まどゐ。

~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 

【二宮翁夜話 巻之一 十】 翁、畢生(ひっせい)の覚悟を吐露し、門人を諭す

 

【今日のこよみ】 旧暦2014年 3月18日 友引  四緑木星

         戊午 日/己巳 月/甲午 年 月相 17.3 

         土用 清明 末候 虹始見(にじはじめてあらわる)    

 

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翁曰く、

 

親の子における、農の田畑に於ける、我が道に同じ。

 

親の子を育つる無類となるといへども、養育料は如何せん。農の田を作る、凶歳なれば、肥大も仕付料も皆損なり。それ此の道を行はんと欲する者は此の理を弁(わきま)ふべし。

 

吾始めて、小田原より下野の物井の陣屋に至る。己が家を潰して、四千石の興復一途に身を委ねたり。吾れ則ち此の道理に基けるなり。
 
それ釋氏(しゃくし)は、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の理を悟り、この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て今日の如き道を弘めたり。ただ此の一理を悟るのみ。
 
それ人、生れ出でたる以上は死する事のあるのは必定なり。長生といへど、百年を越ゆるは稀なり。限りのしれたる事なり、夭(わかじに)と云ふも壽(ながいき)と云うも、実はわずかの論なり。譬へば蝋燭の大中小あるに同じ、大蝋といへども、火のつきたる以上は、四時間か五時間なるべし。
 
しかれば人と生れ出でたるうへは、必ず死する物と覚悟をする時は、一日活きれば則ち一日の儲、一年活ききれば一年の益なり。故に本来我が身もなき物、我が家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲なり。
 
予が歌に、「かりの身を 元のあるじに 貸し渡し   民安かれと 願ふ此の身ぞ」。それ此の世は我れ人ともに僅かの間の仮の世なれば、此の身は、仮の身なる事明らかなり。元のあるじとは天を云ふ。このかりの身を我が身と思はず、生涯一途に、世のため人のためのみを思ひ國のため天下の為に、益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免れ富有になり、土地開け道橋整ひ安穏に渡世の出来るようにと、それのみ日々の勤めとし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざる我が此の身である、といふ心にてよめる也。
 
是れ我が畢生(ひっせい)の覚悟なり。我が道を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず。
 
 
畢生(ひっせい)・・・一生涯
 
釋氏(しゃくし)・・・釈道安 - Wikipedia
 

 

 

 【私的解釈】

 

尊徳翁が言う。

 

親が子に向けるおもゐ、農民が田畑に向けるおもゐ、これらは、私のおもゐと同じである。

 

親が子を育てることは、他に比べるものがないほど素晴らしい事であるが、養育するにはお金や時間がかかる。農民が田んぼを育てることも同じである。凶作の年となれば肥料代も仕付料も全てが無駄となる。私のおもゐを形にしようとする者は、この理を心得るべきである。

 

われ始めて小田原から下野国の物井の陣屋にやって来たわけであるが、あの時、我が家を潰してこの地に移り住み、この四千石を復興させることに専念し、この事業の成功に命をかけた。このように決心して実行したのもこの道理に従ったまでである。

 

釈道安(しゃくどうあん)は生者必滅の理(ことわり)を悟り、この理を形にする過程で、自らの意志で家を捨て妻子を捨てて、今日に伝わる教えを広めた。ただこの一つの理を悟っただけで、進むべき道を突き進んだのである。

 

人がこの世に生まれ出た以上は、死ぬ事は当たり前のこと。長生きといっても百歳を超えるのは珍しい。長生きといったってたかだかそんなものなのだ。若死にや長生きといっても実はほんのちょっとの差しかない。例えれば、蝋燭にその長さが長中短とあるのと同じこと。長い蝋燭と言っても、一旦炎がつけば四五時間で燃え尽きてしまうのだ。

 

