まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【山岡鉄舟 修養論】 修心

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 閏 9月 23日 先勝  四緑木星

         庚寅 日/丙子 月/甲午 年 月相 22.2 下弦 小潮

         立冬 次候 地始凍(ちはじめてこおる)  

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 6.9℃ 湿度 45%(大阪 6:00時点)

 

 

 

夙夜(しゅくや)武士道を學ぶの要は、君父に事(つか)へ兄弟親戚に睦じくし、諸人に信ならん事を乞願ふが爲なり。

 

然れども我が誠の厚からざるが故に、唯だ名聞あるのみ。さればにや、我れ現在なす所の業、未だその極地に達せず。耻(はずか)しき次第なり。謹愼勉勵(きんしんべんれい)すべきことにこそ。

 

右の如く聊(いささ)か志なきにあらずと雖も、未だ嘗て其實を盡さず、口唯之を言ふのみ、豈耻しき事ならずや。然れども俗事繁にして屡々(しばしば)我志を碍害せらるる事鮮(すく)なからず、是れ我が誠の足らざるが故なり。

 

吾れ師に就きて道を聽くこと甚だ薄くして、而かも其功の厚からん事を慾し、時に或は師の不親切を訾(そし)ることあり。又、吾れ淺く修行して而かも大成を期さんとす。嗚呼、事のならざるも亦故あるかな、宜しく自から省みざる可からず。

 

吾れ人を待つ事、常に君子を以てす。是れ我が身を利するに專らにして知を致さざるが爲なり。竊(ひそ)かに思ひらく、吾れ知德の化なくして彼を責めるに君子を以てすと雖も、世人誰か其忠を盡すものあらんや。若し强ひて忠實ならん事を慾せば、忽ち災害我身に至るべし、豈謹虔(きんけい)せざるべけんや。

 

人多くは名利の心甚だ盛なり。故に、苟も人の追從を聞けば忽ち(たちまち)喜び、財貨を受くれば菩薩を演ず、嗚呼、耻しき事にこそ。

 

誰か云ふ、人の心は日月の如くなるべしと。ここは不變色不變形(目に盈虧(えいき)の變を現すは、これ本來目の作用にあらず)、年々歲々其規を過まらざるが故に此く云ふならん。

 

我れの思はくは、人の心は宇宙と同じからざるべからず。心既に宇宙と等しからば、天地萬物山川河海も亦我身と等しかるべし。されば四季の變遷も幽明晝夜も、風雨雷霆(らいてい)霜雪(そうせつ)霧露(むろ)も、皆我が起臥進退(きがしんたい)の行あるが如きなり。世事の顚倒(てんとう)、人事の順逆は恰も人生の陰陽あるが如し。

 

人の生死は晝夜の道なりと心得る可し。然らば則ち何をか好惡し、何をか憂慮せんや。唯だ道に從つて自在なるのみ。深く鑑みざる可からず。

 

人或は事物の道理に契(かな)はざる事を能々合點すと雖も、世人多く之を贊して譽めそやすに至れば、非も是と擬するに至る。又、堂々たる正道も、人若し追從せざれば是も亦非となす事、恰(あたか)も掌(てのひら)を轉顚(てんとう)せしむるが如し。是れ、小人名利を求むるに切にして目前の慾に迷ふて人閒天受の道理を辨(わきま)へざるものなり。

 

さればにや、世或は自から許して天下第一の英傑を氣取るものあり。彼等は唯だ己が現在に於て俗物輩に神輿視せられ譽めそやさるるを以て無上の人閒と思ふなるべし。斯る相場英傑はたとへ天下を統御し萬衆に長たる事あるも、其身死すれば遺蹟共に地を拂ふに至る。

 

仁人君子は然らず。心は天地の眞理に合し、行は普く人心に艦銘せられ、其身亡ぶと雖も心は猶生るが如く、芳名は日月と共に光を存せん。嗚呼、深く辨へざる可からず。

 

吾れ今日劍法を修業すと雖も、思ひ他人と異なる所あり。然れども未だ徒らに人に語らず。

 

吾れ竊に思ひらく、世人劍法を修むるの要は、恐らくは敵を切らんが爲めの思ひなるべし。餘の劍法を修むるや、然らず。餘は此法の呼吸に於て神妙の理に悟入せんと慾するにあり。

 

若し一度其境に到達せば、心は湛然水の如く、瑩然(えいぜん)明鏡の如くならんか。然らば則ち物來りて順應し、たとへ萬變に酬酢すと雖も、天機靈活、入るとして自得せざるはなきに至らん。眞に此の境に到達せば、所謂天道に契合したるものなるべし。

