まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

日本に巣食う魑魅魍魎の退治の仕方

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 8月 24日 先勝  四緑木星

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地中海で密航船事故相次ぐ 死者急増

9月16日 17時16分

地中海では、中東やアフリカからヨーロッパを目指す人を乗せた密航船の転覆事故が相次ぎ、死者が去年の4倍以上に急増していることが分かり、対策を求める声が高まっています。

IOM=国際移住機関によりますと、中東のシリアやアフリカ諸国から地中海を渡ってヨーロッパへの移住を目指す人たちを乗せた密航船の転覆事故が相次いでいて、ことしに入ってからの死者は3000人近くに上っていて、去年の4倍以上に急増しているということです。

このうち、地中海のリビア沖で今月15日、政情が不安定なアフリカからヨーロッパを目指すおよそ100人を乗せた船が沈没し、少なくとも70人が死亡しました。また今月10日には地中海のマルタ島沖で、シリア人やパレスチナ人およそ500人が乗った密航船が仲介業者とのトラブルで故意に沈められ、ほとんどが死亡したとみられるなど、この1週間で合わせて700人以上が犠牲になったということです。

死亡した人たちの中には内戦や紛争を逃れてきた女性や子どももいて、国連難民高等弁務官事務所の特使を務める女優のアンジェリーナ・ジョリーさんは15日、国連のサイトで「私たちはこの危機の重大さに気付くべきだ」と主張し、ヨーロッパ諸国は対策を打ち出すべきだと呼びかけています。

地中海で密航船事故相次ぐ 死者急増 NHKニュース

 

シリア難民300万人を超える:アンジェリーナ・ジョリーUNHCR特使からのメッセージ

2014年8月29日 

ヨルダンのシリア難民キャンプを訪れたアンジェリーナ・ジョリーUNHCR特使 © UNHCR/O.Laban-Mattei/June 2013
© UNHCR/O.Laban-Mattei/June 2013
ヨルダンのシリア難民キャンプを訪れたアンジェリーナ・ジョリーUNHCR特使

 

この300万人という数は、ただの統計ではありません。これはシリア紛争を終わらせる責任を果たせなかった私たちへの警告なのです。
 
国際社会におけるシリアの立場は今にも崩れ落ちようとしています。国連安保理も機能を果たしていません。日常的に戦争犯罪が頻発し、周辺国は難民受け入れによる負担にあえいでいます。そして安全を求めてヨーロッパへ決死の航海に出たシリア難民の多くが地中海で亡くなっているのです。
 
私たちは今、この紛争を終結へと導くために新たな切り口を見出さなければなりません。そして助けを必要としている1300万人以上のシリア人に手を差し伸べるさらなる努力が求められています。
 
シリアでこれほど多くの人々の命が脅かされているなか、国際社会の信用が問われています。
 
 
ジョリー特使の活動について詳しくはこちら
【プレスリリース】シリア難民300万人を超える―詳しくはこちら

 

 

慰安婦問題をまとめていて思ったことがある。

 

国連の存在意義である。

 

1996年(平成8年)に国連人権委員会(現在の国連連合人権理事会)にクマラスワミ報告書が提出された。これを受けて従軍慰安婦問題の火付け役の本岡昭次議員が早速、平成8年5月16日の参議院外務委員会11号でこの報告書を取り上げている。

○本岡昭次君

そこで、この際、先日行われました国連人権委員会において議論された旧日本軍の慰安婦問題について質問をいたします。


まず、審議の経過を確認したいと思います。

 

私も国会の休暇をもらいましてジュネーブに行ってまいりました。去る三月十八日より国連欧州本部で開かれていた人権委員会が、四月十九日、慰安婦問題も含めたクマラスワミ報告書を全会一致で採択しております。もちろん日本政府も賛成をいたしました。

 

国連人権委員会特別報告者クマラスワミ女史は、報告書の中で、旧日本軍による従軍慰安婦問題を戦時における軍事的性奴隷制とし、日本政府の法的責任による解決を勧告しました。政府は、サンフランシスコ平和条約や二国間条約で決着済みであるとしてクマラスワミ報告の拒否を求めていく立場でこの人権委員会に臨みました。


