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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 二十七】 善惡禍福を諭して其源に及ぶ

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 10月 2日 大安  四緑木星

         戊戌 日/丙子 月/甲午 年 月相 0.6 大潮

         小雪 初候 虹蔵不見(にじかくいれてみえず)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 10.6℃ 湿度 71%(大阪 6:00時点)

 

 

 

禍福二つあるにあえず、元來一つなり。近く譬ふれば、包丁を以て茄子を切り、大根を切る時は、福なり。只柄を持つて物を切ると、誤つて指を切るとの違ひのみ。

 

夫れ柄のみありて刃無ければ、包丁にあらず。刃ありて柄無ければ、又用をなさず。柄ありて刃ありて包丁なり。柄あり刃あるは包丁の常なり。然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす。されば禍福と云ふも、私物にあらずや。

 

水また然り、畔を立てて田地を肥して福なり。畔なくして引くときは、肥土流れて田地やせ、其の禍たるや云ふべからず。只畔有ると畔なきとの違ひのみ。元同一水にして、畔あれば福となり畔なければ禍となる。

 

富は人の欲する處なり。然りといへども、己が爲にするときは禍是に随ひ、世の爲にする時は福是に随ふ。財寶も又然り、積んで散ずれば福となり、積んで散ぜざれば禍となる。

 

是人々知らずんばあるべからざる道理なり。

 

 

 

【私的解釈】

 

禍福はそれぞれ別個にあるのではなく、元々は一体となっている。身近に例えるならば、包丁で茄子や大根を切るときは福である。禍との違いは柄を持って物を切るときに物を切るか指を切るかの違いだけである。

 

包丁は柄だけがあって刃が無ければ包丁とはいわない。刃のみがあって柄が無ければ役に立たない。柄があって刃があって初めて包丁となる。柄があり刃があるのが包丁の姿である。そして、指を切ることを禍とし、野菜を切ることを福とする。喜んで包丁で指を切りたがる者がいないように、禍福というものは己の好き勝手に出来るものではないのだ。

 

水もまた同じだ。畦を造って田んぼを肥やすことが福である。畦を造らないで水を田んぼに引くと、肥えた土が流れ出して田んぼがやせ、その禍は述べるまでもない。この違いは畦があるかないかの違いだけである。元々同じ水が畦があれば福を呼び、畦がなければ禍を呼ぶ。

 

富は全ての人が望むものである。しかし、この富を己の為に蓄えれば禍を招き入れることとなり、世の中の為に蓄えれば福を招き入れることとなる。財宝もこれに同じである。貯めて世の中の為に使えば福となり、貯めて世の中の為に使うことをしなければ禍となる。

 

これらは、世の中の人が知っておかなければならない道理である。

 

 

 

【雑感】

 

日本を取り戻す。

 


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