まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第六十章】 干渉しない恩恵

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 3月29日 先勝  四緑木星

         己巳 日/己巳 月/甲午 年 月相 28.3 

         穀雨 次候 霜止出苗(しもやみてなえいづる)    

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 15.3℃ 湿度 45% (大阪 6:00時点)  

 

 

 

治大國、若烹小鮮。

 

以道莅天下、其鬼不神。

 

非其鬼不神、其神不傷人。

 

非其神不傷人、聖人亦不傷人。

 

夫兩不相傷。故徳交歸焉。

 

 

 

【書き下し文】

 

大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るが若(ごと)し。

 

道を以(も)って天下に莅(のぞ)めば、その鬼(き)も神(しん)ならず。

 

その鬼の神ならざるに非(あら)ず、その神も人を傷(そこな)わず。

 

その神も人を傷わざるに非ず、聖人もまた人を傷わず。

 

それ両(ふた)つながら相い傷わず。故に徳こもごも焉(これ)に帰す。

 

 

 

【私的解釈】

 

大国を治めるのは、小魚を煮るようなもので、形を崩さないように弱火でコトコト煮詰めていくようなものだ。

 

このように道に沿って世の中を治めていけば、鬼神もタタリ神とならない。

 

鬼神がタタリ神とならないだけでなく、そのタタリ神が人に干渉しない。

 

タタリ神が人に干渉しなくなり、聖人は元々人に干渉しない。

 

つまり、鬼神も聖人も、互いに人に干渉することが無いから、その恩恵が代わる代わるに人々に降り注ぐようになるのだ。

 

 

 

【雑感】

 

今の日本の様相は、明らかに祟り神が人間に干渉している状態であろう。

 

この状態をよく捉えた話がここにある。長いですが抜粋します。

私の遺言 (新潮文庫)

私の遺言 (新潮文庫)

 

 

テレビを見ていたら、牛が泡を吹いてのたうち廻っている。何ごとかと聞くと、牛に牛の骨粉を食べさせたためにこんなことになった。これを狂牛病というのだ、と家の者がいった。 ――牛に牛の骨を粉にして食べさせた!?私は驚倒して、「世も終わりだ!」 思わず叫ぶと、居合わせた人は一斉にどっと笑った。


これが21世紀の「文明」なのである。人間の感性の麻痺と効率至上主義を、狂った牛が象徴している。科学の進歩は人間をここまで傲慢にしてしまったのか。いったいいつから人はこの世の自然も生きものも、すべて「人間のためにある」と思い込むようになったのだろう?

 

美しい自然は「人のためにある」という思い込み。だから人の生活の利便のためには、それを破壊してもいいと考える。森を伐り山を崩して鳥や猿の居場所と食糧を奪いながら、やれ猿が畑を荒らしに来る、烏が生ゴミを漁って街を汚す、といって憎む。その傲慢が牛に牛の骨粉を食べさせ、遺伝子操作で生命体を産み出し、空気や水や土を汚した。


花粉症患者が年々増加していくというので、どこかの行政は杉を伐り倒す案を練っているそうだ。 杉を伐っても花粉症は終息しはしない。日本の空中を覆う排気ガスが元凶だからだ。しかし、排気ガスはこの国の発展を支えるために必要なものだから、それはそれとしておき、杉を伐ってお茶を濁すということになるらしい。


すべてにおいて人間の「利便のため」が基本である。そうして自分の首を自分で締めている。狂牛病の発生は起こるべくして起こった人類の傲慢への罰だ。


目を転じて医学に向けてみると、この2、30年の間に医学はめざましく進歩した。難病に治癒の希望が生まれ、人の寿命は延びた。だが今、我々の心の中には新たな当惑と不安が生まれている。医療の進歩によって多くの医師が「病巣」にのみ目を向けて「病人」を忘れるようになったからである。

 

医療の機械化と技術の進歩のために、我々は「人間」ではなく「物」としてあつかわれることに甘んじなければならなくなった。手術台の上での病人は「白布に囲まれた患部とその器」としてしか認識されなくなりつつある。


