【老子道徳経 第七十章】 聖人は世に紛れる
【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月10日 先勝 四緑木星
己卯 日/庚午 月/甲午 年 月相 8.9
立夏 初候 始鳴(かわずはじめてなく)
【今日の気象】 天気 晴れ 気温 13.8℃ 湿度 40% (大阪 6:00時点)
吾言甚易知、甚易行、天下莫能知、莫能行。
言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知。
知我者希、則我貴矣。是以聖人、被褐而懷玉。
【書き下し文】
わが言は甚(はなは)だ知り易く、甚だ行ない易きも、天下能(よ)く知るもの莫(な)く、能く行なうもの莫し。
言に宗(そう)有り、事(こと)に君あり。それ唯だ知ること無し、ここを以(も)って我れを知らず。
我れを知る者希(まれ)なるは、則(すなわ)ち我れ貴(たっと)し。ここを以って聖人は、褐(かつ)を被(き)て玉(ぎょく)を懐(いだ)く。
【私的解釈】
私の言葉は大変分かりやすく、大変行い易くもあるのに、世の中にこの言葉を理解できる者も、行っている者もいない。
私が吐く言葉には一直線の筋が通っており、私は生涯を天に捧げている。しかし、この実体を知る者はいない。だから、わたしの正体を誰も知ることがない。
このように、わたしの正体が分かる者がほとんどいないのは、私の魂が高い次元に存在するということなのだ。聖人はボロを纏(まと)って、心の中に宝玉を抱えている。外からの見かけだけでは、その偉大なことが分からないのだ。
【雑感】
過去の出来事は、絶対に変化させることが出来ない。これがこの世の法則である。
邪鬼は、この法則を狡猾に使いこなす。
親が子供に、上司が部下に使うことが身近な例であろう。
「あなたは、あの時○○○だったじゃない。あの時も。そう言えばあの時も。一体、どういうことなのか?」
失敗してしまった時に、こういうことを言われたら、もうどうしようもない。
潔い人ほど、その負い目を充分に認識しているので、こう言われたら観念して黙りこむしかない。
これは、人を自分の支配下に置く為の常套的手段である。
そして、頻繁的にこういうやりとりが繰り返されると、人は自分を守る為にその人との距離を取ろうとするだろう。
このやり取りは、今、日本でも特定の国との間で日常的に見られる光景だ。
Cookin' NANTA Highlights - YouTube
これが、かの国で人気を博しているパフォーマンスみたいだ。
この動画の特に8分15秒からの映像を見て、私は「あぁ、根本的に価値観が異なるんだ」と確信して、今まで以上に距離を置くことを決心した。
一方で、同じような過去を経験しながら、こういうような反応をしてくれる国もある。
この動画を見て、「あぁ、価値観が同じなんだ」と確信して、今まで以上に相手のことを知りたいという感情が湧き上がる。
『相手を嫌えば、自分も嫌われる。相手を好きになれば、自分も好かれる』
私がこの世の中に存在するから、この世界が存在しているかのように、わたしのおもゐが世界の風景を作り上げているのだ。
また、『嫌う者がいれば、好む者もいる』
世の中が一色で塗りつぶされることも、絶対に起こり得ないのである。
【親日タイ】タイは日本の味方♥ Thai For Japan ♥ (JAPAN QUAKE TSUNAMI RELIEF) - YouTube