まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【岡本かの子 仏教人生読本】 第七課 性質を矯(た)め過ぎるな

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 5月 5日 先負  四緑木星

         甲辰 日/辛未 月/甲午 年 月相 4.3 中潮

         小満 末候 麦秋至(むぎのときいたる) 

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 22.4℃ 湿度 50%(大阪 6:00時点) 

 

 


麦秋 - YouTube

 

麦畑の上をサササと風が駆け抜ける。そこに神の存在を感じます。

真っ青な田んぼとのコントラストがいいんです。

そして、夜になると蛍が飛び交うと。

日本に生まれて良かったと感じる季節の一場面ですね。

 

 

人生の使い方に二とおりあります。そのいずれへも極端にかたより過ぎると、結局その人の生涯が駄目になってしまいます。今、極端に性質をめ過ぎる方を述べてみます。


私たち活花いけばなを活けるときによく経験することですが、一本の枝を取ってみて、この枝振りも面白くない、あの枝振りも面白くないと言って切り捨ててしまいます。枝ばかりでなく、花も同じことです。だんだん鋏み捨てて行くと、すっかり裸にしてしまって、とうとう活けられなくなります。これを活花の素人と言います。


人間にしても同じことです。どうも私はおこりっぽくていけないからとて、その感情の根を押し潰し、また私は欲望が多過ぎて苦しいからとて、その根を断ち、また私は子供らしくて困るからと、その根を刈ります。結局生きているのか、死んでいるのか判らないような人間になって、世の中の役に立たなくなってしまいます。ちょうど、前の活花の場合と同じです。前の場合を活け花の素人と言うなら、これは人生の素人であります。


すべていけない方に目を付けてこれを刈込んでしまう。これでは誰でも、何事でも、痩せて、枯れて、滅してしまう一方です。仏教では、この方法を「灰身けしん滅智の空寂」(肉体も精神も罪悪の基として否定する教えすなわち小乗仏教)と言って、肉体も精神もみな罪悪の基として否定するやり方で、本当の仏教(大乗仏教)からは、これを低級な仏教すなわち小乗仏教として嫌います。この方法では人生の理想の花を咲かす根本の種子を潰してしまいます。


この流儀で人生に処すると、世の中や人間のあらばかり見え、だんだん浮世が嫌になり、自分独り孤独を楽しむようになって、人交際ひとづきあいが出来にくくなります。


子供を育てるにしろ、人を使うにしろ、相手をすっかり萎縮いじけさしてしまって、その特色を引き抜いてしまいます。

 

 

【雑感】

 

「新しい日本人」とは

自由と人権を愛し,法と秩序を重んじて,戦争を憎み,ひたぶるに,ただひたぶるに平和を追求する一本の道を,日本は一度としてぶれることなく,何世代にもわたって歩んできました。これからの,幾世代,変わらず歩んでいきます。

 

この点,本日はお集まりのすべての皆さまに,一点,曇りもなくご理解をいただきたい。そう思います。

 

私はこの1年と半年ちかく,日本経済を,いまいちど,イノベーションがさきわい,力強く成長する経済に立て直そうと,粉骨砕身,努めてまいりました。

 

アベノミクスと,ひとはこれを呼び,経済政策として分類します。

 

私にとってそれは,経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う,新しい日本人を育てる事業にほかなりません。

 

新しい日本人は,どんな日本人か。

 

昔ながらの良さを,ひとつとして失わない,日本人です。

 

貧困を憎み,勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は,アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから,自分たちにできたことが,アジアの,ほかの国々で,同じようにできないはずはないと信じ,経済の建設に,孜々として協力を続けました。

 

新しい日本人は,こうした,無私・無欲の貢献を,おのがじし,喜びとする点で,父,祖父たちと,なんら変わるところはないでしょう。

 

変わるとすれば,日本が実施する支援や協力は,その対象,担い手とも,ますます女性になることでしょうか。

 

カンボジアで,民法をつくり,民事訴訟法をつくるお手伝いをした日本人が,3人の,いずれも若い女性裁判官,女性検事だったことを,ご記憶ください。

 

