【マヤ暦】 イスラム国による日本人誘拐と日本赤軍の点と線
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上の記事を書いたところ早速大きな出来事が起こった。人質になられているお二人が早期に無事解放されることを願ってやみません。
ISIS、日本人2人の殺害警告身代金要求
2015.01.20 Tue posted at 18:19 JST
(CNN) イスラム過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」は20日、インターネット上に日本人2人の殺害を警告する映像を公開した。日本に対し、72時間以内に身代金2億ドル(約230億円)を支払うよう要求している。
映像では、オレンジ色の服を着てひざまずいた男性2人の後ろに、覆面をした黒装束の男が刃物を持って立っている。背景には荒野が広がっている。
2人は昨年8月にシリアで拘束された湯川遥菜さん(42)、フリージャーナリストの後藤健二さんとみられる。日本のメディアによると、在ヨルダンの日本当局者は湯川さんの解放に向け、関係組織と接触するなど努力を続けていた。
男は警告の理由として、イラクとシリアでISISと戦う米主導の有志連合を日本が支援していることを挙げた。安倍晋三首相に向け、「日本はイスラム国から8500キロも離れているのに進んで戦いに参加した」と非難している。
中東歴訪中の安倍首相は20日、警告映像の情報を受けたエルサレムでの記者会見で、国際社会はテロリストに屈することなく対処しなければならないとの考えを示した。身代金支払いや解放交渉の可能性について明確には否定しなかった。
菅義偉官房長官は映像の真偽を確認中としたうえで、事実だった場合は「強い憤りを覚える」と述べ、政府として「関係各国と連携し、解決に向けて全力を挙げる」との方針を示した。
ISISは昨年8月以降、米国人と英国人の人質の殺害映像を相次いで公開している。
米国は8月にイラクでISISへの空爆を開始し、9月からはアラブの有志国とともにシリアにも空爆を拡大した。
日本は憲法で自衛以外の軍事行動が認められず、空爆には参加していない。安倍首相は18日、エジプト・カイロでの演説で、ISIS対策の人道支援などとして2億ドルの資金を拠出すると表明していた。
この事件を受けてマヤ暦によって今年とシンクロしている1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)の出来事を精査していると興味深いことが分かった。
まずは、イスラム国(ISIS)とはどういう組織なのだろうか?
池上彰が読み解く「イスラム国の真の姿」 | オリジナル | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト2015年01月07日
米国のノーム・チョムスキーの版元として知られるセブン・ストーリーズ・プレスは、いわゆるビッグ5と呼ばれる大手出版社が、非アメリカ的として出さないような問題作を出し続ける特異な存在。そのセブン・ストーリズ・プレスが先月出版をし、話題になっている1冊の本がある。
著者はイタリア人の女性エコノミストのロレッタ・ナポリオーニ氏。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで哲学修士号を取得した彼女が一躍有名になったのは、テロ組織のファイナンスを専門とした2005年の著作『Terror incorporated:tracing the dollars behind the terror networks』からだ。パレスチナ解放機構(PLO)やアイルランド共和国軍(IRA)などを分析してきた彼女がいち早く注目していたのが「イスラム国」だった。
これについてまとめた本が、日本でも文藝春秋から1月7日に発売になる『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』。「イスラム国」とイスラエル建国と比較するなど、「イスラム国」を単なる武装組織としてとらえてきたこれまでの報道とはまったく違うユニークな切り口の本となっている。
この本によれば、「イスラム国」のリーダー、バグダディはアルカイダの失敗を、米国という「あまりに遠い敵」に第二戦線を開いたこと考え、ジハードに「建国」の意味を初めて持ち込んだのだという。領土をとり、石油を確保し、経済的に自立。支配地域には、電気をひき、食糧配給所を設け、幼児に対する予防接種まで行う。その最終目標は、英仏によってひかれた中東の国境線をひきなおし、失われた真のイスラム国家を建設することだという。
その話題の書を、自らも中東を長年取材してきた池上彰氏が解説、その全文を掲載する。(編集部)「過激テロ国家」は思い込みなのか日本国内では、北海道大学の学生が「就職活動に失敗したから」という理由で参加しようとして注目を浴びた「イスラム国」。世界各地から多くの若者を引き付ける磁力を持った組織が、日本の若者たちをも誘引しようとしていたことは、衝撃を持って受け止められました。
