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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【岡本かの子 仏教人生読本】 第一課 悲観と楽観

【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月24日 先負  四緑木星

         癸巳 日/庚午 月/甲午 年 月相 22.9 小潮

         小満 初候 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)    

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 16.6℃ 湿度 65% (大阪 6:00時点) 

 

 

人間が思想を突き詰めれば、教えの基(もとい)である宗教に行き着くようである。先人が歩いた道のりを見てみてもそれは分かる。

 

そして、西行が伊勢神宮を参拝した時に詠んだ和歌

なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

に共感する日本人は、何らの意識もせずに神道を魂の拠り所として生きている。

 


ISE JINGU / JAPAN 2010 - YouTube

 

 

また、小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)は、

 日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。

 日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える。

とまで言っている。

 

しかしながら、神道は他の宗教のように教典を持たない。したがって、南方熊楠()がいう「心界」と「物界」を結びつける原理を自分たちのチカラで探り出さなければならない。日本では、仏教の教えがその手助けをしてくれているのだろう。

 

という訳で、岡本かの子の「仏教人生読本」を紹介していきたいと思う。

 

この書を世に贈るについての言葉


二十年近くも、私が心に感じ身に行って来た経験をふりかえり、また、批判してみたことを偽りなく書き集めたのが、この書物となりました。私という一人の人間が、真に感じたり想ったりしたことは、同じ人間である世のみな様に語って真実同感して頂けることと信じます。

また私の信仰する仏教は、飽くまでも人間に対して親切で怜悧れいりでありますから、仏教の信仰を通して語る私の言葉は、殆んど絶対な理解や同情をみな様にお贈りすることが出来、みな様の「人生解決」のお役に立つことをかたく信じて疑いません。

  昭和九年十一月

 

第一課 悲観と楽観

 

悲観も突き詰めて行って、この上悲観のしようもなくなると楽観に代ります。今まで泣き沈んでいた女が気が狂ったのでなく静かに笑い出すときがそれであります。さればとて捨鉢の笑いでもありません。訊(聞)いてみると、「ただ何となく」といいます。私はその心境をしみじみ尊いものに思います。心の底は弾機(ばね)仕掛けになっているのでありましょうか。どの感情の道を辿って行っても真面目に突き詰めて行けばきっとその弾機(ばね)に行き当るのでしょうか、必ず楽観に弾ね上って来ます。

 

「おあん物語」という古書があります。家康の軍勢に大垣城が取囲まれ、落城する(みぎり)の実状を、そのとき城中にあった、おあんという女の想い出話の記録であります。

 

落城も程近い城中にあって当時若い腰元のおあんはその朋輩とともに、将卒が取って来たたくさんの敵の首の歯におはぐろを塗っているのであります。

 

将卒たちは自分が取って来た敵の首が白歯のままであるとそれは敵軍の士卒の首であることが判るので、おはぐろを塗って貰って将士の首に見せかけ主人達の感賞に(あずか)ろうとするのであります。その役を、危険な混雑な落城も程近い城中にあって心弱い若い女のおあんたちは取乱した様子もなく無雑作にやっているのでありました。悲観の極の楽観と同様、せっぱつまった時の落ちつきです。

 

憂きことのなほこの上に積れかし
  限りある身の力試めさん

 

これは尼子十勇士の一人の山中鹿之助が主家の再興を図りましたけれども、ほとんど絶望であることが発見されてのち詠み出でた歌であります。ちょっと見ると破れかぶれの歌にも見えますけれどもそうではありません。悲観の極は例の弾機仕掛けに弾ね上げられ、人生を見直し出した従容たる態度の歌であります。蕭条(しょうじょう)たる秋風(しゅうふう)に鎗を立てて微笑(ほほえ)む鹿之助の顔が眼に泛(うか)ぶのであります。


「男が話が判ってくるのは一度首の座に直ってからだ」。私の母は、その父の郷士儒者であった人が、しじゅうこう口癖に言っていたということを、よく幼時の私に話して聞かせました。その郷士は横浜開港などにも関係し、相当、危険な幕を潜った体験を持った人だそうです。

 

「首の座に直る」ということは悲観の極を一度味わったことのある人ということでありましょう。それを通り越して来たものは人力の如何ともすべからざること、人力以上のもののあること、それらを体験的に弁(わきま)えた人であるが故に、我執(がしゅう)も除かれ、万事、実相に明らかな眼で誰人とも応酬出来る。そこを「話が判る」と言ったのでしょう。私は当時幼くもあり、また女のことでもあり、何を母がいうかとぐらいにしか思っていませんでしたが、この頃はときどき昔の人はうまい表現をしたものだと思い出すことがあります。


悲観を突き詰めて行かなければならない事件やら境遇やらには誰しも出会いたくありません。けれども、退引(のっぴき)ならざるを得ない場合が、絶対に来ないとは誰しも断言出来ません。しかし、その場合にも、誰の心にも弾機仕掛けがあって、どうやら人生を見直さしてくれるということは、たしかに信じ得られる事実です。

 

それにしても、私たち人間には悲観の際、悲観の原因や感情の由来をたださずに、ただ理由もなく悲観の感慨に耽る傾向のあるのは気を付けねばなりません。

 

また人生の秘機(ひみつ)を探るのは、必ずしもそうした稀な場合のみでなく、日常生活の平凡事中にいくらもそういう機会が待っていることは心得置くべきことだと思います。仏教では、平常の時のこの心構えを「静中の工夫」と言い、非常の場合を「動中の工夫」と言います。平常無事の際も、非常危急の場合も、落付いて物事の筋目を見究め、同時に自分の心の動きを観察して行かなければいけません。これをまず仏教の第一の心得としてあります。

 

そして人間の心には、人世のあらゆることを凌(しの)ぎかつ無限に向上せしめて行く力があることを信じます。これが仏教の第一歩で、心を信ずるゆえにこれを信心と言います。