まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

妖怪ウオッチを見て古事記を思う

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 8月 11日 赤口  四緑木星

         戊寅 日/甲戌 月/甲午 年 月相 9.5 小潮

         処暑 末候 禾乃登(こくものすなわちみのる)    

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 22.8℃ 湿度 69%(大阪 6:00時点)  

 

 

妖怪ウオッチ」なるものが子供たちの間で大人気みたいだそうだ。大分前からその事実は知っていたけれど、ふ~んって感じで流していた。が、これらの記事を読んで興味を持ったので動画を見てみたらハマリましたよ。。。。

 

 

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妖怪ウォッチがすごい - トウフ系

 

 

なるほど、興味深い。

 

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まるで、日本人の心の奥深くにひっそりと建つ祠(ほこら)の扉が開けられてしまい、その中で眠っていたナニカの封印が解け、この世の中に飛び出して来たような感じを受ける。まず、子供たちが目覚め、次にその親達、そして世の中へとその霊力がじわじわと日本中そして世界へと広がっている。

 

 

 

第一話で「なるほど!」と感じたエピソードを紹介する。

 

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主人公の両親が、プリンを勝手に食べたとか何とかで喧嘩中。

 

普段、仲が良い両親がこんなことで喧嘩をするのはおかしいということで、主人公が「妖怪ウオッチ」なる道具で霊視をしてみると、、、

 

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場の雰囲気をドンヨリさせる妖怪が部屋に居て、この妖怪のせいで両親の仲が険悪になっていることが判明。そこで、この妖怪に家から出て行ってくれるように頼むが聞き入れられない。そこで、この妖怪の旦那を家に呼び寄せる。

 

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その旦那は、場の雰囲気をほのぼのさせる妖怪。この妖怪を呼び寄せると、、、

 

 

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瞬く間に両親は自分の非を認め、お互いが謝り合って仲直りを果たす。

 

場には、妖怪「ホノボーノ」と「ドンヨリーヌ」がおり、この2匹の妖怪の霊力のお陰で場の空気が保たれているんだよというお話。

 

 

人の意志ではどうしても制御できない感情の高ぶりという目に見えない物を、妖怪というモノに例え、客観視させているところが、日本人の腑に落ちるところだと思います。

 

何故、日本人には腑に落ちるのかを突き詰めると、ある物語に行き着く。

 

その物語の一節を紹介する。

 

いよいよ国ができあがったので、お二人は、こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。それといっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。

 

ところがおいたわしいことには、伊弉冉神(いざなみのかみ)は、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。

 

伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、


「ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、大事なおまえをなくするとは」

 

とおっしゃって、それはそれはたいそうお嘆(なげ)きになりました。そして、お涙(なみだ)のうちに、やっと、女神のおなきがらを、出雲(いずも)の国と伯耆(ほうき)の国とのさかいにある比婆(ひば)の山にお葬(ほうむ)りになりました。


女神は、そこから、黄泉(よみ)の国という、死んだ人の行くまっくらな国へたっておしまいになりました。 


伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのあとで、さっそく十拳(とつか)の剣(つるぎ)という長い剣を引きぬいて、女神の災(わざわい)のもとになった火の神を、一うちに斬(き)り殺してしまいになりました。


しかし、神のおくやしみは、そんなことではお癒(い)えになるはずもありませんでした。神は、どうかしてもう一度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのあとを追って、まっくらな黄泉(よみ)の国までお出かけになりました。

 

女神(めがみ)はむろん、もうとっくに、黄泉(よみ)の神の御殿(ごてん)に着いていらっしゃいました。


すると、そこへ、夫の神が、はるばるたずねておいでになったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりました。

 

伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、まっくらな中から、女神をお呼(よ)びかけになって、


「いとしきわが妻の女神よ。おまえといっしょに作る国が、まだできあがらないでいる。どうぞもう一度帰ってくれ」

 

とおっしゃいました。すると女神は、残念そうに、


「それならば、もっと早く迎えにいらしってくださいませばよいものを。私はもはや、この国のけがれた火で炊(た)いたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることはできますまい。しかし、せっかくおいでくださいましたのですから、ともかくいちおう黄泉(よみ)の神たちに相談をしてみましょう。どうぞその間は、どんなことがありましても、けっして私の姿(すがた)をご覧(らん)にならないでくださいましな。後生(ごしょう)でございますから」

 

と、女神はかたくそう申しあげておいて、御殿(ごてん)の奥(おく)へおはいりになりました。


伊弉諾神(いざなぎのかみ)は永(なが)い間戸口にじっと待っていらっしゃいました。しかし、女神は、それなり、いつまでたっても出ていらっしゃいません。伊弉諾神(いざなぎのかみ)はしまいには、もう待ちどおしくてたまらなくなって、とうとう、左のびんのくしをおぬきになり、その片(かた)はしの、大歯(おおは)を一本欠(か)き取って、それへ火をともして、わずかにやみの中をてらしながら、足さぐりに、御殿の中深くはいっておいでになりました。