2014年12月に公表された警察庁の「治安の回顧と展望」は、北大生のような若者が出たことについて、「今後も参加を企図する者が出てくる可能性は否定できない」と警戒感を表明しています。
リーマン・ショック以降、世界各地が陥った不況と、それに続くEUのユーロ危機は、世界各地で閉塞感を強めています。そんな現状を打ち破ってくれそうな新たな希望の星。先進国の一部の若者たちにとって、それが「イスラム国」という存在なのでしょう。
第二次世界大戦後、東西冷戦の中にあって、西側先進国の若者たちに魅力があったのは「社会主義」でした。しかし、当時のソ連や中国の実態が伝わるにつれ、既存の「社会主義国家」に失望した若者たちは、過激な組織へと傾斜します。彼らが目指した地は、やはり中東。ただし、イラクやシリアではなく、パレスチナでした。
世界各地から集まる若者たち
イスラエル建国によって故郷を追われたパレスチナ難民の中から誕生した過激組織(たとえばPFLP=パレスチナ解放人民戦線など)には、世界各地から若者が馳せ参じました。日本からは赤軍派が参加。「日本から来た赤軍」という意味で「日本赤軍」と呼ばれました。彼らは、1972年、イスラエルのロッド空港で無差別テロを決行。民間人ら100人以上が死傷するテロ事件を引き起こしました(彼らが日本赤軍と呼ばれるようになるのは、この事件の後)。
当時の日本は、安保条約の自動延長に反対する学生運動が、1970年を境に急速に衰退。学生運動参加者の中に閉塞感が強まっていました。彼らにとって、中東で「人民のために戦う」という組織は、とても魅力的に映ったのです。
しかし、東西冷戦が終わり、イラン・イラク戦争や湾岸戦争などを経て、中東情勢も様変わり。パレスチナ自治政府が誕生したものの、パレスチナ人の自治組織は、ファタハとハマスに分裂し、かつてのような影響力を失いつつあります。
そして現代。「社会主義」は無残な失敗に終わり、ソ連から変わったロシアや中国は、古典的な帝国主義丸出しの戦略を打ち出し、西側先進諸国のひんしゅくを買っています。
その一方、「社会主義」に勝ったはずの資本主義国も、新自由主義の下、格差が拡大し、人々の不満は高まっています。
社会主義も資本主義もダメ。中東の既存のパレスチナ人組織も信用できない。そんな八方塞がりを打破してくれそうだと人々に期待を持たせたのが、「アラブの春」でした。チュニジアの独裁政権を倒した民衆の民主化運動は、瞬く間にエジプト、リビアに飛び火。次々に独裁政権を打倒し、遂にシリアにまで到達しました。
しかし、シリアのアサド政権はしぶとく、ロシアやイランの後押しもあって、容易に倒れることはありません。その間に、リビアは内戦状態となり、エジプトも軍事クーデターで軍事政権に逆戻り。若者たちは、再度絶望することになったのです。
こうなると、シリアとイラクの双方で反政府活動を展開する「イスラム国」こそが、最後の希望になってきます。
では、「イスラム国」とは何者なのか。それをいち早く解き明かしたのが、この本です。「イスラム国」とは、単なる過激派の集団ではありません。それは、グローバリゼーションと最新のテクノロジーによって成長した「国家」なのだと著者は指摘します。彼らの「近代性と現実主義」が、これまで成功してきた理由です。
著者ロレッタ・ナポリオーニは、ここで衝撃的な比喩を持ち出します。「イスラム国」の第一義的な目的は、「スンニ派のムスリムにとって、ユダヤ人にとってのイスラエルとなることである」というのです。「かつての自分たちの土地の権利を現代に取り戻すこと」であり、「たとえ自分が今どこにいるとしても、必ずや守ってくれる宗教国家」になること。この目標は、ユダヤ人がイスラエルを建国した目的とそっくりです。これこそ著者ならではの独自の視点です。
そして、「イスラム国」を分析すればするほど、この「国家」が、洗練された組織であることがわかってきます。
「イスラム国」は封建国家ではないのか
私たちが日本国内で接する「イスラム国」のニュースには、覆面した男たちが銃を高く掲げて登場します。あれだけを見ていると、「イスラム国」は、単なる武装集団のような印象を受けます。しかし、その内実は、しっかりとした財政基盤を持ち、決算書も作成し、都市のインフラを整備し、新しい市場を建設。住民の心をつかむ政策を実施していると、著者ロレッタ・ナポリオーニは解き明かします。驚くべきことではありませんか。「イスラム国」は、時代錯誤の封建国家ではなく、近代化された国家だというのです。
そうなると、近未来、イラクとシリアにまたがる地域に誕生した「イスラム国」を、国家として承認する国が出てくるのでしょうか。「国家」として認められる要件は、領土があり、住民がいて、周辺国から国家として承認されることです。そう考えると、「イスラム国」は、限りなく国家に近い存在と言えるでしょう。
「イスラム国」のカリフ(預言者ムハンマドの後継者)を宣言したアブ・バクル・アル・バグダディは、イラク国内の米軍の収容施設に入っていたことがあります。
2009年、この施設を出所した彼は、ニューヨーク州出身の米兵に向かって、「ニューヨークでまた会おう」と言ったそうです。これを聞いた米兵は、冗談だと受け止めましたが、カリフ制国家としての世界征服を目指す「イスラム国」が急成長している今、これは冗談としては受け止められなくなっているのです。