 

果して然らば、自他を設けて外部に敵ある事を說くは是れ眞の天道なるや否や、吾れ甚だ疑はざるを得ざる所なり。神儒佛、何れか夫れ敵の存在を以て眞理となし、果して是れ正なりせば、吾れも亦之を學ばん。恐らくは夫れ、答辨するものなからん。

 

故に、餘の劍法を學ぶは、偏に心膽練磨(しんたんれんま)の術を積み、心を明めて以て己れ亦天地と同根一體の理、果して釋然たるの境に到達せんとするにあるのみ。

 

世人或は餘を見る事、猛虎の如しと。然れども餘、未だ嘗つて殺生を試みたる事なきのみならず、一點他人に加害したる事も亦あらざるなり。否、猶修身斯道に違はざるを誓ふ。是れ、餘が劍法修業の自覺となす。

 

安政五年戊午秋 七月十六日認

山岡鐵太郞

 

 

 

【私的解釈】

 

私が日夜武士道を極めようとしている理由は、君父に孝を尽くして仕え、兄弟親戚とは睦まじく付き合いをし、周りの人達から信頼される人物となることを請い願う為である。

 

しかしながら、私の誠が篤くないが為に、ただ周囲から私の修業は好ましいものと思われているだけである。 まったくその通りで、私の武士道は未だその極地に達していない。恥ずかしい限りである。これから更に志を謹慎させて励まなければならないのだ。

 

このように私は志を抱いて実践しているつもりであるが、まだその境地を体験することが出来ずに、ただ口で実践していますと言うのみなのだ。本当に恥ずかしい限りである。日常のどうでも良い事に振り回されて、私の志が削られてしまうことが少なくないのが現状で、こういう事態に陥るのも私の誠が足らないが故なのだ。

 

私は師匠に就いて道を聴くことに熱心で無いばかりでなく、効果を効率よく得たいが為に師匠の不親切さに不平を言うこともある。また、私には、修業を適当に打ち込んで大きな成功を得ることを期待する気持ちもある。ああ、こんな態度では事が成るわけがない。よく自省しなければならぬ。

 

私は、人と遇する時相手をいつも君子としてもてなす事としている。このように遇すれば己が君子に忠を尽くしているのだという自己満足に浸ることが出来るからであり、私の心の中の真心が発露するまま相手を君子としてもてなすことを実行しているわけではないのである。これは薄々感じてはいることではあるが、知徳を以って相手を感化させる力が己に無いくせに、相手を君子とみなして君子たるべき基準を押し付けてみても誰が君子として忠を尽くしていることとなろうか。こういう状況で強引に忠を尽くしても、その忠が災いとなって私の身に跳ね返ってくるだけに違いない。このことは充分に心しておかなければなるまい。

 

世の中の多くの人は、名声や利益を求める欲望がひどく盛んなものだ。だから、他人にちょっとおだてられればたちまち喜んでしまうし、贈り物を受ければ菩薩のようにニコニコしてしまう。ああ、なんとみっともない事であろうか。心しなければなるまい。

 

人間の心は、太陽や月のようなものだと言われる。太陽も月も色や形が不変で(月の満ち欠けが見えるのは単なる現象に過ぎない)、年々歳々その運行の道筋も変化しないことからの言葉である。

 

私が思うには、人の心と宇宙は同一なのだ。心が宇宙と同じだということとなれば、天地万物、山川も河も海もわれわれの身体の一部であり、この世の四季の変化や幽明や昼夜、風雨や雷霆、霜雪霧露の現象は、われわれに起き臥しや進退の行為があるのと同じことだといえる。世の中である思想が渦巻く雰囲気が起こるのも、人間関係に恭順と反逆があるのも、己の心中に逆境や順境の境遇があるのと同じことなのだ。

 

人の生死はこの世の昼夜の道であると心得るべし。こう心得たならば、何を好きだの嫌いだのと、気に病むことがあろうか。ただ、道に沿ってあるがままに歩むだけで良いのだ。このことを一度深く掘り下げて考えてみるべきである。

 

人は、よく理不尽な現象に遭遇するが、理不尽なことであっても、世の中の人がこれを良い事だと誉めるようになれば、非も是と思われることとなる。これと反対に、堂々たる筋が通ったことであっても、世の中の人がこれに従わなければ、是も非となってしまうのであり、このことは掌のように表裏一体なのだ。世の中でこのような現象が生じるのも、くだらない人間が名声や利益を求めることにばかり気を取られ、目の前の欲望に己の意識が振り回されて、欲望の炎をかき分けたその奥に鎮座する人間が天から授かった真心に気付くことがないがためである。

