まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第六十九章】 戦争の進め方

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 4月 9日 赤口  四緑木星

         戊寅 日/庚午 月/甲午 年 月相 7.9 上弦 

         立夏 初候 [圭/龜]始鳴(かわずはじめてなく)   

 

【今日の気象】 天気 晴れ 気温 10.6℃ 湿度 53% (大阪 6:00時点)   

 

 

用兵有言、吾不敢爲主而爲客、不敢進寸而退尺。

 

是謂行無行、攘無臂、執無兵、扔無敵。

 

禍莫大於輕敵。輕敵幾喪吾寳。

 

故抗兵相如、哀者勝矣。

 

 

【書き下し文】

 

兵を用うるに言えること有り。吾(わ)れ敢えて主(しゅ)と為(な)らずして客(かく)と為り、敢えて寸(しん)を進まずして尺(しゃく)を退けと。

 

これを行くに行(みち)無く、攘(はら)うに臂(うで)無く、執(と)るに兵無く、扔(つ)くに敵無しと謂(い)う。

 

禍(わざわ)いは敵を軽んずるより大なるは莫(な)し。敵を軽んずれば幾(ほと)んど吾が宝を喪(うしな)わん。

 

故に兵を抗(あ)げて相い如(し)けば、哀しむ者勝つ。

 

 

 

【私的解釈】

 

戦争について言い伝えられていることがある。「こちらからは決して戦いを挑まず、応戦に終始せよ。少しの進撃を選ぶより、むしろ大きな退却を選べ。」と。

 

こういう状態が、行軍するといっても進むべき道がなく、袖をまくり上げるといっても出す腕がなく、采配するといっても使うべき兵がいなく、対陣するといっても対する敵がいないと、言われることである。

 

災いは、敵を軽んじることより大きなモノはない。敵を軽んじれば、私のいう三宝を大方失ってしまうこととなるであろう。

 

だから、出陣して兵力が拮抗しているときは、慈愛のおもゐでこの事態に陥ったことを憂い、前線で戦う者を慈しむおもゐで采配を振るう者が勝利を手にするのだ。

 

 

 

 

【雑感】

 

集団的自衛権とは何だろうか?

集団的自衛権(しゅうだんてきじえいけん、英語:right of collective self-defense、フランス語:droit de légitime défense collective)とは、他の国家武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である[1][2]。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある[3]

集団的自衛権 - Wikipedia

 

なるほど。国家の権利として国際法上、集団的自衛権を認めますよということね。国家が直接、武力攻撃を受けた場合は、自衛の為、当然に個別的自衛権により応戦する権利があり、仲間の国家が武力攻撃を受けた場合は、集団的自衛権により援戦する権利もありますよということなのね。

 

そして、今の日本の状況は、憲法第9条の解釈の上で集団的自衛権の行使は認められませんよという状態なのか。

 

だから、安倍首相がこれから日本も集団的自衛権を使えるようにしたいんですよと、世界にお伺いを立てていると。。。。

 

首相、集団的自衛権容認へ決意 NATO理事会で演説

 【ブリュッセル共同】欧州歴訪中の安倍晋三首相は6日午後(日本時間同日深夜)、ブリュッセルで開かれた北大西洋条約機構NATO)理事会で演説し、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に強い決意を示した。中国の軍事的な動向を「国際社会の懸念事項」とけん制し、民主主義や法の支配など日本と基本的な価値観を共有するNATOとの協力推進を訴えた。

 首相は、現在の憲法解釈では(1)日本近海の公海で米艦が攻撃されても自衛隊は守れない(2)国連平和維持活動(PKO)で、自衛隊NATO加盟国部隊がゲリラに襲われても駆けつけて警護できない―と例を挙げ理解を求めた。

2014/05/07 01:37   共同通信

 首相、集団的自衛権容認へ決意 NATO理事会で演説 - 47NEWS(よんななニュース)

 

 

では、具体的にはどのように憲法解釈を変えようとしているのだろうか?