死ぬさだめの人間の命を無理やり延ばし、いらぬ苦痛を長びかせ、ただ心臓が動いているだけの状態に陥らせることを医学の進歩だとして平然としているためには、人間の尊厳について考えないことが必要なのだろう。そして患者を「物」として考えるには、医師自身も無機質な「物」になるしかしようがないのかもしれない。

 

日本人の精神性は無残に干上がってしまった。メディアは日替わりメニューのように日々、警察、官僚、政治家、教師、企業、学生など社会各階層の腐敗を報じるのに忙しい。それらを報じるメディアさえ、本来のジャーナリズムの使命を忘れ、社会の木鐸としての誇りよりも、まず利得を考えるようになっている。

 

――資本主義だからしょうがない。それが唯一のいいわけになっている。

 

しかし、日本人が精神性を放棄したことと資本主義とは本来次元が違うこととして考えるべきであろう。恥や誇りや情が地を払ってむき出しの岩肌に囲まれた科学文明に汚染された土壌から、酒鬼薔薇聖斗をはじめとする一連の非人間的犯罪が生まれた。


浮遊霊、地縛霊、怨霊、悪霊はいつの時代にも、どこにもいた。しかし、かつての日本人はそんなものに憑かれない強さを持っていた。日本は貧しく世の中は矛盾や理不尽、不如意に満ちていたが、むしろそのために人は鍛えられ、耐える力を養われ、強くなりえたのである。


一番の美徳は自然の摂理というものをわきまえていたことである。自分たちの欲望のままに自然や他の生きものを破壊しようとは思わなかった。鳥獣は山に、人は里に。共存を当然のこととしていた。神の存在を信じ、怖れかしこみ、感謝した。人間が一番エライなどとは思わなかった。人間の暮らしのためにやむを得ず他を犠牲にすることはあっても、それを当然の権利だとは考えなかった。子供たちはおとなから、「人としての道」を教えられて育ち、それを後から来る者に伝えた。


立派な人とはどういう人であるかを教えたが、どうすれば損をせずにすむかということなどは教えなかった。それが大人の義務であると、皆が考えていたのだ。その頃、子供たちが清らかで高い波動を持っていたのは、社会全体の価値観が統一されていた上での教育の力だったのだろう。

 

――神様は見ておられる‥‥。親も先生も誰も見ていないから安心だと思えても、神さまのことを思うと悪さをした子は心が咎めたものだ。その頃、神への畏敬は幼い胸にしっかり植えつけられていた。そしてそれが良心というものに成長した。

 

だが成人するにつれて、その畏敬は摩滅していく。この世を生きるということは、欲望と連れ立って行くことであるから、神への思いを消し去らねばよろずに厄介なのである。けれども一度「良心」をはぐくんだ者の心の底には、消したつもりでいても「美徳の故里」が痕跡を止めていて、ある日ふとそれが疼き出したりするのである。今の若者には「故里」の土壌がない。その必要を認めて作ってやらなければならないと思う親が年を追って減少しているからである。

そしてとうとうここまで来た。バブル景気に浮かれて我を忘れた後、儲け話と贅沢に浮かれ踊ったその罰のように、我々は肥大化した欲望を持て余して不満と不安の中にいる。経済問題ばかりではない。日本人の変質のただならぬ様相に漸く気がついて、心ある人たちは心配しはじめた。


なぜ人を殺してはいけないのかと真面目に問う少年が登場したことで、人間としての感性が育たず、すべて理屈でしか納得できない新日本人の発生を我々は知らされた。


ものごとは一旦進み出したからにはもうその流れを止めることはできないのである。後退させることも不可能だ。行き着くところまで行かなければ、方向を変えることはできない。


物質の豊かさと自由快適な暮らしを追い求めているうちに、我々は心を荒廃させていった。理由のない衝動殺人、荒れる高校から中学へ、そしてついに小学生にまで荒廃が及んだと思ったら、この頃は親の児童虐待が増えだした。かつてわが国で一番の美徳とされていた「母性愛」が変質してきたのである。


