まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【山岡鉄舟 門生聞書】 仏教之要旨 其の1

 

【今日のこよみ】旧暦2014年 12月 5日 仏滅

        庚子 日/戊寅 月/乙未 年 月相 3.6 中潮 

                          大寒 初候 款冬華(ふきのはなさく)

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金剛般若波羅蜜多經に曰く、「世界非世界、是名世界(せかいはせかいにあらず、これをせかいとなづく)」と。

 

そもそも此の「世界非世界」とは、知らず、何の道理ぞ。

 

此れは是れ、參學の人、身命財を擲(なげう)ち棄て、自性の根源を見徹せんと志し、晝夜閒斷なく精神を勵まして徹骨徹髓、如何ん如何んと究め來り究め去り、生鐵を咬むが如くに工夫する時、一旦髑髏(どくろ)裏を穿過し來りて本來の面目に撞着(どうちゃく)す。

 

是時に方(あた)りては世界世界を失ひ、虚空は虚空を失ひ、王侯も其貴(とうと)きを失ひ、晋楚も其の富を失ひ、賁育(ほんいく)もその勇を失ひ、子都も其の美を失ひ、男女彼我も男女彼我を失ひ、謂はゆる海涸れて底を見る底の時節到來す。此の地位を是れ「世界非世界」とは說けるなり。

 

此れに至りて、正に名相の實相にあらず、言句の眞實に違ふことを了知して立派に名相言句を離る。之を文殊の根本智とも云ひ、如來の大圓鏡智とも云ひ、永覺大師は本源自性天眞佛と云ひ、老子は無名は天地の母と云ひ、古人は天地同根萬物一體などと云ふ。言ふ辭(辞・ことば)は替れども、皆此の根源を見徹するの謂ひに非ざるは無し。

 

偖(さて)、此の根源を見徹し來りて眼を瞠(みは)れば、天あり地あり山あり河あり、貴あり賎あり男あり女あり、今日の奉職者は奉職し商工者は商工し、農夫は耕作し、漁者は佃漁(でんぎょ)し、それぞれの事務上に於て毫釐(すこし)も罣碍(けいがい)無く、造次顚沛(ぞうじてんぱい)、頭々上に明らかに物々上に顯(顕)はれて、恰(あたか)も白日靑天に長安の大道を行くが如し。

 

之を差別智平等智後得智と云ひ、又普賢の妙行とも云ふなり。

 

偖、上の文殊の地位を占め、此の普賢の境界を得て世に處し事を理する時は、一切の言行動作みな慈悲三昧の中より運び出で來りて、爲す事作(な)す事悉(ことごと)く拔苦與樂の衆生濟度(しゆじようさいど)に非ざるは無し。此の地位を名づけて觀音三昧と云ふ。謂はゆる「慈眼視衆生(じげんしゆじようをみる)」とは此の事なり。

 

尤も、此の三心は三卽一なるが故に、古人は此の境界を文殊普賢大人の境界と云へり。

 

假令(たとえ)身は藁(わら)屋の中に居て、業は卑賤の勤に服(つ)くも、三界の主となりて生死を染まず涅槃に任せず、奉職商工耕作佃漁、いづれの業(なりわひ)に居り何れの勤に服(つ)くも宇宙無雙日(うちゆうにそうじつなく)、乾坤只一人(けんこんただいちにん)、活脫遊戲自在三昧(かつだつゆうぎじざいざんまい)なり。

 

此に至りて卽身成佛と稱(称)するも既に娘生(ろうせい)の好面に黥(いれずみ)し、娑婆卽寂光土(しゃばそくじやくこうど)と說くも更に好肉を剜(さき)て瘡(かさ)を生ず。

 

豈愉快にして目出度き世界ならずや。此の端的を「是名世界(これをせかいとなづく)」とは云ふなり。

 

 (続く)

 

 

 

【私的解釈】

 

金剛般若経に「世界非世界、是名世界(せかいはせかいにあらず、これをせかいとなづく)」とある。

 

一体、この「世界非世界(せかいはせかいにあらず」とは、どういうことを言っているのだろうか?

