實に天に倚るの長劍にして、假令(たとえ)兩手に分與するも言下に大悟領掌する人無し。惜い哉。

 

然らば此の大切なる地券狀はいかにして得らるるぞと云ふに、躬(み)づから辛苦し、白汗一囘して㘞地一下(かぢいっか)の時、始めて領掌するものなり。決して他より得るものに非ず。

 

世界の人ども、此の自家の地券狀を失ひし故に遂に他國に流浪して他人の仕事をする日傭人(ひやといにん)とはなれるなり。悲しき事の限りに非ずや。

 

されば、我と思はん者は高く精彩を着けて、一番此の地券狀を取り返へして見よ。此地券狀を取り返へして見れば、啻(ただ)に一地球のみならず、普(あまね)く三千世界の主となりて無上無比なる心王(しんのう)の位に卽(つ)き、彼の一世界を總轄せる梵天も帝釋も悉く來りて此の心王の足を戴き、慇懃に禮拜恭敬す。

 

故に古人曰く、王は心王に及ぶもの無しと。古人、豈我を欺かんや。

 

然り而して此の心王は何れの國土に蹲居(そんきょ)し給ふぞと云ふに、所謂無爲の都に安住せり。

 

嗚呼、此の如き無比の富有を得、此の如き無比の常樂を得、此の如き無比の尊位を得らるる無比の妙道は那邊に存在するやと云ふに、決して他より贖(あがな)ひ來るべきものにあらず。各自皆御所持なれども、今時の諸人は唯眼前の利のみに耽りて之を尊信すること能はざるのみならず、動(やや)もすれば卻て罵詈して冥(くら)きより冥(くら)きに入り、六道輪廻の苦を脫出すること能はず。

 

古人曰く、無爲の都は樂ししと雖も、貧瞋(どんてん)癡慢(ちまん)邪見(じゃけん)の人は遊ぶことを得ずと、信なる哉。

 

今や有爲の世閒智は月々に增長すれども、無爲の妙智は日々に消耗す。

 

そもそも世閒有爲の法は轉變夢の如くにして、一つも恃(たの)むに足らざれども、凡愚の人は彼の慥(たし)かなる鐵券を見ざるが故に、此の有爲の法を確乎として拔くべからざるもののやうに迷醉して、黑(くら)く貪着せるこそおろかなれ。

 

秦の始皇は暴威を以て四百餘州を一統し、内には宏大壯麗なる阿房宮を造りて三千の宮女を貯へ、外には萬里の長城を築きて强勁(きょうけい)の北狄(ほくてき)を禦(ふさ)ぎ、矛戟(ぼうげき)を鑄て金人を造り、王號を改めて皇帝と稱し、朕を始皇として二世三世より萬世に及ぼすべしと慾ばり、かへりて組織たる天下も僅か二世三世に至りて項羽の咸陽(かんよう)を屠(ほう)るや、流石に雲を凌ぐ阿房宮も忽ち一撮(いちさつ)の灰燼と化し、花を欺く三千の宮女も悉く敵軍の慰勞品に歸し、庫(くら)に盈(み)つるの七珍萬寶も皆楚人の玩弄物と爲り去れり。

 

漢高は數年の戰勞に因りて天下を掌握し、種々と心配して數十代を繼續せしが、終に王莽の爲に簒奪せられたり。

 

我が朝、源平の興亡、北條、足利、織田、豐臣、德川諸氏興廢の如きも、其勃興の曉には嘸(さぞ)や歡喜の眉を開いて飛び立つように嬉しかりなん。其滅亡の夕(ゆうべ)には千憂胸に塞がり萬感腸(はらわた)を割きたりけん。

 

器世界(きさかい)有爲の法は、興隆も滅亡も、今より觀れば畢竟(ひつきょう)一場の夢の如し。當年の英雄安(いずく)にか在(あ)るや。百年の後より今日を視れば、亦復(またまた)此の如けんのみ。

 

金剛經に曰く、一切有爲の法は夢の如く幻の如く、泡の如く影の如く、露の如く電(いなずま)の如しと。金口(きんこう)の言、信なる哉。

 

茲(ここ)に佛法は、心王を保護して世に顯現せしめ、所謂鐵券も亦おのづから至らしむるの法にして、是れ全くの他の物にあらず。

 

各自の靈性は實に廣大な如意寶珠(によいほうじゆ)にして、人々本より持ちながら妄想の爲に蔽(おおひ)晦(く)らまされて眞黑の凡夫と成り果てたり。五大州中幾億萬の人も、之を知るもの幾人かある。