そうすると、御殿のいちばん奥に、女神は寝ていらっしゃいました。そのお姿をあかりでご覧になりますと、おからだじゅうは、もうすっかりべとべとに腐(くさ)りくずれていて、臭(くさ)い臭いいやなにおいが、ぷんぷん鼻へきました。そして、そのべとべとに腐ったからだじゅうには、うじがうようよとたかっておりました。それから、頭と、胸と、お腹(なか)と、両ももと、両手両足のところには、そのけがれから生まれた雷神(らいじん)が一人ずつ、すべてで八人で、怖(おそ)ろしい顔をしてうずくまっておりました。


伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのありさまをご覧になると、びっくりなすって、怖ろしさのあまりに、急いで遁(に)げ出しておしまいになりました。


女神はむっくりと起きあがって、


「おや、あれほどお止め申しておいたのに、とうとう私のこの姿(すがた)をご覧になりましたね。まあ、なんという憎(にく)いお方(かた)でしょう。人にひどい恥(はじ)をおかかせになった。ああ、くやしい」

 

と、それはそれはひどくお怒りになって、さっそく女の悪鬼(わるおに)たちを呼んで、


「さあ、早く、あの神をつかまえておいで」

 

と歯がみをしながらお言いつけになりました。


女の悪鬼たちは、「おのれ、待て」と言いながら、どんどん追っかけて行きました。


伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、その鬼どもにつかまってはたいへんだとおぼしめして、走りながら髪(かみ)の飾(かざ)りにさしてある黒いかつらの葉を抜(ぬ)き取っては、どんどんうしろへお投げつけになりました。


そうすると、見る見るうちに、そのかつらの葉の落ちたところへ、ぶどうの実がふさふさとなりました。女鬼どもは、いきなりそのぶどうを取って食べはじめました。
 

神はその間に、いっしょうけんめいにかけだして、やっと少しばかり遁(に)げのびたとお思いになりますと、女鬼どもは、まもなく、またじきうしろまで追いつめて来ました。

 

神は、「おや、これはいけない」とお思いになって、こんどは、右のびんのくしをぬいて、その歯をひっ欠いては投げつけ、ひっ欠いては投げつけなさいました。そうすると、そのくしの歯が片(かた)はしからたけのこになってゆきました。

 

女鬼(おんなおに)たちは、そのたけのこを見ると、またさっそく引き抜いて、もぐもぐ食べだしました。


伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、そのすきをねらって、こんどこそは、だいぶ向こうまでお遁(に)げになりました。そしてもうこれならだいじょうぶだろうとおぼしめして、ひょいとうしろをふりむいてご覧になりますと、意外にも、こんどはさっきの女神のまわりにいた八人の雷人(らいじん)どもが、千五百人の鬼の軍勢をひきつれて、死にものぐるいでおっかけて来るではありませんか。


神はそれをご覧になると、あわてて十拳(とつか)の剣(つるぎ)を抜きはなして、それでもってうしろをぐんぐん切りまわしながら、それこそいっしょうけんめいにお遁げになりました。そして、ようよう、この世界と黄泉(よみ)の国との境(さかい)になっている、黄泉比良坂(よもつひらざか)という坂の下まで遁げのびていらっしゃいました。

すると、その坂の下には、ももの木が一本ありました。

 

神はそのももの実を三つ取って、鬼どもが近づいて来るのを待ち受けていらしって、その三つのももを力いっぱいお投げつけになりました。そうすると、雷神たちはびっくりして、みんなちりぢりばらばらに遁(に)げてしまいました。
 

神はそのももに向かって、

 

「おまえは、これから先も、日本じゅうの者がだれでも苦しい目に会っているときには、今わしを助けてくれたとおりに、みんな助けてやってくれ」

 

とおっしゃって、わざわざ大神実命(おおかんつみのみこと)というお名まえをおやりになりました。


そこへ、女神は、とうとうじれったくおぼしめして、こんどはご自分で追っかけていらっしゃいました。神はそれをご覧になると、急いでそこにあった大きな大岩をひっかかえていらしって、それを押(お)しつけて、坂の口をふさいでおしまいになりました。


女神は、その岩にさえぎられて、それより先へは一足も踏(ふ)み出すことができないものですから、恨(うら)めしそうに岩をにらみつけながら、


「わが夫の神よ、それではこのしかえしに、日本じゅうの人を一日に千人ずつ絞(し)め殺してゆきますから、そう思っていらっしゃいまし」

 

とおっしゃいました。神は、


「わが妻の神よ、おまえがそんなひどいことをするなら、わしは日本じゅうに一日に千五百人の子供を生ませるから、いっこうかまわない」

 

