まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【老子道徳経 第五十五章】 道に添うこと

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 3月21日 赤口  四緑木星

         壬戌 日/己巳 月/甲午 年 月相 21.3 

         穀雨 初候 葭始生(あしはじめてしょうず)

 

【今日の気象】 天気 曇り 気温 12.2℃ 湿度 76% (大阪 6:00時点)

 

 

 

含徳之厚、比於赤子。

 

蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。

 

骨弱筋柔而握固。

 

未知牝牡之合而全作、精之至也。

 

終日號而不嗄、和之至也。

 

知和曰常、知常曰明。益生曰祥、心使氣曰強。

 

物壯則老。

 

謂之不道。不道早已。

 

 

 

 

 

 

【書き下し文】

 

含徳(がんとく)の厚きは、赤子(せきし)に比す。

 

蜂蠆虺蛇(ほうたいきだ)も螫(さ)さず、猛獣も拠(おそ)わず、攫鳥(かくちょう)も搏(う)たず。

 

骨は弱く筋は柔らかくして而(しか)も握ること固し。

 

未(いま)だ牝牡(ひんぼ)の合(ごう)を知らずして而も全(さい)の作(た)つは、精の至りなり。

 

終日号(さけ)びて而も嗄(か)れざるは、和の至りなり。

 

和を知るを常と曰(い)い、常を知るを明と曰う。

 

生を益(ま)すを祥(わざわい)と曰い、心、気を使うを強と曰う。

 

物は壮(さかん)なれば則(すなわ)ち老ゆ。

 

これを不道と謂(い)う。不道は早く已(や)む。

 

 

 

 

 

【私的解釈】

 

徳を湛(たた)える人物は、赤ん坊のようなものである。

 

赤ん坊には、毒虫や毒蛇の類いも刺したり噛みついたりしない。猛獣も襲ってこない。猛禽もつかみかかってこない。

 

赤ん坊の骨は弱く筋肉も柔らかいが、握り拳は硬い。

 

男女の性交を知らないのに性器が立つのは、生命力があふれているからである。

 

一日中泣き叫んでも声がかれないのは、心身の調和が最高に機能しているからである。

 

心身の調和が機能しているということを実感することが自然の生き方であり、自然の生き方を知ることは明らかなる知恵を知ることである。

 

無理に長生きしようとすることは災いを招き、気力を使うということは心身に無理強いをしている。

 

物事は勢いを急にすると、すぐに衰える。

 

こうなってしまうのは、その行為が道に添っていないからである。道に添わないモノは、早く衰えてしまうのだ。

 

 

 

 

 

【雑感】

 

 

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この番組の冒頭

 

くりぃむしちゅー上田 「いっつも明るいですよね」

 

明石家さんま 「まぁ、明るいというか楽しく生きようと努力はしてますけどね」

 

くりぃむしちゅー上田 「悩みごととかないでしょ」

 

明石家さんま 「ウシャーシャー(笑)(笑) 俺も悩んで大きくなって来ているの。色々悩み事があってこそ、こうして生きてこられたわけですから。その代わりこう笑って過ごしているとドンドン信用が無くなって来て、ここ20年誰からの相談も受けてないよ」

 

くりぃむしちゅー上田 「そうでしょうねぇ」

 

明石家さんま 「お前もデビュー当時よく相談に来たけど最近来ないね」

 

くりぃむしちゅー上田 「ええ。何か相談してもしょうがないと思い始めて。。さんまさんに」

 

明石家さんま 「ぐふふふ(笑) こんな私でごめんね」

 

 

 

明石家さんまさんの生き方は参考にすべき点が多い。生きることに執着せず、世間の目にも執着せず自分の原則(生きているだけで丸儲け)を貫いている。

 

彼が司会するテレビ番組を見ていると、色々と世間に叩かれた芸能人が世間の目がまだ厳しい時期にもかかわらず登場することが多い。そこには、「世間なんてむき出しの感情を無責任にぶつけて来て憂さ晴らしをしているだけや。そんなもんいちいち構ってられるかいな。お前も反省したと思う。キッカケは俺が作ったるけど、後は自分の力でこの壁を乗り越えて行くしかないんやぞ」というおもゐ遣りを感じる。

 

上下関係という序列の力で世間の波を渡るのではなく、おもゐを同じくする者の連帯の力で世間の波を渡る時代の先駆けとして、彼の生き様は私達にその見本を見せてくれている。