 

世に金銀を無上の物と心得、或はダイヤモンドを世界第一の寶なりと稱するは實に憐れ至極の者と云ふべし。是の心を所持せざるものは詮方なし、苟も心あるほどのものは何ぞ是の心を呼び起して心王の位に卽(つ)かしめ、みづから鐵券を領掌して永く三千世界の主とは爲らざる。

 

之を得ざるものは、假令(たとい)高位高官なりと雖も只是れ高位高官の凡夫なり。博識多能なりと雖も只是れ博識多能の凡夫なり。之に氣の付かぬものは以て智と云ふべからず、之に信の起らぬものは以て賢と云ふべからず。

 

之を得たるものを强て名づけて神とも佛とも聖人とも云ふなり。之を得ざる閒は、假令聖人を推し退け、佛より釣を取るほどの辨論智識を有するも、畢竟微細の妄想にして、名相上の皮相論者のみ、六道中の浮沈連中のみ。

 

焉(なん)ぞ眞如の月を眺めて無爲の樂都に安臥することを得んや。

 

昔、楠(くすのき)正成公は討死の前夜、湊川廣嚴寺の主極俊禪師に參禪して無爲の大道に徹し、所謂鐵券とも如意寶珠とも云ふものを得られたり。故に廣嚴寺の記に記して曰く、討死を潔死すと。後人、黃門公の嗚呼忠臣楠氏の墓と誌るされたる墓標に感ずるもの多けれども、潔の字に感心する人蓋し鮮(すく)なし。此の潔の字は、實に是れ楠公の知音にして能く公を見徹したる一字なるべし。


世人は無爲寂然などと云へば佛語なりとて之を嫌ひ、或は無爲と云へば山に入りて仙術にても修する事のやうに思へり。

 

仙術魔術も遠く及ばず、別に超然と脫出したる所の道なる故に無上妙道とは云ふなり。

 

そもそも無爲とは、爲すこと無くして爲(なら)ざること無きの謂ひなり。例へば、屋島壇浦(だんのうら)の亂軍中に在(あり)て奮戰激鬭するも、鬢(びん)の毛もそそけぬが故に無爲と云ふなり。古人曰く、終日行じて一事も行せず、終日語りて一語も言はず、と。又、法華經には寤寐(ごび)同一と云へり。此の世務(せいむ)繁劇、奔走運爲の上、直に酣醉(かんすい)鼻鼾(はないびき)の時と亳(すこし)も異なること無し、是れ無爲寂然の處なり。

 

然れども此般の事は先達の鉗鎚(けんつい)を受けざれば到底蘊奧(うんのう)を盡すこと能はざれば、我こそ丈夫と思はん人は須(すべから)く一番修業すべき事なり。

 

倂し、此く論じ來ればとて世閒有爲の技藝學術を無下に蔑視するには非ず。一たび無爲の妙道を得れば、有爲卽ち無爲にして、有爲無爲、畢竟二あるに非ざるも、之を得ざれば所謂心王を取放し鐵券を取失ひ、聊(いささ)か神經の學術技藝上に達したるまでにて、一の神經病者たるを免かれず。

 

畢竟、此の煩惱妄想を解脫し得ざるが故に、佛法に之を迷ひの衆生とは云ふなり。

 

卽今何の處と思ふや。寶山に登りて手を空しくして歸ること勿(なか)れ。

 

 

 

 

【私的解釈】

 

大燈国師曰く、「鉄券難分付(てつけんはぶんぶしがたし)」と。

 

今、この言葉を分かり易く言い直せば、三千世界の主となる権利を一通にしたためたこの鉄券状は、与えたくても与えることが出来ないという意味の言葉である。

 

この鉄券は実に天に寄りかかるほどの長剣のようなもので、たとえ両手に受け取らせたとしても、この長剣が象徴する真理を悟り切った上で受け取る事のできる人物は、ちょっとやそっとのことでは出てこないのだ。残念なことである。

 

では、この値打ちある地券状はどのようにしたら得られるのであろうか。自らが汗をかきながら苦しみ抜いた上で、カッ!と悟りの声を発した時に初めて受け取ることが出来る物なのだ。決して他人から与えられる物ではないのである。

 

世界中の人たちが、元々自分の物であったこの地券状を失っているが故に他国に流浪して彷徨い歩くこととなり、天が自分に割り当てた固有の使命を忘れて他人の日雇い人夫となっているのが世界の現状なのである。悲しいことこの上ないではないか。 