かつての男社会では、男に都合がいいように「母性愛」を美徳として讃えた、それに女がのせられただけなのだという意見がある。また、男性主体の社会では、女は子供を育てること以外に何の楽しみも情熱の捌け口もない家事の奴隷だったから、生き甲斐を子供に賭けるしかなかったために育っていった観念だ、女性が家庭の桎梏(しっこく)から解き放たれて、自由に社会で力を発揮するようになれば、子供が至上のものでなくなるのは自然のなりゆきだという意見もある。


しかし、だからといって、気分、感情にまかせて、弱い存在である子供を死んでしまうほど折檻(せっかん)するのだという理屈は成り立たない。女性は妊娠、出産という肉体的精神的苦痛を通過して母になっていかなければならない。そのため神は男性に勝る忍耐力と強靱さを女に与えられている。その我慢の力に加えて、苦痛と共に産み落とした分身への、理屈では言い切れない情もまた神から与えられていた。


自分の思い通りにならない最も強大な存在が嬰児である。泣き声がうるさいからと、いくら怒っても威しても、泣くときは泣く。それを我慢してつき合っていくうちに女は母になっていく。子のために耐え難いことを耐えること、子に尽くすことが当たり前になっていくのである。

 

神はそんなふうに女を創られた。男と女は平等ではあるが、同質ではない。夫が子供の世話をすべて妻に押しつけるといって腹を立てても、だからといって子供を放り出して知らん顔をしていることはできない。その「いうにいえない母の情」というものが今、摩滅してきているのである。

 

目に見えて下がっていくこの国の波動。


今まで私が親炙(しんしゃ)した心霊にたずさわる人たちは一様に、「波動」という言葉を使って日本の現状を憂えていた。では波動とはどういうものか? 私は単純に「精神性」という言葉を当てはめて考えていたが、正確には「意志と情報と振動数を持ったエネルギー」であることがわかった。


この三次元の物質世界も四次元の世界も霊界、神界、すべて波動である。地球上の国々も微妙に波動が異なっていて、それぞれ特有の民族意識を作っている。波動の特徴は同調、共鳴現象が起こることで、共鳴しては複雑な共鳴波を作り、多様な情報を作り出す。


ルルドの泉の聖水は、水に高い波動がコピーされたものだそうだ。わかりやすいのは音の波動である。音は弾性体を伝わる振動である。そこで音波の波動が高くなると電磁波となり、電磁波は振動の粗い長波、中波、短波のラジオ波から、FM波、VHF波、UHF波のテレビ波となり、更に振動が高くなるとマイクロ波となる。


マイクロ波より更に振動数が多くなると光の波動となる。光は振動数によって遠赤外線、可視光線、紫外線、X線、ガンマー線、宇宙線と変化していく。光の中で人間の目に感じられるのはごく一部だけで、他の光は見えない。波動が更に高まり、原子、分子、物質となり、エーテル体、エネルギー粒子となるが、エネルギーの振動が非常に高いものが、心、霊魂、神仏のエネルギーである。

人間は肉体の波動、精神の波動、魂の波動の3つを持っている。肉体の波動は健康に関係があり、精神の波動は知性、理性、人格を作る。憎しみや不平不満や心配は魂の波動を低下させるというから、現代のように人が損得のみに一喜一憂する時代では、全体の波動が下がるのは自然のなりゆきといえよう。


死後の世界つまり四次元世界は、幽現界、幽界、霊界、神界にあらかた分かれている。人が死ぬとその魂はその人の波動と同じ波動の所へ自動的に移動する。波動が低いと幽現界の下層や地獄(暗黒界)へ落ちる。その世での成功、栄誉や富は波動とは別のものであるから、たとえ天下を取ったと満足していても、波動によっては地獄に行かなければならないのである。


地獄というと針の山や血の池があって、赤鬼、青鬼が亡者を苦しめている絵図を思い出すだろう。昔の子供はそんな地獄相を聞かされて、悪いことはするまいと心に染み込ませたものだ。

 

地獄の実相は勿論そんなものではない。地獄は実際に何もない暗いだけの世界で、波動によって何層もの横割り構造になっている。そこへ行った魂は自分が人を苦しめた罪を逆の立場で、つまり自分が苦しめた人の立場になって体験する夢を永遠に見続けて苦しんでいるということだ。地獄の最下層は真っ暗闇でジトジトした強い湿気の中、何ともいいようのない悪臭が充満していて、亡者はただじーっとうずくまっているだけである。

