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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 十九】 危急の心得 / 【二宮翁夜話 巻之一 二十】 川久保民次郎を諭す

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 8月 16日 大安  四緑木星 重陽(ちょうよう)の節句

         癸未 日/甲戌 月/甲午 年 月相 14.5 大潮 望

         白露 初候 草露白(くさのつゆしろし)    

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 20.8℃ 湿度 47%(大阪 6:00時点)

 

 

今日は重陽節句。時代の流れなのか、満月の日と重なりスーパームーンの方がネットでは喧しい。 節句には旧暦を用いた方が風情がある。旧暦なら重陽節句中秋の名月が重なることなどあり得ないのだから。桃の節句や菊の節句と旧暦で祝えばその花が野に咲く時期とも重なり風情も増すことだろう。

 

草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒   松尾芭蕉

 


9月9日 重陽の節句(菊の節句)の楽しみ方 [暮らしの歳時記] All About

重陽 - Wikipedia

 

 

この季節にオススメの古典落語です。


落語 目黒のさんま 2-1 (三代目三遊亭金馬) - YouTube

 


落語 目黒のさんま 2-2 (三代目三遊亭金馬) - YouTube

 

 

 

【二宮翁夜話 巻之一 十九】 危急の心得

翁曰く、
 
松明(たいまつ)盡きて、手に火の近づく時は速やかに捨つるべし。
 
火事あり危き時は荷物を捨てて逃出すべし。
 
大風にて船くつがへらんとせば、上荷を刎(は)ねるべし。甚しき時は帆柱をも伐(き)るべし。
 
此の理を知らざるを至愚(しぐ)といふ。

 

 

【私的解釈】

 

尊徳翁が言う。

 

松明が燃え尽きようとし、手許に火が近づいて来たならば速やかに捨て去るべきである。

 

火事があり命が危ない時は荷物を捨てて逃げ出すべきである。

 

嵐で船が転覆しそうならば、積み荷を捨て去るべきであり、最悪、帆柱も折り倒すべきである。

 

この理を実行しない者を間抜けというのだ。

 

 

 

【二宮翁夜話 巻之一 二十】 川久保民次郎を諭す

川久保民次郎と云う者あり。翁の親戚なれども、貧にして翁の僕たり。國に歸らんとして暇を乞ふ。
 
翁曰く、夫れ空腹なる時、他にゆきて一飯をたまはれ、予庭をはかんと云ふとも、決して一飯を振舞ふ者あるべからず。空腹をこらへてまづ庭をはかば或は一飯にありつく事あるべし。
 
是れ己を捨てて人に随ふの道にして百事行はれ難き時に、立至るも行はるべき道なり。
 
我若年初めて家を持ちし時、一枚の鍬(くわ)損じたり。隣家に行きて鍬をかし呉よといふ。隣翁曰く、今此の畑を耕し菜(さい)を蒔かんとする處なり、蒔き終らざれば貸し難しといへり。我が家に歸るも別に爲すべき業なし。
 
予此の畑を耕して進ずべしと云ひて耕し、菜の種を出されよ、序(ついで)に蒔きて進ぜんと云ひて、耕し且蒔きて、後に鍬をかりし時あり。
 
隣翁曰く、鍬に限らず何にても差支の事あらば、遠慮なく申されよ、必ず用達すべしといへる事ありき。斯の如くすれば、百事差支へなきものなり。汝國に歸り、新に一家を持たば必ず此の心得あるべし。 
 
夫れ汝未だ壮年なり。終夜いねざるも障りなかるべし。夜々寝る暇を励まし勤めて、草鞋一足或は二足を作り、明日開拓場に持ち出し、草履の切れ破れたる者に與へんに、受くる人禮せずといへども、元寝る暇に作りたるなれば其の分なり。禮を云ふ人あれば、夫れ丈の徳なり。又一銭半銭を以て應ずる者あれば是又夫れ丈の益なり。
 
能くこの理を感銘し、連日おこたらずば何ぞ志の貫かざる理あらんや、何事か成らざるの理あらんや。われ幼少の時の勤め此の外にあらず、肝に銘じて忘るべからず。
 
又損料を出して差支への物品を用瓣(便)するを甚だ損なりと云ふ人あれど、しからず、夫は事足る人の上の事なり。新に一家を持つ時は百事差支あり、皆損料にて用瓣すべし。世に損料ほど瓣(便)理なる物はなし、且安き物はなし。決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ。

 

 

【私的解釈】

 

川久保民次郎という者がいた。尊徳翁の親戚であったが、家が貧乏であったので翁の家に奉公に来ていた。ある時、国に帰ろうとして翁に暇を乞うた。

 

その際に尊徳翁が言った。

 

お前が空腹の時に、他人に「一食ごちそうして下さい。ごちそうしてくれれば庭を掃除しますので」と言っても、一食を振る舞ってくれる人は、まずいないだろう。空腹に堪えてまず庭を掃除してから「一食ごちそうして下さい」と言えば、もしかしたら一食にありつけることがあるかも知れない。

 

これは、私欲を捨てて他人に尽くすことであり、死中に活を求める時に心すべき術である。

 

私が若い時、初めて家を持った時のことなのだが、ある日、家の唯一の鍬を壊してしまった。そこで隣の家に行って「鍬を貸して下さいませんか」と言うと、隣の家の主人に「今から畑に行って野菜の種を蒔こうと思っているから蒔き終えるまで貸せませんね」と言われた。そこで私は仕方なく家に帰ったのだが、隣の主人はいつまでたっても種を蒔き始めることはなかった。

 