 

だから、我と思う者は、大いに踏ん張って、真っ先にこの地券状を自分の手に取り返してみよ。この地券状を取り返せれば、この世界だけでなく広く三千世界の主となり、無上無比である心王の位に就くこととなる。かの世界を治める梵天帝釈天でさえも心王である貴様の前に参内し、足元にひれ伏して慇懃に礼拝され、恭敬を尽くされることとなるだろう。

 

だから古人も言っているのだ。「いかなる王も心王には及ばない」と。古人の言っていることは真理なのだ。

 

では、この心王なる者はどこの国土に居られるのかと言うと、いわゆる「無為の都」に安住されているのだ。

 

ああ素晴らしい、このように溢れかえった財産や尽きることの無い楽しみや他と比べることの出来ない尊い地位を与えてくれる無比の妙道はどこに存在するのかと言えば、決して他人から示されて明らかになるものではない。求める者各々が全員この妙道を身近に見つけることが出来るのだが、今時の人たちはただ眼前にぶら下げられた利益のみに気が奪われているので、目の前に広がるこの妙道に気付くことが出来ないばかりか、ややもするとこの妙道を馬鹿にして、闇から闇を彷徨い歩くこととなり、いつまでも六道輪廻の苦しみから抜けられないでいるのだ。

 

古人は言う、「無為の都は楽しい所であるが、貪欲な者・怒れる者・愚痴る者・驕り高ぶる者・邪な考えを持つ者は、ここでの楽しみを享受することは出来ぬ」と。もっともなことである。

 

今の時代、賢しらなコトである処世の為の智恵はどんどんと生じているが、無為の境地にある妙智は日ごとに廃れて行っているのだ。

 

そもそも賢しらなコトである処世の為の智恵というものは、場面場面で刻々と変化して行ってしまい、夢の中でしか通用しないようなもので、信頼できるところは何一つも無いのであるが、 凡愚のヤカラはかの確固とした鉄券が目に入ることが無い為、この智恵こそが絶対に間違いのないものであると惑わされて、闇雲に執着してしまうのだ。嘆かわしいことである。

 

秦の始皇帝は武力を傘に四百余りの国を統一し、宏大壮麗な阿房宮を建造し、三千もの宮女を囲い、万里の長城を築いて強力な北方民族の攻撃を防ぎ、矛を鋳直して金像を造り、自らは王の称号を改めて皇帝と称した。そして、「余を始皇帝とし、この皇統を二世三世から万代へと永く続けるのだ」と欲張り、組織を整えたのであるが、天下はたったの二代三代と続いただけであった。楚の項羽が咸陽を占領すると、雲を凌いでそそり立った阿房宮もたちまちの内に灰燼と化し、華のような三千もの宮女もことごとく敵軍の慰み者とされ、宝庫に満ちた七珍万宝は全て楚の兵士のおもちゃとされてしまった。

 

ついで、漢の高祖が数年の内乱を経て天下を統一した。その漢も色々な苦心を重ねて数十代までは続いたが、ついに王莽によって天下を奪われてしまった。

 

わが国でも、源平の興亡、北条・足利・織田・豊臣・徳川の諸氏の興廃があり、彼らが自身の権力が勃興した時には、さぞや歓喜の眉を広げ、飛び立つ思いで嬉しがったに違いない。しかし、その一方で滅亡に瀕した時は様々な憂いで胸が塞がって、その無念たるや腹わたが裂けるほどであったであろう。

 

この世の中が収まった器のごとき世界で用いられる、賢しらなコトである処世の為の智恵が場面場面で刻々と繰り広げられたのではあるが、今から振り返って見ると興隆も滅亡も結局は夢のように儚いものである。当時の英雄は一体どうなってしまったのか。今から百年後に今日の様子を振り返れば、未来の人たちも自分たちの時代の様相についてやはり同じような思いを抱くこととなろう。

 

金剛経にこうある。「一切有為の法は夢のごとく幻のごとく泡のごとく、また影のごとく、露のごとく稲妻のごとくである」と。まったくその通りでないか。

 

仏法は、心王を保護して世に現れるように促しており、前述の鉄券もその人自身の手に掴むことが出来るように説き、鉄券がその人自身の内にあるものであることを次のように主張している。

 