このように考えると、人間はこの世に生まれて来た以上、必ず死ぬものだと覚悟を決めれば、一日生き抜けば丸々一日の儲け、一年生き抜けば丸々一年の益となる。だから、元々我が肉体も借り物、我が家も借り物であるとの覚悟を下だせば、あらゆる事々が尽く皆丸儲けとなるのだ。

 

かりの身を 元のあるじに 貸し渡し   民安かれと 願ふ此の身ぞ」と歌った私の和歌がある。この和歌は、この世は私や私以外の人にとって仮の世だとすれば、この肉体も仮の身であることは明らかだ。元の主とは天のこと。この仮の身を私が所有する肉体であるとは思わず、生涯一途に世の為人の為をおもゐ、国の為天下の為に益ある事のみを勤めて、一人たりとも、一家たりとも、一村たりとも困窮を免れて富裕となり、土地が開け、道や橋が整備され、皆が平和に暮らして行けることのみを毎日の使命として、朝夕に願い祈りて、今日の生に感謝するということを怠るなよ我が身よという、おもゐで詠んだものである。

 

これらは、私の一生涯の覚悟である。我が教えを実践しようとする者は、この覚悟を忘れてはならない。

 

 

【雑感】

 

戦後の教育を見直す機運が高まっている。

道徳の教科化や教育勅語の原本が今この時期に見つかったことがその兆しである。

 

教育勅語の原本、半世紀ぶり確認 国立公文書館で公開へ

2014.4.8 10:00

文部科学省は8日、明治23(1890)年発布の「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本とされる文書を、52年ぶりに確認したことを明らかにした。大正12(1923)年の関東大震災で文部省(当時)の庁舎が焼けた際、強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態になっている。歴史的な資料として国立公文書館に移管し、修復のうえ公開される見通しだ。

文科省によると、教育勅語の原本は昭和37年の「学制公布90年記念式典」で東京・銀座のデパート白木屋に特別展示された記録があるが、その後は所在不明になっていた。しかし平成24年、東京・上野の東京国立博物館の書庫にあるのを職員が確認、当時のメモなどと照合し、原本と判断した。

明治天皇山縣有朋内閣に与えて発布された教育勅語には、父母への孝行、夫婦の調和、博愛など12の徳目が示され、修身(道徳教育)の根本規範とされた。明治24(1891)年から原本の謄本が全国の小学校に配布、掲示されたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで排除され、学校から回収された。

文科省では今回、原本のほか謄本の巻物一巻と、初代文部大臣森有礼が明治19(1886)年に職員の心構えを記した「自警」、日露戦争中の明治37(1904)年に明治天皇の意向が示された「軍國多事ノ際教育ニ関スル御沙汰書」などの資料20点を国立公文書館に移管することにした。

教育勅語の原本、半世紀ぶり確認 国立公文書館で公開へ - MSN産経ニュース

 

 

教育勅語

 

朕惟(おも)フニ我カ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ

 

我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ世世厥(よよそ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦實(実)ニ此ニ存ス

 

爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友(ほうゆう)相信シ恭儉(きょうけん)己レヲ持(じ)シ

 

博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ

 

進(すすん)テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲(こくけん)ヲ重(おもん)シ國法ニ遵(したが)ヒ

 

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ

 

是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所之ヲ古今(ここん)ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス

 

朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ

 

明治二十三年十月三十日

御名御璽

 

 

 

【現代語訳】 

 

私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、今現在まで連綿と御築きになって来られた徳は深く厚いものとなっています。

 

我が臣民は忠と孝のおもゐをもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美を造化して来ましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にある。

 

あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、

 

皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、

 

世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、

 

もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。

 

これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を受け継いでいくものでもあります。

 

このようなおもゐは実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民が共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても人類全てに共通のおもゐでもあります。

 

私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳のおもゐを形にしていくことを希(こいねが)っています。

 

明治二十三年十月三十日

天皇陛下の署名と印。)

 

 

 

戦後、教育を学校や塾に丸投げした結果が今の日本である。

まずは、親が子供をきちんと教育するという当たり前のことから始めなければならない。その為には親が自身のおもゐと向き合うことが大切なのだ。