そこで、別の日に「私にあなたの畑を耕させて下さい。野菜の種もください。種も蒔いておきましょう」と言って、実際に耕し、種を蒔いた後に鍬を借りたことがあった。この時、隣の主人は「鍬に限らず、何か困っていることがあれば何なりと遠慮なく言いなさいよ。私が用立ててあげますから」とまで言ってくれた。このようにすれば万事は自分の都合よく進むものなのだ。お前が国に帰り、自分の家族を持とうと思うならば、必ずこの術を心掛けておきなさい。

 

また、お前はまだまだ若いから一晩寝なかったとしても差し障りないだろう。夜、寝る間を惜しんで草履の1足や2足を編んで、明くる日、開拓場に持って行って草履が切れて破れている人に与えてみなさい。もらった人が礼を言わなくても、元は寝ていた時間に作った物であるから全然気にもならないだろう。礼を言ってくれればそれだけの徳が自分に戻って来たのだから嬉しく思うだろう。一銭や半銭のお金をくれる人がいればそれだけの儲けとなる。

 

この理が持つ意味を心に刻んで毎日を過ごせば、どんな志でも貫徹しないことは決してないのだ。どんな志でも必ずや成し遂げられるのである。私が小さな時に心掛けていたことはこんなものではなかったぞ。お前はこのことを肝に銘じておきなさい。

 

また、借り賃を払って必要な道具を借りて使うことを損だと言う人がいるけれども、それは万事コトが足りている人の見方である。新たに家族を興す時は多くの不都合にぶつかるものである。こういった時は借り賃を払って道具を用立てるべきである。世の中で借りて済ますということほど便利なことはないし、安上がりなことはない。決して借り賃を高くつくもの、損するものと思ってはいけない。

 

 

【雑感】

 

 「得をする」という言葉がある。現代では、金銭的にもうけるという意味で使われるが、本来は別の意味から現代の意味に派生してきたことが上の文を読めば分かる。

 

「とくをする」とは「徳をする」ということなのだ。上の草履の例のように、他人を思い遣って草履を編み、草履が破れている人にあげれば、お礼の言葉や金銭の授受が無くても、その行為だけで、私は「徳をしている」のである。

 

日本語の本来の意味にこだわることも、今の時代に必要なことなのだと思う。

 

 

さて、しょうもないやり取りが、しょうもないトコロで行われているようである。

江戸しぐさの正体——教育をむしばむ偽りの伝統 [著]原田実

[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年09月07日   [ジャンル]人文 

 ■眉つば「ニセ歴史」にツッコミ

江戸しぐさ」なるものがはやっている。要約すると、〈すれ違う際に傘を傾けてすれ違う「傘かしげ」など、江戸時代には優れたマナーがあった。商人たちは小さなしぐさの中にも思慮深い行動哲学を込めていた。それが今や、数々の江戸しぐさが失われている。今こそ江戸しぐさに学ぶべきでござる〉といったもの。


ほほう、すばらしい伝統じゃないの。やっぱりお江戸はユートピア。今後の「お・も・て・な・し」に活用しましょう……って、おっと危ない、そのままうのみにしてはなりません。なにせこの江戸しぐさ、最近つくられた「ニセ歴史」なのですから。


本書は「傘は江戸時代には今ほど一般的ではなかったよね」といった事実確認を重ね、江戸しぐさの矛盾点を指摘。根拠もない江戸しぐさが、いかに広がったのかという「偽史拡大の歴史」までまとめた。ネット上では江戸しぐさに懐疑的な声が徐々に広がり、著者もツイッター上で積極的に検証・発信してきた。それらのツッコミが、ようやく「まずはこれを読め」と言える一冊にまとまった。


江戸しぐさが失われたのは、幕末・明治期に薩長勢力の「江戸っ子狩り」が行われたからだとか、戦争によって「隠れ江戸っ子」が途絶えてしまっただとか、当時の資料は焼き捨てられたので記録がないとか、もう完全にオカルト。記録がないなら、どうやって江戸しぐさが分かるのよ。これだけでもう眉つばもの。


しかしこの江戸しぐさ文部科学省の道徳教材をはじめ、複数の教科書会社の副読本や公民教科書に掲載されたり、テレビ番組や新聞各紙(朝日新聞でも!)で好意的に取り上げられたり、大手企業に講習として採用されたりしてきた。流言研究としては興味深いが、こうした言説が検証なしに拡散される現状には背筋が凍る。流言を元に道徳を説く、実は非・教育的な江戸しぐさの蔓延(まんえん)にご用心を。
    ◇
星海社新書・886円/はらだ・みのる 61年生まれ。歴史研究家。著書に『オカルト「超」入門』など。


書評:江戸しぐさの正体——教育をむしばむ偽りの伝統 [著]原田実 - 荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

 

 

江戸しぐさが実在していたかどうかは分からない。しかし300年近くも続いた江戸時代には、そこに生きた人々の知恵というものが語り継がれて来たはずである。

 

古典落語には江戸の町人達の生きる知恵というものがふんだんに盛り込められている。特に長屋という住まいは人間関係が濃くなるのが成り行きである。そういう場で滑らかに生活する為の「仕草」というものが存在したのは当たり前のこと。

 

 


五代目古今亭志ん生 - 三軒長屋(音声のみ) - YouTube

 

 

評論家風情が江戸の町人風情に目くじらを立てる。

流言研究としては興味深いが、こうした言説が検証なしに拡散される現状には背筋が凍る。流言を元に道徳を説く、実は非・教育的な江戸しぐさの蔓延(まんえん)にご用心を。

ほんと、ご用心である。