人間各自の霊性は、実に広大無辺な如意宝珠であり、元から一人ひとりの手中にあるにもかかわらず、妄想の為にそのことに気づかずに、全く暗愚な凡人と成り果てているのだ。何億人もの世界中の人々の中でこのことに気付いている人が果たして何人居るのだろうか。

 

世の中では金や銀が無上に貴い物であるとされたり、ダイヤモンドは世界中で一番の宝であるとされているが実に憐れむべきことである。霊性を持っていないというならば仕方がないが、いやしくも心ある人々は、それぞれの霊性を呼び起こして心王の位に就いて、鉄券も自らの力でで手に入れて末永く三千世界の主となるべきではないか。

 

これを手にしていない者は、例え高位高官に就いていてもただ高位高官に就いているだけの凡夫であり、博識多能なる者であってもただ博識多能であるだけの凡夫なのだ。このことに気付いていない者を智恵者とは呼べず、このことを信じない者を賢者とは呼べないのだ。

 

これを手中に収めた者だけを神とも仏とも聖人とも呼ぶのであり、そうでなければ、例え聖人を論破し、仏とやり合って釣り銭を取るほどの弁論知識を持つ者であっても、ただ妄想が細かいというだけであり、単なる物事の表面だけにしか気付かない者であり、単なる六道輪廻の際中で浮いたり沈んだり翻弄されている者にしか過ぎないのだ。

 

こういうヤカラは、真如の月を眺めながら無為の都で楽しく安らかに過ごすことなど出来やしないのだ。

 

昔、楠木正成公が討ち死にする前夜に、湊川広厳寺極俊禅師を訪ねて禅の教えを乞い、そこで無為の大道について大悟し、鉄券とも如意宝珠とも言うべきものを手にしたのである。だからこそ、広厳寺の記録には、討ち死にを「潔く死す」と記してあるのだ。のちの人は、水戸光圀公が「嗚呼忠臣楠氏の墓(ああちゅうしんなんしのはか)」と記した墓標に感心する者が多いのであるが、この「潔く」の字に感心する人はとても少ない。しかし、この「潔く」という言葉こそ、楠公の生き様を良く知り、その性格を見抜いている人でなければ述べることの出来ない言葉であったのだ。

 

世の中の人は、「無為寂然」などと言われれば仏教用語だと毛嫌いし、又、「無為」と聞くと、山にこもって仙術の修業をすることとのように考える。


仙術や魔術なども遠く及ばない、これらとは別の次元に超然として抜けん出ている道であるが故に無上の妙道と呼ぶのである。

 

そもそも、無為とは、動くことが無くてしかも同時に全てが動いているということを言うのである。例えるならば、屋島や壇ノ浦の激しい戦いの乱戦の中にあって孤軍奮闘するも、鬢に少しのほつれも見せないような有り様を無為というのである。古人はこのように言っている。「一日中行っていながら、実は何一つも行っておらず、一日中語ってはいても、実は一言も語っていない」と。又、法華経には「寤寐同一(ごびどういつ)ー目覚めているのと眠っているのとは同じこと」という言葉がある。この世の中で日常の務めに極めて忙しくし、その為に奔走し仕事をこなしていても、酔っ払って高いびきをかいて寝ている時と少しも変わったところを見せない。これこそが無為寂然の境地である。

 

しかしながら、このような境地には、先達に厳しく鍛えられ教え導かれないと到底到達することが出来ないのであり、我こそ丈夫と思う人は何よりもまずこの修業に没頭しなければならない。

 

このように論じて来たわけではあるが、私は世の中の有為の技芸や学問を一概に蔑視しているわけではない。一度無為の妙道に添うことが出来れば、有為事象無為事象へと転じ、有為無為とが両極の境地では無くなるのではあるが、無為の妙道に添うことが出来なければ、心王の位を保つことが出来なくなり、鉄券も失ってしまい、その者は学問や技芸のことに関してだけ少しばかり神経が過敏に働くだけの只の神経病者になってしまわざるを得ないのである。

 

つまり、このような煩悩や妄想から抜け出ることが出来ないが故に、仏法ではこのような者を迷いの衆生というのである。

 

貴様たちは自分が今どこに居ると思っているのだ。宝の山に登っていながら手ぶらで下山するようなことがあってはならぬぞ。

 

 

【雑感】

 

