【二宮翁夜話 巻之一 十八】 大神楽を見て聖人の道に及ぶ
【今日のこよみ】 旧暦2014年 7月 17日 大安 四緑木星
乙卯 日/癸酉 月/甲午 年 月相 16.2 立待月 大潮
立秋 初候 涼風至(すずかぜいたる)
【今日の気象】 天気 雨 気温 23.1℃ 湿度 66%(大阪 6:00時点)
翁宇津氏の邸内に寓す。邸内の稲荷社の祭禮(礼)に大神楽来りて、建物の戯藝をせり。翁見て曰く。凡そ事此の術の如くなさば、百事成らざる事あらざるべし。其の場に出づるや少しも噪(さわ)がず、先ず體(体)を定めて、両眼を見澄して、棹の先に注し、脇目も觸(触)らず、一心に見詰め、器械の動揺を心と腰に受け、手は笛を吹き扇を取って舞ひ、足は三番叟(さんばそう)の拍手を踏むといへども、そのゆがみを見留めて、腰にて差引きす、其の術至れり盡(尽)せり。手は舞ふといえども手のみにして體に及ばず、足は踏むといえども、足のみにして腰に及ばず。舞ふも躍るも兩眼は急度見詰め、心を鎮め、體を定めたる事、大學論語の眞理、聖人の祕決、此の一曲の中に備れり。然るを之を見る者、聖人の道と懸隔(けんかく)すと見て、此の大神楽の術を賤しむ。書生の如き、何ぞ國家の用に立たんや。嗚呼術は恐るべし。綱渡りが綱の上に起臥して落ちざるも又、之に同じ。能く思ふべき事なり。
【私的解釈】
尊徳翁が宇津氏の屋敷に滞在していた。ちょうど、屋敷家内の稲荷社の祭礼があり、太神楽(*1)がやって来て技芸を披露した。
尊徳翁はこれを見学して言った。
だいたいの事は、ここで披露されているワザのように行えば、どんなことでも成し遂げられない事は無い。
前に出てきても少しも取り乱さずに、真っ先に体を型にはめて、両目を見据えて竿の先に注目し、脇目も触らずに一心に見詰め、道具の動きを心と腰で受け止めて、手は笛を吹き、扇を取って舞い、足は三番叟(*2)のリズムを踏むといっても、動作のズレが生じたら腰にて修正する。このワザは申し分がない。
手は舞っていても手のみだけで体には影響を及ばさず、足はリズムを踏んでいても足のみだけで腰には影響を及ぼさない。
舞い踊るも両目はキッと一点を見詰め、心を鎮め、体を型にはめる。大学や論語に記述されている真理や聖人の秘決といったものがこの一曲の舞いの中に備わっている。
しかしながら、この舞いを見る者の多くは、こんな舞いなどと聖人の道の対極にあるものだとして、この太神楽の術を馬鹿にする。
こんな学者ごときが国の役に立つものか。
ああ、ワザというものはスゴイものだ。
綱渡りが綱の上で飛び跳ねても落ちることがないとうことも、これと同じことなのだ。
このことをくれぐれも心に留めて置きなさい。
太神楽(*1)
伊勢神宮や熱田神宮の神人が各地を巡って(回檀)、神札を配り、竃祓いや村の辻での悪魔祓いとして行った神楽。大神楽・代神楽とも。獅子舞と曲芸から成る。伊勢太神楽の獅子舞は回檀先の多くの村々に移入され、伊勢太神楽系の獅子舞と呼ばれる。熱田派は江戸開府の際に本拠地を江戸に移した。余興だった曲芸は舞台芸としての太神楽に発展、江戸太神楽や水戸大神楽となった。江戸末期からの寄席では神楽よりも演芸色の強い曲芸(ジャグリング)の方が多く演じられた。寄席での神楽は落語、講談とは違い色物とされることが多く太神楽曲芸と言う。
三番叟(*2)
三番叟(さんばそう)は、日本の伝統芸能。式三番(能の翁)で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事。能楽では狂言役者が演ずる。
翁の舞が、天下泰平を祈るのに対し、三番叟の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれ、足拍子に農事にかかわる地固めの、鈴ノ段では種まきを思わせる所作があり、豊作祈願の意図がうかがえる。式三番のうちでも、翁以上に後世の芸能に影響を与えた。歌舞伎や人形浄瑠璃などに取り入れられ、また日本各地の民俗芸能や人形芝居のなかにも様々な形態で、祝言の舞として残されている。なお、三番叟の系統を引く歌舞伎舞踊や三味線音楽を「三番叟物」と言う。
【雑感】
安岡正篤の言葉を引用する。
いつも申しますように、識にもいろいろあって、単なる大脳皮質の
作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、これは本を読むだ けでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。
しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というよ うなものは、単なる知識では出て来ない。そういう識を「見識」という。
しかし如何に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない。その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。けれども見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしな いと、出て来ない。更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、胆識になりません 。
今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない。また見識を持った人は時折りあるが、胆識 の士に至ってはまことに塞々たるものです。
これが現代日本の大きな悩みの一つであります。
尊徳翁と同じことを言っている。
ワザからは安岡先生がいう胆識が発露しているからこそ、舞いの中に真理が表現されているのだ。
古の聖人は視点を変え同じような言葉を残している。
千利休が弟子に「茶の湯の神髄とは何ですか」と問われた時の問答(以下の答えを『利休七則』という)
「茶は服の良き様に点(た)て、炭は湯の沸く様に置き、冬は暖かに夏は涼しく、花は野の花の様に生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」
「師匠様、それくらいは存じています」
「もしそれが十分にできましたら、私はあなたのお弟子になりましょう」
白居易:「仏教の真髄とは何か」
鳥窠道林:「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)」 (もろもろの悪を作(さく)すことなく もろもろの善を行うことだ)
白居易:「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」
鳥窠道林:「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」
自分にとって分かることを自分が安々と出来るようしていくのが自分を生きるということなのだろう。
また、利休四規という有名な言葉がある。
「四規」とは和敬清寂〔わけいせいじゃく〕の精神を言います。
和…お互い仲良くする事。
敬…お互い敬いあう事。
清…見た目だけでなく心の清らかさの事。
寂…どんな時にも動じない心の事。
そして、日本の祭りは天下泰平と五穀豊穣を祈る神楽を元としている。そしてこの神楽が大衆化して盆踊り、現代のよさこい踊りへと脈々と流れてきている。
だとすれば、日本人には平和へのおもゐが踊りの型となって、その遺伝子が身体に染み付いている。
また、日本人には「和をもって貴しとなす」という精神も遺伝子となって染み付いている。
このことを考えると、「日本は戦争に向かって進んでいる」という最近の一部の論調に全く不安になることはないのだ。
今はただ、日本の精神に見守られながら、周りに煽られることなく、自分の言葉で様々な問題を考え抜くということが大切なのだと、思う。