 

集団的自衛権:他国に自衛隊派遣せず…政府方針

毎日新聞 2014年05月03日 07時30分

政府は、集団的自衛権の行使を「放置すれば日本が武力攻撃を受ける」事態に限定し、自衛隊を他国の領土、領海、領空には原則として派遣しない方針を固めた。限定的な行使容認にとどめることで、慎重論が根強い公明党との妥協点を探る。政府と与党の協議は今月中旬から本格化するが、既に自民党内は限定容認論でほぼ一本化しており、安倍晋三首相は夏ごろに解釈変更を閣議決定する構えだ。3日に施行67年を迎える現行憲法の「平和主義」は、かつてない転換点に立っている。

 ◇政府・与党、本格協議へ

 首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は今月中旬、集団的自衛権の行使容認▽集団安全保障への参加拡大▽国連平和維持活動(PKO)での武器使用権限拡大−−などを柱とする報告書を提出する。政府はこれを踏まえて、安全保障の法整備に関する政府方針原案を作成し、与党との協議を経て方針を閣議決定する運びだ。

 政府の検討によると、新たな憲法解釈は、集団的自衛権行使を最高裁が1959年の砂川事件判決で示した「自国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」に限定。放置すれば日本が武力攻撃を受けると判断した場合のみ認める。敵を殺傷する目的で自衛隊を他国に派遣する「海外派兵」は憲法上認められる「必要最小限度の武力の行使」を超えるとし、これまで同様に禁止する。

 解釈変更後、政府は集団的自衛権行使に必要な法改正に着手するが、新たに可能になる自衛隊活動は「強制的な船舶検査」(臨検)など一部にとどめる方向だ。

 ただ、弾道ミサイルなど軍事技術の発達や国際テロ増加によって、何を「放置すれば日本が攻撃される」事態と判断するかは難しい。日本から離れた場所で発生した戦争でも、「放置すれば攻撃される」と判断すれば参戦は可能になり、裁量幅が広がれば「限定容認」が有名無実化する恐れもある。

 公明党は苦境に立たされている。山口那津男代表は2日、東京都内で演説し、「(行使を)禁止する政府の考え方は一貫してきた。安倍政権も踏襲している。慎重に議論し、国民の理解を求める道筋が重要だ」と訴えた。ただ「国際社会の状況変化にどう対応すべきかを議論したい」と首相へ配慮もみせた。同党の斉藤鉄夫幹事長代行は同日、TBSのCS放送番組で、意見対立が連立離脱につながる可能性を「あり得ない」とした。【竹島一登、高本耕太】

集団的自衛権:他国に自衛隊派遣せず…政府方針 - 毎日新聞

 

なるほど、集団的自衛権を自由に行使出来るようにするのではなく、制限して行使できるようにするということなのね。そして、「今までの憲法の解釈を変更しますね」と閣議で決定して政府の基本方針とするということなのね。

 

で、反対派は、「憲法を変えること無く、政府の一存で今までの解釈を変えるとは何事か!憲法を蔑ろにしている!!」とオコ(怒)なのね。

 

なるほど。なるほど。

 

そして、中日(東京)新聞がこのようなキャンペーンを開始していると。

 

戦争を体験していない世代が、戦争の悲惨さを語り継ぐことができるのか。

広島、長崎で原子爆弾に身をさらされた語り部の多くが八十歳を超えようとする今、一人の大学生が一つの出会いをきっかけに、その問いに向き合っている。

青山学院大文学部二年の相原由奈さん(20)=横浜市緑区聖セシリア女子高(大和市)三年生だった二〇一二年の夏休み、学校の補習後に毎日、JR桜木町駅前で核兵器廃絶のための署名を集め、約四千六百筆を「高校生平和大使」として、スイス・ジュネーブ国連欧州本部に届けた。

「先生、何かやりたいんです。今行動しなければ」

相原さんにそう言わせたのは、高校二年の夏、修学旅行での出会い。長崎市の教会で、語り部の下平作江さん(79)の体験を聞いたことだった。

「あなたたちが被爆体験を直接聞くことのできる最後の世代です。平和のバトンを受け取り、次の世代に渡してほしい」

相原さんたち百二十人の生徒に語りかけた下平さん。十歳の時、原爆投下を長崎の爆心地から八百メートルの防空壕(ごう)で迎えた。母、姉、兄を原爆で失い、妹は後遺症に苦しんで自ら命を絶った。

「後遺症」。その言葉が相原さんの記憶と共鳴したのかもしれない。

自身も中学時代の一年間、原因不明の貧血と体のしびれに苦しみ、学校に通えない時期があった。幼少期に公園で友だちとぶつかったことが原因だと分かり、今は日常生活に支障がないまでに回復した。