昭和13年に発刊された小林一郎氏の著書「経書大講」の中で上述の「無為の大道」「無上の妙道」について次のように述べている。

世の中がどんなに変化しても、人間が人間として生きている以上は、人間の踏むべき道が根底からひっくり返ってしまうはずはない。科学が大変に進歩して、その科学の知識が応用されるようになってから、人間の生活状態が変わって来たものであるから、それで多くの人は新しいものほど良いものだというような考えを持つようになって来た。例えば明かりを点けるのでも、我々の小さい子供の時には行燈というものを覚えている。我々が学校に通うにようになるともう行燈というものは無くなって、石油のランプであった。その石油のランプが無くなってガス燈、電気燈というものになって来た。乗る物でも、我々の子供の時代には人力車より他は無かった。それが今では汽車もあれば電車もあれば自動車、飛行機もあるというようになった。

 

こういう風に見ると、一年一年と世の中の状態が変わって、一年一年と新しい良い物が出来るから、教えも又そういうものではないか。今はお釈迦様の教えとか、孔子様の教えというものが大変優れていると言うけれども、それはランプの時にはランプが一番明るいと思っていたが、そのランプに代わって、それよりももっと明るい所のガス燈、電気燈が出来たと同じように、聖人賢人の教えでも、もっと優れた教えが今に出て来るのではないかというような疑いを抱くような人も、随分あるようでありますが、我々はそういう風には考えない。

 

人間が人間としての人生を送る以上は、その踏み行うべき道は、千万年を通じて変わらないものでなければならぬ。例えば人の髪の飾りとか、着物の様子とかは、いかに変わっても、人の顔は千年二千年まえと同じである。上の方に目が付いていて、真ん中に鼻があって、下に口があるということは何時までたっても変わりはない。和服を着る時代も、洋服の時代の人も、単衣(ひとえ)を着ても綿入を着ても、決して変わりはしない。どんなに器量が悪いと言っても、額の真ん中に口が付いている人間は一人もありはしない。これは人間として備わっている形であるから変わらない。

 

それと同じことであって、人間の心の持ち方には、色々あるだろうけれども、人の人として踏み行うべき道、根本の教えといういうものは、たとえ世の中の生活状態が変わり、風俗習慣が変わろうとも、断じて変わるべきものではない。人間が人間として守るべき所は、千年も万年も一貫して守って行かなければならぬということを堅く信じてよろしかろうと思うのであります。

 

そういうことを堅く信じまして、今にもっと良いものが出来るだろうというような、そんな浅はかな心持ちをやめて、誠に自分の心を傾けて、聖人の教えを学び賢人の教えを学び、仏の教えを学ぶということにおいて、始めて我々の毎日の生活が誠に意義あるものになれるのである。こう考えてみだりに自分を軽んじてはいけませぬけれども、又少しばかり物が分かったからといって、自ら独りで思い上がって、聖人賢人の教えを軽んずるということのないように、何時も敬虔の心持ちで、慎み深い心持ちを以って多くの経典を読み、そうしてその教えをよく味わって、自分の力とするということを心掛けなければならぬと思うのであります。

 

 

 また、孔子論語の学而第一においてこのように述べている。

 

子曰。

【子曰く、】

学而時習之。不亦說乎。

【学んで時に之を習う、また說(よろこ)ばしからずや。】

有朋自遠方來。不亦樂乎。

【朋(とも)有り遠方より来たる、また楽しからずや。】

人不知而不慍。不亦君子乎。

【人知らずして慍(いきどお)らず、また君子ならずや。】

 

 

【私的解釈】 

 

孔子先生が言われた。

 

昔から伝えられて来た人の道(無為の大道・無上の妙道)について学び、折々に何度も何度も自分の学んだことについて繰り返し繰り返し考えて、折々に分かったことを実行してみる。そうすると、前にはただひと通りの理屈として学んだことが徐々に自分のものとなって来ているのを実感する。誠に愉快なことではないか。

 

同じ道を探し求めている者同士が集まり、お互いの意見を交わす。また、遠くからも同じ志を持つ者が訪ねて来て、お互いに親しみ合って、各自の悦びや信ずる所を語り合う。これほどの楽しい時間はないではないか。

 

自分が苦心に苦心を重ねてやっとの思いで自分の内に広がる無為の大道を探し求めることが出来たにもかかわらず、世間の人には全くこの事実を知られることがない。こういう状態になっても世間の人に憤りの念を見せたりすることがなく、自分の心の中で大いなる悦びを噛みしめる。全くもって君子ではないか。

 

 

 

 

あらゆる悦びは他人から与えられるものではなく、自分の心の内から湧き出るものなのだ。

 

 


MANDALA DUALISM ― 両界曼荼羅リファレンス 各院・各会・全諸仏解説