2011年8月のことでした。フィリピンの,ベニグノ・アキノ3世大統領と,ムラド・エブラヒムMILF議長とのトップ会談が,日本の,成田で実現し,本年3月には,とうとう,両者間に,包括和平の合意がなりました。

 

2年後には,いよいよ,バンサモロ自治政府が産声をあげます。そのため私たち日本の援助チームは,何に,いちばん力を入れているでしょうか。

 

女性たちに,生活の糧を稼ぐ実力をつけてもらうことが,そのひとつです。ミンダナオに,我が国は女性職業訓練所を建てました。銃声と怒号が消えたミンダナオに響くのは,彼女たちが動かすミシンの,軽快な機械音です。

 

新しい日本人とは,いままでと同じように,成長のエンジンが,結局のところ人間であり,ともすると不当に不利な立場に置かれてきた,女性たちであることを踏まえ,その,実力向上に,力を惜しまない人間です。

 

新しい日本人は,アジア・太平洋の繁栄を,自分のこととして喜び,日本を,地域の意欲ある若者にとって,希望の場所とすることに,価値と,生き甲斐を見出す日本人です。日本という国境にとらわれない,包容力ある自我をもつ,日本人です。

 

中国からは,毎年,何十人かの高校生がやってきて,北から南まで,日本列島に散らばって,まる1年,日本人の高校生と,生活や,学習を共にします。

 

彼ら,彼女らは,例外なく,日本人の友達と結んだ友情に感動し,ホストファミリーが注ぐ愛情に涙して,母国に帰ります。日本を,第二の故郷だと言って帰ります。

 

新しい日本人には,そんな,外国の人たちを慈愛深く迎える心を,いっそう大切にしてほしい。そう思います。

 

新しい日本人とは,最後に,この地域の平和と,秩序の安定を,自らの責任として,担う気構えがある日本人です。

 

人権や,自由の価値を共有する地域のパートナーたちと,一緒になって,アジア・太平洋の平和,秩序を担おうとする意欲の持ち主です。

 

そんな新しい日本人のための,新しいバナー,「積極的平和主義」とは,日本が,いままでより以上に,地域の同輩たち,志と,価値を共にするパートナーたちと,アジア・太平洋の平和と,安全,繁栄のため,努力と,労を惜しまないという,心意気の表現にほかなりません。

 

米国との同盟を基盤とし,ASEANとの連携を重んじながら,地域の安定,平和,繁栄を確固たるものとしていくため,日本は,骨身を惜しみません。

 

私たちの行く手には,平和と,繁栄の大道が,ひろびろと,広がっています。次の世代に対するわれわれの責任とは,この地域がもつ成長のポテンシャルを,存分に,花開かせることです。

 

日本は,法の支配のために。アジアは,法の支配のために。そして法の支配は,われわれすべてのために。アジアの平和と繁栄よ,とこしえなれ。

 

――有難うございました。

第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)安倍内閣総理大臣の基調講演 | 外務省

 

 

この講演の中で安倍首相は「新しい日本人」という言葉を投げかけている。

 

新しい日本人は,どんな日本人か。

 

昔ながらの良さを,ひとつとして失わない,日本人です。

 

 

 

ここに明治の日本の日常を写した写真がある。

 

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火鉢を囲んでの円居の様子である。大きな屏風がでんと置かれ、床の間には掛け軸。そして、琴と三味線が壁に立てかけられている。

 

そして、この写真。

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 今は見ることの無い深々とした美しいお辞儀の姿にハッとさせられる。心が現れるとはこういうことを言うのであろう。

 

現代、デパートでよく見かける、形式だけを重視したお辞儀の姿と見比べてもその美しさの違いに愕然とさせられる。

 

 

この写真の時代の暮らしと現在の暮らしを比べると、確かに現在の方が物質的には格段に豊かになったことは間違いがない。だが、精神的にはどうであろうか?と自問せざるにはいられない。

 

でも、幸運なことに精神的なモノは、日本人各々の胸の奥深くに眠っているだけである。その眠っている美しいモノを、掻き分け掻き分け引き揚げてしまえば良いだけなのだ。

 

安倍首相が言う「新しい日本人」とは、その美しいものを手許まで引き揚げた人のことを言うのであろう。

 

正に時代の潮目に今、私は居るのだ。