 

仏教の教えを学ぼうとする者は、己が肉体や精神や財産に対する執着を投げ捨てて、万物の根源を見極めようと決意し、昼夜休むこともなく精神を奮い起こして「真髄はこうなのか?いや違うのであろうか?」と究め尽くそうとするのだが、その努力は正に生鉄を咬むようなものである。だが、あらゆる工夫を積み重ねていくと、己の内から光が放たれて自分の頭蓋骨を突き抜けて、万物の根源を照らし出す瞬間がやってくる。

 

この瞬間、この世界は今までの世界ではなくなり、空間は空間を失い、王族からはその貴さが失せ、からはその栄華が失せ、秦の孟賁(もうほん)や周の夏育(かいく)のような勇者からはその勇が失せ、の美男子と言われた子都からはその美が失せ、この世のありとあらゆるモノがありとあらゆるモノであるということを失うこととなるのだ。言うなれば海が割れて隠されていた底が露(あらわ)となってしまうである。このような瞬間を「世界非世界(せかいはせかいにあらず」と言っているのである。

 

このような時に至っては、名は既に実態を表さず、言葉にされたモノと実態とは別のモノであったことを思い知り、あらゆるモノがその名前や形や言葉から引き離されるのである。この境地に至ることを文殊が説く「根本智(無分別智)」とか、如来が説く「大円鏡智」と言うのである。同じことを永覚大師は「本源自性天真仏」と言い、老子は「無名は天地の始め」と言い、いにしえの人は「天地同根万物一体」などと言っている。これらは言葉は違うけれども、どれも皆万物の根源を見極めようとして生み出された言葉なのである。

 

このような根源を見極める眼が備わると、目の前には天があれば地があり、山があれば河があり、高貴な者が居れば卑賤な者も居り、男が居れば女も居るという両極共存の対等な世界がただ広がり、この対等な世界の中で公僕は公僕に勤しみ、商工者は業を商いし、農夫は耕作をし、狩人は狩猟をし、その各々が従事する職業によって社会に身分制度が出来上がっているにもかかわらず、その職務が何のわだかまりもなく遂行されて、世の中が円満に回っているという奇跡のような有り難さを一瞬のうちに悟ることとなるのである。例えるならよく晴れた日に広々とした都の大通りを歩くと目に飛び込んでくる活気あふれる光景みたいなものだ。

 

こういう体験を(無)差別智・平等(性)智・後得智が働くといい、又普賢の妙行というのである。

 

さて、最初に記した文殊の境地の「根本智(無分別智)」と、この普賢の妙行の境地とを我がものとしてこの世の中を歩いて行き、目の前に現れる現象に対処する時、その人のあらゆる言行や身の振る舞いは、溢れだす慈悲のおもゐから湧き起こるものとなり、すること為すことのことごとくは、他人の苦を取り除き楽を与える衆生済度に他ならないこととなる。この境地を名付けて観音三昧と言う。いわゆる「慈眼視衆生(じげんしゅじようをみる)」とは、この境地を言うのである。

 

もっとも、この三心(文殊の根本智・普賢の妙行・観音三昧)は三位一体であるわけで、この三心を身につけている人と身につけていない人の境界を、いにしえの人は「文殊普賢大人の境界」と名付けているのだ。

 

この三心を身につける境地となれば、例えワラ小屋に住み、卑賤な仕事についていたとしても、三界の主となってこの世の中での生き死にを超越し、しかも涅槃の境地に安住もせずに、公僕・商工・耕作・狩猟のどのような職業のどんな仕事についていても、天に太陽が二つとないように、自分自身はこの世界で唯一無二の存在であることを心から信じることが出来、三界をいつでも自由自在に行き来できることになるのである。

 