そのため、日本政府は、人権委員会メンバーの各国政府代表に日本政府が人権委員会に配付予定の国連文書を事前に送付するとともに、アメリカなどの外務大臣にも池田外務大臣の書簡をもってこの日本政府の立場を支持する要請を行いました。しかし、各国政府代表の支持を得ることができず、配付予定の国連文書を印刷直前に撤回し、新しい文書を再提出せざるを得ないという状況になりました。


人権委員会での発言は、慰安婦に関するクマラスワミ報告を熱烈に支持し歓迎した韓国を初め各国政府代表やNGOは数多くありましても、この日本政府の拒否を求める立場を支持する国あるいはNGOはどこもありませんでした。


さらに、クマラスワミ報告の決議案作成段階で、日本政府は三つの文書から成る女性に対する暴力に関する報告書の中で、慰安婦問題を報告した附属文書1の削除を強硬に求めました。そのために決議文案の作成が二日間もおくれましたが、これまた日本は支持されることなく孤立いたしました。


最終的に、決議は、女性に対する暴力、その原因と結果に対する特別報告者の作業を歓迎し、クマラスワミ報告の本文と附属文書1、2を含めた報告書をテークノートするという内容で、日本政府が要求した附属文書1は削除されることもなく、全会一致で採決されました。


以上が私の知っている人権委員会における従軍慰安婦問題の審議の概要ですが、外務省としてこの経過の事実を確認していただけますか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

まず初めに、本岡委員は四月十九日に慰安婦問題を含めたクマラスワミ報告書を全会一致で採択されたと御説明されたと思いますが、私どもはそういうことではなかったと理解しております。採択されましたのはクマラスワミ報告ではございません。女性に対する暴力撤廃についての決議でございます。


また、ほかにも幾つかのことをおっしゃっておられましたが、日本は、確かにこの慰安婦の問題というのは重要な問題でございますから、あるいは法律論において正確を期する必要もございますものですから、日本の立場を詳しく記しました文書をもって関係国に説明しておりました。そのことは事実でございますが、それは国連人権委員会に配付予定の文書を事前に各国に送付して、各国の支持が得られなかったから急いで撤回したということではございません。現実に国連に文書を提出いたしましたが、それは前もって説明用に配っておりました文書よりは簡単なものでございますが、簡潔に直してございますが、もともとの文書を撤回したとかいうことでは全然ございません。


また、クマラスワミ報告を韓国が熱烈に支持されたというようなことをおっしゃったかと思いますが、韓国の発言について、人権委員会における対応でございますが、私はただ韓国の実際の発言の内容をひっくり返すしかございませんが、韓国が人権委員会で申しておりましたことは、韓国政府は、一九九三年三月に従軍慰安婦問題に関して日本政府に対して物質的補償を求めない、こういうことを表明して、真相の究明を求めてきたということをまず言っております。続けまして、こうした観点から一九九三年八月の日本の官房長官の談話は一つの積極的なステップとして評価しているということまで発言しております。


他方、そういうことを発言する傍らにおいて、同時に日本政府が特別報告者の勧告を自主的かつ早急に実施するために必要な措置をとるよう要請するといったようなこともあわせて発言しておるというのが事実関係でございます。


クマラスワミ報告を支持する各国政府代表やNGOの発言が数多くあったというようなこともあわせておっしゃったかと思いますけれども、ジュネーブ人権委員会で討議されておりましたのはあくまでも女性に対する暴力の問題でございまして、その一部分として確かに従軍慰安婦の問題も討議されましたが、従軍慰安婦の問題に言及して発言した国は四カ国でございます。そのうち一カ国は日本でございます。残りの三カ国は、中国、韓国、フィリピンでございますが、フィリピンの場合は日本政府がこれまでとってきた措置を評価するといったトーンの発言であったと承知しております。もちろんNGOの方々からも幾つか発言がございましたが、五十数団体が女性に対する暴力について発言した中で、慰安婦に言及したのは十程度であったかと記憶いたしております。