「偶然の事故は避けられない。原爆は人の意志で避けられたはずなのに、下平さんは大切な人をなくした」。修学旅行から戻ると、「生きていてくれてありがとう」と三歳下の妹を抱きしめ、平和大使に申し込んだ。

     ◇

「黒焦げの遺体、誰にも拾ってもらえないたくさんのお骨。最初は泣きながら話をしていました」。下平さんは、四十年近い語り部の活動を振り返る。

「親やきょうだいがいるのが当たり前という子どもたちにも分かりやすく、言葉を替えながら。何かの拍子にひとりぼっちになることを考えてもらえば、私の気持ちも少しは伝わるかもしれない」

体験の伝達は、戦争経験者にとっても試行錯誤の連続だった。内臓を切除し、腰を人工骨で支え、肝硬変を注射で抑えながら、重ねた講演は一万回を超えた。「最近は緑内障に悩まされてね。満身創痍(そうい)の私を見てもらうことも、戦争を考えてもらうきっかけと思っていますよ」

戦争体験者の尽力で、反戦の思いをつないできた日本。語り部の高齢化に伴い、戦争体験のない人たちが代わって語り部を行う「語り継ぎ部」を育成する動きも広がっている。

相原さんは「被爆体験を直接聞きたい」と、卒業後に長崎に長期間滞在することを考えている。そして歴史を勉強し、社会科の先生になり、「平和活動をライフワークにしたい」と語る。下平さんはエールを送る。

「生きていれば明るいことや美しいことが必ずある。戦争だけはしないように。今憲法九条が揺らいでいるけれど、一人一人が自分の生活を通じて、平和を考えていってほしい」 (皆川剛)

    ■  ■

集団的自衛権国民投票法、武器輸出解禁…。今も米軍基地を抱える神奈川の人たちは、憲法九条の現状をどのように受け止めているのか。平和憲法が施行されて三日で六十七年を迎えるのを機に若者や母親、戦争体験者たちを訪ねた。

 <高校生平和大使> 核兵器廃絶を求める署名をスイスの国連欧州本部に届け、平和に向けてのスピーチを行う日本の高校生たち。1998年、インドとパキスタンで相次いだ核実験を受け、唯一の被爆国として国連に直接訴える機会を設けようと、長崎市民らが長崎の高校生の渡航費をカンパして始まった。2005年に全国の高校生に対象を拡大。以来、神奈川県は長崎県以外では唯一、毎年大使を輩出している。

日本国憲法第9条

 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

2014年5月3日

東京新聞:9条とわたし<1>横浜の大学2年生 相原 由奈さん(20) 平和のバトンつなぐ:神奈川(TOKYO Web)

 

ギターをかき鳴らし、軽快なメロディーに乗せて問いかける。

 

 <What can we do for the peace of the world>(世界の平和のために、僕たちは何ができるだろうか)

 

二〇〇三年、横浜市中区の弁護士、折本和司さん(58)と小賀坂(こがさか)徹さん(52)は「平和の詩(うた)~平和のためにできること」を作詞作曲した。イラク戦争へと向かう米国を支援する日本政府の姿勢に、危機感を抱いたことがきっかけだった。

 

 「『今は平和を祈るときではない。具体的に行動しよう』という思いを込めた」。当時は憲法九条が、イラクに派遣された自衛隊の活動範囲の歯止めとなった。政府が集団的自衛権の行使容認に動いている現在も、まさにその「今」だと折本さんは感じている。

 

反戦を歌うジョン・レノンの曲で育ち、高校時代からバンドが趣味。県内で法律家団体が開く憲法集会で小賀坂さんと一緒に「イマジン」を歌うようになって間もなく、米国による戦争が現実になっていく。「関心がない人は、集会に来ない。広く平和を呼び掛けたい」。二人でギターを手に横浜・山下公園に飛び出し、道行く人にこの曲を届けた。

 

二人の音楽に共感した県内の弁護士とともに、〇四年、「歌う9条の会バンド」を結成した。「うた9」と呼ぶ。九条をはじめ日本国憲法を守る心を歌声とギター、ドラム、キーボードで広める。オリジナル曲は八曲ほどで、憲法前文をラップ調にした曲もある。

 

「今の理想的な憲法がなくなったら、広島で起きたことが繰り返される」と、折本さんは恐れる。

 

広島市の中心部に架かり、原爆投下の目標になったとされる丁字形の相生橋(あいおいばし)のそばで生まれた。原爆ドームのある平和記念公園の中を歩いて通学し、全国から訪れる多くの人の姿を見てきた。十五歳の時に被爆した父親は四十代で歯が抜け、よく体調を崩した。大人になって、原爆の影響だったと理解した。