 

こういう世の中であるから、己を天下第一の英傑と気取るものが後を絶たないのである。こういう輩は、己が俗物共に神輿のようにかつぎあげられて、誉めそやされているのは、己の古今稀な才能の為だと思っている。こういう輩は世に咲く徒花というべき者であって、たとえ天下を統御し、万人の長となるようなこととなっても、死んでしまえばその業績と共にあっという間に忘れ去られてしまうものだ。

 

一方で、仁の人とか君子とかの場合はこうではない。仁人君子の心は天地の真理に合しており、その行いは万人の心の手本として強く心に刻まれるものであり、肉体が死して滅んでもその心はいつまでもその輝きを失うことがなく、その芳名も太陽や月と同じように光を保ち続ける。このこともよく考えなければならないところだ。

 

私は今剣法を修業しているのであるが、この修業にたいする思いは他の人達と異なっている。今までこのことを語ったことはなかった。

 

私が思うに、世の中の人々が剣法を修行している目的は、敵を切ろうとする為のものに違いない。私の剣法修業の目的は違うのだ。私は、剣法の呼吸といわれているものを身に付け、神妙の境地に浸りたいと思っているのだ。

 

いったんその境地に達すれば、私の心は止水のように静かで安らかとなり、明鏡のように明るくはっきりと物事を写すこととなろう。どんな問題でも即座に対処することができ、それがどんどん形を変えて行っても、私の精神がひとりでに作動して、どんなことでも自ずから悟ることができるようになるであろう。そのような境地に本当に達すれば、それがいわゆる天道に合うということになるのである。

 

そのような境地が存在するとすれば、自己と他とを区別して、外部にこそ敵が居るとすることが真の天道であるかどうかを、私は疑わざるを得ないのである。神・儒・仏の三道が敵の存在を真理としているが、それが正しいということとなれば、私はその真理を学び取ろうと思う。しかし、それに解答を与える者は存在しないであろう。

 

だから私が剣法を学ぶのは、ただ心胆練磨の術を積み、真心を発露させることによって、己もまた天地と同根一体なのだという理を釈然と体感する境地に到達したいという目的があるだけである。

 

私のことを猛虎のようだと感じる人がいるかもしれない。しかし私は今までの生涯で殺生をやろうとしたことが無いばかりか、人間に危害を加えたこともないのである。そのことを振り返っても、私の修心の思いは道から外れていないことを誓う。それが私の剣法修業における自覚なのである。

 

安政五年(1858年) 戊午秋 七月十六日に認める

山岡鉄太郎 23歳

 

 

 

 

【雑感】

 

衆院解散「大義」巡り応酬 野党連携も

11月15日 7時20分

安倍総理大臣が消費税率の10%への引き上げを先送りし、国民に信を問うため、来週、衆議院を解散する意向を固めたことを受けて、与野党の解散の大義を巡る応酬が始まりました。


こうしたなか、野党内では若手議員らから比例代表の統一名簿を作るため新党を結成する構想も浮上し、野党間の連携を探る動きが活発化してきました。

 

安倍総理大臣は、景気回復に足踏みがみられることから、来年10月の消費税率の10%への引き上げを1年半先送りし、その先送りについて国民に信を問うため、来週、衆議院を解散する意向を固め、18日にも解散を表明することにしています。

 

与党側は「回復基調の日本経済を再生させ、財政再建を果たすためにはアベノミクスの継続が不可欠だ」として、自民党の高村副総裁は「再びアベノミクスでデフレを脱却する道でいいかどうか確認する『念のため選挙』となる」と述べました。


そして、自民党は今月25日にも衆議院選挙政権公約をまとめる方針で、アベノミクスの継続とともに安倍政権が掲げる「地方創生」の実現に向け、企業に地元出身者の雇用目標を設けることを義務づけ、達成度合いに応じて政府が資金援助することや、祖父母を含めた三世代同居の世帯を税制面で優遇することなどを検討する見通しです。


また、公明党は円安物価高への対策の実施や、社会保障制度の充実などをマニフェストの柱とする方針で、週明けの17日に党の政務調査会の幹部会を開くなどして作業を加速させることにしています。