そう、イスラム国は、昭和48年に暗躍したパレスチナ解放人民戦線(PFLP)と相似した組織なのだ。このパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が昭和48年前後に起こしたテロは以下の通り。
1970年9月6日:西ドイツのフランクフルト発TWA航空機と、スイスのチューリッヒ発スイス航空機など5機をほぼ同時にハイジャックし、ヨルダンにあるイギリス空軍用に使われていたドーソン基地に着陸。服役中のゲリラ解放を要求。これにヨルダン国王が激怒。ヨルダン内戦の引き金になる(詳細はPFLP旅客機同時ハイジャック事件を参照)。
1973年7月20日:日本赤軍の丸岡修を含む混成メンバーが日本航空機をハイジャックした。いわゆるドバイ日航機ハイジャック事件。
1974年1月31日:日本赤軍と共同でシンガポールのロイヤル・ダッチ・シェルの石油精製施設を爆破し、その後船舶をシージャックした(詳細は「シンガポール事件」を参照)
1974年2月6日:日本赤軍と共同で、シンガポール事件を行ったもののシンガポール当局に包囲されていた犯人グループの解放を目論み、在クウェート日本大使館を占拠した(詳細は「在クウェート日本大使館占拠事件」を参照)。
【関連組織が起こしたテロ】
ミュンヘンオリンピック事件(ミュンヘンオリンピックじけん)は、1972年9月5日、旧西ドイツのミュンヘンでパレスチナ武装組織「黒い九月」により行われた人質事件。実行グループの名前から「黒い九月事件」とも呼ばれる。ミュンヘンオリンピック開催中に発生し、イスラエルのアスリート11名が殺された殺人事件として知られる。
あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。
テルアビブ空港乱射事件(テルアビブくうこうらんしゃじけん)は、1972年5月30日にイスラエルのテルアビブ近郊都市ロッドに所在するロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)で発生した、後に「日本赤軍」を名乗る日本人極左過激派組織(以下、「日本赤軍」と表記)によるテロ事件。別名はロッド空港乱射事件。また、英語では「Lod Airport massacre(ロッド空港の虐殺)」と呼ばれる。日本赤軍側はリッダ闘争と呼ぶ。リッダ(Lydda)はロッドの非ヘブライ語での名称である。
ハーグ事件(ハーグじけん)とは、1974年9月13日に、オランダのハーグで発生した、日本赤軍によるフランス大使館占拠事件。
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と日本赤軍がガッツリ繋がっていることが分かる。
そして、今回イスラム国に拉致されている後藤健二さんについて興味深い記事があった。
【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二〜それでも神は私を助けてくださる〜
2014年5月30日11時32分
混乱と激戦が続くシリア。4年前の内戦勃発以来、この地で取材を続ける一人の日本人ジャーナリストがいる。日本基督教団田園調布教会の信徒であり、国際ジャーナリストとして活躍する後藤健二さんだ。後藤さんは映像制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立。以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材。その様子を、NHKニュースや各ドキュメンタリー番組、テレビ朝日「報道ステーション」、TBS「ニュース23」などを通して伝えている。近年では、主にシリアに出向き、取材を重ねている。
シリアへの出国を翌日に控えた5月27日、後藤さんにインタビューをする機会を得ることができた。柔和な笑顔で出迎えてくれた後藤さんは、「明日、シリアに行ってきます」とどこか楽しい所にでも旅へ行くかのように告げた。今回の取材は、来月3日に控えたシリア大統領選が主な目的だという。「人々の心が乱れ、不安な今だからこそ、日本の人々に訴えたいことがある」とその胸のうちを話してくれた。
「私が取材に訪れる場所=『現場』は、『耐えがたい困難がある、けれどもその中で人々が暮らし、生活を営んでいる場所』です。困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたいと思うのです。彼らには伝えたいメッセージが必ずあります。それを世界に向けてその様子を発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」
彼が神の計画のうちに、信仰を持ち、救われたのは、何がきっかけだったのだろうか。きっかけは、ある冬のクリスマス礼拝だったという。当時、クリスマスの「イベント」の一つとして、教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、そして今までのどこか傲慢であった自分の人生を大きく悔いた。90年代初めの出来事であった。