いずれにいたしましても、日本がどこからも支持されることなく孤立したというようなことではないと私は理解しておりまして、結果的に採択された決議もクマラスワミさんの報告書はテークノートする 、クマラスワミさんの家庭内暴力についての報告の内容は評価し歓迎するということでございまして、こうした内容の決議になるに当たっては、この決議の取りまとめに当たったのはカナダでございますが、カナダが中心的な役割を果たしたわけでございまして、日本が支持することなく孤立してこういう決議になったというふうには理解しておりません。

 

○本岡昭次君

ただいまの発言は会議録に残されますから公式なものとして、これから国連人権委員会なり関係者が見て、日本政府がどう受けとめたかということに対する批判の材料になると思います。時間がありませんから、それはそのときに譲ります。


ただ、韓国の発言問題、私はここに持っておりますが、熱烈か熱烈でなかったかというのは主観の問題が入ります。しかし、あなたは故意に大事なことを報告しない。例えば「韓国政府は、特別報告者の報告書に含まれた徹底した事実調査の結果と見解を高く評価し、一九九五年七月、関係国訪問調査の結果に基づいた特別報告者の勧告事項を歓迎し、支持します。」というふうに言い切っております。そしてまた、「従って、韓国政府は、日本政府が特別報告者の勧告事項の履行のため自発的、かつ迅速な措置をとるよう求めます。」、また、「従って、われわれ代表団は「女性への暴力撤廃決議案」に特別報告官の報告書内容が適切に反映されることが必須であると考えます。」、こういうふうに言っております。


これをあなたのように見るか私のように見るかの違いであろうと。私はこの報告の部分を読んだのでありますから。今のような外務省の対応では、これは国際的に非常に困ります。


そこでもう一度尋ねますが、あなたは孤立しなかったと言いましたが、それでは日本を支持した国はどこですか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

私どもは、ジュネーブ人権委員会に備えて、通常どおりでございますけれども、幾つかの国と前もって意見交換をしてまいりました。その中でこのクマラスワミ報告、女性に対する暴力の問題についての意見交換も行ってまいったわけでございます。あるいはジュネーブで実際会議が行われている最中もいろいろな機会をとらえて意見交換をしてまいりましたが、私どもの理解では、欧米の国々はもちろんのこと、多くの国はこの問題はサンフランシスコ平和条約その他の二国間条約によって決着済みであるという日本の立場に同意していると理解しているわけでございます。

 

○本岡昭次君

同意している国がなぜ人権委員会で発言してくれないんですか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

同意したからこそ発言しなかったんだと思います。

 

○本岡昭次君

それでは、テークノートするとはどういうことですか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

テークノートという言葉につきましては、通常、国際会議その他でよく使われますけれども、そういった場合、一般に記録にとどめる、記録する、留意する、そういったふうに訳しておりまして、今回の場合もそういう意味合いのものであろう、いずれにしましても評価を含まない意味での中立的な表現であろうと考えております。

 

○本岡昭次君 

具体的に私も今までテークノートを使われたものを持っておりますが、あなたのおっしゃるような形で訳されておりません。注目しという言葉になっておりますが、どうですか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

テークノートという言葉につきまして、私どもも幾つか条約、協定の先例に当たってございます。そこで出てくることは、ほとんどすべての場合、記録にとどめる、留意するといった訳を用いているということでございます。

 

○本岡昭次君 

それで、今回はどう訳するんですか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

今回もそのように理解しております。

 

○本岡昭次君

そのようにとはどう訳するんですか。言ってください、はっきり。

 

○政府委員(朝海和夫君) 

今回の決議は、条約、協定とは異なりまして、正式な日本語訳はつくってございません。ただ、便宜のために私どもが訳をつくってございますが、そこではまさにテークノートということを日本語で言ったらどうなんだという御議論があることも実は念頭に置きまして、テークノートという言葉をそのまま使ってございます。

 

○本岡昭次君 

なぜ日本語に訳さないんですか。

 

○政府委員(朝海和夫君)

日本語に訳すとすれば、記録にとどめる、記録する、留意するといった意味だと考えております。

 

○本岡昭次君 

それでは、テークノートというのは評価を含まない中立的な表現であり、採択されたということは必ずしも適当でないというのも正式の見解ですか。

 

○政府委員(朝海和夫君) 

そのように考えております。

 

