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まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第七十六章】 柔は生、堅は死

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月15日 赤口  四緑木星

         甲申 日/庚午 月/甲午 年 月相 13.9 中潮

         立夏 次候 蚯蚓(みみずいずる)     

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 16.5℃ 湿度 88% (大阪 6:00時点)    

 

 

人之生也柔弱、其死也堅強。

 

萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。

 

故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。

 

是以兵強則不勝、木強則折。強大處下、柔弱處上。

 

 

 

【書き下し文】

 

人の生まるるや柔弱(じゅうじゃく)、その死するや堅強(けんきょう)なり。

 

万物草木(ばんぶつそうもく)の生まるるや柔脆(じゅうぜい)、その死するや枯槁(ここう)なり。

 

故に堅強なる者は死の徒(と)にして、柔弱なる者は生の徒なり。

 

ここを以(も)って兵強ければ則(すなわ)ち勝たず、木強ければ則ち折る。強大なるは下(しも)に処(お)り、柔弱なるは上(かみ)に処る。

 

 

 

【私的解釈】

 

人間が生まれた時は、その身体は柔らかく弱々しいが、死ぬ時は、堅くこわばっている。

 

万物も草木の例でわかるように、その生まれるときは柔らかで脆(もろ)そうであるが、朽ち果てるときは干からびてカラカラとなっている。

 

だから、堅くて強いものは、死の一員であり、柔らかくて弱々しいものは、生の一員であるのだ。

 

それゆえ、軍隊は、堅固でしっかりしていると、それを頼みとしてかえって勝てず、樹木は堅固でしっかりしていると、しなってチカラを受け流すことができずに、かえって折れてしまう。木の幹と小枝を観察すれば分かるように、物事は全て、堅固で大きいものが低いトコロに位置し、柔らかで弱々しいものが高いトコロに位置しているのである。

 

 

 

【雑感】

 

 

老子道徳経も残り五章を残すだけである。

 

私が、ブログを書いている目的は、会話の一人キャッチボールをする為である。今の私が未来の私に対して言葉を投げかける。時が経過して、私が投げかけた言葉を受け取り、過去の私に対して言葉を返すともに、未来の私にも更なる言葉を投げかける。

 

そして、いつか過去・今・未来が一点に集おうとする死というものが必ず訪れる。上の老子の言葉で例えるならば、過去はカチカチに固められた堅いモノで未来はフワフワで弱々しい柔らかいモノと言えるだろう。だとすると死を目前にすると、私の目の前にはカチカチに固められた堅い過去しか無いこととなる。

 

また、死を前にして人生を振り返ると、おそらく生きて来た何十年という道のりは夢幻のようなものであったと感じると思う。

 

寝ている最中に見る夢は、目が覚めると瞬く間にその内容を忘れてしまう。だから死を目前にして鮮やかに覚えていることも当然数少ないことだと思う。

 

だとすれば、私はカチカチに固められた堅い過去という、ひとくくりにされた得体の知れないものに押しつぶされて死んで行くこととなるのだ。

 

考えただけでもゾッとする。だから道のりを記録することにしたのだ。

 

死を迎えるにあたって、私は、私の歩いて来た道のりであるカチカチに固められた過去を今の視点で振り返り、過去を柔らかいモノへと変え、生なるモノを胸に抱いて死んで行くのだ。

 

残念なことは、人生の道のりを半分近く歩んでこのことに気付いたことだ。キラキラしていたであろう幼少期・青年期の記録は、もはや記憶の中にしか無い。

 

日記をつける習慣を身につけ、そして綴った日記を大切に保管することの大切さは、身を持って痛感するものなのだろう。

 

今の私が過去の私にこのことを忠告しておく。