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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【岡本かの子 仏教人生読本】 第五課 たしなみ

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月30日先負  四緑木星

         己亥 日/庚午 月/甲午 年 月相 28.9 中潮

         小満 初候 紅花栄(べにばなさかう) 

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 15.8℃ 湿度 77% (大阪 6:00時点)  

 

 

大雪が降りました。朝、眼を覚ました秀吉は考えました。「いかに名人、利休でも、こんなときは油断していてまごつくだろう。一つメンタルテストに出かけてやろう」と。


「茶というものは贅沢や遊びにやるものではない。人間同志、互いに持ちまえの和親敬愛の情を表すために使う方便だ。そしてその作法というものは、身を慎しみ心を磨く修業である。人生のあらゆる態度を、この作法の中に切り縮めて研究工夫するのである」。これが茶道の元祖といわれる千利休の茶に対する態度でありました。さすがに一芸に達するほどの人の見解であります。そして利休は、これを口に唱えるばかりではなく、職分の上に実行してもいました。それで寸分も隙がありません。隙というものは、物事について張り切った研究工夫の気持ちが抜けたとき出て来るものであります。ふだん随分、千利休の隙のないことを試してみて、感心もし、すっかり兜を脱いでいる保護者(パトロン)の秀吉ではありましたが、折しも、この大雪を見ると、もう一度試してみようという考えが起りました。

 

その朝は、まだかなり早かった。野も人里も深い雪をかむって、息さえ詰まるようでありました。東の空から明け初めて、寝呆けたような鴉の声と五位鷺(ごいさぎ)の声とが宮の森のあたりからかすかに聞えて来ましたが、静寂な天地はたちまちそれを吸い取って、まだ闇の気配の残る、燻しをかけた銀世界にはなおも霏々(ひひ)として雪は降り続くのでした。小径へ入ると、折れた竹や倒れた柴垣で秀吉はしばしば行手を阻まれました。しかし、この腕白な英雄は結局それを面白いことにして、二、三連れて出た近侍の小姓と障害物の跳び競べなぞするのでした。そして、その度に今日こそあの隙のない名人に不意討ちをかけ、一泡吹かしてやるのだと思うと勇気が凜々と五体に漲り弾ける思いがするのでした。

 

木下藤吉郎の昔から秀吉は、数知れぬ難攻不落の城々を攻めた経験の持主であります。しかし、どんな城砦でも秀吉が一目見るときには、どこかに隙がありました。何となく運命に恵まれない暗い陰があるとか、地理や設備の上に欠陥があるとか、あるいは城内の人々が協力心を失っているとか、いわゆる天地人三才の徳に欠けたところがありました。秀吉は天才の直覚力をもって、この欠点を感じ取り、そこへ手を入れるので、(かつ)て攻め落されないあるいは和睦を申込まない城とてはありませんでした。天下の優者も、自分の眼にかかってはみな疵物だという自信が強く平常の秀吉の胸にありました。ところがたった一人の茶人、利休にはその欠点を見付けることが出来ません。天衣無縫と言おうか、鳥道蹤(あと)なしと言おうか、まるで引っかかりがありません。ただすべすべした珠玉(たま)でありました。そして当人はそれを無理に努めているようにも見えません。どこか余裕を持ちながら、天地人三才の徳を芸道上に湛(たた)えているのです。これが秀吉にとっては驚異であるばかりでなく、日頃他人の虚を衝くのを得意としている秀吉の自信を裏切らせるものであります。

 

秀吉にはもう一人、天下に自信を裏切らせるものがありました。それは家康でした。しかし、家康は営々として隙を作らないよう努めている形跡があります。利休に較べると、まだそこに隙が見えます。その隙がまだ秀吉の得意さを失わせませんでした。

 

しかし利休に至っては、時にまるで赤児のよう、時にはまるで賢者のよう自由自在に振舞って、しかも一向そつがないのであります。時には富豪のように散じ、時には貧者のように貯えて、愛惜(おしみ)濫費(むだづかい)の別が見えないのであります。その自然さ、そして才気の底の知れなさ、秀吉は、天下に嘗て代って見たいほどの羨ましい人間には出会ったことがありませんでしたが、この利休を見てからは、その気持ちが少々あやしくなって来ました。利休とは一体どんな人間なのか。その底も見究めたく、遂にこういう朝駈けを試みるのでした。故に、好奇心半分とは言いながら、人物鑑定癖のある秀吉にとっては、実は相当真剣な襲撃でもありました。

 