○本岡昭次君 

そうすると、クマラスワミ報告全体は採択されていないということになるわけですか。

 

○政府委員(朝海和夫君) 

そのとおりでございます。

 

○本岡昭次君 

それで人権委員会なり国際社会に通用しますか。

 

○政府委員(朝海和夫君) 

それが人権委員会の決定でございます。

 

○本岡昭次君 

そうすると、女性に対する暴力撤廃決議というものが採択されて、その中の一つの項目に「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者の作業を歓迎し、報告」、この報告の中に本文とアド1、アド2があって、それを括弧でくくんで全体としてテークノートするということを、わざわざ採択に必要のないものを何で入れるんですか。

 

○政府委員(朝海和夫君) 

冒頭申し上げましたとおり、採択されたのは決議でございます。決議の中身は何かというと、女性に対する暴力についての報告者の文書につきましては、ただいままさに委員が御指摘になったとおり、テークノートということが決議の内容であるわけでございます。


ただ、この決議そのものは、ほかにもいろいろなことが書いてございまして、今回のクマラスワミさんの報告の中で家庭内暴力に関する部分、その部分についてはまさに決議案に書いてございますけれども、特別報告者の分析を称賛する、あるいはそのほかのことも中身にわたっては決議の中に盛り込まれているわけでございます。

 

○本岡昭次君 

そんなことは尋ねていないですよ。この報告の中に本文とアド1、アド2を括弧で包んでテークノートするということを、あなた方はこのことは採択に値しないと言うのなら、報告そのものが採択されていないというふうに日本は解釈するということになるんですかと尋ねておるんです。

 

○政府委員(朝海和夫君)

報告書そのものは採択されておりません。

 

○本岡昭次君 

これは大変なことを解釈しましたね。わかりました。それならそれで、それはまた人権委員会その他のところで議論をいたします。


外務大臣、私はこういうこともあろうかと思って行ってきたんです、朝海さんはお行きになったのかどうか知りませんが。これは外務大臣なり総理大臣が人権委員会でどんな議論があったのか、日本政府がどういう対応をしたのか、その結果どういう結論になったのかという事実、真実、真相を知らずして、報告だけでそうかそうかということですと、これは大変なことになると思います。私は驚きました、これは。


この問題は今回で終わりません。通常五月には奴隷制部会がございます、人権委員会の。七月には差別小委員会があります。来年には人権委員会があります。ジュネーブにおける人権委員会の場で、この慰安婦問題を取り上げているんじゃないんですよ、戦時における軍事的性奴隷という今日的な、ボスニア・ヘルツェゴビナ等で起こっている問題との関係でずっと議論が進んでいくんです。そのたびに日本の従軍慰安婦の対応はどうかということが過去の問題として現在の問題とオーバーラップして議論になってくるんです。


それに対して、日本政府が今のような態度で臨んだとしたら、これは人権委員会で大恥をかくことになると。それもあえて覚悟の上でおやりになるんなら、それはおやりになるのもよろしかろう。これはしっかり腹を据えて、私もこれは国連人権委員会、その場で対決しなければ仕方がないと思います。外務大臣にその覚悟がおありなら仕方がない。


そこで、もう時間がないから最後にお伺いしますが、こういう態度を一方ではとりながら、国民基金によるお金を無理やり、もらいたくないと言っている被害者の方、元慰安婦の皆さんに何とか受け取らそうとしている。それで、その被害者の皆さんが何を言っているかと、韓国やフィリピンや台湾の。国民基金が私たちを二度殺すものであると。もらいたくない、私たちは誠意を実行してほしいんだと、こういう言い方をされているわけなんです。それを何とか受け取れ、何とか受け取れといってあなた方は国民基金を前面に押し立てて、韓国やフィリピン、台湾の元被害者にお金を受け取らそうとする。その結果、どういうことが起こると思いますか。大変な私は混乱が起こると思う。


まず、受け取る人と受け取らない人、各国政府の対応、韓国はこれは別の対応をするでしょう、台湾、フィリピンそれぞれ。そのときの混乱に対して日本政府がどういう責任をとるのかという問題を考えたときに、私は大変恐ろしい結果を頭に浮かべるんです。