 

そこまで落ちるともはや苦しみを感じることもなく、いつまでも永遠にそうしている。そこより少し上の階層では、それぞれ罪の意識によって苦しまされているが、それに較べると、いっそ何も感じないで闇の中にうずくまっている方が楽だという考え方をする人もあるかもしれない。
 

だが苦しむことによって、魂はそこから逃れたくて修行をするのである。少しでも上へ上がるために浄化を目指す。そうして幽界の下層へ上がり、更に修行をして少しずつ上へ上へと上がっていく。更なる修行を目指して三次元世界に生まれ変わり、そこでこの世の苦しい現実に耐えて前世の償いをする魂もある。いわゆる輪廻転生というのはそういうことなのである。


では、魂の波動を高めるにはどうしたらいいのでしょうという質問に対して、『不運より脱出する運命の法則』(文芸社)の著者である中川昌蔵氏はこう答える。

難しいことは全くありません。人は一人では生きられない。私は生かされている――。そのことを認識し、ありがとうという感謝の気持ちを表現すればいいのです。感謝することで魂の波動は上がります。

それは昔々から言い古されてきた訓えである。あまりに素朴、当たり前のことなので、質問した人は拍子抜けしてしまう。だがそれは真理なのである。真理とは本来素朴なものなのだ。


人に親切にしよう。お父さんお母さんに感謝をしよう。人のものを欲しがったり、羨んだりしてはいけない。年寄りを大切にしよう。嘘をつかず正直にしよう。我慢をしよう。欲張りはいけない。勇気を持とう‥‥代々の子供たちに昔から繰り返されてきたその教訓を、今の教師や親がどれほど子供に教えているだろう。

 

物質的充足を幸福であると思いこんだ頃から、我々は我慢を忘れ、要求することばかり考え、不平不満を増幅させてきた。親が子に教えるのは、どうすれば得になるかということばかりになっている。正義も勇気も教えない。


悪想念はエネルギーであるから消滅することなく地球表面の四次元世界に堆積して、神の光を遮断する。そうして国の波動は下がり、悪霊浮遊霊が憑依して苦しむ人や凶悪犯罪が増えるという循環が起こっている。


遠藤周作さんが亡くなったのは平成8年9月である。その年の1月、遠藤さんから電話でこう訊かれた。
 

「佐藤くん、君、死後の世界はあると思うか?」

 

「あると思う」


 とすぐ私は答えた。遠藤さんは「なぜあると思うのか」とは訊こうとせずに言った。


「もしもやな、君が先に死んで、死後の世界があったら、『あった!』と言いに幽霊になって出てきてくれよ。オレが先に死んだら、教えに出てきてやるから」


「遠藤さんの幽霊なんか来ていらん!」

 

と私は言い、話はそこまでで終わった。


 遠藤さんが亡くなった翌年の5月の中旬だった。私は夜遅く、江原啓之さんと電話の長話をしていた。心霊についての質問や相談をする時は、いつも夜の11時頃である。その時、話の途中で江原さんは突然、


「あ、ちょっと‥‥待って下さい‥‥」

 

と言って言葉を切ったかと思うと、

「今、佐藤さんの部屋に遠藤先生が見えています」

 

と言った。


「多分、遠藤先生だと思います。写真で拝見しているのでわかります。茶色の着物姿で、そこの部屋の壁に掛かっている絵を眺めたり、今はデスクの上に書きかけの原稿がありますね、それを見て‥‥人差し指で下の方のも持ち上げてニヤニヤしながら見ておられます‥‥」


私は言葉が出ない。私は10畳の洋室を書斎兼寝室にしている。その時はベッドに腰をかけて受話器を耳に当てていた。勿論、私には何も見えず、何の気配も感じない。


「遠藤先生がこう言っておられます。死後の世界はあった。こっちの世界はだいたい、君が言った通りだ‥‥」

 