秀吉が利休の茶室の門に辿り着いたときは戦場へ臨んだかのような緊張さえ覚えました。そして一人の小姓を通知に側口(わきぐち)へ廻らせたあと、折柄雪も止んで、利休の有名な瀟洒(しょうしゃ)たる庭園も満目白皚々(がいがい)たる下に埋もれて単なる綿の取り散らしにしか過ぎない光景を、門越しに眺めて秀吉はほくそ笑みました。


「これならさすがの名人も風雅な款待(もてなし)が出来ないだろう」

一方利休は、もうちゃんと起きていました。起きているどころか、炉に炭をつぎ入れ、新しい水の釜をかけて、湯の沸く暇を、炉の前に端座して心を練っておりました。


彼は小姓の通知を受けると、普通の答えをして、扇一本取出して、腰に挟んで出迎えに出ました。利休の様子には少しも周章(うろた)えた様子は見えません。ただ朝明けの雪を楽しみつつ客を迎える温恭な気持ちでありました。その気配が秀吉の心に浸みました。秀吉の方がすこし恥かしくなったのです。

 

「ようこそ、御入来(いで)下さいました。何はなくとも雪中の粗茶一服。さあ、どうぞ、これからおいでなされませ」

 

利休は、腰から扇子を抜き取り、要(かなめ)の方を先にして右手に持ちかえました。やや屈みながら、歩き幅の間隔ずつに、扇の要口を庭の面の雪中へ突込むのであります。そして一つ一つ何やら円い扁(ひら)たいものを撥ね上げて進みます。円い扁たいものが撥ね除けられた跡には、見るも潤って美しい踏石の面が現れ出ました。秀吉は呆れて瞠(みは)った眼で、撥ね除けられた円い扁たいものを見ますと、それは米俵のさん俵でありました。秀吉の驚きは、これに止まりませんでした。

 

「雪の早朝、冷えてお饑(ひも)じくあらせられましょう。まず暖かいものなと召食(めしあが)られて、それから」と言った利休は、どこからか乾米の袋を取出して来て、ちょうど沸き上った釜の湯の中に開けました。それから水屋の窓先に実っている柚子を※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)(も)ぎ取り、これを二つに割り、柚子の酢を混ぜた味噌を片方ずつの柚子の殻に盛りました。これを菜にし、そして釜で煮えた乾米の湯漬けを秀吉主従に勧めるのでした。秀吉は、その簡素で優雅な行き届いた利休の作法にむしろ呆れ果て、ただただ感嘆を続けつつ、饗応(もてなし)を受けて帰りました。後で秀吉はつくづく言ったそうです。

 

「あれほどの器量の人間なら、相当大国の領主も務められよう」


ここで問題になるのは、利休の平常(ふだん)の用意であります。利休はかかることもあろうかと、かねがねさん俵を用意し、乾米を作り、柚子の木を窓近く植えたのであります。正にそれに相違ありません。それですから、万一の時の役に立ったのであります。

 

しかし、それだけの用意をしながら、秀吉が雪の朝にとうとう来ずにしまっても利休はちっとも落胆はしなかったでしょう。その用意こそ、いわゆる茶道のたしなみであります。

 

たしなみということは、効果如何を考えず、責任として尽すところに価値があります。誰への責任でしょうか。誰への責任でもありません。自分の職分としての責任であります。維新時分の達識の人が、天を相手にすると言った意味です。人に知られず、効果を考えず、深く自分の職分を考えて、その準備を深めて行く。そのことに楽しみを持って行く。これが本当のたしなみであります。故にたしなみという言葉には奥床しさという感じが伴います。

 

人に知られず、効果に現れずとも、たしなみの深い人には、奥床しさがほのぼのと立騰(あが)るものであります。気配というものは正直なものであります。

 

利休の場合を考えるのに、彼のたしなみはまだ他に沢山にあったに違いありません。その沢山のたしなみが、単なるたしなみだけに終ったものがどのくらいあったか知れないでしょう。多くの用意のなかから、たしなみの顕現(あらわ)れる場合は、実に百分率(パーセンテージ)に支配されるようです。

 

ある一事についての深いたしなみは、もうそのことの上のたしなみだけでなく、人間上のものになって来ます。その心得はもう一芸のものでなく、諸道に通じます。そして人を感動させます。利休のたしなみのごときも、私たち処世上の心得としてどのくらい貴重な参考になるか知れません。

 

利休の茶道の歌に、

 

寒熱の 地獄を潜る 茶柄杓(ちゃしゃくし)も 心なければ 苦しくもなし

 

これ利休が職分の深いたしなみから、人生の悟道(さとり)に入った証拠であります。憂き辛い世の中も、無心で向えば何ともないという妙諦に茶の経験から入ったのであります。ここで無心ということは、ぼんやりとか冷淡になってとかいう意味ではありません。驀直(まっしぐら)に傍目も振らずという意味であります。無心とは「迷いの心なく、ひたすらに」という意味であります。