 

県内の被爆者が国に原爆症認定を求めた集団訴訟の弁護団に参加していた〇六年。故郷に帰り、「相生橋から」という一曲を作る。

 

<朽ちたドームが川面に映る、消えることのない灯火よ。相生橋から、街を見てるだけさ>

 

自分の目に映る広島の風景を描き、平和への願いを重ねた。「廃虚から立ち直り、今がある。胸を張って、九条の考えを世界に広めていかなければならない」と自らに誓う。

 

うた9は昨年、「平和の詩」と「相生橋から」を収めたCDを自主制作した。多忙な弁護士としての仕事と両立し、今後も各地の集会に出掛けて憲法の価値を伝えていくつもりだ。ライブハウスでの演奏も計画している。

 

特定秘密保護法が昨年末に成立した。解釈改憲で「戦争ができる国」に進むかどうかの岐路にさしかかり、折本さんは原点に立ち返る。「いつの時代でも音楽は、シンプルなことばで本質を伝えてきた。伝えるべきことが伝わりにくい今こそ、音楽の力を信じている」 (杉原麻央) 

2014年5月4日

東京新聞:9条とわたし<2>弁護士バンド「うた9」 折本 和司さん(58) 憲法守る心 歌に:神奈川(TOKYO Web)

 

うららかな日曜日の午後。先月十三日、米海軍横須賀基地正門前で、黄と黒の風船二千個が放たれ、青空に舞う。「できることを、やっていかないと」。二歳の長男を連れた原紗希子さん(29)=横須賀市=が、つぶやく。

 

横須賀に配備されている原子力空母で事故が起きたら、放射性物質はどこまで飛散するか。基地問題に取り組む市民グループ「いらない!原子力空母」の活動で、「風船プロジェクト」と銘打って企画した。風船に連絡先を書いたカードを付け、拾った人からの連絡で範囲を調べる。千葉県勝浦市など六十キロ圏内から連絡があった。

 

横須賀に生まれ、育った。物心ついた時から、基地や空母は当たり前にそこにあった。「いいとも悪いとも、考えたことがなかった。日常の風景だったから」

 

東日本大震災による原発事故。その後で授かった息子。二つが価値観を変えた。原発事故と同じ被害が、原子力空母のある横須賀で広がったら…。腕の中のわが子を見て、不安が募った。知人を通じてグループを知ったのは、一年半ほど前。活動に加わり、他国の空母が横須賀にある異様さを知った。

 

憲法にも興味を持ち、勉強会に参加。そして、分かった。権力者は堂々と「戦争する国にする」とは言わない、と。「言葉を少し変えるだけで、内容が百八十度変わる。知らないうちに恐ろしいことになる」。改憲への動きが速いことも違和感がある。「『やりたい人』の考えで進んでいる気がする。『違う』と声を上げなくては」

 

平和な日常にいるからこそ気付きにくい。九条は素晴らしいのだ、と。「九条が変えられると、戦争ができる国になる。夫や息子が戦地に行くなんて考えられない。戦争に行かせるために、息子を育てているんじゃない

 

保育士や、創作を通して子どもの能力を育てる「チャイルドアートカウンセラー」として働いてきた。けんかをする子には言葉で解決するよう促した。「解決は武器ではなく、話し合いでしかできない。暴力に正義はない」。文化や考えの違いはいさかいを生む。でも「違う」からこそ、話すことが面白い。

 

改憲特定秘密保護法制定。教育改革。何だか一つの方向に向かわされている気がする。自分たちの活動が制限され、本当のことが知らされなくなるのは怖い。一つの価値観しか教えない社会で子育てはしたくない。「子どもには多くのものに触れてほしい。親ならみんなそう願うはず」

 

誰もが参加しやすい活動にしたい。それが風船プロジェクトの出発点。当日はベビーカーを押して参加する母親たちの姿もあった。「みんな、何ができるか模索しているんだ」と感じた。憲法空母も、まずは知ることから。「勉強会をやりたいね」という声もある。資金を集めるバザーの開催も考えている。

 

戦争から遠い世代。でも戦争ができる国には戻さない。「やりたいことができる社会を、息子に残したい」 (中沢佳子)

 