ここは外務大臣なり総理大臣が一つの決断の問題として国民基金でやろうとした、しかし国際世論の問題が一方にあり、また国民基金に集まるお金の問題があり、また国民基金からのお金を受け取りたくない、やはり謝罪なり補償というものを日本からいただくならば、これは国の責任による、国の責任に基づくものをいただきたい、こう言っている関係国なりあるいはまたこの被害者の皆さんに対して、国民基金でなければいけないんだ、これしか方法がないんだといって強引にこの問題をやっていく。その結果何が起こるか、本当に私は恐ろしい思いがするんですよ。


外務大臣、一言だけ、ここで賢明なひとつ判断を私はお願いしたいと思うんです。多くの選択肢がある中の国民基金しかないというのじゃなくて、これだけの国際世論の中のいろんな議論が起こっている中でいま一つの選択肢にこの人権委員会の議論も加えましょう、そして考えてみましょうというぐらいの余裕、配慮があってもいいんじゃないですか。もう少し懐の深い外交を展開されたらいかがですか。余りにも硬直し過ぎると思うんです。いかがですか。終わります、これで。返事だけ下さい。

 

国務大臣池田行彦君) 

我が国の法律的な立場は御承知のとおりでございます。しかし、そうでございますけれども、元従軍慰安婦の方々に、その御心情、あるいはいろいろなめてこられた辛酸、それから今日もその方々の心に残している深い傷跡というものに我々は本当に深い思いをいたさなくちゃならないと思います。そして、その我々の誠意というものは何とかお伝えしなくちゃいけない、こう考えている次第でございます。


それで、誠意を示す手段、方法として一体何があるかと。いろいろ各方面の考え方も聴取し、政府としても真剣に考えましてつくり上げましたのが、現在取り組んでおりますいわゆる基金としての元従軍慰安婦の方々に対する国民的償いをあらわす事業でございますので、その本旨というものをよく御説明申し上げ、そして御理解をちょうだいして、何とか所期の目的が達せられるように努力をしてまいりたいと考える次第でございます。

 

 

慰安婦問題を調べていると、日本人自身が問題を大きくして来ていることが分かる。

 

事例①

当時の日本社会党本岡昭次議員が、この問題を初めて国会で取り上げて、それに応えた役人の回答を朝日新聞を含むマスコミが記事にして、韓国世論を刺激する。

 

事例②

朝日新聞植村隆記者が韓国に住む元慰安婦の金学順の記事を韓国のマスコミに先駆けて初めて報道して、韓国世論を刺激する。

 

事例③

宮沢喜一首相が訪韓する5日前のタイミングに、朝日新聞が1面トップで「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」として大々的に報道して、韓国世論を刺激する。

 

事例④

日本弁護士連合会が主体となって国連ロビー活動(国連において慰安婦を「性奴隷(Sex Slaves またはSexual Slavery)」 として扱い、国連から日本政府に補償を促す働きかけ)を行い、その結果クマラスワミ報告書が作成され、国際世論を刺激する。

 

 

日本人自身が慰安婦問題の対立を煽り、問題を大きく複雑にして来たのが実態なのである。この問題を知れば知るほど日本人として情けないおもゐとなる。戦争で亡くなられた多くの方々に顔向け出来ない気持ちである。おそらく、今、多くの日本人が同じ気持を抱いていることと思う。 

 

 

 

そこで、

 

いまからちょうど124年前の1890年(明治23年)9月16日の夜、紀伊大島の樫野埼の東方海上で起きた、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件を紹介したい。

エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia

 


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エルトゥールル号の遭難 トルコと日本を結ぶ心の物語
 

 

 

■絵物語 エルトゥールル号の遭難 

 

日本とトルコの親交の物語 

 

 


091219NHK和歌山 エルトゥールル号 120年の記憶 Full 日本とトルコの絆と涙 - Dailymotion動画

 


ねずさんの ひとりごと トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件

 

 

このエルトゥールル号の遭難事故に関しての下記の漫画がものすごく素晴らしいらしい。

 