私の身体を戦慄が走った。驚きや怖ろしさではなく、それは間違いなく感動の戦慄だった。私は思いだしたのだった。遠藤さんの生前の、あの会話を。

 

 ――もしオレが先に死んだら、教えに出てきてやるから‥‥。

 

 遠藤さんはそう言った。そしてその約束を守って出てきてくれたのだ‥‥。

 

呆然としている私の中に何とも言えない懐かしさと嬉しさがこみ上げてきた。わっと泣き出したいような熱いものがたちのぼってくる。


「それから‥‥こう言っておられます。作家というものはみな怠け者だから、こうして時々見回りしなければならないんだ‥‥」

 

それから江原さんはクスクス笑いだした。

 

「この前も見てたら、佐藤くんは机に向かったままじーっと動かない。そんなに行き詰まっているのかと思ってそばへ寄ってよく見たら、居眠りしとった‥‥」

 

思わず私は、

 

「遠藤さんはあの世に行っても生前のキャラクターが消えないのね」

 

 と感心した。

 

「遠藤さんが行かれた所は幽界の一番高い所で、四季の花が咲き、鳥が歌い、言うことなしの、天国と言われている所に当たります」

 

と江原さんは言った。そこは肉体がないので欲望からは解放され、怒り、憎しみ、嫉みなどに左右されることのない想念だけの世界である。しかし生前の記憶や性格は残っていて、最高に楽しい所だという。ここよりも上の世界、つまり霊界に入ると、記憶はなくなり、苦しくも楽しくもないという状態になる。そのため更に修行して霊界へ上がるよりもここにいる方が楽しいと思って、なかなか上へ上がろうとしない魂もあるそうだ。


 江原さんはそんな説明をして、それからまたクスクス笑った。

 

「こうおっしゃってます。ぼくの人格が高いから真っ直ぐにここに来た。人の役に立ってきたからなあ。たくさんの寄付もしたし‥‥と自慢しておられます」


実際、死んだ後1年も経たないうちに「天国」まで真っ直ぐに行くことのできる魂は稀であるという。遠藤さんはでたらめを言うのが好きな、いくつになってもしようのない悪戯好きだった。だが生涯を通じて病弱な肉体と繊細な感受性ゆえの苦しみと闘った内省の人だった。遠藤さんの波動は高かったのだ。

 

我々は簡単に「あの世で会おう」とか「あの世で待っている」などど言う。会うつもりでも波動が違えば会うことはできない。どんなに愛し合った男女でも、波動の差によって離ればなれになるのだ。「あの世で一緒になりましょう」と心中した男女は、共に暗黒界に落ちるのだからそこで一緒にいられるかもしれないが、暗黒界にも上、中、下くらいの差はあるというから、一緒に死んでも「あの世で夫婦」というわけにはいかないであろう。私があの世で遠藤さんに会いたいと思っても、そうなるには私の波動をもっと上げなければならないということになる。
 

その後1、2度遠藤さんは現れ、


「こうしているのも今のうちだ。仕事が待っている」

 

と言った。どんな仕事かと問うと、「世直しの手伝い」と言われました、と江原さんは言った。

 

別の時、私は江原さんからこの国の先行きについて遠藤さんに訊ねてもらった。すると遠藤さんの返事はこうだった。

 

「国のことより自分のことだ」

 

私ははっとした。急所をグサリと突かれた思いだった。そうだった、大切なことは人、一人ひとりが自分の波動を上げることだった。一人一人の波動が上がれば、社会の波動が上がり、国の波動も上がるのだ。それが今まで私が学んできたことだった。政治家を批判しても仕方がない。国民の波動が上がれば波動の高い政治家が出てくる。一人一人の波動の高まりが優れた政治家を産み出すのだ。

そうしてやっと、私はここまで来た。長い道のりだった。私はこの秋に79歳になる。51歳からおよそ30年近くかかって漸くここまで来た。はじまりは北海道に山荘を造ったことだった。それからの歳月を私はさすらい人のように彷徨してきた。