すでに、国際ジャーナリストとして駆け出していた彼は、常に「死」と隣り合わせにいた。そのことを不安や恐怖に思わなかったわけではない。紛争地に出向くときは、ほとんど一人で飛行機に乗り、現地で通訳やドライバーなどとチームを組む。しかし、日本から一人で危険地帯に出向き、そこで死を迎えるようなことがあれば・・・。
「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。
受洗後の歩みの中でも多くの奇跡を目の当たりにしてきた。当時、混乱を極めていたチェチェン共和国。まだ取材経験の浅かった後藤さんは単身でチェチェンに向かった。チェチェン行きの飛行機では、隣の席にスペインから来たジャーナリストたちがいた。どこに泊まるのか、通訳はどうするのか——何もかも決まっていない状況だったが、彼らがすべてを手配してくれた。初めて会った若き日本人ジャーナリストに。
「何か大きな力に突き動かされている気がしました。彼らに出会わなかったら、チェンチェンを取材することはおろか、生きて帰って来られたかもわかりません。神様が守ってくださったとあの時も感じました」
シリアや他の紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行ったら安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」だ。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)という聖句だった。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に頭で考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は、決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断だ。
最後に後藤氏は、小さな聖書を差し出してくれた。いつも取材に出かけるときに手放さず持っている聖書だという。十数年前に同教会の牧師から頂いたものだと言い、大切そうにページをめくっていた。そこには、「神は私を助けてくださる」(詩篇54:6)という言葉が。「この言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」
柔和な笑顔の奥に秘められた強い信仰。何者かに全てを委ねた安心感と、それに背中を押されて飛び立っていく彼の姿は、キリスト者であるがゆえの愛ある強さなのではないかと感じた。人々の心に寄り添った彼のシリアからの言葉に、祈りをもってこれからも耳を傾けていきたい。
【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二〜それでも神は私を助けてくださる〜 : インタビュー : クリスチャントゥデイ
後藤さんが信徒となっている日本基督教団について調べてみる。
この事件にも繋がって来るようである。
まとめてみると、
イスラム国(ISIS)→パレスチナ解放人民戦線→日本赤軍・・・日本基督教団→後藤健二氏→アグネス・チャン氏
上の池上彰さんの記事にこのようにある。
「イスラム国」は、単なる武装集団のような印象を受けます。しかし、その内実は、しっかりとした財政基盤を持ち、決算書も作成し、都市のインフラを整備し、新しい市場を建設。住民の心をつかむ政策を実施している
この記事は簡潔に書かれているが、決算書を作っているといういことは、イスラム国には収支を報告するべき利害関係者が存在するということだ。イスラム国に対して資金を提供(投資)している国やら組織やらが存在しており、イスラム国がテロ活動によって強奪したお金から配当を得ている悪魔のような集団が存在するのである。
上に記した組織と個人の関係が繋がるとすれば、その悪魔のような集団は日本人の身近に存在するかも知れないのである。
ここまで調べて、改めてマヤ暦とシンクロする時代の出来事の中で政治に関する事象を振り返ってみる。
1889年(明治22年)
2月11日 森有礼文相が刺殺される
10月18日 大隈重信外相が爆裂弾による襲撃を受け右脚を失う
1972年(昭和47年)
6月17日 佐藤栄作首相退陣表明。
10月17日 第四次中東戦争
12月20日 バスク分離主義者が政府によって処刑されたことに対する報復として、
首相のルイス・カレロ・ブランコがマドリードで暗殺される。
内外の閣僚に対するテロ事件や内閣の総辞職そしてベトナム戦争と第4次中東戦争。
これを見れば、2015年から2016年にかけて世界は荒れると言わざるを得ません。日本国内でもテロ事件が起こるでしょう。備えだけはしておきたいものです。
ただ、前の記事にも書いたように嘘は必ず暴かれる時代の流れとなっています。これからも影で暗躍している亡者共がどんどん日の元にさらけ出されてくることでしょう。
マヤ暦のシンクロは侮ることが出来ません。
【参考サイト】
安倍首相がISと戦う国々を支援すると発言した直後に身代金が要求されたが、ISの黒幕は米国の疑い | 《櫻井ジャーナル》 - 楽天ブログ