とおっしゃって、そのまま、どんどんこちらへお帰りになりました。
 

神は、


「ああ、きたないところへ行った。急いでからだを洗ってけがれを払(はら)おう」

 

とおっしゃって、日向(ひゅうが)の国の阿波岐原(あわきはら)というところへお出かけになりました。


そこにはきれいな川が流れていました。


神はその川の岸へつえをお投げすてになり、それからお帯やお下ばかまや、お上衣(うわぎ)や、お冠(かんむり)や、右左のお腕(うで)にはまった腕輪(うでわ)などを、すっかりお取りはずしになりました。そうすると、それだけの物を一つ一つお取りになるたんびに、ひょいひょいと一人ずつ、すべてで十二人の神さまがお生まれになりました。


神は、川の流れをご覧になりながら、

  上(かみ)の瀬(せ)は瀬が早い、
  下(しも)の瀬は瀬が弱い。

とおっしゃって、ちょうどいいころあいの、中ほどの瀬におおりになり、水をかぶって、おからだじゅうをお洗いになりました。すると、おからだについたけがれのために、二人の禍(わざわい)の神が生まれました。それで伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、その神がつくりだす禍をおとりになるために、こんどは三人のよい神さまをお生みになりました。


それから水の底へもぐって、おからだをお清めになるときに、また二人の神さまがお生まれになり、そのつぎに、水の中にこごんでお洗いになるときにもお二人、それから水の上へ出ておすすぎになるときにもお二人の神さまがお生まれになりました。そしてしまいに、左の目をお洗いになると、それといっしょに、それはそれは美しい、貴(とうと)い女神(めがみ)がお生まれになりました。


伊弉諾神(いざなぎのかみ)は、この女神さまに天照大神(あまてらすおおかみ)というお名前をおつけになりました。そのつぎに右のお目をお洗いになりますと、月読命つきよみのみこと)という神さまがお生まれになり、いちばんしまいにお鼻をお洗いになるときに、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)という神さまがお生まれになりました。
 

伊弉諾神(いざなぎのかみ)はこのお三方(さんかた)をご覧になって、


「わしもこれまでいくたりも子供を生んだが、とうとうしまいに、一等よい子供を生んだ」

 

と、それはそれは大喜びををなさいまして、さっそく玉の首飾(くびかざ)りをおはずしになって、それをさらさらとゆり鳴らしながら、天照大神(あまてらすおおかみ)におあげになりました。そして、


「おまえは天へのぼって高天原(たかまのはら)を治めよ」

 

とおっしゃいました。それから月読命つきよみのみこと)には、


「おまえは夜の国を治めよ」

 

とお言いつけになり、三ばんめの須佐之男命(すさのおのみこと)には、


「おまえは大海(おおうみ)の上を治めよ」

 

とお言いわたしになりました。 

 

古事記物語

 

 

日本の神話「古事記」のお話である。

 

神話の中に当たり前のごとく死の世界のお話が盛り込まれ、日本という国を産んだ女神が死んで邪悪な神に変身してしまう。

 

夫である男神が邪悪な女神を黄泉の国に何とか閉じ込めた時に、邪悪な女神は男神に「一日千人の人間の命を奪う」と言い、男神はその言葉を何ら咎めることもせずに「では、私は一日に千五百人の人間を産み出す」と淡々とした調子で返す。

 

また、やっとの思いで黄泉の国から生還した男神が体を洗うと、体の穢れから災いの神が2人産まれてしまう。しかし、男神はその2人の神を即座に殺してしまうことをせずに、別に3人の良い神を産み出すことを選ぶ。

 

1000人と1500人と2人と3人。両方共比率は4:6である。

 

日本は神話の時代から中庸を意識して来たのだ。上に書いた妖怪ウオッチのエピソードも、この中庸のことを言っている。

 

 

また、

 

千人殺すと言われれば、私は千五百人を産みだすからお好きな様にと言って、あくまでも相手との対立を避ける。

 

そして、

 

2人の災いを招く神様を産みだしてしまったら、その災いの神様を即座に殺して世の中から排除してしまうのではなくて、3人の良い神様を産み出すことで対抗する。

 

 

この日本の神話に記された精神こそが日本人たるものなのだろう。

 

 

 

今、「妖怪ウオッチ」に夢中になっている子供たちが上に書いた日本の神話の物語を知っているのかどうかは分からない。しかし、子供たちの心の奥に眠っていた何かが目覚め、その親達にまで波及し、日本を飲み込もうとしている。そして、これを契機に日本人の精神を思い出すことだろう。

 

 

神代の時代を現在まで継承している中今(なかいま)の国である日本の一面を垣間見た次第である。日本を漂う正氣は全く衰えてはいない。