私を導いてここまで連れてきてくれた人、三輪明宏さんに始まって心霊科学協会の大西弘泰氏、相曽誠治氏、中川昌蔵氏、先生と呼ぶにはあまりにも身近になった江原啓之さん。そうしてまるでお伽噺のフェアリーのように、私がさまようのを見ては以上の人たちを探し当てて私の彷徨に道をつけてくれた鶴田医師。私はそのふしぎさに打たれ、これは「大いなる意志」のはからいであると思わずにはいられない。


20歳を境に私を見舞った苦労。最初の夫のモルヒネ中毒、二度目の夫の破産という私の人生の躓(つまづ)きは、私に力をつけさせるために与えられた試練だったにちがいない。私は短気で怒りっぽく、感謝すべきことも当たり前と受け取るような我が儘娘に育っていた。だがそれゆえに身についたただ一つの美点と言えば、この私が悲境に沈むはずがないという楽天的な自信があるということだ。そうしてもうひとつ、向こう見ずな強さを父の血から受けていた。その性質が私に逃げ出すことを思い止まらせた。絶望的になったことはあっても絶望はしなかった。本来、人間の中には苦しみを克服する潜在的な力が備わっていることを今、私は信じる。

シルバー・バーチの霊言を桑原啓善編著『シルバー・バーチに聞く』の中に拾い読みしている時、私の目を射たフレーズがあった。

私達(つまりシルバー・バーチら神界のメッセージを地上に伝える役目を課せられた霊たち)に一番辛いことは、皆さんのそばにあって、その苦しむさまを眺める時である。私達は承知している。これは本人の魂の闘いだから、決して助けてはいけないということを。こうしなさいといちいち指示をすれば進歩はしない。あなたがあなた自身であなたの問題を解決すること。そこにあなたに内在するものを発現させる道がある。

それは私の心霊世界遍歴の総仕上げともいうべき言葉だった。

貧者にただ金を与えることが奉仕ではない。病人をただ癒してやることが愛ではない。場合によっては双方ともカルマを加えることになる。

そうなのだった。自分のカルマは自分で克服するべきなのだ。人間には生来持って生まれたカルマ(先祖の因縁と前世の因縁)がある。また自分で生み出すカルマもあろう。

こうして漸く私はここまで辿り着いた。北海道浦河町の山の家は鎮まった。東京のこの家にも、もう何の気配もない。

 

すべては「はからい」だったのだと私は思う。私の過去のもろもろの苦労は、私のカルマであると同時に私に与えた使命をなし遂げさせるための訓練だったのだ。今、私はそう思う。苦しみから逃げなくてよかったと思う。人間は苦しむことが必要なのだ。苦しむことで浄化への道を進むのだ。

 

自分一人がなぜこんな目に遭うのかと腹が立つことがあっても、これが自分に課せられたカルマだと思うと諦めがつく。

 

 ――天や人を恨んでもしようがない。

 

それを正しく認識すればカルマを解消するためにこの災厄から逃げずに受けて立とうという気持ちになる。そうなればよいのである。そう思えば勇気が出る。生まれてきたことをよかったと思えるのだ。

 

私は十分に生きた。後は死を待つばかりである。どんな形で死がやって来るのか。たとえ苛酷な死であっても素直に受け容れることができるように、最後の修行をしておかなければならない。

以上をもって私の遺言は終わります。

私の遺言〜佐藤愛子

 

椅子に座って目をつぶると、そこには真っ暗闇が広がり、心は不安感に覆われる。しかし、この状態で両手を合わせると、合わせた手がポワッと温かみを帯びてくるのを感じ、同時に不安感が消えていき、逆に安らいだ気持ちが湧いてくるのを実感する。

 

手を合わせた時に湧き出る温かみは、そこにエネルギーが生じているからこその現象と言える。人間が感謝の気持ちで手を合わせると、そこにエネルギーが生じるようである。そして、このエネルギーが上で言う波動というものなのだと思う。

 

となると、多くの人びとが毎日感謝の気持ちで手を合わせる習慣を持つと、この波動の大きさは相当なものとなり、世の中の空気を変化させ、ひいては国を動かす力となるのだ。

 

一人一人が無私のおもゐで祈るという行為を見直す時期に来ていると、私は思う。