このような境地になってしまえば、この世の中で即身成仏と念仏を唱えることが、若い女性の美しい顔にわざわざいれずみを入れるようなことと思え、娑婆卽寂光土(しゃばそくじやくこうど)と念仏を唱えることが、きれいな肌を刃物でえぐってわざわざかさぶたを生じさせることと思えてくるのである。つまり、あらゆる念仏がただの賢しらごとに思えてくるのである。

 

どうだ、愉快で素晴らしい境地ではないか。たちまち起こるこの境地の有り様を「是名世界(これをせかいとなづく)」というわけなのである。

 

 

(続く) 

 

 

 

【雑感】

 

この文章を理解するに当たり仏教用語満載でなかなか難しいなと思いながら、ネットで色々検索していると一枚の絵図に導かれた。山岡鉄舟が言っている世界とはこの絵図に広がる世界なのではないだろうかと、即座に合点した。

 


熈代勝覧(きだいしょうらん)4K版-江戸の絵巻図9分10秒のパン映像 - YouTube

 


熈代勝覧(きだいしょうらん)-江戸の絵巻図9分30秒のパン映像 - YouTube

 

熈代勝覧 - Wikipedia

https://www.teikokushoin.co.jp/teacher/junior/re_exp/time_t/time_t_09.pdf

 

 

 この絵図の世界には江戸時代当時のそのままの姿が描き出されている。

 

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上の矢印はゴザを敷いてものもらいをする乞食手前の武士の雪駄を直している職人。草履は履き捨てていたが、武士や商人が履いた雪駄は高級品であった為、其の都度補修して履いていた。

 

赤囲みは辻占い師。女性が2人並んで、手のひらをかざしています。

 

オレンジの囲みは琵琶法師。琵琶法師は盲人なので杖をついて歩いています。

 

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上の矢印は木製の車いすに乗った障害者。江戸時代は脚気を患い不具となる者が多かったようです。

 

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上の絵の左の矢印は虚無僧、右の矢印はお供を連れて馬に乗る武士

 

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一番右の矢印は、お供を連れずに馬に乗る女性、その他の矢印は、杖を持って歩く老人たち。

 

赤囲みは、独り者の女性が引っ越ししている様子。オレンジの囲みは、杵をかついで臼を転がしながら歩く搗(つ)き米屋。呼ばれれば、玄米を精米したり、お餅をついたりした。

 

青囲みは、読み売り。笠で顔を隠して、お上の批判や、仇討ちや心中や殿中での事件を読み上げながら瓦版売っている。読売新聞の社名はここから来ている。

 

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矢印は、ワラをまとって物乞いをしながら歩く乞食。

赤囲みは、琵琶法師を紐で引く盲人。

 

 

私は、学校の教育で江戸時代は士農工商という身分制度で固められた不自由な社会であったと教えられた。士農工商の下には穢多非人という最下層の人たちが居て差別で苦しめられたとも教えられた。

 

この絵にはその不自由な社会が垣間見えない。乞食が町への入り口という特等席でものもらいをしたり通りを物乞いをしながら歩き、木製の車いすに乗った人物や盲人の琵琶法師や按摩師が通りの真ん中を当然のごとく移動し、周囲もそれを当たり前のこととしている有り様。

 

杖をついた老人が普通に町を闊歩し、女性が一人で馬に乗ったり、単身の女性が引っ越しをしている。この通りでは、あらゆる職業の人々、あらゆる階層の人々が自由に行き交っている。もしかしたら、この絵図からは今の世の中よりも自由の風を感じられるのではないだろうか。

 

 

このような根源を見極める眼が備わると、目の前には天があれば地があり、山があれば河があり、高貴な者が居れば卑賤な者も居り、男が居れば女も居るという両極共存の対等な世界がただ広がり、この対等な世界の中で公僕は公僕に勤しみ、商工者は業を商いし、農夫は耕作をし、狩人は狩猟をし、その各々が従事する職業によって社会に身分による階層が出来上がっているにもかかわらず、その職務が何のわだかまりもなく遂行されて、世の中が円満に回っているという奇跡のような有り難さを一瞬のうちに悟ることとなるのである。

