まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

地蔵盆におもゐを馳せて

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 7月 29日 大安  四緑木星

         丁卯 日/癸酉 月/甲午 年 月相 28.2 中潮

                             処暑 初候 綿柎開(わたのはなしべひらく)    

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 25.3℃ 湿度 65%(大阪 6:00時点) 

 

 

昨日、今日と地蔵盆です。

 

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地蔵盆

地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩縁日(毎月24日)であり、なおかつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。

旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆お盆)期間中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行うところも増えている。地蔵盆新暦の7月24日前後もしくは8月24日前後に分かれるのは、お盆を新暦に改めて勤めるのか、それとも旧暦風に8月に行うのかの差異である(お盆の記事を参照)。近年では8月23・24日に行われるのが一般的である。

地蔵盆近畿地方を中心とする地域で盛んな行事である(長野県長野市善光寺長崎県対馬市厳原町など、近畿地方から離れた地方でも地蔵盆を行う地域は存在する)。一方、関東地方東北地方では地蔵信仰自体が浸透していないため、地蔵盆も行われない。地蔵盆が当たり前の近畿地方出身者にとって、「地蔵盆は全国区ではない」ということは関東などへ移って驚くことの一つである[1]

地蔵祭では、地蔵のある町内の人々がこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る。地蔵盆の前後には、地蔵の据えられる家や祠の周囲などに、地蔵盆独特の提灯が多く飾られる。京都では子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習がある。おおむね女子は赤、男子は白で、その子が地蔵盆に参加しているあいだは、毎年飾られる。

地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようになった。広く知られた伝説によれば、地蔵菩薩が、親より先に亡くなった子供が賽の河原で苦しんでいるのを救うという。このことから地蔵祭においては特に子供が地蔵の前に詣り、その加護を祈る習わしになっている。ところによっては、仏僧による読経や法話も行われるが、おおむねそれらの多くは子供達に向けたものである。地域によっては、地蔵盆当日の朝に「数珠回し」を行う。これは、町内の子供が、直径2〜3メートルの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順々に回すというものである。

今日では地蔵盆は子供のための祭とも言え、地蔵に詣った子供達は地蔵の前に集まった席で供養の菓子や手料理などを振る舞われる場合が多い。また地域の子供達が一堂に会するため、子供達に向けたイベントも行われたり、そのまま子供達の遊び場となることもしばしばである。

初日朝に地蔵盆の用意をし、仏僧による読経、子供におやつの配布(日に一度か二度)、夜のイベント(踊りや線香花火など)。翌日、おやつ配布、お供えのお下がり配布、後片付けといった流れが多いようである。しかし、子供が少なくなったことや大人たちの都合がつきにくくなったりすることから、一日で終えてしまう町内も増えつつある。また、地蔵盆における福引は、「ふごおろし」とも呼ばれる形式で行われていた。福引担当の家の向かいの家から渡したロープにつるし紐で手繰り寄せた。その後、その品を紐で1階へ下ろして渡すものである。しかし、最近ではこういった福引はほとんど見られなくなった。

また、町内によっては天道大日如来を祀っており、それらの町内では大日如来の縁日である旧暦7月28日もしくは、それ前後(地蔵盆同様、お勤めの時期に7月もしくは8月の差異あり)に、同様の祭りである大日盆を行う。上述の地蔵盆と同じく日程をずらして土日にすることが多いため、年によっては他の町内に1週間遅れて大日盆を勤めることもある。

 

 

1000年以上に渡り唄い継がれる歌が以下の歌である。

 

 

西院河原地蔵和讃(さいのかわらじぞうわさん)

伝 空也上人御作

 

これはこの世の事ならず 死出の山路の裾野なる 西院(さい)の河原の物語 聞くにつけても哀(あわ)れなり

 

二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどり子が 西院の河原に集まりて 父上恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は 此の世の声とはこと変わり 悲しき骨身を通すなり

 

かのみどり子の処作として 河原の石を取り集め 此れにて廻向(えこう)の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んでは故里の 兄弟我が身と廻向して 昼は一人で遊べども 陽も入相(いりあい)のその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝等は何をする 

 

娑婆に残りし父母は 追善作善(さぜん)の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不愍(ふびん)やと 親の嘆きは汝等が 苦患(くげん)を受くる種となる 我らをに恨む事勿れと 黒鉄(くろがね)の棒を差し延べて 積みたる塔を押し崩す 

 

其の時能化(のうけ)の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給ひつつ 汝等命短くて 冥途(めいど)の旅に来るなり 娑婆と冥途は程遠し 我を冥途の父母と 思うて明け暮れ頼めよと幼きものをみ衣の 裳(もすそ)のうちにかき入れて 哀れみ給ふぞ有難き 未だ歩まぬみどり子を 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲(にんにくじひ)のみ肌(はだへ)に 抱き抱へて撫でさすり 哀れみ給ふぞ有難き

 

南無延命地蔵大菩薩

真言
オン、カ、カ、カ、ビ、サンマ、エイ、ソワカ。 

地蔵和讃

 

 


地蔵和讃 - YouTube

 

 

病気や災害や交通事故や事件は理不尽にあっという間に人の命を奪い去って行く。

 

子供が親を残して先立つということは、無情にも、この世の中で当たり前の出来事のように起こっている。自分の身の回りで起こっていないということは、たまたまなことに過ぎないのだ。

 

このことは、昔も今も何ら変わることがない。

 

昔から今も、道の辻にお地蔵様が佇んでいる。人は、お地蔵様を見た時に子供を亡くした親の気持ちと、先立った子供の気持ちにおもゐを遣って、まるで自分のことのように手を合わせて来たのであろう。

 

遠い昔からお地蔵様が道の辻やお寺に佇んでいる意味を、私達はきちんと子供達に教えて行かなければならない。理不尽な死が当たり前のように存在することを言い聞かせ、その死に見舞われた家族を思い遣ることの大切さを言い聞かせて行く。

 

その意味でも地蔵盆という風習は絶やしては行けないと、思う。

 

地蔵盆とは?どんな由来があるの? | いい日本再発見