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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

驕れる者は久しからず 其の参

 

 

【参考】【朝日新聞の福島第一原発事故「吉田調書」捏造記事について】   

     【いわゆる従軍慰安婦問題について その1】

 

 


いわゆる「従軍慰安婦」問題は何が問題になってる?基礎から解説 - YouTube

 

 

上の動画を見て腑に落ちることのない疑問点が1点あった。

 

動画【4:05~】の「なぜ1991年になってから慰安婦問題が顕在化されたのか?」という疑問である。これに対する動画の解説は腑に落ちることが無かった。

 

この点を色々と調べていると、ある出来事が目に留まり、これで疑問が氷解したのだ。

 

その出来事とは下記である。

 

1990年(平成2年)9月24日

自民党金丸信社会党田辺誠らと共に北朝鮮を訪問し、26日に妙高山金日成と会談する。

社会党副委員長田辺誠の肝煎りで90年9月自民・社会両党の議員による金丸訪朝団が平壌を訪れた。マスゲームで大歓迎された経世会会長金丸信自民党幹事長小沢一郎らは、金日成と日本語で会談。

その結果、国交正常化や植民地統治時代の補償とともに、日韓国交回復時の条件と整合性のとれない「南北朝鮮分断後45年間についての補償」という約束も政府と相談なしに自民党社会党朝鮮労働党の三党で交された。この金丸らの愚行に「土下座外交」と非難が集中した。これを聞いてビックリしたのは韓国アメリカである。

朝鮮ベトナムの分断は、米英ソ三国ポツダムでの軍事委員会の合議に基づいており、朝鮮の分断を決定づけたのは朝鮮戦争である。侵略したのは北朝鮮であったとさえ言われており、まして日本は戦争の当事国ではない。日本政府は直ちに釈明の特使を米韓両国に派遣した。

これにより日朝間の問題をこじらせる結果になったのは、日朝両国にとって不幸であった。かって台湾総統李登輝は金丸に会って、このレベルの男が日本のキングメーカーであり、政界のドンであるとは信じられないと語ったという。

金丸・小沢の土下座外交 - 共鳴の読後感

 

「補償」という文字に反応した金の亡者どもがいたに違いない。

 

 

 

【前回のまとめ】

1990年(平成2年)5月24日

盧泰愚大統領訪日、海部俊樹首相と会談

 

1990年(平成2年)6月6日

参議院予算委員会で、日本社会党本岡昭次議員が戦時の強制連行の中に朝鮮人従軍慰安婦が含まれるのか否かを問いただす

 

1990年(平成2年)9月24日

自民党金丸信社会党田辺誠らと共に北朝鮮を訪問し、26日に妙高山金日成と会談する。

 

1990年(平成2年)10月17日

韓国の韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合などの女性団体37団体が挺身隊研究会(代表 尹貞玉)とともに声明を発表

 

1991年(平成3年)8月11日

朝日新聞が初めて元慰安婦の金学順を取材して記事にする。

 

1991年(平成3年)12月6日

金学順が原告の1人となり、日本政府を相手取り賠償を求めて訴えを起こす。

 

 

 

1992年(平成4年)1月11日

朝日新聞が、宮沢喜一首相の韓国訪問5日前というタイミングで、1面トップで「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」として大々的に報道。

 

朝日新聞宮沢喜一首相の韓国訪問5日前というタイミングで、1992年平成4年)1月11日、1面トップで「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」として大々的に報道。この一件で吉見は慰安婦問題の第一人者となった。

 

この記事の説明や同日の社説には「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は8万とも20万ともいわれる」とし、吉見も紙面上で「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」というコメントを寄せた。

 

この資料は「陸支密大日記」に閉じ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛)というもので、内容は「内地においてこれの従業婦等を募集するに当り、ことさらに軍部諒解などの名儀を利用しために軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれある」から「憲兵および警察当局との連繋を密にし軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく」というものであった。これについて吉見は「軍の関与は明白」としている[8]

吉見義明 - Wikipedia

 

この記事が出された時の空気をこの記事は書いている。

朝日新聞は、1992年1月11日朝刊1面トップで再び「スクープ」を放つ。

 

最も大きな横見出しは「慰安所 軍関与示す資料」だ。加えて、「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」と、合計6本もの見出しがつけられていた。

 

通常はスクープでも、記事を目立たせる狙いがある見出しは3、4本程度だ。

 

破格の扱いの記事は日本政府に大きな衝撃を与えた。

[検証 朝日「慰安婦」報道](3)「軍関与」首相の訪韓を意識 : 特集 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

 

 1992年(平成4年)1月13日

朝日の報道を受けて、加藤官房長官は、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与は否定できない」、「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定例記者会見で述べる

 

 

1992年(平成4年)1月16日

宮沢喜一首相、韓国訪問

 (朝日新聞が1面で)大きく報道したことで、韓国の反日感情に火が付いた。宮沢訪韓は、韓国のデモ隊がソウルの日本大使館に卵を投げつけるという険しい雰囲気の中で挙行された。韓国紙は、朝日報道を受け、「ついにしっぽをつかまれた日本の野蛮」(12日のハンギョレ新聞)などと反日感情をむき出しにした。

 

訪韓2日目の17日の首脳会談。慰安婦問題の真相究明と「しかるべき措置」を求める韓国の盧泰愚ノテウ大統領に、宮沢首相は「衷心よりおわびと反省を申し上げる」と謝罪した。韓国政府当局者は韓国メディアに対し、「宮沢首相は8種類の表現で謝った」と会談での謝罪の回数まで説明した。

 

首相秘書官として訪韓に同行した竹内行夫元外務次官(後に最高裁判事)は、「大統領が慰安婦問題にこだわり、責め立てる口調だったのは予想を超えていた。秘書官として首相に事態を見通せなかったことを謝った」と振り返った。

 

盧大統領は文芸春秋(93年3月号)のインタビュー記事で、慰安婦問題をこう振り返っている。

 「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情きつけ、国民を憤激させてしまいました」

 

[検証 朝日「慰安婦」報道](3)「軍関与」首相の訪韓を意識 : 特集 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

 

1992年(平成4年)7月6日

韓国訪問を終えた後、日本政府は、慰安婦に関しての本格的な調査に乗り出し、調査結果を第1次分として、加藤紘一官房長官が発表した。

調査結果について…申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。


政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。


この問題については、いろいろな方々のお話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする。このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見も聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えている。

 

 

1993年(平成5年)8月4日

日本政府、河野談話を公表。

慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話

1993(平成5)年8月4日
内閣官房長官 河野 洋平

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。

 

慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。


なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。


いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。


われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。


なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 

日本政府が河野談話を発表するまでの推移を記載した。

 

 

【参考】

慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~

 

 

次回、総括を記録する。