柚子味噌というものは、利休のこれが最初だという話ですが、本当かどうか知りません。しかし柚子味噌を喰べるたびに私はこの話を思い出します。

 

 

【雑感】

 

弟子に「茶の湯の神髄とは何ですか」と問われた時の問答(以下の答えを『利休七則』という) 

「茶は服の良き様に点(た)て、炭は湯の沸く様に置き、冬は暖かに夏は涼しく、花は野の花の様に生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」

 

「師匠様、それくらいは存じています」

 

「もしそれが十分にできましたら、私はあなたのお弟子になりましょう」

  

当たり前のことこそが最も難しいという利休。

 

 

このような問答は、七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)においても見られる。

諸悪莫作(しょあくまくさ) 【もろもろの悪を作(さく)すことなく】

衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) 【 もろもろの善を行い】

自浄其意(じじょうごい) 【自ら其の意(こころ)を浄くす】

是諸仏教(ぜしょぶつきょう)  【是がもろもろの仏の教えなり】

中国の詩人・白居易は禅を好み、禅僧・鳥窠道林(鳥窠和尚)に「仏教の真髄とは何か」と問うたところ、この偈の前半を示された。

 

白居易は「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」といったが、道林に「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」とたしなめられたため、謝ったという。 

 

 

そして、以下は、利休が切腹の前日に作ったとされる遺偈(ゆいげ)である。

人生七十 力囲希咄

吾這寶剣 祖佛共殺 

提ル我得具足の一ッ太刀

今此時ぞ天に抛

 

じんせいしちじゅう りきいきとつ

わがこのほうけん そぶつともにころす

ひっさぐルわがえぐそくのひとツたち

いまこのときぞてんになげうつ

 

人生ここに七十年。えい、ヤァ、エィ!

この宝剣で祖仏もわれも、ともに断ち切ろうぞ

私はみずから得具足の一本の太刀のみを引っさげ、

いま、まさに我が身を自ら天に差し出すのだ

 

 

「侘(わ)び茶」の祖は、村田珠光(じゅこう 1423-1502)とされている。珠光はあの一休宗純の弟子である。

 

この一休の歌に

 

有ろじより  無ろじへ帰る  一休み  雨ふらば降れ  風ふかば吹け

【人生は、(欲望にまみれる)この世から、来世までのほんの一休みの出来事じゃ。雨が降ろうが風が吹こうが大したことじゃあないわい】

 

朦々(もうもう)淡々として 六十年 末期の糞をさらして 梵天(ぼんてん)に捧ぐ

 

がある。

 

これは、一休直筆の「諸悪莫作」「衆善奉行」である。

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そして、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説の「星の王子さま」。

 

この小説のラストは、以下のあらすじである。

翌日、奇跡的に飛行機が直り、「ぼく」は王子に報せに行く。すると、王子はヘビと話をしていた。

 

王子が砂漠にやってきたのは、1年前と星の配置が全く同じ時に、ヘビに噛まれることで、身体を置いて自分の小惑星に帰るためだったのだ。

 

別れを悲しむ「ぼく」に、「自分は自分の星に帰るのだから、きみは夜空を見上げて、その星のどれかの上で、自分が笑っていると想像すれば良い。そうすれば、君は星全部が笑っているように見えるはずだから」と語る。

 

王子はヘビに噛まれて砂漠に倒れた。

 

 

あらゆることが一つに繋がり、収れんして行く。道というか真理は、この宇宙の中でただ一つなのだ。 

 

肉体と魂は別物なのだ。

 

この世の中で言われている死は肉体が死ぬこと。肉体が死んでも魂は永遠に生き続ける。肉体は魂の足かせみたいなもの。

 

このことを分かり切っているから、千利休は秀吉に屈せず己を通したし、一休は「この世はひと休みの出来事に過ぎぬ」と喝破し、星の王子様は毒蛇に自分の肉体を噛ませたのだ。

 

明治以前の日本人、特に武士階級の人達はこのおもゐを当たり前のこととしていた。明治以降の近代化がこの精神を衰えさせたが、「靖国神社」を依代にして、戦時にまた発露するに至った。だから、多くの若者達が「靖国で会おう」を合言葉に果敢に戦い、そして散って行ったのだ。靖国神社を日本人が大切にせねばならぬ理由がここにある。

 

そして、戦後、全く日本人は腑抜けになってしまった。

 

しかし、今再び徐々にではあるがこの精神を発露しつつある若者が増えてきている。

 

グローバルスタンダードではないこの精神をいかに育むか。

 

私達ひとりひとりが問われているのだ。