「『みんなちがって、みんないい』。憲法はそのための決まり」と童謡詩人金子みすゞの言葉を使って切り出し、育児中のママさんたちの関心を高める。「コーラが好きな人にお茶が好きな人。憲法に書かれた『幸福』はおのおの違う。それを大切にするのが個人の尊厳」

 

首都圏で人気の「ティーサロン憲法」で武井由起子弁護士(46)=川崎市高津区=は話のツカミにひと工夫。会場のカフェに居合わせた客に「耳に残った」と言われ、笑顔を見せた。

 

大学卒業後、十四年間大手商社で海外を渡り歩き、その後に大学院で学び司法試験を突破した異色の経歴だ。

 

政党色のある団体に所属したことはない。しかし、長女(4つ)を出産し、すてきな未来を残したい責任感を強めたころ、東日本大震災が起きた。震災がれきの受け入れをめぐり、放射性物質汚染や子どもの健康を心配する母親たちが非国民扱いされていたのを見て、行動力のスイッチが入った。

 

いまや市民感覚を無視した原発回帰に、特定秘密保護法集団的自衛権増税や年金減額もあり「政府が本音むき出しで、お金も安全も奪い尽くす。私には、天井が落ちてくる圧迫感がある」という。

 

日々育児に追われ、社会の動きに興味を持てない人がいることも分かる。しかし今、平和憲法が変えられようとしている。子どもに一生懸命習いごとをさせても、戦争にとられて殺されたら終わり。「近視眼から、あと一歩、あと半歩の想像力を開くきっかけにしたい」と今年二月、ティーサロン憲法を始めた。保育園、診療所でも開催。ワインにも造詣が深く、ワインを楽しみ憲法を語る試みもある。

 

集団的自衛権の行使は、自国が攻められなくても海外に出て戦争することにつながり、「十年前にあれば、イラク派兵で相当数の死者が出たはず」と語りかける。「王様」(権力者)を縛って私たちを守るのが立憲主義との解説に、ある母親は「私も子どもに対して権力者だったかも」と育児にあてはめながら考えていた。

 

商社時代、中近東、東南アジア親日感をひしひしと感じた。「アジアで経済成長したことに加え、海外で人を殺していないのが大きかった。憲法九条の恩恵です」。一方、米国人はパスポートを人に見られないようビクビク。「安全のための集団的自衛権というが、逆に在外邦人、出張者の安全は脅かされ、各国とのビジネスも難しくなる。国内テロも増える

 

よく考え、良い世の中を子どもたちに手渡したい。「子どもは選挙で投票できない。一票が自分と子どもの二票だと思って、帰ったら夫婦で考えてほしい」と、ママさんたちに呼び掛け続ける。 (山本哲正)

 

ティーサロン憲法 これまで憲法を勉強したことのない人たち向けに、基本的知識と最近の動きについて、お茶をいただきつつ和やかな雰囲気で学ぶ会。各地での開催を募っている。問い合わせは、はまかぜ法律事務所=電045(212)5688=へ。

東京新聞:9条とわたし<4>「ティーサロン憲法」 武井 由起子さん(46) 良い未来 子どもに:神奈川(TOKYO Web)

 

どうして、こうも極端なのだろうか?集団的自衛権の行使が容認されたら直ぐに戦争が起こってしまうという論調である。また、日本は憲法第9条の恩恵で戦後平和が守られて来たと。その平和の中で生じた北朝鮮による拉致被害者や韓国による漁船拿捕による犠牲者の方々の存在は黙殺する態度。極端な事例をぶちまけて、世の中を不安に陥れて自分達が理想とする社会の実現へ煽動するマスコミ。

 

フン!そのうち、そっぽを向けられて思い知ればいいのだ。

 

憲法第9条という縛りが無くても国民がおもゐを結束して平和を堅守するのが、更なる高みに至る道である。そんな絵空事が実現できるわけがない。そんな実現不可能な理想を追うより、考えることを放棄して今の体制を守れば良いのだと考えるのが上の人達なのだろう。ある意味保守的な人達。

 

自分はリベラルで行きたいと思う。

 

今までの日本は、憲法第9条の理念と共にアメリカの軍事力による後ろ盾があったからこそ平和が守られてきたという事実を直視して、時代の流れにより、この平和維持体制が維持出来なくなってきたから、勇気を持って次の一歩を踏み出し、次の段階の平和を維持する方法を模索しているのが今の日本政府の態度であると私は考え、見守りたいと思う。