まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 二十八】 農事開拓法を引て變(変)通を論す

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 11月 17日 先負 人日の節句

         癸未 日/戊寅 月/乙未 年 月相 16.1 立待月 大潮

         小寒 初候 芹乃栄(せりすなわちさかう)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 4.8℃ 湿度 44%(大阪 6:00時点)

 

 

 

今日は、人日の節句

 

君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ 光孝天皇

 

七草粥を食べる日ですね。昔から萌え出る若菜は生命力のシンボルであり、これを食することは一年の健勝を祈るまじないであったのです。このまじないが千年に渡り受け継がれて来ているところが日本のスゴイところです。このおもゐに振れると千年という時の流れをあっという間に遡って光孝天皇のおもゐに振れることが出来てしまうんですね。人間ってスゴイです。

 

 


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翁曰く、何事にも變(変)通といふ事あり。しらずんばあるべからず、則ち權(権)道なり。夫れ難きを先にするは、聖人の敎へなれどども、是は先づ仕事を先にして、而して後に賃金を取れと云ふが如き敎へなり。

 

爰(ここ)に農家病人等ありて、耕し耘(くさぎ)り手後れなどの時、艸(くさ)多き處を先にするは世上の常なれど、右樣の時に限りて、草少なく至つて手易き畑より手入して、至つて草多き處は、最後にすべし。是尤も大切の事なり。至つて草多く手重の處を、先にする時は、大いに手閒(間)取れ、其の閒に草少き畑も、皆一面草になりて、何れも手後れになる物なれば、草多く手重き畑は、五畝や八畝は荒すとも儘よと覺悟して暫く捨て置き、草少く手輕なる處より片付くべし。

 

しかせずして手重き處に掛り、時日を費す時は、僅かの畝步の爲に、總體(総体)の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり。

 

國家を興復するも、又此の理なり。しらずんばあるべからず。

 

又山林を開拓するに、大なる木の根は、其の儘差し置きて、廻りを切り開くべし。而して三四年を經れば、木の根自ら朽ちて力を入れずして取るるなり。是を開拓の時一時に堀取らんとする時は勞して功少し、百事その如し。

 

村里を興復せんとすれば、必ず反抗する者あり。是を處する又此の理なり。決して拘はるべからず。度外に置きてわが勤めを勵(励)むべし。

 

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が言われた。何事も臨機応変が大切である。これは心に刻んでおかないといけない。今から話すことは邪道ではあるのだが、目的を果たす為の必要悪ともいえる手段である。難儀なことから着手せよということが聖人の説く教えである。これは、先ず仕事をやり終えてその後にお金を取りなさいという教えを伝えている。

 

今、ある農家に病人等が居て田畑を耕し手入れをするのがままならない時、草が多いところから手入れをしていくことが本来の常識ではあるが、このような時に限っては、草が少ない畑から手入れをしていき、草が多い畑は最後に回すべきである。これは大事なことである。草が多く手間どることが分かりきっているところから着手すると、その間に草が少ない畑にも一面に草が生い茂り、どの畑も手後れとなってしまうものである。だから、草が生い茂り手間取る畑は、五畝や八畝は荒れたままでも構わないと覚悟を決め、しばらくの間放っておいて草が少ない手軽な畑から片付けていくべきである。

 

このようにしないで、常識に固執して手間取る畑から着手し、時間を費やすということは、一部分の畝の為に田畑全体の手入れが遅れることとなり、大なる損害を発生させることとなる。

 

国家を復興させるのにもこの理は通じる。このことを心に刻んで置きなさい。

 

又、山林を切り拓いて田畑とする時に、大きな木の根はそのまま放っておいて、その周りから開拓して行きなさい。三、四年も放っておけば木の根が勝手に腐って力を入れないで取り除くことが出来るのだ。これを開拓の時に一遍に取り除こうとすれば労だけ大きくて功が少ないものである。このことはあらゆることに当てはまる。

 

村里を復興させようとすればいちいちこれに反対する者が必ず現れる。これが自然の流れなのだ。こういうヤカラには関わってはいけない。こういうヤカラとは距離を保ち、己の勤めを集中すべきである。

 

 

 

【雑感】

 

無私なるあなたのおもゐは時空を超えて人々に受け継がれる。私欲にまみれたヤカラ共が己の権利を死守しようとあの手この手で妨害して来るだろうが静観を保ちなさい。絶対にあなたが同じ次元に降りて行って関わってはいけない。あなたの無私なるおもゐはあなたの肉体が腐(く)ちても、残った人々に受け継がれて永遠に生き続ける。一方であなたを妨害するヤカラ共の私欲にまみれたおもゐは奴等の肉体の死とともに朽ち果てるだろう。無私なるおもゐが私欲にまみれたおもゐに打ち克つことは絶対にないのだ。

 

 

