【二宮翁夜話 巻之一 二十三】 多田某を諭す
【今日のこよみ】 旧暦2014年 9月 7日 先負 四緑木星
甲辰 日/甲戌 月/甲午 年 月相 5.9 上弦 中潮
秋分 次候 蟄虫戸(むしかくれてとをふさぐ)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 19.7℃ 湿度 58%(大阪 6:00時点)
翁多田某に謂ひて曰く、
我東照神君(とうせうしんくん)の御遺訓と云ふ物を見しに、曰く我れ敵国に生れて、只父祖の仇を報ぜん事の願ひのみなりき、祐誉が教へに依りて、國を安んじ民を救ふの、天理なる事を知りてより、今日に至れり、子孫長く此の志を繼ぐべし、若し相背くに於ては、我が子孫にあらず、民は是れ國の本なればなりとあり。
然れば其の許が、遺言すべき處は、我過ちて新金銀引替御用を勤め、自然増長して驕奢に流れ御用の種金を遣ひ込み大借に陥り、身代破滅に及ぶべき處、報徳の方法に因つて、莫大な恩惠を受け、此の如く安穏に、相続する事を得たり。此の報恩には、子孫代々驕奢安逸を嚴に禁じ節儉を盡し身代の半(なかば)を推譲り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富ます事を、勤むべし、若し此の遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速かに放逐すべし、聟嫁は速かに離縁すべし、我が家株田畑は、本来報徳方法の物なればなりと子孫に遺言せば、神君の思召と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり。其の子孫徳川氏の、二代公三代公の如く、その遺言を守らば、その功業量るべからす。汝が家の繁昌長久も、限りあるべからず、能々思考せよ。
【私的解釈】
尊徳翁が多田某(なにがし)に言って聞かせた。
私は、東照神君(徳川家康公)の御遺訓というモノを拝見したことがある。これにはこのように書かれていた。
「私は敵国にて育ち、ひたすらご先祖の仇を討つ事を願い生きて来た。祐誉上人の教えに触れ、国を安らかにして民衆を救うということを天命にし、今日に至っている。子孫は末永く我のこの意志を継がないといけない。もしこの意志に背く者は私の子孫ではない。民衆はこれ国の支えであるのだから。」
と。
だから、あなたが子孫に遺言すべき事は、
「私は身を誤って新金銀引替御用を勤め、次第に増長して贅沢に陥り、御用の元金を使い込んで多額の負債を抱えてしまった。身の破滅となるべきところを、報徳の法によって莫大な恩恵を受け、このように安穏に家督を相続することが出来た。この恩に報いる為、私の子孫は代々贅沢や怠惰を厳に禁止し、節約を尽くして収入の半分を推譲し、世の中の利益となるような行為を心掛け、貧する者を救い、村里を豊かにすることを勤めないといけない。もしこの遺言に背くような者が現れたならば、我が子孫といえども子孫ではない故、速やかに追放しなさい。その者が婿や嫁であったならば速やかに縁を切りなさい。 我が家の家屋や田畑は、元々報徳の法により破産を免れた財産であることを肝に銘じなさい。」
ということであり、この遺言を子孫に残せば、家康公の思し召しと同じであり、孝であり、忠であり、仁であり、義であるのだ。
あなたの子孫も徳川家の二代公三代公のように、この遺言を守るならばその功徳の恩恵は量ることが出来ないであろう。あなたの家の繁昌と長久も、また限りがないであろう。よくよく考えなさい。
長野と岐阜の県境にある御嶽山の噴火で、山頂付近で新たに5人が心肺停止の状態で倒れているのが見つかりました。また、心肺停止で搬送された人のうち新たに2人の死亡が確認され、これで今回の噴火で死亡したのは12人になり、心肺停止の人は24人となっています。
御嶽山の噴火で、警察や消防、それに自衛隊が29日朝から捜索活動を進めた結果、警察によりますと、山頂付近で新たに5人が心肺停止の状態で倒れているのが見つかりました。また、警察などは、心肺停止になっている人のうち山頂にある「御嶽神社」付近で倒れていた登山者ら8人を、29日、自衛隊のヘリコプターで山のふもとに搬送しました。警察が確認を進めた結果、新たに2人の死亡が確認されました。これで今回の噴火で死亡したのは12人になり、心肺停止の人は24人となっています。
また、警察によりますと、死亡した人のうち新たに4人の身元が確認されました。新たに身元が確認されたのは、▽岐阜県中津川市の会社員、関口泰弘さん(39)、▽東京・大田区の会社員、高田紗妃さん(29)、▽川崎市麻生区の会社員、高橋秀臣さん(41)、▽横浜市港北区の会社員、本多達一さん(39)です。また、長野県側と岐阜県側で合わせて69人が重軽傷を負っています。警察などは、家族などと連絡が取れない人がいることから確認を進めるとともに、30日も山頂付近で、硫化水素の濃度などを確認しながら捜索活動を再開することにしています。
たけし バイク事故の原因を明かす
2013年9月28日
ビートたけし(66)が28日、MBS系のトーク番組「サワコの朝」に出演し、1994年に起こした原付バイク事故の原因について語った。
同番組MCの阿川佐和子が86年のフライデー事件と94年のバイク事故について「だいたい10年単位で起きている。10年くらいすると爆発したくなるんですか?」と尋ねた。たけしは考え込みながら「結局…イラつくんじゃないですかね。漫才で売れて、ラジオでも売れて、この先どうするんだろうと。頭の中では落ち込むことしか出てこなくて。イライラして…白紙に戻す意味もあった」と話し、事件や事故の背景に売れっ子になったがための焦りを抱えていたことを明かした。
その上でたけしは「いいバチだと思って。節目節目でバチがあたる」とバイク事故のことを話し始めた。
「実は事故の原因はかなり映画があったの。自分としては自信があったのに、まるっきり評価がない。そうなると自分の感覚が悪いんだと思って」と右手の指で頭を指しながら語った。たけしは93年に監督4作目「ソナチネ」を発表している。
続けてたけしは「オレ、だめなのかと自虐的になった。酒飲んでわーっとなったら事故を起こして。後になって考えたらそこまで自分を犠牲にする必要はない。やりたいことを、浅草の原点に戻って自分がいいと思ったことをやって評価されようとされまいとしょうがない。そっから自分が芸人生活始めたのに、ちょっと売れたからってそれを守っていこうとして図々しいことになったんだって思って。後は野となれ山となれ」と原点に戻って開き直りの心境に至ったことを語った。
また、「メディアに『たけし終わった』って書かれてむかっとすることも。やってやろうと思った。その後のほうがベネチアの映画祭とったり、フランスの勲章もらったり、いろんな賞をばんばんもらった。全部事故のあと」とバイク事故後にさまざまな評価を得たとの認識を示した。
たけしは1997年に「HANA‐BI」でベネチア映画祭金獅子賞を、03年に「座頭市」で監督賞を受賞。10年にフランス文化省からコマンドール章を授与された。