これに対し、野党側は「アベノミクスの失敗を隠すための解散だ」などと反発し、与党側と解散の大義を巡る応酬が始まりました。


民主党は消費税率の10%への引き上げは見送るべきだとしたうえで、「引き上げの見送りはアベノミクスの失敗で国民生活が悪化したためだ」として、中間所得層に手厚い経済政策をマニフェストの柱に据え、選挙戦に臨む考えです。

 

野田前総理大臣は「消費税率を引き上げられる環境整備をせず、国会議員の定数削減や社会保障を充実させないのは重大な約束違反だ」と述べました。

 

また、維新の党の松野代表代行は「安倍総理大臣が解散に踏み切るならば、まさに大義のない解散だ。ばく大な国費を使って今、解散する意味が全く分からない」と批判しました。

 

こうしたなか、民主党維新の党、次世代の党、みんなの党、生活の党の野党5党の若手議員ら、およそ50人が14日集まり、会合を呼びかけた民主党玉木雄一郎衆議院議員は「野党の大同団結に向けて、全力で知恵と力を合わせていきたい」と述べました。

 

そして、会合では「野党側が最大限、議席を確保するためには小選挙区だけでなく、比例代表での競合も避けるべきだ」として、比例代表の統一名簿を作るため新党を結成するよう各党の執行部に働きかけていくことになりました。

 

民主党執行部は選挙目当ての動きに有権者の理解は得られないなどとして、新党の結成には否定的なものの、今後、維新の党やみんなの党などとの候補者調整を進めることにしており、野党間の連携を探る動きが活発化してきました。

衆院解散「大義」巡り応酬 野党連携も NHKニュース

 

 

野党の劣化が著しい。

 

民主党など議員によって言っていることが支離滅裂で、前日に言ったことを翌日に覆したりとその言動に信頼を置くことが出来ない。

 

解散の大義がどうのこうのと言っているがこの言葉を掘り下げて行くと面白いことが見えてくる。

 

今回、総理大臣が解散権を行使するにあたっての国民に対する大義は、「現在の経済状況下では、消費税増税を法定通りに実施することが出来ないため延期する決定をします。そして、衆議院を解散してその信を国民に問いたい」ということで、明白である。

 

では、上の記事で述べている『大義を巡る応酬』とは一体何か?どうも野党に対する大義のことを言っているらいしい。衆議院議員は、解散されたら唯の一般人に戻る。つまり、強大な権力を一夜にして失ってしまうこととなるのだ。そして選挙で落選すれば無職となる。だからこそ、既得権益を失うこととなる野党の議員が己が既得権を失う為の大義を求めているのだ。簡単に言ってしまえばただゴネているだけなのだ。

 

そこに国民は不在だ。いい加減にして欲しい。

 

今の政治を変えるためには、国民ひとりひとりが変わらなければならない。そして、投票率を上げなければならない。日本という国を愛する者を国会議員としなければならない。今までは日本という国を嫌っている者が当たり前のように国会議員となって、国益を害することを大きな顔で行ってきた。国民が舐められていたのだ。

 

今の状況を劇的に変えることは難しいが、少しずつ少しずつ自分の周りから変えて行く。

 

 

 


A Flight Through the Universe, by the Sloan Digital Sky Survey - YouTube

この動画は、最も遠いもので地球から120億光年先にある、100万に近い数の銀河の位置を特定したものである。ホコリのようなものが銀河である。この動画の中で地球の存在を表すとすると至極小さな点となる。

 

宇宙における地球の位置 - Wikipedia

国立科学博物館-宇宙の質問箱-銀河編

 

 


the miracle of life - YouTube

 

他方、人間の体内で生命は、40億年間にも渡る生命の進化の過程を受精からたった280日間で駆け上って生まれ出てくる。まさしく体内では光速の時間が流れている。

 

上のような科学的な事実からも、宇宙と人間の心を山岡鉄舟が同一だと言ったことは的を射ている。人間一人ひとりの体内には宇宙が広がっているのだ。

 

この事実を悟ると、人間は自分の中に広がる広大無限の宇宙のことで汲々とし、他人のことなどに構ってはいられなくなるのだ。

 

自分の周りで起こる現象の源を他人に求めるのではなく、自分の中に広がる宇宙に求めようとする。となれば、他人と争うことの無意味さを痛感するだろう。

 

そして、自然と他人と争うことが無くなり世の中は平和に落ち着くのだ。他人と対立することを嬉々とする人間は、自分の中に広がる神秘的で無限の可能性を秘めた宇宙のことに気づいていないかわいそうな人なのである。