【プレミアム読み切り劇場REGALO】 11年ぶりモーニング凱旋の石川雅之、太陽の国と月の国の出会いと友情に捧げる『Teşekkür ederim』。あなたはエルトゥールル号遭難事件を知っていますか? - モーニング公式サイト - モアイ

 


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色々なブログでも好評みたいである。この漫画を読んでたいものである。

素敵じゃないか 石川雅之の短編

読んで学んで、考えて。 : 第491話:石川雅之さんの短編に胸熱

トルコ語で「ありがとう」を意味する Tesekkur ederim ~by石川雅之 モーニング|零細と情熱の間~津の不動産屋「ハートランド」の日記帳

 

 

ちょうど124年前の今、紀伊半島南端の紀伊大島の東の岬の海辺の小さな村で、トルコ人遭難者を助ける為に必死になっていた日本人たちが居た。そして、この事実は、報道機関などではなく、その狭い地域に住む村人たちが代々語り継ぎ、毎年この時期にトルコ人と日本人が一緒になって当たり前のこととのように追悼式典が執り行われている。

 

100年以上追悼式典が当たり前のように執り行われているという、この事実はスゴイことだと思う。

 

このような日本人の精神は戦時下でも当然発露していたのである。

オトポール事件[編集]

1937年(昭和12年)12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口李一郎(当時陸軍少将)らを派遣した。この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と、間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。

 

1938年(昭和13年)3月ユダヤ人18名がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅(現在のザバイカリスク駅)まで避難していた。しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めされていた。樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った。

 

その後も難民は増え続け、JTBの記録によると、満州から入国したドイツ人(ユダヤ人)は、1938年、245名となっている。松井重松(当時、案内所主任)の回想録には「週一回の列車が着くたび、20人、30人のユダヤ人が押し掛け、4人の所員では手が回わらず、発券手配に忙殺された」と記されている。但し、亡命ドイツ人がすべてユダヤ人だった訳ではなく、多数の難民の殺到に関する文書的裏付けも目撃者もない[1]

 

オトポール事件については、当初2万人のユダヤ系避難民が救われたとされ、あまりの数の多さに事件の存在自体が疑問視されていた。これは樋口の回顧録の誤植から流布した数字であり、樋口の遺品から18名の写真が発見されるなど、真相が解明されつつある。

 

なお、樋口がユダヤ人救助に尽力したのは、グルジアでの出来事がきっかけとされている。ポーランド駐在武官当時、コーカサス地方を旅行していた際にチフリス郊外の貧しい集落に立ち寄ったある日、偶然呼び止められた一人の老人がユダヤ人で、樋口が日本人だと知って顔色を変えて家に招き入れたことから始まっている。その時、樋口に対しユダヤ人が世界中で迫害されていた事実と日本人はユダヤ人が悲しい目にあった時に救ってくれる救世主に違いないと涙ながらに訴え祈りを捧げたその出来事が脳裏をよぎったからである[2]

樋口季一郎 - Wikipedia

樋口季一郎 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞 

 

ドイツ外務省は日本政府に対して大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行います。この抗議は東京から新京の関東軍司令部にすぐ伝えられます。すると東條英機は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として一蹴しています。

東條英機も日本のシンドラーだった: かつて日本は美しかった

 

 

 

戦後、国連が存在している中でも紛争が無くなることがない。

 

冒頭のニュースのように、紛争の為難民とならざるを得なかったシリア、パレスチナの人々が、生きるためにヨーロッパに密航しようとして、密航業者に船を沈められて命を失くすという、まさに地獄のような場所がこの地球上に存在しているのが現実なのだ。ハリウッド女優を使って色々なアピールを国連は行っているが結果が出ていないのが事実なのだ。

 

慰安婦問題の構図を見れば明らかなように、一部の日本人が国連の権威を使って日本を抑えこみ、自らの主張を通そうとしている。これに日本人は屈してはいけないのだ。

 

国連何するものぞ」の思いで反論すべきことは反論して行く。そして、日本人は淡々と先人から連綿と受け継いできた精神を国際平和の為に発揮する。こうすることがトルコ人を救助に尽力した名もない紀伊大島の村人たちやユダヤ人救助に尽力した軍人樋口李一郎のおもゐを適えることとなるのだと思う。