2015.1.3 13:00

【言葉ってすごいねIII(中)】「あなたの存在そのものが赦されている」 末期がん患者の最期に寄り添う 藤井理恵さん(55)の物語 (1/3ページ) - 産経WEST

 

末期のがん患者らが最期の時を過ごす淀川キリスト教病院ホスピスこどもホスピス病院(大阪市東淀川区)。藤井理恵(55)は病院のチャプレン(牧師)として、死を前に葛藤する患者の言葉を聞き、多くの人々をみとってきた。

 

忘れられない患者の一人は約5年前、子宮肉腫を患い「余命1カ月」と診断された44歳の女性だった。

 

「私だけがいなくなってしまうんです。私だけがいなくなるんです」

「まるで死刑囚のようです。死んでしまった後、子供たちに会えるんでしょうか」

 

夫や小中学生の娘3人と別れなければならないことに激しく動揺し、死の恐怖を繰り返し訴えた。あごの震えが止まらず、食事とトイレ以外、起き上がることもできなくなっていた。

 

残された時間がわずかしかないことを知った患者はあらゆる負の感情に襲われる。人生で培ってきた経済的、社会的な成功は意味を失い、孤独、罪悪感、死への恐れにさいなまれる。

 

女性は元気なころ、「人とのつながりが一番大事」と話していた。病室は人間関係の豊かさを表すように知人のメッセージがつづられた色紙や花束でいっぱいだったが、落ち込みはひどく、夫が「色紙は君の勲章だね」と言っても、暗い表情のままだった。

 

何もできない存在になってしまったと、多くの患者は自らを否定し、悩み苦しむ。女性が希望を失い、いらだちと絶望感を深めるのは当然だった。

藤井はそんな女性に、いたわるような言葉を投げかけた。

 

「あなたの存在はなくならない。そのままでいい、存在そのものが赦されているんです」

 

「許し」とは違う「赦し」。どのような状態でも人としての存在を認め、受け入れ、肯定する。絶望にある人に希望を与える言葉が「赦し」だという。

 

自分のために祈ってくれる藤井の励ましによって、投薬で治まらなかったあごの震えが不思議と止まった。女性は半月後、「今は穏やかに過ごせています」と言い残して逝った。

 

人は人を支え、人に支えられている

 

同病院は昭和59年に開設され、末期がん患者らの終末期医療を行うホスピスの草分けとされる。昨年の患者の平均在院日数は22日。年間で237人が世を去った。

 

藤井は病院で日々の礼拝や催しを通じて患者と交流する。ホスピスの入院患者だけでなく、一般病棟を含めた患者や家族の話に耳を傾け、彼らに安心感を与える。

 

24年前、チャプレンとして働き始めたこの病院で、初めての患者は乳がんの60代女性。骨まで転移が進み、入院時にはすでに歩けなくなっていた。

 

最初は「その人のために何かしなくては」との思いで一生懸命接した。

 

「先生は私の支えです」「私にはあなたが必要です」。何度もこんな言葉を掛けてくれた女性が亡くなり、心にぽっかりと穴が開いたような喪失感に襲われたとき、気付かされたことがあった。「実は私の方が女性を必要としていた。私の方が支えられていたのです」。人は人を支え、人に支えられている。自分もまた、そういう支え合いの中で何とかして生きていることを女性の言葉が教えてくれた。

 

「私、幸せでした」

 

「今はどうしても治りたいと思わない。気持ちが安らかであることが何よりも幸いです」。闘病生活の苦しみの意味を問うことをやめ、やすらぎを得た69歳の男性患者は、死の2日前にこう話した。

 

子供と別れなければならない不運をのろい、「神様を恨みます」と訴えた38歳の女性患者は、聖書の一節から「命をゆだねる」ことを悟り、死の直前「私、幸せでした」と語った。

 

死に一歩一歩近づきながら、人生を徐々に手放していく人が最期に残す言葉。「病気になったことも感謝している」「自分の命に意味があった」。苦しみの中にあっても感謝を口にする患者は数え切れない。藤井の胸には、忘れることのできない言葉の数々が生き続けている。

 

(藤原由梨)

 

ふじい・りえ  昭和34年、クリスチャンの家庭に生まれる。神戸市出身。薬科大を卒業し、製薬会社に勤務。退職後、関西学院大大学院(神学研究科)を修了、平成3年から現職。双子の姉で、関学死生学・スピリチュアリティ研究センター長を務めた藤井美和さんとの共著「たましいのケア 病む人のかたわらに」もある。

  

母親の胎内で生命は、40億年間にも渡る人類の生命の進化の過程を受精からたった280日間という光の速さで駆け上って生まれ出てくる。生は科学の力が及ぶことのないまさに神秘あふれるモノ。

 

だとしたら、人間の死も死んだら全てが無になるという単純なモノであるはずがない。死も神秘あふれたモノであるにちがいない。いたずらに死を恐れることはないのである。

 


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