 

例えるならよく晴れた日に広々とした都の大通りを歩くと目に飛び込んでくる活気あふれる光景みたいなものだ。

 

このように山岡鉄舟が言っていることは、上の絵図を見れば即座に腑に落ちることとなる。そして、このような自由あふれる雰囲気が、ある時気づいたら自然と出来上がっていたとは、とても思えない。

 

岡潔が以下のように言っている。

白隠禅師が大悟して、郷里静岡県のどこかの町で寺の住持をしていた。その時その町の豆腐屋の娘がいたずらをして子を産んだ。娘は父親が怖しかったので、父親は禅師に傾倒していたから、禅師の子だといえば叱られないだろうと思ってそういった。ところが父親は裏切られたと思ってますます腹を立て、寺へ行って黙ってその子を禅師に押しつけた。

 

すると禅師も黙ってその子を受け取って、乳を貰い歩いて育てた。丁度季節は冬で、その日は朝からはげしく雪が降っていた。禅師は赤ん坊が風邪を引かないように懐に入れていたわりながら、悪い路をいつものように乳を貰いに歩いていた。その姿が見るから神々しかった。娘はそれを見ると、泣いて父親に実を告げた。寺の教化は期せずして遠近に及んだということである。

 

白隠禅師の行いは、禅師が善行を行っているのではなく、善が自ら行われているのである。自分が善行を行うという善行を、禅では染汚ぜんなされた善行という。自分がという穢いものが入ってけがされてしまっているのである。勿論真の善行ではない。

 

シュバイツァーはアフリカで黒人の病気を直し、虫一つ殺さなかった。実に感心であるが、まだ自分が善行を行うという域を出られなかったのである。シュバイツァーの場合は前頭葉が命令して運動領(頭頂葉と前頭葉の中間にあって運動を司る)が行うから、自分が行うになるのである。

 

善行の素も頭頂葉に実るので、そうすると頭頂葉が運動領に命令することになるから、意識しないで善行を行うことになるのである。娘は善行を行うことは出来なかった。しかし善行の崇高さはよく分かったのである。テレビかラジオにたとえると、善に対する受信装置は、日本民族は皆持っているらしい。

岡潔講演録(10):【 20】 心打つ真の善行 (意識しないだけに崇高)

 

日本では、仏教の教えが日常の中に融け込んでいるのだ。上の岡潔の表現を借りれば、仏教の教化が期せずして遠近に及んでいるのである。

 

最初に記した文殊の境地の「根本智(無分別智)」と、この普賢の妙行の境地とを我がものとしてこの世の中を歩いて行き、目の前に現れる現象に対処する時、その人のあらゆる言行や身の振る舞いは、溢れだす慈悲のおもゐから湧き起こるものとなり、すること為すことのことごとくは、他人の苦を取り除き楽を与える衆生済度に他ならないこととなる。この境地を名付けて観音三昧と言う。いわゆる「慈眼視衆生(じげんしゅじようをみる)」とは、この境地を言うのである。 

 

このような教化が遠近に及んでいる日本人は、上の白隠禅師のような大悟した人物と親しく身近に接することで山岡鉄舟がいう 「慈眼視衆生(じげんしゅじようをみる)」という境地がどういう状態であるのかを知っている。岡潔風に言うならば受信装置を持っているのである。

 

この日本人の稀有な資質を戦後の教育は無茶苦茶に破壊したのだ。今の教師の中に「慈眼視衆生(じげんしゅじようをみる)」の境地に達した人物はほとんどいないであろう。

 

現代の日本の町の風景を見てみれば良い。障害者が当たり前のように車いすで行き交う姿は滅多に見かけないし、ベビーカーを押している女性の姿もあまり見ない。そして、乞食の存在は町並みの影に隠されてしまった。

 

私自身が持つ善に対する受信装置のことを今一度振り返ってみたいと思う。